ハミングの朝
【王国暦122年10月9日 4:27】
ああ、ドロシーがどんどん大人になっていく……。
そりゃまあ、結婚する、って決めてる相手なんだから、そういうこともあるだろうけどさぁ……。
ほらほら、『キャッ、彼と経験しちゃったの』的な告白を仲良しグループのメンバーに告白された時のような、置いてけぼり感っていうの? フンだ、私だってやろうと思えばできるんだからね! なんて、相手もいないから反発も虚しさを助長するだけ……。
くそっ、エドワードめ! 坊ちゃんのくせして、やることやってるとは! 今度会ったら全力で腹パンしてやる!
「おはよ」
「うん…………おはよ」
当のドロシーは何食わぬ顔をして朝の挨拶をしてきた。例によって朝のドロシーは顔が浮腫んでいる。この顔を見ているのは私だけ……。いや、王都に一緒に行ったから……。あ、そっか、あの時に二人の間に何かがあったわけか。それも個室になった時といえば、迷宮に泊まった時か。
ドロシーが顔を洗いに行き、その間に、ロンデニオン西迷宮のグラスアバターにチェンジする。
『……おかえりなさいませ、マスター』
一瞬メイド喫茶かと思った。口調も変化していくのか……。
「うん、めいちゃん、先日迷宮に泊まった時、宿泊客同士で性交渉はあった?」
『……肯定です。……記録済みです。……ログデータを開示しますか?』
「ああ、うん、念のため、概要だけ表示してよ」
『……了解しました、マスター』
大型ディスプレイにログが表示される。映像では情報を習得していないので、文字ベースになるわけだけど………。
「二件…………?」
なんだってぇ? と対象を見てみると、片方は想像通りエドワードとドロシーだった。テキストベース、しかもめいちゃんが記録したものなので、こんな感じ。
個体認識番号:32567913 32567914に接近、左腕部にて接触
個体認識番号:32567914 32567913と胴体部を接触
個体認識番号:32567913 口頭にて好意を表明
個体認識番号:32567914 口頭にて好意を表明
みたいな感じ。どっちがドロシーかエドワードかはわかんないけど、この後はダラダラ接触が続く。さすがにめいちゃんには性的表現の発想がないので、あったとしたら、自動的にエロ小説ができることになる。のは言い過ぎかしら。
なお、ドロシーとエドワードのペアの行為は、元の世界の変態表現旺盛な国に住んでいた者からすれば、非常にオーソドックスに感じられる、微笑ましい性交渉で、ちゃんと最後までしていた。その後にお互いの体について観察タイム(?)があり、ドロシーはそこで男性機能の知識を得たものと思われる。
くそー、何だろう、この大事なものが壊された感覚、すごいイライラする……。
エドワードめ、全力で雷撃を撃ち込んでやる!
問題のもう一件は、想像したくなかったけれど、ラナたんとダンだった。
っていうかさぁ……、迷宮に監視されてるとか思わなかったのかね?
個体認識番号:32567915 32567916に口頭で好意を表明
個体認識番号:32567916 明確な反応を示さず
個体認識番号:32567915 32567916に口頭で好意を表明
個体認識番号:32567916 32567915の接近に停止を要求
個体認識番号:32567915 32567916に口頭で停止要求の解除を要求
「うーん?」
見た感じ、一緒に旅に出ていい雰囲気になっちゃったけど、ダンが迫って、ラナたんがやんわり拒否、って感じか。
記録上、直接の性交渉はなかった。二人きりになるチャンスは迷宮内部くらいだっただろうから、ここ以外ではあり得ないとして、とりあえず、迷宮内部で結ばれたのはドロシーとエドワードのペアだけか。
多少はホッとしているけど、ラナたんが処女だとは限らないし、この世界の一般的な男性が、女性に処女性を求めているかどうかは怪しい。王族辺りなら、かくあるべし、みたいなのがあるかもしれないけど、平民に関しては、より強い遺伝子を得るためには、元の世界で言えばビッチ的な行動の方が正しいのかもしれない。
それにしても、この、32567915(ダン)、32567916(ラナたん)の記録は、最後の方まで『好意の表明』『美点の列挙』をダンが続けて、ラナたんが『明確な反応を示さず』で埋まっている。全然『軽い求愛』じゃない。これを見る限り、旅に出た高揚感からの一時的な気の迷いじゃなくて、以前から好意を持っていたのが昇華した感じ。
これは…………………ダンは、ラルフ少年に比べて十歩じゃなくて二十歩は先にいるわね。
昨日の求婚宣言が、サリーの言っていた通り、一発逆転を狙った、一種の敗北宣言ではないか、と思えてくる。
ロンデニオン西迷宮のグラスアバターから本体に戻ると、ドロシーも部屋に戻っていた。
「アンタ、何してんの?」
「あっ、いやっ、うん」
君らの情事を盗み見していました、とは言えないので、曖昧に答えておいた。ドロシーを原因としたエドワードへの怒気は、ドロシーが平然としていたので、徐々に収まっていく。
なるようになった、ってだけか。
そりゃそうだよなぁ。
エドワードめ、ドロシーを不幸にしたら…………………腹パンや雷撃じゃ済まさない。意識を保ったまま不死者に生成しなおして、Gを満杯に入れた箱の中に千年閉じ込めてやるわ。
「何を邪悪な笑みを浮かべてるんだか。エドには手を出さないでよね。あんなんでもいいところはあるんだしさ。大体、エドを勧めたのはアンタでしょうに」
「むっ…………」
心を読まれている。そして正論で押し込められた。いつまで経っても、ドロシーは私の弱点なんだなぁ。
それが確認できて、ちょっと安心する。
「私も顔を洗ってくるよ」
「それがいいわ」
クスクス、とドロシーが笑みを向ける。それはとても色っぽいものに感じられた。
【王国暦122年10月9日 5:55】
この時刻表示を見ると、いつもファイズだなぁとか、めざましテレビが始まっちゃうなぁ、とか思っちゃうんだけど、誰に言っても通用しないのでグッと堪える。本当に、よくわからないことだけは覚えているんだよね。
ドロシーとレックス、カレン、四人組はすでに出勤してしまった。最近は公営馬車の始発でロータリー方向へ向かっているらしい。ドロシーなんかは街のVIPになりつつあるんだから、そんな無防備な出勤スタイルにしなくてもいいのになぁ、と思いつつ、この時間に新西門からロータリーへ向かう馬車には誰も乗っていないので、実質貸し切りなんだとさ。
迷宮組の方は、その始発の折り返しを待つか、歩いて新西門に行って、迷宮方向への始発馬車に乗り込むのが常で、トーマス商店所有の馬車は納品時刻の関係で出勤のタイミングに合わないことが多いそうな。
「じゃ、お婆ちゃん、シェミーの姉御、行ってきます」
「行ってきます」
私とサリーが玄関で挨拶をすると、アーサお婆ちゃんは、こっちが心配になるくらいに心配してくれた。もちろん、四人分のサンドイッチ、二食分を持たせてくれた。
「そう、サリー、ちゃんとやるのよ」
「サリー、頑張るんだわ」
私じゃなくてサリーを心配してるわけね。
「はい、はい、大丈夫です、はい」
ニコニコと笑ってあしらうように対応するサリーは、軽い足取りで庭に出て、夕焼け通りにまで先に行ってしまう。実は恥ずかしかったみたいね。
「あはは……じゃ、行ってきます。戻れそうになったら連絡しますから」
「そう……いってらっしゃい」
アーサお婆ちゃんは寂しそうに手を振った。サリーは割とプライベートが抜けている娘なので、お婆ちゃんにとっては実にいい孫娘なんだろう。
それに加えて、この世界、この時代の旅は、それがどんな内容であれ、死と隣り合わせだ。王都に行くだけなら治安は良好、石畳の上を快適に進めて、命の危険はない、はずだ。
ところが、その王都であっても治安は悪かったし、道中も安全だったとは言えない。今回はさらに道なき道を進む可能性もあり、危険度は王都出張の比ではない。それがわかっているから、アーサお婆ちゃんは極度に心配をしているのだ。
そんなお婆ちゃんを安心させるように、私も笑顔を作って、サリーと同じように軽い足取りで夕焼け通りに出て、サリーと合流した。
「すっごくドキドキします、姉さん」
「うん、旅立ちの時はそんなものさ。なあに、すぐに戻れるさ」
やべっ、何だかフラグくさい事言っちゃった。
不吉な想像を振り払うように、私とサリーは教会に向かった。
「お早うございます、お姉様」
サリー以上のニコニコ顔だったのはエミーで、見送りに来ていたユリアン、カミラ女史、マリアとシスターの皆さんに、言ってきますの挨拶をすると、小走りに私たちと合流する。
「シスター・エミーを頼みますよ」
ユリアンが珍しく真面目な顔を私に向ける。
「司教様からは、一日一回、短文を送りなさい、と言われています」
エミーがユリアンの過保護を補足する。ユリアンは恥ずかしげにはにかんだ。
「なるべく、ご期待に沿うようにはしましょう」
そのままだと、ブリストからは魔力が届かないと思うので、どこか途中に基地局を設置することになる。その作業もしなきゃいけないし、ただ馬車や徒歩で移動すればいい、というわけではない。どんな不幸な巡り合わせがあるかわからないのだから、慎重に進むに越したことはない。
教会の面々から手を振られ、ちょっと宇宙戦艦のエンディングテーマを思い出して、歌詞がうろ覚えだったものだから、ハミングで歌うと、すっごく気分が落ち込んできた。
なんてダウナーな曲なんだろうか……。
【王国暦122年10月9日 6:42】
新西門近くにある駐車場に到着すると、馬車と馬車馬を『道具箱』から取り出して、セッティングする。
どう控えめに見ても、馬車と馬車馬が、何もないところからニュ~っと出てくるのは非常識で、それをしている私本人でさえ理不尽な現象だと思う。
駐車場には、十数台の馬車が止まっている。ポートマットの外から来た荷馬車は、ここからはす向かいの荷物集積場に向かい、そこで荷物を降ろした後、一時的な待機場所としてこの駐車場に駐めておくわけだ。
現状では、ポートマットの南港~王都間の荷物の方が圧倒的に多い。こちらの荷物は南港にある荷物集積場を利用して、ポートマットの町中こそ通過するものの、基本的には南北通りを素通りになる。
西ロータリーの荷物集積場が完成したことで、ポートマット産の荷物はここを経由するようになり、南港の荷物集積場に余裕ができたのだという。元々、ポートマットの、具体的には夕焼け通りに入る馬車を制限するための施設として作ったわけなんだけど、余裕のある敷地面積を利用して、南港を補完する用途として活用されているらしい。
こういう荷運びには、たとえば『ロダ』みたいな運搬専用の魔道具や、それこそゴーレムや『タロス』などが使えれば効率がアップしそうなものだけど、いまだ人足、つまり人力でやっているために、多くの人員が投入されている。
例の難民の一部はここに連れてこられるだろうし、仕事が取られてしまうほどの効率アップが害悪になるのなら、それは公的には運用しない方がいい。少なくとも今のところは。
この辺りの差配が難しいところだ。『使徒』チェックがあろうがなかろうが、その程度のバランス感覚は私にもある。ジャクソン神父が粛清対象になった一件から考えると、迂闊に大幅効率アップを図る行為は危険だと考えなければならない。
その意味では、この馬アバターは境界線上にいる。人力や馬以外にも運搬手段があるのだ、と思いつかせることは、やはり危ない。
この馬アバターを操作できる条件は『召喚』スキルの有無で、私の場合は魔術師ギルドのミネルヴァからコピーしたわけで、幸いなことに一般的な魔法スキルではないみたいだけど、誰もが覚えてしまったら普及の最初の関門は突破されたと言っていい。
もう一つの関門である、アバター製造器が迷宮にしかない、という点も、それこそ迷宮管理人が外に持ち出してコピー品を作り、それで馬アバターを量産してしまえばいい。
この馬アバターは関係者以外に運用させるつもりはないし、迷宮産の特別な魔道具だ、という認識を植え付けるように行動するつもり。それは『使徒』に対してのアピールでもあるし、私の保身であり良心だ。だって、この馬アバターは量産が可能、って知られたらやっぱり困るものね。
ま、量産品は東のロータリー中央に鎮座しているわけだけどさ。
「お姉様、この馬アバターは私でも操作できますか?」
エミーが訊いてくる。『召喚』LV1を覚えたばかりのエミーでは、多分リンクが難しいと思う。
「そのうちに出来るようになる……といいなぁ」
だから、曖昧に答えておく。エミーはともかくとして、魔法習得に才能を見せるサリーなら、短期間で可能になるんじゃないかなぁ。覚えちゃった時には、サリーには、この馬アバターが持つ危険性を教えなきゃならないだろう。その説明をする際には『使徒』のことを話す必要性があり、巻き込むことへの忌避感はあれど、私に関わっている時点で、これは既定路線なのかもしれない、と諦観にも襲われる。
「面白いですね、これ」
現に、サリーは馬アバターに興味津々だもんね。
「ま、そのうち使えるようになるよ。今はちょっとした理由があって、広めないつもりなんだ」
「そうなんですか……」
サリーは残念そうに、エミーは、何かに納得したように、それぞれが唸った。
【王国暦122年10月9日 7:21】
馬アバターと馬車を連結し終えると、私は御者席に、エミーとサリーを客室に乗せて、馬車を動かした。
迷宮街道を西へ向かって軽快に走り、風系魔法を使ったサスペンションの快適さに、またまたサリーが唸った。
「凄いです、姉さん。最近、私、馬車に乗る機会が多いから、差がハッキリわかります」
「うん、でも、これは一般的にならないと思うよ?」
「お姉様、これは『風走』そのものでは?」
「あ、そっか……魔力を食うから、多大な魔力量を持ってないと使えないのかも」
「うん、そういうこと」
サリー、エミーの魔力量があれば運用可能だと思う。ポートマット三大魔力量の持ち主が、この馬車に乗っている、と考えると興味深いものがあるわね。
「それよりさ、この馬車は暖房が付いてないから、もう一枚着ておいてよ。あのローブを使ってくれると、防御力も上がるし丁度良いかな」
内装に断熱効果はあるから外よりは寒くないと思うけど、木製の馬車に熱源を搭載するのはどうも安全上憚られるものがあって、結局取り付けていない。ローブを着てもまだ寒ければ、毛布を被ってもらうつもり。『保温』も付与しておけば、外の気温が零下でも馬車内部なら過ごせそう。
エミーとサリーはお揃いの白いローブを被った。エミーは裏地が緑、サリーは赤。
「うは……可愛い……」
二人ともウェーブのかかった金髪だけど、エミーの方が色の濃い髪の色で、サリーはもっと色素が薄くて耳が長い。エミーは長髪で腰くらいまであって、サリーは肩くらいに切り揃えている。姉妹のように似ている、という感じではない。好奇心旺盛なところ、集中すると周囲が見えなくなるところは似ているかもしれないけどさ。
あまりにも二人が眩しいので、私も対抗して黒いローブを着用してみる。
「お姉様は悪い魔女みたいです」
クスクス、とエミーが、私の黒ローブ姿を見て揶揄する。
「あはは」
その通り、悪い魔女のイメージで作ったローブだからなぁ。
「迷宮に着きましたね」
エミーとサリーはあまり言葉を交わさないけど、仲が悪いって感じでもない。サリーの魔法の、最初の師匠がエミーのはずだから、一定の距離を置いている感じはする、かな。
「ありゃ……?」
迷宮広場に到着すると、ラルフ少年がいた。その周囲には二十人くらい、『第四班』の面々が集まっていた。
ラルフ少年は恥ずかしそうに、でも真っ直ぐに私を見て、
「よろしくお願いします」
と合掌して、お辞儀をした。
「小さい隊長! 副リーダーを鍛えてやって下さい!」
「副リーダー! 気をつけてな!」
「背が伸びるといいな!」
「ちゃんと食えよ!」
『第四班』の面々は、口々に、私に、ラルフを宜しく頼む、と言ってきた。なに、この愛され具合は。
ラナたんもいて、一歩前に出てから、ラルフ少年と私を交互に見て、
「小さい隊長、ラルフをどうぞよろしくお願いします。ラルフ、ちゃんと帰ってきてよね」
と、やはり同じように私に言ってきた。
だけど、ラナたんの言葉はラルフ少年には特別だ。
「ああ、必ず帰ってくる」
イスカンダルとの間を往復しそうな、強い語気でラルフ少年は『第四班』の面々、いや、ラナたんに宣言した。別にラルフ少年を鍛えるための旅じゃないんだけど、場が盛り上がっているから、今はそれでいいや。
「ラルフ少年、馬車に乗って。それじゃラナたん、行ってくるよ」
「はい、気をつけて、小さい隊長」
ラナたんと『第四班』の面々に見送られながら、今度は宇宙戦艦のオープニングテーマが頭の中でリフレインした。
「ブリスト出張部隊、しゅっぱーつ」
私は馬アバターに鞭を入れるフリをして、馬アバターは鞭に打たれたフリをして、加速を始めた。
――――次はボンマットに、停まります。
やっと出発できました……。




