ドロシーの依頼
【王国暦122年10月8日 20:16】
新西門の門番さんに奇異な目で見られて、四つ足で、しかもかなりの速度で走っていたことに気づき、顔を赤らめつつも立ち上がった。
何だか新たな二つ名が生まれた気がするけど、もう何を言われても傷つかないわよ……。
改めて二本足で歩きだして、アーサ宅へと戻った。
「ただいま~」
「そう、おかえりなさい。夕食は始めてるわよ」
すでに終わりかけだったけど、何とか夕食にはありつけたようだ。明日からは野性味溢れる食事か、程度の低い食事になる。だから今日の夕食はとても大事。
食事中は基本的にみんな喋らない。黙々と食べるのが常なのだけど、
「実は、今日、『第四班』の武器を朝から作っててさ」
と切り出すと、アーサお婆ちゃん以外の面々から注目を浴びた。ラナたんを取り巻く恋愛話は、彼ら『第四班』とつき合いの深いトーマス商店の人たちにとっては、特大のネタだもんね。
「そこでさ、ついにさ、ラルフ少年が、ラナたんに求愛……いや、求婚した」
「ええっ!?」
「逆転の発想ですね?」
「気が早くないですか?」
「生意気よ」
「そうね、お目出度いことだわ」
ラルフ少年のことを知らないアーサお婆ちゃんまでが食い付いた。ちなみに、発想が逆転しているのはサリー、生意気だと吐き捨てたのはフローレンスね。
「うん、ラナたん曰く、ダンさんからは求愛されたことがあるんだって。だけど、すぐ身を引いたんだって。軽い調子だったから本気じゃなかった、ってラナたんは捉えてるみたいだけど」
「それは欺瞞ね。ダンさんは本気だわ」
ドロシーが断言した。さすがに王都出張に一緒に行っていたから、気付いていたみたいね。
「それは私も同感。押してダメそうだから、一度引いた感じがする。戦略的撤退ってやつね」
私が同意すると、皆も頷いた。
「押し倒してだめなら引き倒す……」
レックスが怪しいことを呟いたので頭を叩いておく。
「倒さないの。ああ、それでね、ラルフ少年は、今回のブリスト出張に同行させることにしたの。旅をして男っぷりを上げようってつもりなんだろうね」
「そんなもので男っぷりは上がらないわー」
シェミーが冷笑を浮かべる。
「でも、色々と経験することは男の子にとっては重要よ。多方面からの視点を持てるようになるわ」
け、けいけん! ベッキーさんの含蓄ある発言に、レックスも含めて大人以外は全員が顔を赤らめた。
「でもさ、求愛して求婚? それって脈あるのか怪しい気がするさ」
カレンが実に正鵠を射たことを言う。カレンは『第四班』の最初の最初を見ている人だから、ラナたんとラルフ少年の動向は気になるのだろう。
「性急過ぎるのは、私も同感なんです。でも、これを逃すと、十年でも二十年でも、ラルフ少年は告白できないまま、チーム内部でウジウジしていたと思うんですよ。仮にラナたんが断ったとして、それが原因でラルフ少年がチームに居づらくなって脱退するとしても、時期が早まっただけ、って思えば悪いことじゃないかと」
なるほど、と全員が唸った。
「返事はブリスト出張から帰ってきてから、ってことになっています。それまで、どうか彼らを静かに見守ってあげてください」
「これは………ダンさんが優位ですね」
「十歩は先を行かれているわよね」
ダフネとペネロペは、息のあった指摘を交互にした。
「そこで……逆転の発想ですね!」
サリーは何故か逆転に拘っている。ああ、感覚的にラルフ少年が不利だって言いたいわけね。
っていうか君たち、静かに見守れって言ったのに、早速論評始めちゃってるよね。
「ラナたんはちょっと不安定になっているかもしれず…………」
そんなラナたんをフォローしてあげてよ、と言おうとすると、
「それを支える実質のナンバー3、ダンさん、ですか」
「大人の魅力があるわ。危険よ」
ジゼルとフローレンスは、ラナたんの味方なのか敵なのか、まあ、野次馬だよね。
「で、アンタは、あの二人にどうなってほしいの?」
「うーん、なるようになるかなぁ、と。ラナたんが胸の奥底の気持ちに気付くかどうか、だと思うよ」
「どういうことさ?」
カレンの問いに、私は一拍置いてから答えた。
「チームにとって、じゃなくて、ラナたんがラルフ少年に、側にいてほしいと思っている…………」
「それはアンタの願望も入っているわけね。でも、私もそうだといいな、って思う」
ドロシーが同意してくれた。
「そうね、何なら、お泊まりに呼ぶといいわ。誰かに話すだけでも心の持ちようは変わるものよ?」
おお、それはいい。さすがアーサお婆ちゃん。
「私も賛成」
ベッキーさんも慈母の微笑みで、アーサお婆ちゃんの提案に乗る。
結論としては、ラナたんの決断を見守ろう、ラナたんを助けよう、という方向になった。だから、どちらを選ぶか、選ばないか、という話ではなくなっている。ラルフ少年を選ぶのは、恋物語的に正しい。だけど現実的にはダンだよねぇ、と、どちらにも応援できないでいるから。
【王国暦122年10月8日 21:33】
「そうね、これも、これも、持って行きなさい」
エミーの方にも食材の確保は頼んであったけど、やはりお婆ちゃんの持って行きなさい攻撃が始まった。
「ありがとう、お婆ちゃん! いただきます!」
もちろん、ホイホイ貰っておくぜ……。
白パン十斤、小麦粉一袋、リンゴ一箱、オレンジ一箱、イモ二箱、カボチャ一箱、生ハム二足、塩漬けのバラ肉二つ。辺境に行くんじゃないんだけど、迷宮に籠もる可能性があるから、多いに越したことはない。
「そうね、野菜が不足するから、こればかりは現地で入手するしかないわね」
葉物が欲しいところだけど、入手できるかどうか。まあ、ちょっと山に入れば幾らでも食材は入手できるさ。
「はい。栄養には気をつけます。私より料理の上手いエミーが一緒なので、その点に不安はありません」
「そうだったわね。貴女が無茶な食生活をしないか心配で心配で……」
アーサお婆ちゃんは腕を組んで唸った。
「いやあ、大丈夫ですよ、お婆ちゃん」
「そうねぇ……。貴女は一見完璧に見えるけど、一点に集中すると回りが見えなくなるわ。サリーもそうね。それは悪いことではないけれど、重要なことを見逃している時もあるわ。だから、周囲の人をもっと頼りなさい」
まっすぐに、ジッと目を見つめられて、そう言われた。反論できなかった。
「はい、お婆ちゃん」
私だけならまだしも、サリーも同類だもんなぁ。サリーの旦那さんになる人は大変だろうなぁ。物作り系の人には大人気だけど、それは表面上のこと、サリーの結婚生活が破綻しそうなのは想像に易い。変人は変人と結ばれる運命だから、もしかしたらレックス以外に選択肢がなかったりするんじゃ……。いや、レックスは変人じゃなくて変態だな。
「そうね、私は貴女に浮いた話がないのも心配だわ……」
私が操作するグラスアバターなら求婚されましたが……。カウントはしちゃいけませんかね?
「いやほら、お婆ちゃん、そういうのは機会がないというか……」
「そうね……でも、機会は待つものじゃなくて、作るものです!」
「おお……」
死んだ旦那さんも、お婆ちゃんの計略とやらでモノにしたんだろうか。ああ、料理で胃袋を掴んだのか。
「そう、私はまだ諦めてないわ!」
メラッとアーサお婆ちゃんの瞳に揺らいだ炎が見えた。え、フェイを諦めてないってこと? いやそれはいくらなんでも……。
「ブリジット姉さんが本気を出してくるかもしれませんよ?」
新型ギルドカードの本部への導入は、その布石じゃなかろうかと思ったりもするのだ。
そもそも通信サーバはフェイに導入権限が一任されている状態だし、ザンではなくフェイに権力が集中していっている構図は、ブリジットが流れを加速させているんじゃなかろうかと思ったりもする。今のところ彼女の行動は私の望む方向だから放っておいてるけど、なんだ、フェイってばモテモテ(死語)だなぁ。
「そうね、枯れた男には枯れた女が似合うものよ……」
寂しそうだけど力強いアーサお婆ちゃんが頼もしい。ブリジットだって決して若くはないんですが……。まあ、それは突っ込むまい。
【王国暦122年10月8日 22:18】
今日ばかりはサリーには早寝をしてもらった。
私は工房に籠もって、革細工の仕上げをしている。
「あれ、これって『スポンジ』の入った布団?」
ドロシーが、作業中の私に話しかける。今日は珍しく、地下工房にはドロシー以外にはいない。
「うん、中身を取り出さないで、そのまま中に入れちゃう」
椅子のクッションに、切った布団をそのまま入れてしまう。クッションは先日のロンデニオン西迷宮で袋状には加工してあったので、中身を入れて、上から縫い込んで固定してしまう。あとは後ろを閉じて完成。
「うーん、アンタにしては乱暴な処理ねぇ」
「それについては私も同感。代替素材が見つからなかったんだよ」
「ふうん、それって中身は生物なんだっけ?」
「うん、こういう、編み目状に、柔らかい骨みたいなので構成されている生物があるんだよ」
「世界は不思議に満ちているわね」
ドロシーにしては詩的なことを言うなぁ。
「大陸の南の方では獲れるはずなんだけど、化学……錬金術的にも作れるはずなんだよ。だけど製法がまだ見つかってないっていうか」
化学的なことは、設備がなかったり、その前に原料を抽出しなければいけなかったりと、知識も手間も資金も必要で、そっちの方面を強化することは窒素系の化学肥料をやがて生んで、それは爆薬の原料に繋がる。これは考える間もなく『使徒』的にNGだ。私も、爆薬で溢れた世界を見たくないし、作りたくない。
こう言っちゃなんだけど、魔法が使えるファンタジー世界の方が、元の世界よりもずっと健全に見えるものね。
よし、これで物作り的には旅行準備が完了した。
思えば、ブリスト行きのためにロンデニオン西迷宮に行く必要ができて……と、遠回りしすぎた。
私にとってはこれが順序なのだ。
何かが必要なら、それを作るために遠回りに見える道でも厭わない。時間がかかって、その結果、作ったものが不要になるとしても、それはそれでいいのだ。
うん、つまり、作りたいから作ってるだけなんだろうな……。
「それでさ、ドロシー。娼館の話だけどさ」
「ああ、うん、トーマスさんにも承認されたわ。商業ギルド経由で、今、運営する人を探しているところね」
「アテはあるの?」
「ダリルさんの次男坊の名前が挙がっていたわね」
「へー、ダリルさんが長男に継がせた宿で働いてるんじゃないの?」
「素行と、長男との仲が悪いんだってさ」
「それ、ダメな人じゃないの?」
「ん~、それがねぇ、トーマスさんの評価は悪くないのよね」
どういうこっちゃ……。
少し話を聞いてみると、その次男坊、アイデアを出すのは上手いのだという。ただ、山師的なところがあって、堅実な長男や三男に比べると安定性に欠ける人物なんだと。劣化版のワシントン爺さんみたいなものか。
「そうそう、トーマスさんは、ワシントンさんみたいだって言ってたわ。だから放っておけないのかも」
そんなM男の郷愁みたいなことで宿の運営を任せてもいいのかなぁ。
「それにね、トーマスさんが言ってたんだけど、実質の娼館を運営するなら、堅実な男じゃなくて、危ない橋を危ないとわかっていても渡る勇気を持つ人物が欲しい、って。どっちにしても長男さんとは折り合いが悪いし、それならライバルに据えてしまえ、って荒っぽいけど順当な解決策だと思うわ」
「うーん」
私が納得しない顔をしていると、ドロシーがフン、と鼻を鳴らした。
「そこはね、私が任せるところを限定することになるわ」
「え、だって、商業ギルドが間に立って、実質のオーナーを知らせないようにするんじゃないの?」
「それなんだけどさ、アンタ、認識阻害の魔道具を作ったわよね」
え? レックスには作ったけど…………。どうしてそれを……?
「何で知ってるの、って顔をしてるわね。あの一件があってから、定期的にレックスの部屋に黙って訪問してるのよ。慎重に隠してるつもりでも、わかっちゃうわよ。ちなみに衣装入れの底が二重になっていて、四隅を二回ずつ押さないと開かないようになっていたわ」
何その、エロ本の隠し場所がわかっちゃうスキルみたいなの。母ちゃんかよっ。レックスもキラみたいなことしてるなぁ。これは二人の知恵比べみたいな戦いになるのかな。王道だけど邪道、みたいな?
「まあ、それはいいの。私はレックスやアンタを咎める気はないわ。全然ないわ。アンタがレックスに必要だと思って作ったんでしょ? そこで取引、ってわけじゃないんだけど」
ドロシーは私の思考を先回りして、矢継ぎ早に言葉を放ち続ける。これは……脅迫じゃないか……。やるな、ドロシー……。
「私にも、そのスキルが使える魔道具を作ってほしいの。変装じゃ上手くいかないと思うしね」
「なんと……………」
ドロシーにも変身願望があるというのか……。
「どう?」
アーサお婆ちゃんには黙っておいてあげるわ、と言外に言っているようだ。
「わかった。半刻待って」
「え、半刻?」
私はドロシーの驚きを無視して、『道具箱』から古い、黒いローブを取り出して、襟の部分を切り開いた。
「希望はある? 認識阻害はある程度、どんな人物か、も操作可能なんだ」
「え、そうなんだ……。そうね、老婆がいいわね」
そういう変身願望なのか……。
じゃあ、もうオズの魔法使い(変身しないけど)しかないよなぁ。
「わかった。んーと」
刺繍は時間がかかる。アルパカ銀だと襟に仕込んだ時に板だと厚みが出過ぎる。ミスリル銀板一択ね。
① 軽度の認識阻害(高齢に誤認させる)
② 発音の調整機能(サ行とラ行の発音に、空気が抜ける音を付加して発信)
③ ローブ自体に軽度の拘束機能
の三枚の魔法陣を連結して、襟の中に仕込み、糸で閉じた。
「キーワードは『マンチキン』。もう一度言うと解除される」
悪い魔女変身ローブをドロシーに手渡して、キーワードを伝える。
「まんちきん……? わかったわ」
「発動状態の時は首筋に魔力を感じると思う。使用時間はドロシーの魔力によるけど、推定で三刻というところ」
「うん、ありがとう。これで闇のホテル王が生まれることになると思うわ」
何で闇よ……。
「んっ? ホテル王?」
「そうよ。アンタに預かってるお金で、私が、この宿に投資するの。だから、その宿は、私と、アンタの宿よ」
「なんだってぇ……」
感謝しなさいよ、とドロシーが誇らしげに言った。知らない間に娼館の共同オーナーになろうとしているとは……。
「そこで、もう一つ、提案、開発依頼があるわ」
今晩のドロシーはグイグイ来るなぁ。
「何を作ればいいの?」
ちょっと投げやりに返すと、ドロシーは一瞬恥ずかしげになって、すぐに赤い顔で私を見つめた。
「ひ、避妊具。できれば、その、男と女のゴニョゴニョ同士の接触を断つような」
その発想は処女には思いつかないことだと、すぐに気付いた私も、耳年増なんだろうか。
―――貴女は、良い方の魔女? それとも悪い方の魔女?




