魔術師の歌
【王国暦122年10月5日 18:11】
患者さんたちと別れて、私は一人迷宮へ向かった。
よくわからないうちに懺悔をしていた。心の奥底には、懺悔したい気持ちで一杯なんだな……と悲しいやら、まともな感性だったことにホッとするやら。恐るべきは『聖領域』スキルだよなぁ。
あの後、エミーには、『お姉様、脅しすぎです』と叱られた。えへっ、叱られちゃったヨ☆
暴力を背景にしても、ハロルド氏は決して納得しないでしょう? とも諭された。
うん、全くその通りだ。難民たちへの暗示が上手く効いちゃったのは、彼らが弱っていたということと、生きる望みをポートマットへの移住に賭けてきた、という前向きな姿勢があったからではないか、というのがエミーの推察だった。いやあ、さすが麒麟児の考察は違う……。
ハロルド氏の今後はわからないけど、真っ当な娼館(そんなものがあるかどうかは別にして)を経営します、と聖女様に誓っていたから、期待しよう。商業ギルドの方でも様子見をすることにしよう。
衛生管理についてはまとまった文章がなかったのだけど、ナース軍団に手渡しておいた注意書きを基に対応してくれると思う。
ただ、娼館については建物に入った感じからして、建て直しが必要なレベルの非衛生さだったから、商業ギルド支部長にも相談してみないといけないかな。
私も一応は商業ギルド員で、主に魔道具を卸しているんだけど、最近の注文はサリーが代理でバンバン受けてしまうらしくて、私に回ってくるのは難しくて面倒なもの、となっているらしい。
領主もなかなかパンクしかかってるけど、サリーも結構一杯一杯だよなぁ。
私はもう、眠気のピークも過ぎて、訳がわからなくなっているかなぁ……。今日くらいは早寝しようと思う。
フェイからは短文がきていた。
深夜からの討伐への労いと、梅毒関係への報告を求める内容だった。『解毒』の派生魔法で治療が可能なこと、衛生管理についてはもっと厳しくいかないと再度繰り返されるだろうということ、別途薬による治療方法を模索している最中だということ、衛生用品に関しては考え中だと報告しておいた。
短文の返信をした場所が、丁度『学校』近くだったことから、アイザイアにも短文を送っておく。『病院』の設立と医療従事者への教育の必要性を説く内容だ。スタインからも報告が行くだろうけど、念のため。
しかし――――トマトがグリテン内部に存在したことから、すでにコロンブスに相当する人物が存在して、いわゆるコロンブス交換…………の結果として、梅毒も入ってきていたわけだけど、もう一年遅かったら、グリテン中に蔓延していたに違いない。
というか、コロンブス(仮)の到着が何年も早かっただろう大陸の港町では、もう大流行しかけているのではないだろうか。
うーん、大規模『浄化』施設もやらねばなぁ。続いて考えられるのは、今度は大陸からグリテンへの渡航難民だ。船単位で来るだろうけど、グリテンのどこに上陸するのかわからないし、ポートマットだけでは対処できない可能性が大きい。早々に王都を巻き込む方がいいかも。
でも………王都の状況は余り芳しくないのよね。
治安も衛生も。今、この時点で、王都で梅毒が流行しても不思議ではない。ああ、パスカルにだけはその心配はないね。
再度、迷宮方面へ走り始める。
左手にビール工場……じゃない、収容所が見えてきた。その奥には難民キャンプがある。
難民キャンプでは、未だ何かを煮る臭いがしている。大鍋で煮て、配給するのも一日がかりの人数だから、こうやって朝の分を作り始めているか、遅い夕食の分だろう。将来の労働力として受け入れをしたけれど、モノにならなければ、それはただの損失だ。上手くいけばいいな。
ところで難民さんたちもまた、女性が三割、男性が七割くらいの比率だ。どうにも女性が少ないのは確かなんだよね。労働力の点ではそれでいいんだけど、男娼を生む土壌が存在するのは――――本人同士が愛し合ってるなら全然いいけど――――感染症対策の観点からは良いはずがない。
たとえ将来的にゴム製避妊具が発明されて広まったところで、一定数の感染は避けられない。どうにも、そのあたり、神様というか『使徒』の見えざる手が介入している可能性もあるけど。うーん、ドミニク辺りに、性処理はどうしているのか、ちょっと聞いてみたくはある。
私はいわゆる『腐』ではないので、男同士の恋愛や組み合わせハァハァとかはしない。あれは幻想で、本当はもっともっと肉々しいものだもんね。
あー、しかしなー、ビールかー。
いつぞやか『ビルダーズ』の打ち上げで飲まされて酷い目に遭ったからなぁ……。
カディフにノンアルコールビール、ワインがあるって聞いたけど、お隣のブリストにもあるかしら。あるといいな。
私だって、ゴクゴク、プハー、とかやりたい時もあるのよ。軽食堂で枝豆を出しているのも、それがやりたかっただけで……。無論、やったら倒れるか、暴れるか……。やっぱり自重しよう。
迷宮が見えてきた。
特に異変はなく、いつものように壁沿いに冒険者たちが並んで野宿していた。
何かに似ているなぁ、と思ったら、カマキリの卵鞘だ。迷宮にいる巨大カマキリの卵はもっと小さいけど、ちょっと思い出してしまう。
巨大カマキリやゴキブリ先輩は、迷宮内部の食物連鎖に深く関わる重要な虫だ。あのカマキリをまた食べる魔物もいるから、狭い空間ながら実に良くできている、と自画自賛してしまう。カマキリが迷宮内にいるのは完全に私の趣味で、ハンター然とした佇まいが格好良いなぁ、と唸ってしまうほど愛着がある。
確か、カマキリとゴキブリとナナフシは共通の祖先がいるらしい。そうそう、そのゴキブリって言えば、体内で抗生物質に似たものを生成するんだよね。じゃあ食用になるのか、といえば、『黄金虫亭』のグリーンさん曰く、カマキリ、ゴキブリは美味しくないんだそうな。網翅目は煮ても焼いても揚げてもダメってことらしい。バッタはそれなりに美味しいんだけど、何が違うんだろうねぇ?
迷宮に入る前に、アーサお婆ちゃんに『手鏡』で連絡しておく。
「あ、お婆ちゃん? ちょっと病気治療をしてたので、ベッキーさんとお腹の赤ちゃんのことを考えて、二晩くらい、外で泊まります」
《そう…………。立派な仕事をしてきたのね。誇らしいわ》
ほろりとお婆ちゃんが涙ぐむ。その後ろでベッキーさんがヒョコヒョコと頭を出している。元の世界にあった、朝の情報番組みたいだなぁ。
「ベッキーさんは無事到着したんですね?」
《大丈夫よー、元気よー》
と後ろからベッキーさんが明るく言った。
アーサお婆ちゃんとベッキーさんと話したことで、何となく陰鬱だった気分が晴れてきた。医療従事者は生き死にをダイレクトに見るから、ちゃんと切り替えしないといけないのかもしれない。ああ、あんな『解毒』風情で医療従事者気取りとは自分でも笑っちゃうけどね。
《そう、体に気をつけるのよ。ちゃんと寝るのよ?》
すでにちゃんと寝てないのを気付かれているのか……? こういう時のお婆ちゃんっていうのはエスパーだから、逆らわずに、
「はい、ちゃんと生活します。明後日、七日の晩に一度戻ります」
《そう、わかったわ。ちゃんと野菜も食べるのよ?》
これで、最速でもブリストへの出発は八日ということになった。
通話を終えて、第一階層脇の隠し部屋から管理層へ。
これは転送の魔法陣が配置されているのだけど、ちょっと気になって『魔力感知』で見てみる。
「へ~」
魔法陣が二重になっていて、下部には『浄化』の魔法陣があるようだ。前任の迷宮管理者は、さすがに防疫の発想を持っていたわけね。しかしこの大きさにまで『浄化』の魔法陣を縮小するには、私に匹敵する魔力量が必要だ。どんな人物だったんだろうね。
まあ、確かに、よくわからない病原菌が流入したら、迷宮の閉鎖空間はあっという間に病気が蔓延するだろう。もしかしたら、各階層の入り口に、密かに『浄化』魔法陣があったりするのかしら。
その点をちょっとめいちゃんに訊いてみると、
『……肯定です、マスター。……各階層入り口に、浄化の魔法陣が配置されています』
とのこと。
いやあ、抜かりないなぁ。ちなみに不死者の巣である、ロンデニオン西迷宮の第七階層にも、同じように浄化の魔法陣が配置されてるんだと。そりゃ解除しないと外に出られないわねぇ。
【王国暦122年10月5日 19:07】
そういえばパンのストックは全部難民たちに配っちゃったんだった。
うーん、炭水化物がないと物足りないけど、ソーセージでも焼こう。いつぞやかサリーとオムライスを作った時に、一緒にグリルも作ったし。
ちゃんとキッチンはあるのに、案外、ここで自炊をする機会は少ないかもしれない。自分が面倒臭がりなんだと自覚する瞬間だ。
グリルに着火してフライパンを乗せて、王都で買ってきたソーセージを十本ほど投げ入れる。コロコロ、コロコロ…………。
普段は茹でソーセージだから、ワイルドに食べるのもいいよね。食習慣からすると、スープも必須なんだけど、パンがないとスープが飲めなくなっていることに気付く。『鶏か、卵か』じゃなく『パンか、スープか』みたいにどちらが先でどちらが従なのか判然としない。
思えば、この世界にも馴染んじゃってるよねぇ、コロコロ……。
パン!
っと!
ソーセージが割れやがったぜぇ……。
肉汁がジュウジュウ言ってるぜぇ……。
火を止めて、ソーセージにフォークをぶっ刺して、フライパンから直食い。女子力なにそれな食べ方ね!
パリッ。
小気味良い音を立ててソーセージを囓る。
「うはっ」
ハフハフ………。
んまーい。
溢れ出る肉汁、香ばしい焼き目。うん、やっぱりパンが欲しい。しかし迷宮にはパン屋がない。ぬうう、どうしてくれようか。
小麦粉を買ってくるにしても店が閉まっている……。ええい、今晩はソーセージオンリーで攻める! ごめん、お婆ちゃん、いきなり肉しか食べてない!
【王国暦122年10月5日 20:03】
「ゲフッ」
ゲップが肉臭い。口腔内が肉々しい。ソーセージと水だけ、というワイルドな夕食はバランスを欠いているのは間違いないわね。
さて、寝る前にやることやっちゃおう。
えーと、
① 通信サーバとメモリパック(二組。冒険者ギルドブリスト支部用とポートマット迷宮出張所用)
② 領主用データサーバ兼通信サーバ(三組)
③ 自動改札(学校用六台、ブリスト迷宮用六台、ポートマット迷宮用六台)
④ ギルドカード(ポートマット用二万枚、ブリスト用一万枚)
⑤ 学校用の音声再生魔道具
⑥ 眼鏡と梅毒患者への指針決定
って感じか。普通に一日じゃできませんわね。
じゃあ、まあ、仕様が決まっている魔道具だけ作りますか!
工房に移動して、自動改札の部品作りを始める。
あまりの単純作業に、思わず歌を口ずさむ。
今適当に作った『魔法陣描き小唄』から行ってみよう!
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♪明日のために魔法陣♪
♪父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも♪
♪緩んだ頭引き締めて♪
♪オ~イエイイエイ~オ~♪
♪誰も知らない魔法陣♪
♪ゴブリン、オーク、ミノさんも♪
♪痩せた大蛇抱きしめて♪
♪オ~イエイイエイ~オ~
♪オ~メイジ~我らは~魔術師~♪
♪オ~メイジ~我らは~魔術師~♪
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よし、調子に乗ってきた!
次の歌だな!
『無理なダイエットの歌』行ってみよう!
「見よ、この贅肉~痩せるの無理ね~♪」
歌はいいね、作業が捗るよ。
【王国暦122年10月5日 22:14】
「(中略)痩せた、痩せた、痩せた~♪」
何十回目かのダイエットの歌を歌いきる頃、部品も完成、順次グラスメイドが組み立てをしてくれている。
いやあ、このメロディーは耳に残るねぇ。
まあ、それはいいとして、ギルドカードの方も生産に入ってもらった。枚数が枚数だけに、純粋に製造時間がかかるから。間に合いそうになければ手動で手伝うこととしよう。
『……歌を記録しました』
めいちゃんが律儀に歌を記録したようだ。何千年か後になって、再びこの迷宮が遺跡になったころ、発掘者は、この歌を聴いて驚くのだ。
「ヤック・デカルチャー!」
なーんて叫ぶんだぜ。ブービートラップも仕掛けておくぜ。
「めいちゃん、人工魔核にチャージしている魔力は足りそう?」
『……ギルドカードは指定の枚数を製造しますと、人工魔核の魔力残量は四十パーセントほどになります。……現在の残量は七十パーセントほどです』
うーん、危険域と言えなくもないね。事前にチャージしておこう。
中央管理室に移動して、人工魔核に手を添える。
「えーとね、倒れるから、ベッドに運んでおいてくれる?」
『……了解しました、マスター』
「ふんっ」
ぐんぐん魔力が吸い取られていく。
ああ、今日は色々やって疲れたよ。
――――おやすみ、パトラッシュ。
※右に競馬場、左にビール工場が正しいデス。
※魔法陣描き小唄のサビ部分は某大学の校歌のメロディーに乗せて。
※無理なダイエットの歌も某大学の校歌のメロディーです。




