梅毒の治療1
【王国暦122年10月5日 11:11】
リストにあった八名の他に、追加で一名の男性を教会送りにした。
クリストファーたちは四往復半したことになるのかしらね。
眠いけど、テンションが上がっているからか、あまり辛くない。これは魔力吸収を繰り返しているからみたいで、過剰に魔力が体内から溢れている状態、つまり魔力酔いに近い症状みたいだ。そういえば…………ウォールト卿もテンション高かったもんな。
《そうかもしれん。生前、儂は静かな領主として知られておった……》
《自分で静かとか言い切ってしまうのもどうかと思うぞ?》
ウォールト卿のボケ(多分、大まじめ)にノーム爺さんのツッコミが厳しい。基本的にノーム爺さんの方が大先輩かつ最上級でどうしようもない程に格が上なので、ウォールト卿が従う方向で上手くやっているみたいだ。戦うとなっても私の頭の中でやるだけなので、私が迷惑なだけでバトルが始まっちゃうわけじゃない。土と闇の戦いなんてとても地味な感じだけど、実際に戦うにしても、お互いの土俵にどちらも立たないので、戦う前から引き分けが確定している。
土精霊は何かの結合を緩くしたり固くしたりするのが得意。では闇精霊は? とウォールト卿に訊いてみるも、闇精霊になって間もないということもあって、言っていることが要領を得ない。どうも一般的な感覚で言う『光と闇』みたいに完全に対になっている訳じゃないみたいだけど……。
ところで、魔力吸収をしていて気付いたのだけど、吸い取る際に、この人は病気だ、とわかる。どんな病気なのかはわからないんだけど、病んでるのはわかる。そう気付いてから『魔力感知』で見てみたけれど、オーガスタを治療した時のようにはわからなかった。
魔力感知は、むしろ精神的な疾患が見えやすい気がする。ちなみにドミニクやダミアンを見ても全く正常だった記憶があるから、あれはあれで自然体、健常な状態なんだろうね。
感覚としては、体の中の魔力を、『何かに疎外されている』『何かが足されている』イメージなんだけど……。これ、治癒魔法に応用できないかしらね。こう……ケンシロウみたいないい木偶になる……実験体でも使って、数多くの患者を治癒していけばわかるものなのかなぁ。
短時間だけど、『命に関わります』と他の従業員も脅して問診をしたのだけど、軽症ながら感染者と思われる人が追加で十三名。名前をメモして、夕方までに教会へ来るように、と言っておいた。この十三人が最初のリストに書かれていなかったのは、真面目に教会に通って『浄化』を受けていたから。あれほどに大がかりな魔道具を設置しておいて何なんだけど、予防にはなれど、すでに感染していた人には治療の効果はない、と証明されちゃったみたいだ。
紫外線は皮膚癌を誘発もするから、人体に対して使うのは(今更だけど)止めてもらうようにしようかな。
う~ん? 間違ったかな~?
私だってミスはする。いいや、むしろミスだらけかもしれない。アミバ様みたいに失敗して被験者の体が破裂しないだけ良しとしよう。
さて…………。
娼館の衛生指導と病気予防に関しては後日やるとして、今は現在進行形で病気になっている九人を何とかしよう。
「―――我々はこの後どうすればいいんだ?」
クリストファーが訊いてくる。
「参加者全員集まって下さい。使用したマスク、手袋はこの麻袋の中に入れて下さい。手袋は裏返して取るといいですよ」
衛生課―――――もちろんそんな課はまだない――――の面々は、投げやりな感じで言われた通りに着用していたマスクと手袋を入れる。
「一度外へ行きましょう。そこで殺菌します」
「さっきん?」
「はい、病気の元が付着してるかもしれないので、それを殺すのです」
「病気を殺す……」
「すごいなーお医者さんみたいだー」
いえ、だから専門外だとスーパードクターKじゃないけど言ってるじゃないか。
【王国暦122年10月5日 11:26】
教会の裏庭に穴を掘り、麻袋を入れて、火系魔法で焼いてしまう。
「―――これが殺菌、なのか?」
「ええ、まあ」
そうだよなぁ、梅毒の菌は熱には弱いんだよなぁ。しかし血液を煮沸消毒する訳にもいかないし……。
「っと、『洗浄』と『浄化』もします。こちらへ」
全員に、問答無用で『洗浄』『浄化』を施す。考えてみれば魔物の返り血とか普通に受けてる人たちだもんなぁ。魔物から感染症、っていうのは聞いたことがないんだけど、それはとても不思議で、私が今やっている衛生観念の教育は無意味なんじゃないか、と一瞬不安になる。
ううん、だけど梅毒の人は現実にいる。だから細菌はある。だから感染症はある。絶対に無駄にならない。そう信じよう。
「これで大丈夫。えーと……来た来た」
「患者さんには布を掛けておいたけど~。あれでいいの~?」
私が首を振っている間に、マリアがナース服を着て登場した。
「ほぉ~」
「マリア様だ……」
「え~? 皆様ごきげんよう~?」
スレンダーな肢体に薄ピンクのナース服は、この世界一般に見られるような野暮な服装ではなく洗練されて見えた。
「看護服、きつくない? 大丈夫?」
「うん~。あつらえたみたいにピッタリ~」
ニコニコニコ、とマリアが歌うように笑った。余計なことに、『可視領域変換』スキルはマリアの歌を黄色い波に変換した。これはいけない。目がチカチカする。スキルをオフにしておこう……。
男性陣の視線はマリアに釘付けで、スタインでさえも目が離せない様子だ。
「あの……せんせい……」
ミラが話を続けてください、と促してくる。
「ああ、うん、エミーはまだ起きてこない?」
「うん~まだ寝てる~疲れが溜まってるみたい~」
それもそうだよなぁ。リゲ○ン無しで戦ってるのは私くらいだもの。
カミラ女史とシスターたち、合計三人(マリアを含めると四人)が到着して、私はそのナース服姿に驚喜した。
カミラ女史は実に恥ずかしそうに、体を縮こまらせていた。素晴らしいな、ナース服……。
「ご、ご指定の通り着て参りました。『港病』ですか。その対処法について新規にお伝え頂けるとのことでしたが……。着替える意味ってあるんですか?」
「衛生管理の観点からは、非常に重要です」
内心のだらしない顔を誤魔化して、キリッと私は真面目な顔で返答した。うえへへへ。
「今、運んで頂いた九名への対応ですが、以下のように対応して下さい。
① 私が許可(※1)するまで、他者とのいかなる性交渉(※2)も禁止する
② 治療が終わるまでは教会の治療部屋で暮らしてもらう
③ 教会の敷地から出さない
④ 大勢の人がいる場所には移動させない(※3)
⑤ 患者との接触をする人間は傷の一つもあってはならない
⑥ 患者に接触する際にはマスク(※4)、手袋(※4)、眼鏡(※5)を必ず着用すること
⑦ 看護の後はマスクと手袋を焼却処分すること
⑧ 眼鏡は『浄化』で再使用
⑨ 看護者も『浄化』を受けておくこと
⑩ 看護服は汚れたら即交換、一日着用したら交換(※6)
(※1 後ほど客観的な基準を決める)
(※2 体液の交換及び接触という意味である)
(※3 空気感染はしないが念のため)
(※4 後ほど作り方を教える)
(※5 後ほど作ってくる)
(※6 看護服の取り扱い、洗濯方法については後述)
ということでお願いします。病人向けの食事や、看護そのものについては私より皆さんの方が詳しいでしょうから、そちらはお任せします。何か質問はありますか?」
私が質問を促すと、カミラ女史がすぐに口を開いた。
「費用については領主様の方に請求ということでよろしいのでしょうか?」
ストレートに生々しいお金の話を出してきたね。これにはスタインが答えた。
「そのつもりだ。基本的に市民登録した者が対象だが、非市民であっても強制収容は行う。これはポートマットが港町であるという地理的条件を考えると、防疫の最前線になるからだな。ポートマットから病気が流行すれば被害が一番大きいのは当然として、グリテン国内でも大流行するだろう。今のところ国の方から補助があるわけではないが……」
スタインは一気にまくし立てた。トルーマンの言葉にも思えたから、こういう文章はあの午後超人が考えてるんだろうね。
「まあ、こういう時には国はお金なんか出しません。王様は他の領地の市民の事も、自分の領地の市民の事も、まるきり考えてませんしね」
はは、と乾いた笑いが蔓延したところで、再度カミラ女史からの質問が入る。
「この病気の名前は―――『港病』で宜しいんでしょうか?」
「いえ、『シフィリス』としましょう。大陸にこんな話があるそうです。『太陽を呪った羊飼いが、太陽の神様から病気によって罰せられた』という詩なんだそうで。その羊飼いの名前がシフィリスなのです。その病気がまあ、『港病』ですね」
これは元の世界で英語をやっていればマメ知識的に習うことがある、割と有名なお話。語源はラテン語なのかしらね。
「太陽の神様?」
あー、多神教の概念がないのかしらね。聖教は偶像崇拝を禁じている一神教だけど、かなり曖昧な宗教なんだよね。
「大陸には、複数の神様がいて、その神様たちをまとめて崇拝する宗教があるんですよ」
「へー」
「―――ほう」
「病名はわかりました。あとは――――やはり、病気治療専門の施設を設立することを切にお願いしたいです。大勢の人が集まる教会に併設されているのは、感染力の高い病気の隔離には相応しくないように思えます」
カミラ女史はバンバン提案してくる。スタインはいつもアイザイアの腰巾着みたいなポジションにいるから、同格と見て威圧している感じがする。
「それは私もそう思います。今回の隔離治療は試金石になります。後ほど正式に提案したいところですが」
病院の設立の必要性は当然ながら感じている。だけど、こう一度にやっては領主側がパンクしかねない。現に午前中はスタインが頑張りすぎている。トルーマンが午前中も使えればいいんだけど……。その代わり午後のトルーマンは頭の回転も早く、人の四倍は処理能力があるから、差し引き二倍? 十分といえば十分ではあるか。長寿派出所マンガのオリンピックイヤーだけ活躍する人を思い出すね。
ギリギリながら各種新規事業が回っているのは、トーマス商店を始め、外部の組織に丸投げ出来ていることが多いことと、ポートマットがそれほど大都市というわけではない、ということが理由に挙がるだろう。ポートマットの住人は増加の一途を辿っているから、大都市と言えなくはないのだけど………これは王都に比較して、という意味だ。王都には役人の数も多いだろうけど、ポートマットほど集権体制がしっかりしていないし、王様も始め、同床異夢の役人ばかりで、街を良くしようだとか、同じ方向に向いていない気がする。
治安維持に関しては同情の余地はあるものの、衛生管理、下水工事、上水の配水、公共サービスの提供……今の予算でも可能なことばかりなのに、実現までは牛歩のごとく、遅々として進んでいない。きっと利権が入り組んで動けない人たちばっかりなんだろうね。
王都のことはいいや。下を見ればキリがない。
【王国暦122年10月5日 12:13】
男衆は患者の運搬後に一度、帰ってもらうことにした……のだけど、スタインとミラ、クリストファーだけは残った。
スタインは領主側の代表としてだけど、クリストファーは恐らく『学校』の責任者として内示を受けているからだ。ミラはわからないけど、シフィリス患者に思うことがあるというか、女性として何かをしたいのかも。
教会の施錠できる部屋を一室借りて、ここに九人の患者を寝かせる。ベッドとかはなく、布を敷いて、その上に寝かせている。
「えーと、すみません、今から男女とも脱がします」
「―――ああ」
「構わない」
構わないって……男は遠慮してよ! ってことだったんだけど、エロ方向じゃなくて目が真剣だったので、そのまま見学させることにした。
九人を脱がすと、全員に紅斑、もしくは紅斑の跡、水膨れ、それが破れて膿んでいる箇所もあったり―――。いずれも梅毒の症状、第一ステージか第二ステージまで進行していた。
さて、この状態からは大まかに二通りの治療法があり、もちろんどちらも確立していないので時間がかかる。
A 抗生物質を作って投与する
B 魔法で強引に治す
うーん、どちらが簡便で、恒常的に治療ができて、私が不在でも継続可能か――――。
Aから考えてみよう。
物凄く荒っぽくいえば、青カビから菌を殺す株が出るまで培養し続け、炭や水や酢で分離して乾燥させる。うん、これは専門知識がないとだめだ。根気よくやり続けてくれる人を探した方が近道な気がする。研究は始めた方がいい、だけど年単位、いや十年単位で時間が掛かりそう。
Bを考えてみる。
光系の『治癒』では体力は回復するし、傷や紅斑跡などは治癒するものの、完治には至らない。これは体の内部にまでは届いていないことを意味する。つまり光魔法は体の外側に対して作用するものであって、内部には作用しにくいのではないか。欠損部位の修復などは確かに外側に作用はする。ということは、たとえば内臓が悪い人などにも、光魔法は効きにくいのかしら?
根気よくやれば光魔法でも梅毒の治療は可能そうではあるけど、物凄く効率が悪いのは確か。水系の『治癒』は体力を回復するだけで、本人の治癒能力に全て依存するから、体力が残っていれば自力回復は……しないよなぁ。
たとえばC、魔法で抗生物質を作る、という発想はどうだろうか。
製造の過程を魔法で補助する分には楽になりそうだけど、どうだろうね。薬効が強すぎるとか、そういうのは調整すればいいだろうか。Aと並行してやるべきで、これも即席に成果が得られるかは不透明だ。
梅毒の菌だけを殺す…………強すぎない殺菌能力を持つ薬………が理想なんだけど、製造に私が関わらないとダメだ、というのも困る。私はいつまでこの世界にいられるのかわからない。
っていうか殺菌って何だ? 文字通り? 菌の組織を破壊するか、生存が不可能な環境にすること?
ここでD、魔法で物理現象を起こして殺菌してしまうというのはどうだろうか。元の世界では牛乳なんかは電磁波を当てて殺菌していたはずだけど……。人体は牛乳とは違うからなぁ……。電子レンジに入れるようなものだから、煮沸と同じか……。生体に対しては副作用が大きいかしら。
「うーん」
《我が主よ》
と、そこにウォールト卿が話しかけてくる。
《なんだい?》
《これは『港病』患者だな?》
《そうだね。先代ノーマン伯爵が歓楽街に規制をしてくれてたお陰で、今のところはこの程度で済んでるね》
《儂の施策が功を奏したということだな》
《うん、まあ、今はその後始末をしているんだよ。ウォールト卿が規制を告知した当時には治療法は確立されてなかったでしょう?》
《万能薬がある》
ウォールト卿がそれを言うか。
《オピウムのこと?》
《いや、その、それではない。『神の水』のことだ》
何、そのカリン様が持ってそうな水は?
《王都ではそう呼ばれている》
《ああ、ウォールト卿もよくわかってないわけね》
そこでノーム爺さんからフォローが入った。
《アマルガムのことじゃの?》
「ああ」
思わずリアルに声が出てしまう。水銀のことね。アレは駄目駄目、薬じゃなくて毒以外の何物でもないわ!
「――――どうした?」
クリストファーが反応してしまった。
「いえ、何でもないです」
《主よ》
またまたウォールト卿が頭の中で話し掛けてくる。
《何?》
《このウォールトにいい考えがあるぞ》
悩める私に、全く期待できそうにない初心者闇精霊が、解決策がある、と言ってきた。ホントかなぁ。一応聞いてみるか。
――――お花お千代でございます。
一時間しか進んでない……。




