モグリのナース
【王国暦122年10月5日 3:45】
テンションを上げた私たちは、レイスの残滓や、あちこちに残るゴーストも浄化していった。南港の東側に兵隊っぽいゴーストが多いのは、どうやら、この場所が過去の激戦地だったということらしい。グリテン島は、ロマン帝国に支配されていた時代があったみたいだけど、支配を脱してからは独立を守り続けている。
その代わりに内戦も頻発していたみたいだけどさ。
「……よし。……物凄く清浄な港になってしまったな……」
「教会よりも聖なる光に満ちていますね」
エミーが加減を間違えて強力に浄化しているからなんだけど、そのせいもあって、エミーはグッタリしていた。
「……今日は朝イチで娼館にガサ入れだったか?」
「日を改めましょうか?」
ユリアンの提案に私は首を横に振った。ブリスト行きのスケジュールを守るためには無理をせざるを得ない。ずっと無理をしているけど、これが平常運転というものだ。
フラフラしているエミーを背中におんぶする。うふっ、さりげないけど役得ね。
「エミーは休んでもらいましょう。無理をさせすぎました」
「そんな……私……」
「……いや、思っていた以上のことをしてくれた。……ご苦労だった。……休んでくれ」
「シスター・エミー、貴女はよくやりましたよ」
「はい――――」
安心したのか、エミーは眠りに落ちた。魔力切れかもしれない。
《ブライト・ユニコーンもエミーの意識下に戻って?》
《わかった。……一つ訊きたいのだが、いいか?》
珍しい。他の人物の守護精霊がこうも関わってくるものなのか。
《なに?》
《我と同等の光の精霊を呼び出せたり……するのか?》
ああ、なるほど。面白い疑問だと素直に感心した。魔力で出来た存在が嫉妬や戸惑いを見せる、この人間臭さ。このファンタジー世界は凄いわね。
《恐らくは可能。だけど、良い出会いがないのよね》
何だか結婚適齢期後半の女性みたいな台詞だわ。どうも、固有の意志を持った精霊は、ホイホイその辺にいるわけではなくて、必要性を強く念じたりしないと出てこないみたいだ。ノーム爺さんの場合はすでに他人と契約していたから姿を見せていただけであって、どこかからか出現したわけじゃない。南港みたいに、ゴーストやレイスの溜まり場があったように、精霊の溜まり場っていうのもあるのかしらね?
《そうか。我に匹敵する精霊と、良き出会いがあればいいな》
そう言い残してブライト・ユニコーンは消えた。
ノーム爺さんの方はもう意識下に潜って、ウォールト卿となにやら話し込んでいるようだ。内容まではわからないけど、感情の起伏だけが伝わってくる。怒ったり慰めたり褒めたり面倒臭がったりしている。元が人間な分――――ノーム爺さんは、遠い過去には人形だったとか言ってたけど、私の見立てではもっと以前は人間だったんじゃなかろうか。
どっちにしても、そんな古くから意識が連続してるっていうのも凄い話だ。
「……しかしな、精霊を使役するという感覚はどんなものなんだ?」
冒険者ギルドへの帰路を歩いていると、不意にフェイが訊いてきた。
「うーん、基本的には意志を持った召喚物に近いですね。頭の中に住んでるということでもあるので、多重人格の状態と言えなくもないです」
「たじゅうじんかく?」
その言葉はこの世界にはなかったようで、ユリアンが訊いてくる。
「心の病気と言われています。たとえば、耐えきれない苦痛を受けた時に、『この苦痛を受けているのは自分ではない』と思い込む感情が、別の人格として表に出てくるのです」
「なるほど、誰しも二面性を持つものですが、それが人格にまで発展したものですか」
さすが、聖者と悪者の二面性を持つユリアン司教は理解が早い。この世界でジキルとハイドの小説が発表されるかどうかわからないし、何でも魔法で解決してしまいそうだから、精神医学が発達するかどうか。
でも、身近な例としては、ダミアン、ドミニクのきょうだいは明らかに自分たちの心を女性だと思っているから、これも同一性障害なわけで、単純にゲイとイコールってわけじゃないと思う。
こういう病気(に分類される)は、治療ではなくて、周囲がおおらかに受け入れてしまった方が双方にとって幸せなんじゃないかと思う。
そうか。
人心に余裕のある管理社会か。
そんなものが実現できたら、そこはきっと理想郷だろう。願わくば、あの難民たちがそう思っているように、ポートマットが彼らにとってユートピアになりますように。
【王国暦122年10月5日 5:04】
エミーを教会に送ってから、冒険者ギルド支部へ戻る。ユリアンも受け入れに備えて休む、とのこと。基本的に教会は受け入れ体制を整えるだけなので、昼前くらいに準備が出来ていればいい。
立場上、教会は受け身でなければならず、法令違反の人間を捕まえるのは領主でなければならない。トルーマンの方は午前中は全く役に立たないので、今日の担当もスタインがやってくるだろう。私が言うのもなんだけど、あの人も酷使されてるよなぁ。
酷使といえば、汎用に用意したナース服を、一着受け取っておいた。一番小さなサイズ(子供用)だけど、まさか自分で着ることになるとは思わなかった。エミーやマリアのナース服姿を見たかっただけなのに、どうしてこうなるんだろうねぇ。
冒険者ギルドに戻り、仮眠室でナース服に着替える。
あれ、我ながら悪くないじゃないか。子供用ナース服がピッタリなので自嘲してしまう。
エドワードに案内されて支部長室へ行くと、フェイが居眠りをしていた。若作りだけど、このダークエルフは相当お年を召していらっしゃるから仕方がない、とは思うものの、ちょっと腹立たしい気持ちもある。
大体、さっきやっつけたゴーストやレイスだって、フェイが昔に手を下した人たちだったりするんじゃないの? その尻拭いを今やらされた……なんて考えると、益々腹立たしい。ウォールト卿の死にだって関わってそうだしなぁ。死んだ本人だって詳細を訊いても覚えてなさそうだし、ちっ、使えない老人たちだわ!
おっと、これが闇精霊の影響なのかな? 妙に刺々しい感情が溢れて……。
《いや、主の元々の性質だろう》
《うむ、お主は疲れておるんじゃよ?》
く、即座に否定されてしまった。やあ、この調子で精霊たちを集めまくったら、私の頭の中って相当に賑やかだよなぁ。一人で会議ができそうだよ。
「新型ギルドカードの切り替えは順調だよ。ただ、この分だとカードが足りなくなりそうだね」
エドワードは余り空気を読まずにカード切り替えの進捗状況を教えてくれた。
「追加受注は受け付けますけど、費用の分担や枚数は領主様と相談してから決めてください。額が額なので、口約束だけだと後で酷い目に遭います」
「ああ、わかってるよ。そうか、領主様がね……」
エドワードは口の端をつり上げた。お、ちょっとフェイみたいに悪巧みしてるように見えるぞ。顔も中身も王子様だから似合ってはいないけど。
まあ、それでもエドワードが冒険者ギルドの幹部らしくなってきてるのは確か。
ベッキーさんの里帰りは今日の朝だかお昼だかのはずで、そこから産休に入る。その間はこのエドワードが、ポートマット支部のナンバー2となるわけだ。いや、実際にはクリストファーやら、出張所に出向中のセドリックやらもいるし………あれっ、支部長の次にお偉いのは、私か? 動く冒険者ギルド支部こと特級冒険者だもんなぁ。
「……うむ。……来たか」
寝てないぞ、とアピールするフェイに肩を竦めつつ、ソファに腰を下ろす。
「……! ……なんだ、その服装は」
起きました! ナース服で起きました! とその顔が言っていた。
「いや、医療行為をしますし。着替えてきました」
「……そうか……。……いや、悪くないな」
フェイがジロジロと私を舐めるように見る。まるでキャロルみたいだ。え、もしかして、フェイってばナース服フェチだったり? いやあ、でも元の世界の男性はナース服に過大な妄想を抱いているもの(決めつけ)。フェイも健康な男子だったと得心することにしよう。
腰を落ち着けた、と思ったところで、本日のガサ入れ担当者が順次登場した。
騎士団からモクソン、ミラ、ラリー。モクソンは現・フレデリカの副官だ。この三人は普段は迷宮方面の教導隊にいるから、お手空きなこともあって選抜されてきたのだろう。
ミラは泣きそうな顔で、囁くように、せんせい、と言った。ニッコリと頷いたらウルウルしていた。モクソンとラリーさんは迷宮広場で出会う人たちだから、軽い会釈で挨拶が終わる。
冒険者ギルドからはクリストファー、ルイス、シド。
領主側からはやっぱりスタイン。目の下に隈がある。
ここのところ遭っていない人たちがいきなり登場するのは最終回っぽいけど、多分そうじゃないよね。
「――――エドワードが管理職の顔になってるな……」
「なんだかなー女ができると変わるんだなー」
「女だ女がエドを変えた」
「そっ、そんなに女、女って連呼しないでくれよ……」
恥ずかしがって慌てる様は、エドワードの中身が余り変わっていないことを示していて、旧友たちは安心したようだ。
「では皆さん、本日の作戦について説明します」
エドワードが音頭を取って作戦概要を説明し始めた。
【王国暦122年10月5日 5:51】
「――――この紙に書かれた名前に相当する女性がいたら拘禁する、と」
クリストファーが手渡された紙に書かれた名前一覧を一瞥して、エドワードに訊く。
「はい。その者たちは重症患者である恐れがあるにも拘わらず、治療を拒否して教会にも出頭していません。で、こちらが男性」
二枚目を手渡された。このリストだけじゃ症状とか進行具合とかはわからないなぁ。ちなみにリストに書かれていたのは女性が三人、男性が五人。あれ、男性の方が多いのか。
「この病気は――――」
「見てみないとわかりませんが――――」
モクソンの真面目な質問を遮って、言いたいことも補足してしまう。
「――――娼館が感染経路になっているということは、つまり、性交渉が原因だと断言していいでしょうね」
恥ずかしげ気もなく私が堂々と口にした言葉は、もちろんヒューマン語ではもっと直接的な言葉に訳されたようだけど、そこに淫靡なニュアンスは一切入っていない。ミラ以外は男性で、全員がゴクリと唾を飲んだ。娼館に行ったことがある――――って顔をしていた。
これは…………抗生物質を作らないと人類が全滅するかもしれない……。魔法による病気の治療っていうのがどの程度有効なのかもわからない。魔法と医療について、ちゃんとデータを取って解析する専門機関が必要だなぁ。
ただ、これも『使徒』チェックを乗り越える必要がある。多くの人に影響する発明で、しかも後ろ向きなものは大抵NGだ。ペニシリンはどうなんだろうね。ああいう培養みたいな作業は、大雑把な私には向いていないから、実際にやるにしても他の適任者を連れてくることになるだろうけど……。
まあ、予防や治療はとりあえず後で考えよう。
今回は拘禁が主目的……なんだけど……。ミラ以外の面子は明らかに萎縮していた。あのクリストファーでさえも。
どんよりと、空気が重くなっている。
うわ、やべえ、行きたくねぇ…………。
うわ、やべえ、行っちまったよ………。
そんな言外の声が聞こえる。
うーん、さてどうしたものか。助けて、ドラ○もん!
【王国暦122年10月5日 6:03】
未来の世界からやってきたネコ型ロボットはいないけど、異世界からやってきたドワーフ型ホムンクルスならここにいる。
どうでもいいけど、歴史が変わったらセワシくんがそもそも産まれないんじゃないかとか、その場合ドラ○もんを連れてこないわけで、じゃあどうして歴史が変わっちゃったのかということになり。だからセワシくんが来たこと、そのものが歴史は変わらないと言っているわけだからセワシくんの行動は全てが無駄だったということに。
まあ、今はセワシくんのことは本当にどうでもいい。
「とりあえずですね、皆さんの忌避感が強いようですから。私が様子だけでも見に行きます。状況を知らないと何とも言えませんから」
フッ、役立たずな男たち! ついてんのかぁ! と詰りたくなるけど、ついてるから娼館に行っちゃったんだよね。
私が見下した目をしたものだから、男たちは発憤したようだ。
「――――大丈夫だ。手伝うぞ」
「オレもー」
「まかせておけたぶんだいじょうぶだ」
物凄く嫌そうに言われた。
「えとですね、体に、どんな小さな傷でもある人は、今、この段階で遠慮してください」
んー、膜状のものがあればいいんだけどなー。それこそラテックスとか……。植物園にあるかと思ったけど、ゴムの木がなかったしなぁ。こればかりはラバーロッドで代用できないんだよね。
幸いにして面子の中に傷のある人間はいなかった。あっても『治癒』すればいいから、これは注意喚起みたいなもの。
「うん、じゃあ、行きましょう。エドワードさんは残るんですよね?」
「ああ、そのつもりだ。難民たちへの手配があるからな」
ちゃんとエドワードは申し訳なさそうに言った。
「念のため、私は三日ほどミドルトン邸に戻りません。お婆ちゃんに伝えて頂けますか?」
「えっ」
「……ベッキーを心配してるんだろう。……空気感染はしないが、念のためだな?」
はい、と私は頷いておいた。家に妊婦がいたりする人も面子にはいなかった。
「――――ずいぶん厳しいんだな」
「敵が小さくて目に見えませんからね」
その場で私の言葉を理解できたのはフェイ一人だけだった。今の段階で説明する気はなかったので、騎士団から持ってきてもらった、古い担架を二組抱えてもらって、私たちは出発した。
【王国暦122年10月5日 6:32】
南地区から少し西にいった場所に、娼館が数軒集まっている、この小規模な界隈が、ポートマットの歓楽街だ。
昔はこの五倍以上、二十五軒は娼館があったのを、先代領主が徐々に規制を強めて廃業に追い込んでいったのだと。港町というロケーションから、こういう歓楽街は必要不可欠で、もはや必要悪などという言葉を越えている。
それでも先代は規制を緩めず、窮した娼館は、統合して大きくなることで身を守った。つまり、その二十五軒はなくなったのではなく、五軒にまとまっただけ。
その娼館で働く従業員……………は奴隷のこともあるし、普通に市民権を持った人だったり、流れ者だったりと、色々いる。ニーズはあるのに従業員はそれほど多くないので、まあ、言葉は悪いけれど薹が立った女性が半分以上いるんだと。美醜でいえば美しくない方の女性がもう半分。看板娘は一店舗に一人いれば、それは優良店なんだという。
その――――優良店だった娼館の一つ『豪華亭』の二階に、我々特捜班は踏み込んだ!
「アガサさんですね?」
バーン!
と扉を開き、寝ているところを襲撃した。娼館はそれぞれ、従業員に、お仕事スペース兼住居の、物凄く小さな個室を与えている。これは福利厚生というよりは従業員管理(逃がさないようにということらしい)であり、衛生的には最悪に近い。便所こそ共同であるものの、『浄化』や『洗浄』を使える人がいるわけではないし、せいぜいが『飲料水』で出した水を含ませた布で体を拭くくらい。
「なんだい、騒々しいねぇ」
狭い個室に置かれた狭いベッドから、気怠く上半身を起こしたアガサ嬢は、私の『灯り』に照らされて影を揺らめかせた。
「ポートマット衛生課の者です。アガサ嬢、貴女の病状を確認しに参りました。これは領主による強制執行であり、貴女に拒否権はありません」
無論、衛生課なんてない。今作った肩書きだからね。教会印の紙で簡易的に作ったマスクを着用した姿は、アガサ嬢を多分に驚かせたことだろう。ついでに手袋も紙で作っておいたけど、どれほどのものか。
「なに言って――――」
暴れたり議論したりするのは面倒だな。拉致だ拉致。説明は後ね!
「――――『魔力吸収』」
「っ」
がくん、とアガサ嬢の頭が項垂れる。それをサッと支える。ちょっと熱い。微熱あり、と。彼女は布切れ一枚しか着ておらず(当然下着も履いてない)、あまり日光に当たらないのか、病的なまでに色白。紅斑の跡あり。第二ステージかな。
「これで半日は起きません。教会へ運搬してください」
「――――わかった」
クリストファーは、こんな人攫いの下働きみたいな依頼を受けた割には、目が真剣だった。目に見えない敵、というのが一番怖い。だから病気が一番怖い。それをよく知っている、さすがは上級冒険者だ。
「さ、残り七人をとりあえず拉致します。昼前までにやっちゃいますよ」
「お、おう……」
静かに皆は気勢をあげた。
「すごいなまるでお医者さんみたいだ」
シドが感心したように早口で言う。
――――――いや、だから、モグリだってば。




