出張部隊の帰還
新章であります。
ポートマットに帰った主人公を待ち受けていたものとは……!?
【王国暦122年10月2日 23:11】
「おーい、着いたぞー。お疲れ様ー」
ゲテ御者ことサイモンが声を掛けてきて、馬車が止まり、幌が開くと、夜の冷たい風が入ってきた。
風は潮の香りを微かに含んでいる。ポートマットに帰ってきたのだ。
「うーん」
乗客の全員が伸びをしながら、ゆっくりと馬車を出る。
「結構時間かかったわねぇ」
ドロシーがうんざりしたように言うと、エドワードが苦笑した。
「そうだね。なんだか街道に人通りがあったね」
へぇ、寝てたから気付かなかったよ。
降りた先は冒険者ギルド、ポートマット支部だった。
「僕は支部長に挨拶してくるよ」
エドワードはここで別れるというのだけど、ドロシーを送っていってもいいじゃんね。
「私も駐屯地に戻る。お疲れ様、だ」
フレデリカは、手足に巻いたパワーリストとパワーアンクルを重そうにさせながら、ゆっくり手を挙げて、北方向へと去っていった。
「私たちはギルドの仮眠室を利用します。朝になったら迷宮に戻りますから」
ラナたんとダンも、冒険者ギルド支部の建物に入っていった。護衛がみんないなくなっちゃったわけだけど。最後まで護衛しろよな!
…………まあ、私一人で十分ではあるんだけど、エミーとドロシーに挟まれる私の身にもなってほしいというか。
「また特急馬車をご贔屓に! ご乗車ありがとうございました!」
やっと帰れたよ! と安堵で一杯のサイモンが、手を振って駐車場へと馬車を動かしていった。
蹄と馬車の音が遠ざかると、途端に静かになる。
「じゃ、行こうか」
「そうね」
「はい、お姉様」
ロータリーから見えるトーマス商店本店には、当たり前だけど灯りはついていない。何ヶ月か前なら、夜な夜なトーマスが明日の体力回復ポーションを錬成していたから灯りがついていたものだ。
トーマスを楽にさせよう、というつもりではなかったけれど、過酷過ぎたのは間違いない。錠剤がちゃんと完成して、流通に乗ったのは、我ながら偉業なんじゃないかと思ったりもする。
「ふう。道中は何も起きなかったわね。サイモンさんだっけ、御者の人。何か起こる! とかビクビクしてたものね」
ドロシー口元に手を当てて笑う。
「うん、毎回何か起こるからね。今回は王都で色々ありすぎたよね」
「とにかく襲われるのが当たり前だったわ。護衛をあれだけ付けて正解だったっていうのが笑っちゃうところね」
「ホントにね」
激しく同意する。
三人は夕焼け通りを西に向かって、横に並んで歩いている。左にエミー、私、右にドロシー。深夜の時間帯だから通行する馬車はいない。魔導街灯の青い光のせいか、ポートマット中心部の犯罪発生率は目に見えて下がったという話だ。
三人に共通しているのは安堵の表情。王都では常に気を張って、周囲をキョロキョロしていた。考えてみたら、そのキョロキョロが暴漢に襲われる選定基準だったのかもしれないけど、用心して歩かないことには背後から襲撃されるだけ。だからやっぱり襲われるべくして襲われたのだ。
「あっ……」
エミーがふらついた。眠いのだろう。
「エミー、負ぶってあげる」
「……………はい」
少し逡巡してから、眠気に負けたのだろう、エミーは素直に従った。背中に当たるよ! うはっ、やわらかーい。
ドロシーはそんな私たちを見て、何か言いたそうにしていたけれど、黙って、私のローブの裾を掴んで、そのまま歩き出した。
今『道具箱』に入っているグラスアバターを取り出せば、ドロシーも負ぶっていけるけど、多分そうじゃないよね。鈍感系ってわけじゃないけど、ドロシーの葛藤は理解しているつもり。
しばらく二人、黙って歩くと、教会の屋根が見えてきた。後ろのエミーはしっかり寝入ってしまっているようだ。
教会の敷地に入る。もう深夜もいいところなので、アーサ宅へ連れて行って泊めてもいいんだけど、それだとせっかく特急馬車を飛ばしてもらった意味がない。だから無理にでも教会で寝た方がいいのだ。
エミーを後ろに負ぶったまま、ノックが出来なくもないんだけど、この時間にやると軽いホラーなので、ドロシーにお願いする。
「こんばんは……神の寝所へようこそ……」
ノックをしてからしばらく経った後に、物凄く眠そうで不機嫌な声で中年のシスターが現れた。
「こんばんは、シスター。シスター・エミーを連れてきました」
寝ているので、寝床に案内してもらえますか? と小声で続ける。
「あらあらまあ。お入り下さい」
このシスターさんは何度も会ってるけれど、それほど親しいというわけでもない。ただ、私がユリアン司教と仲良しさんだということは知っているようで、無体な扱いはされないで済んだ。
夜の教会っていうのはどの宗教、どの宗派であっても気持ちのいいものではない。幽霊や不死者を使役している私がそう感じるのは変だとは思う。聖なる領域のはずなのに、時折幽霊には会うし。聖なる幽霊っていうのも矛盾した存在だと思うんだけど、ユリアンによれば、実体化しているわけではなく、それが見えている方がおかしいのです、と逆に不思議がられたことがある。残留魔力に思念が半端に定着した存在だと思うのだけど、『魔力感知』持ちの人でも、見えない人は見えないんだとさ。
暫く歩くと、これまた静かな一角に出た。ここがシスターたちの部屋なのだという。
「ここです」
扉を開けてもらい、二段ベッドの下の方にエミーを寝かせる。部屋は四人部屋で、巷では聖女様扱いされてはいるものの、教会の内部では特別扱いはされてないんだね。ブライト・ユニコーンは外に出るに出られないんだろうな。もっとエミーとのコミュニケーションを密にしてもらいたいから、なるべくそういう機会を作るしかないな。
静かに扉を閉めて元来た廊下を戻る。ドロシーは勝手知ったる教会というやつで、時々懐かしそうに暗がりの廊下を見ていた。
「夜分遅くに失礼しました」
「いいえ、ありがとうございました。神のご加護の在らんことを」
シスターはまだ寝ぼけながらもシスターらしいことを言った。
「あの、これ、王都のお土産です。皆さんで召し上がって下さい」
と、蜂蜜の瓶を渡すと、寝ぼけていたシスターさんの目がカッと見開いた。
「これはこれは……ありがとうございます」
独り占めしないようにして下さいね、とは言わなかったけど、寝ているところを起こしちゃったんだから、少しくらい役得があってもいいと思います。ただ、虫歯には気をつけて下さいね、とにこやかに笑っておいた。多分、伝わってないけど。
教会の敷地から出ると、ドロシーに話しかける。
「今のシスターは知ってる?」
「私は覚えているけど、向こうは覚えてなかったみたいね」
「ドロシーは大人になって綺麗になったからね」
「そうとも言うわね」
まんざらでもない様子でドロシーが隣で笑ったのが見えた。
教会から我が家はすぐだ。すぐなのだけど、私は気になっていたことを訊いてみることにした。わざと歩みを緩める。
「ドロシーさ、温室に行こうって言い出したのは何で?」
「あー、エドにも言われたんだけどね。姉になる人間がどんなものなのか見ておきたかったのよ、…………代わりに会ってきて、って言われたのよね」
「えっ?」
「ああ、いやいや、すぐに結婚するって訳じゃないわ。少なくとも五年は先の話ね。姫様たち、それより前に死んじゃいそう、って言われてね」
「ふうん………」
慌ててすぐの結婚を否定するドロシーだけど……。エドワードとは結婚の約束をしたわけか。まあ、人生設計のしっかりしたドロシーだから、五年後どころか五十年後も見据えてのことだろう。
でも何か違和感があるな……。ナナフシ姉妹の体調が悪いというのは、王都の空が曇ってるのと同じ、当たり前のことだもんなぁ。
人間的な感性を基本に考えれば、(対外的に発表されることはないにしても)義理の妹になる立場になるなら会っておきたい、というのは理解できるけど。利に聡いドロシーっぽくない。お涙頂戴を根底にしてドロシーが動くのはおかしい。
「なによ?」
「姫が死にそうだから見ておこうって? ドロシーが物見遊山でそんなこと言うかなぁ、って思ってさ」
「酷い言われようだわ」
ドロシーは大袈裟に嘆いてみせた。
「温室をこっちに作ろうって話も、あの時、咄嗟に思い付いたものじゃないよね?」
「温室のトマトを勇者オダから入手したって話は聞いていたわよね。植物の改良があんなにお金になるなんて、日光草の時に思い知っていたはずなのに、まだ奥深いと思って。その頃から温室の話は考えていたのは確かね」
「やっぱり……」
「そこにエドの話が加わったのね。病弱な、ウチの領主の婚約者は、今の内に呼び寄せてしまえばいい。その姉も病弱なら、温室と一緒に引っ張ってこられるんじゃないかと思ったわ」
「ん、領主とか支部長とかトーマスさんに助言されてたわけじゃないんだ?」
「ノーマン伯爵やクィン支部長とは接触するようになって日が浅いもの。あの人たちが何かを頼むにしても、私は適任じゃないでしょうね。言われているとすればエドの方じゃないかしら。迷宮の一室で、そんな話をしてたわけだし、私がどう動くかなんて、大人たちにはお見通しだったんじゃない?」
姫を救うことが、ポートマットの利益になり、トーマス商店の利益になり、エドワードに温情を示せる。アイザイアやフェイの意を酌んでいたかもしれない仄めかしに納得ずくで乗ってあげてたのか。すごいなぁ、ドロシー……。
「政治的なカードは爆弾にもなるけど、人質を二人抱えられるのは大きいわ」
「生々しいなぁ……」
「うん、正直言ってね、最初はオーガスタ姫もヴェロニカ姫も、初対面だから、ってことはあるにしても、生きてるとは思えなかったわ。あれならお婆ちゃんが朝に捌く鶏の方がずっと生きてる、ってね。でも、籠から出してあげるからおいでよ、って言ったら、ヴェロニカ姫は躊躇しなかったわ。それなら、生きる手伝いをしたくなるじゃない?」
「それが私たちの利益になるから?」
ドロシーはニヤリと笑った。わかってるじゃない、と。
「オーガスタ姫は、今のところは温室を持ってくることに付随する存在でしかないわ。箱として建築するのはアンタに依頼すれば簡単に建てられる。でも問題は温室を運営する知識や技能なわけだから、それを合法的に得られる機会があるなら乗っておきたいわ」
酷い言われようだけど、オーガスタには、他人の言いなりの廃人姫か、勇者オダに攫われて人間として再起するか、どちらかの選択肢しかないのだ。平民の感覚からすれば後者を選ばないのは奇異に映ることだろう。
「ああ…………」
そうか。エドワードから話を聞いたドロシーは、オーガスタに怒っているのだ。勇者オダを否定したオーガスタを叱ってやりたいのだ。機会があるのにそれに乗らないことに、女性としてより、まず商売人として怒っているのだ。
「なによ、一人で納得して」
「ううん、ドロシーはいい商人だなぁ、って思って」
「何それ?」
私の褒め言葉に口を尖らせつつも、まんざらじゃないドロシーが可愛く思えた。
「中に入ろ」
ゆっくり歩いてきて、話も納得できた。
魔力感知によれば、玄関の入り口でアーサお婆ちゃんがアップして待機している。もう遅い時間なのに。
ドロシーがドアをノックして、即ドアが開いた。
「そう、お帰りなさい」
「はい、ただいまです」
「ただいま、お婆ちゃん」
たったの五~六日しか離れていなかったのに、とても懐かしい気持ちになった。
ああ、ここが我が家なんだな。
【王国暦122年10月2日 23:57】
アーサお婆ちゃんはもちろん、この時間だというのにサリーもレックスも、カレンもシェミーも起きていた。さらには四人組もしっかり居着いている。フローレンスだけがそっぽを向いていたけど、それを見て嬉しく思ってしまう私は、どこかおかしいのかなぁ。
「姉さんおかえりなさい」
サリーの目がウルウルしている。大袈裟な。
「ただいま。えーとね、お土産がたくさんあるんだけど、今全部出しちゃうと寝る時間がなくなっちゃうから。とりあえずは明日の朝食に出せるものだけね」
「そう、蜂蜜ね!」
食に関する嗅覚はさすがのアーサお婆ちゃんに、深々と頷いておく。
「あとは色々あるんですけど……」
「そう、今日はもう遅いし、疲れているでしょう? お茶を飲んだら寝ましょうね」
気遣いが嬉しい。とりあえず、台所にいって蜂蜜を瓶ごと置いておく。
「甘いものは幾つになっても嬉しくなるわ」
後ろからシェミーがいそいそとやってきた。つまみ食いをしようと来たんだろう。
「寝る前だから控えておいた方が良いですよ。ああ、そうそう、ジーンさんに会いましたよ」
「へー。元気してた?」
「うーん、まあー、大人しい人ですね」
「そっかー。昔からああなんだわ。もう少し雑に生きてもいいと思うんだけど」
ああ、なるほど、荒ぶる『海』がシェミーで、静かに流れる『川』がジーンなわけね。二つ名を付ける人は上手いことを言うなぁ。
「蜂蜜は明日の朝にしましょう。今食べると漲っちゃいますよ?」
メッ、と言っておく。
「ちぇっ」
子供みたいにシェミーは退散していく。
「そうね、もう休むわね」
アーサお婆ちゃんも眠いのを我慢して待ってくれていたのだ。どうか寝ていただきたい……。
「はい、おやすみなさい、お婆ちゃん」
「姉さん、お休みなさい」
「おやすみー」
「おやすみー」
皆が就寝の挨拶をしたところで、一度ドロシーと一緒に部屋に行く。結局私たちは同じ部屋なんだよね。
「馬車の中では寝てたはずなんだけど、眠いわ」
ドロシーがあくびをする。馬車の中で熟睡出来る人と、そうじゃない人がいるし、ドロシーは後者だから眠りが浅かったんだろうね。私は鈍感なので前者で、全然眠くないもんね。
「うん、先に寝ててよ、ドロシー。ちょっとやることがあるからさ」
「そう? じゃあ先に寝るわ。おやすみ」
「おやすみ、ドロシー」
部屋を暗くして、私は一人廊下の転送魔法陣からチューブへ移動する。
【王国暦122年10月3日 0:21】
私はレックスの部屋のドアをノックする。
「はい? どどどどうしたんですか姉さん、ちょ、ちょっと待って下さい!」
あー、うん、男の子だもんね。でもレックスはかなり早熟だよね。
三分ほどしてから、やっとドアが開いた。おい、中で何してたんだ……。まあいい。
「お話があります。ちょっと入るね」
「え、あ、はい、どうぞ」
私がこの時間にレックスの部屋を訪問したことは、カレンとシェミー、四人組には別のチューブとはいえ、丸わかりだろう。やりにくいなぁ……。
レックスの部屋は作業机と本棚、小さなタンス、ベッドと、ベッドの下にある何か………がある(没収した後の空き箱だけど、今は中身を確認するつもりはない)。空間が多い部屋だ。元の世界なら、まだ独り寝を怖がる年齢だろうけど、その点では心配はないみたい。
作業机の上には、作りかけの乙女像と、そのパーツが几帳面に並べて置かれていた。
「乙女騎士像の製作はどう?」
「え、はい、ちょっとずつやってますから……あと十日ですね」
へぇ、すごいキッチリした性格なんだよなぁ。細かいことに拘るし、計画性がある。このレックスがだよ? ということはさ、何年か単位でサリーを手込めにしようとか計画を練ってるかもしれないよね。その計画、しかと見届けようじゃないか………っと。本題に入ろう。
「三つお話があります。一つ目は、その乙女騎士像の話ね」
「はい」
レックスはいつの間にか床に座って、立ったままの私を見上げている。
「王都の第二騎士団の団長さんで、パスカル・メイスフィールド伯爵って人がいます。いわゆる名家の人、貴族ね。レックスの、その乙女騎士像の話をしたら非常に興味を持たれていました。正式にはドロシーから話があると思うけど、完成したら譲ってくれ、って話になると思う」
「え、この像はだって、習作ですよ?」
「それは私の目から見ても、なかなかの逸品だよ。手元に置いておきたい、とかじゃなければ、売ってみたらどう?」
「考えさせて下さい……」
「うん。メイスフィールド伯は、その乙女騎士像に拘りがあるわけじゃなくて、人形全般の収集家なんだよ。グリテンで一番、人形を愛している人かもしれないね」
「それはその……親近感を持てる人ですね」
ちょっとレックスが嬉しそう。君の趣味はそんなところでは終わらないだろうに。
「二つ目のお話。今のグリテン国王スチュワートには二人の姫がいます。姫に会う機会があって、レックスの下着愛について語ったところ、非常に興味を持たれていました」
「ちょっ」
レックスの口がタコみたいになった。けど無視して続ける。
「いーや、刺繍の腕もいいと私は思うね。理想の下着を作る素質があると私は見ているよ」
「まさか、注文が来たり……?」
「来るかもしれないね。王室御用達になる可能性があります。いまの王様がどれだけ在位するのかは知らないけど」
不吉なことも言っておく。
「三つ目のお話。これは、他の人には内密ね」
内密、と聞いて、レックスの喉がゴクリと鳴った。そこで、私は『道具箱』から下着セットを取り出した。
「ね、姉さん、これは………」
「『せいぎのみかた』変身セット。断じて下着セットではない」
断じてみた。
「……………ゴクリ」
生唾を飲んだレックスにブラとパンツを手渡す。
「どれだけの作り込み、刺繍がされているか。何が描かれているのか。サリーに相談せずに、自分で調べてごらん? 完璧に再現するのは無理だろうけど、魂は伝わるはず」
「はい、姉さん。これは…………拝むほどの作品です」
「いや拝まなくていいです。これは、いい加減な気持ちで作ったのではありません」
いやごめん、本当はいい加減な気持ちで、しかもレックスの変態趣味をコントロールするつもりで作った。
「はい、わかります」
わかってるのかね、ホントに?
「では、神聖なる下着道にも邁進するがいい!」
「下着道!」
「うん、下着の道は一日にしてならず。全ての道は下着に通じ、天は下着の下に人を作らず」
「姉さん! ボク、頑張ります!」
レックスは涙を流して跪きながら合掌してお辞儀をした。あたかも、それはパスカルのポーズと酷似していたのは気のせいか。
―――――下着の歴史が、また一ページ。
待ち受けていたのは下着愛だった。




