エミーの初体験
【王国暦122年9月29日 12:45】
「お姉様、急いでいたんですか?」
私より背の高いエミーが、覗き込むようにして訊いてきた。
「ううん、全然急いでない」
そろそろ面倒になってきたので、簡易リンクを切って、黒馬を『道具箱』の中に入れる。
「ああ、さっきのは馬を見せつけていたんですよね?」
「うん、目的は達成したかなぁ」
「それにしてもあれは虐め過ぎでは? お姉様が憤慨なさっているのは話を聞いてわかってはいますけれども、不憫に思えます」
歩きながら、エミーはまっすぐ前を見て、私を諫めようとしている。
「そうだねぇ」
「お姉様と騎士団が懇意になることを良しと思っていない方の画策なら、その思惑に乗ってしまうことになるのでは?」
背後にいるのは、恐らくマッコーキンデール卿だろう、ということは伝えてある。少なからずエミーとマッコーキンデール卿には関わりがあるからか、周囲の耳目があるからか、具体的な人名は口にしなかった。
「あれはさ、騎士団が、その人にやらされているなら、自分たちの本意ではない、ってことを証明しなきゃいけなくなるでしょ。早晩行動を起こさなきゃならなくなる。板挟みだよね」
「それほどまでに騎士団が……その人に譲歩しなければならなかったのは何故ですか?」
「あー、実に下らない、だけど当人たちにとっては重大な問題があってね……」
大声で言える内容ではないので、はぐらかしておく。
「はぁ~、政治とは大変なことなのですね」
「それは政治ではあるけど、本質は全然違うというか……」
好みじゃない相手との結婚を回避しようとして、結果として政治が動かされてるってことか。
結婚回避はいいとして、その代償で騎士団が動いたわけだけど……。ファリスとパスカル、ウーゴ、そしてマッコーキンデール卿は、私が『ラーヴァ』かどうかを追及するのを、軽く考えてはいないだろうか。
仮に、私がボロを出して『ラーヴァ』認定されちゃったら…………。
① やられる前に騎士団駐屯地に向けて上級魔法を発動して殲滅
② その足で指揮系統である王城を急襲、王族皆殺し
③ 勇者オダを捕らえて死ぬまで殺す(?)
④ 冒険者ギルド本部を脅し、掌握して治安を回復、アイザイアを脅して傀儡政権を作らせる
⑤ 王都西迷宮のミノ/オークで、ウィザー城を急襲
⑥ ポートマットの冒険者ギルドで選抜した面子でウィザー城西迷宮を攻略、管理権限を奪う
⑦ 残党の排除
⑧ 周辺都市との折衝開始……………。
うーん、④までで十日くらいかかるかなぁ。⑥までで二十日、⑧までで三十日というところかしら。
こうなっちゃう未来も考えられるというのに、どう考えたって触れない方がよさそうなんだけどなぁ。ここのところ大人しくしているのは、なるべく暴力以外で解決をしよう、と自分に課しているから慎ましく生きているだけなんだけどなぁ。
それにしたって、こんな制御しづらい爆弾みたいな私を取り込もうっていうんだから、大胆だよなぁ。いや待てよ、ポートマットや、住民たち、ドロシーやアーサお婆ちゃん、トーマスや商店のみんなを人質だと考えれば、私を脅すことは可能なのかな。本当にそれをやったら千倍返しするけどね。
「お姉様?」
「ああ、うん、ちょっと考え事してた。お昼にちょっと軽く食べようか。エミーは虫は大丈夫?」
エミーも人質に取られる可能性、か。常にその辺りも考えて行動しなきゃだなぁ。
【王国暦122年9月29日 12:45】
「迷宮管理人殿、どうか怒りを静めて頂きたい」
パスカルと第二騎士団の面々は合掌をして、真面目な顔でグラスアバターたる私を拝んでいた。ガラスの少女と呼ばなかったことからも、パスカルの緊張が読み取れる。
「怒っているように見えるのは心外ですが。この土地は王都の治外法権、迷宮が法律です。王都の軍隊が常駐するようにお願いしたことも、駐留を許可した覚えもありませんが?」
要するに出ていってくれと言っているのだけど、パスカルたちはお辞儀をしたまま動かない。
私の本体と迷宮管理人は別人である、と認識されているはずだ。エミーでさえ、ネタばらしをしなければ別人だと思っていたくらいだし。
一方で『ラーヴァ』と迷宮管理人がイコールで結びつくかどうかは、黒に近い灰色だと思われてはいるだろう。怪しさ度で言えば、『本体=ラーヴァ』と変わらないレベルではなかろうか。
で、ここで迷宮管理人が怒っている、というのは王都騎士団に対するメッセージなのだけど、
① 友達を疑うなんて酷い! プンオコ!
② 迷宮管理人を『ラーヴァ』だと疑うなんて酷い! プンオコ!
という二つの側面がある。①に関してはポートマット西迷宮とは懇意であるというアピールでもある。
②に関しては『ラーヴァ』が誰なのか、という議論を再燃させること、そのものへの抗議だ。三者をイコールで結びつけたがる勢力がいて、そんなものの言いなりになっていることへの懸念を表明していると言える。
①②のメッセージはちゃんと伝わっているはずで、ついでに言えば、迷宮管理人が持っている不満に対して解消策を持ってきていないにも拘わらず、表面的な謝罪のためだけにやってきた王都騎士団への嘆息でもある。
――――王都騎士団には失望しつつあります――――。
歯噛みしながらもパスカルは、その重圧を受け止める以外にない。
「一刻以内に騎士団と、その関係者は迷宮の敷地から退出せよ。退出が確認されなかった場合は、交戦の意志があると見なす」
ここはグリテンではあるけれどグリテン王国ではない。当方が先住民で、貴様たちが寄生虫なのだから。
グラスアバターは透き通るような声で、周囲に告知をした。
【王国暦122年9月29日 12:50】
「虫? ですか?」
「……………ああ、うん。もう蝉の季節は終わっちゃってるね……」
「え、蝉って食べられるんですか?」
「シャクシャクとした食感が素晴らしいねぇ」
そう言いながら、意識チェンジで切り替わる景色を確認しつつ、ゆっくり歩いて『黄金虫亭』へ向かう。
軽い会話程度なら、グラスアバターと意識を供給しつつ動かせるのだけど、片方が歩いていると三半規管がどうにかなってしまいそう。これでグラスアバターの方は(当たり前だけど)酔うことはない。結局、脳は本体の一つだけなんだと実感する。
「あれー、ご無沙汰だね!」
『黄金虫亭』に到着すると、グリーンさんが歓迎してくれた。店内はポツポツ人がいる程度の混み具合。大体、この時間に混み合っている飲食店の方が珍しいのだけど。
「セミを一度しか食べられなかったのが心残りで……」
「九月に入ってすぐなら、まだ抜け殻が入荷したんだけどね」
「え、セミの抜け殻って美味しいんですか?」
我ながら、食べられるんですか、じゃないところが既に食虫マニアだなぁ、なんて思う。
「あんまり味はしないね。彩りにもならないけど。奇食ではあるよね」
そこでエミーが青い顔をして私に振り向いた。ここのメニューは全部奇食だよ! とその顔に書いてあった。その通りさ、エミー。
「美味しいものは美味しいよ?」
「そうだね、美味しいものは美味しい」
不味いものはとんでもなく不味いんだけどね。おおよそ、毒じゃないものは食べられるってものよ!
「初心者向けのやつを二品、お勧めを一品。パンと果実水を二つずつ」
「あいよ」
「初心者向け、って……」
不安を隠そうとせずに、エミーは盛大に狼狽えた。
【王国暦122年9月29日 12:50】
めいちゃんからのシステムメッセージで、第二騎士団が迷宮管理区域から退出したことが確認された。
パスカルの後ろ姿は哀愁に満ちていて、それはそれで加虐心がそそられるものではあった。
だけど、交渉材料もないままに謝罪だけされても、こちらが(加虐心以外の)心を動かされることはない。出直してこい! ということだけど、はてさて、次回はどんな交渉材料を持ってくることやら。
外に出たついでに、新設された冒険者ギルド支部へと行ってみる。
指定された地区、その敷地一杯に石造りの建物が建っていた。かなり立派な建物で、三階建て。本部が近くにあるから、もっと手を抜いた感じかと思ったら、逆に気合いを示された感じ。
「こんにちは、責任者の方はいらっしゃいますか?」
「ガッ、ガラス少女……。はい、ただいま! こちらへどうぞ!」
中にいた職員は一瞬だけ慌てた様子だったけど、すぐに立ち直ってカウンターの奥へと消えていった。
一階のホールは入ってすぐに受付カウンターが三カ所ある。王都本部の一階をスケールダウンさせた感じ。ホールがちょっと狭いかな?
「初めまして。当支部の長、リチャードです」
ああ、結局リチャードさんになったんだね。リチャードは『針鼠』の異名を持つ細剣使い。『水晶』のクロエとどちらかが支部長になるか、と噂されてたんだけど、年の功が勝ったのかしら。
リチャードは元々童顔なのか、皮膚の艶もいいし、四十歳超えとは思えない。背はあまり高くなく、太ってもいないし痩せてもいない、筋肉質というわけでもない、非常に印象に残りにくい人だ。印象的、という意味では、ずっと笑顔なのが特徴と言えば特徴か。何が嬉しいんだか、今もニッコニッコしている。
「初めまして、迷宮管理人です」
お見合いしてるみたいだなぁ……。
「応接室にご案内します。こちらへどうぞ」
ビシッ、と素早い手の動きで奥の部屋を示された。先導するリチャードは早歩き、しかも元の世界のショーモデルのように、見えない直線の上を真っ直ぐ歩いた。腰がクネクネしてる。あれー、これってナンバ歩きみたいだなぁ……。
「まだ漆喰が新しいものでしてね。臭いについてはご容赦を願いたい」
「お構いなく」
グラスアバターには臭いを感じる器官は実装されていないからね。
「ではお飲み物も……」
「お構いなく」
「そうですか……」
リチャードは、残念そうに、ニコニコと笑った。変な人しかいないのか、本部には……。
「本日はどのような御用向きでしょうか?」
話が早い、とばかりに、さっさとリチャードは本題に入れ、と催促をしてきた。
「まずは新型ギルドカード導入の件です」
「先ほど本部長の方から、導入が決定したという報告がありました」
「魔道具の方は、後ほど友人である『ポートマットの魔女』が設置をしに参ります。拙速だとは思いますが、十月中旬あたりから運用ができるよう、ご配慮をお願いしたいのです」
「了解いたしました」
ニコニコとリチャードは頷いた。
「実質、この場所での魔道具使用に制限はございません。王都の本部よりも効率よく、新型への更新が可能でしょう」
「その通りですね。素晴らしい立地だと感激しております」
「中旬以降は、新型ギルドカード所持者のみが迷宮への出入りを許可されることになります。告知も合わせてお願いします」
「了解いたしました」
「もう一件、商売の話です。特産の調味料『ケチャップ』と、高品質蜂蜜の販売代行をお願いしたいのです。これは迷宮支部の設立前にお願いしていたことでもあります」
「ついにですか!」
「はい。今のところ供給量も一定ではなく、当方で倉庫用の施設を用意できておりません」
「当面は当支部の空き部屋で作業を行えるかと。小分け作業と、それに伴う販売経路の確立、ということでしたな?」
「その通りです」
いやあ、実に話が早い。細剣使いだからせっかちなのかしらね。
「入荷量と作業量がまだ全く読めませんが、手に余るようなら拡充を考えればいいでしょう」
「そうですね。本日の夕方にでも第一便をお届けに参ります。支部長の手腕に期待しています」
「ありがとうございます。噂通り、透明……いや、聡明な方ですな」
「いえいえ、支部長もなかなか。……………街の方はどうでしょうか?」
私が話題を変えると、うーん、とリチャードは天を仰ぎながらニコニコと笑った。どこに向けて笑ったのかは不明だ。
「魑魅魍魎が跋扈していると言いますか。いろんな団体が様子を見つつ、適当に建物を建てていってますな。商業ギルド、どこぞの大手宿、飲食店、屋台。王宮や騎士団の詰め所も存在しますなぁ」
「あー、先ほど騎士団は追い出してしまいましてね。何でも有名な暗殺者がいるとかで、友人が疑われてしまいましてね」
「それはよろしくありませんな。しかし彼らにも何か思惑があるのでしょうな」
ニコニコッ、とリチャードは思わせぶりに言った。
「思惑……ですか……?」
普通ならここでニヤリとする場面だけど、リチャードはニコニコと笑ったままだ。何だこの人、全然感情が読めないぞ……?
「私には高尚な人たちの考えなどとんとわかりかねますが。ただ、騎士団の総意としては迷宮と懇意になりたい意志は窺えますな」
外から見ていてもそうなんだね。パスカルがああいう人だし…………。騎士団がマッコーキンデール卿に対しては面従腹背だっていうのはわかるけど、それを含めて、まだ卿には考えていることがあるかもしれないと。リチャードの言うことを深読みすればそうなるか。なるほど、もう少し突っ込んで情報を仕入れてみようか。ザン本部長を突っついてみれば、もっと情報が得られるかもしれないし。
「なるほど、ありがとうございます」
「いえいえ、迷宮と冒険者ギルドが、今後とも良い関係でいたいだけですよ」
ニコニコの強度が上がった。何となく表情が読めたような、読めないような、不思議な人だなぁ。
【王国暦122年9月29日 13:00】
「お姉様、お姉様、お料理が来ましたよ!」
モンスターが来たぞ、みたいな怖々とした言われ方をされて意識を戻す。
「ああ、うん」
「もしかして居眠りですか?」
こんな怖い場所で一人にしないでください、みたいな縋る視線が投げられる。
「ん、いや、うん、大丈夫」
もう片方で商談してたんです、とは言わずに、居眠りしていることにした。
「初心者向け、ね。まずはコレ」
野菜の炒め物がやってきた。細切りにされた白身の肉。これはわかる。
「カエルの足ですね」
「季節のものだしね。足しか食べるところがないけどね」
「カエルって、あの、クロッククロック~の?」
「そうだよ。淡白だから癖がないよ」
美味しいよ、とは言わなかった。味わい深い肉、というわけでもないから。
恐る恐る、取り分けた野菜炒めを口にする。
「これが……カエル……?」
私も無造作に口に入れる。ああ、これは野菜の味が濃いから、お肉が負けてるな。いや、これはわざとか。初心者向けって言ったから、味の濃いハーブっぽい野菜と一緒にしてくれたのか。
「うん、お肉だけ食べてみるといいね」
「はぁ~。んっ」
エミーは息を止めて、口に入れて、一気に飲み干した。
「…………」
「味がしませんね」
そりゃそうだろうよ。
「はいよ、スープね」
ポタージュが出てきた。
「とろみがある…………」
しげしげと木製スプーンで掬いながら、得体の知れない食材に好奇心と嫌悪感を同時に刺激されたエミーが、眉根を寄せて、それでも一気に口に入れた。
「んっ………!」
「うん、コレ美味しい」
コクがあるのにサッパリしていて、クルミにも似てるね。
「お姉様、コレは? クルミ?」
「ううん。絹糸を取る虫を潰したものを、鶏のスープで延ばしたもの」
「へぇ~、へえ~」
フッ、サナギだよサナギ。魔物蚕のサナギじゃないけど、これはこれで珍味だよね。
「最後はコレ」
「コオロギですか」
「季節のものだしね。足は好みがあるから食べない人もいるけど」
グリーンさんが出してきたコオロギの素揚げは、実にいい色だった。
手で摘んで一口。
パリッ、シャクッ。ああ、確かにちょっと足が硬いや。卵管も気になるね。でもまあ、魚の小骨みたいなものだ。
美味しそうに食べる私に興味をそそられたのか、エミーは低い姿勢になって、
「お姉様、それ、美味しいんですか……?」
と疑義一杯の表情で訊いた。
「食べてみる?」
挑戦する娘は好きよ? どうする? と訊いてみる。
エミーは目を瞑って手を伸ばし……一つを摘み……手を離した。
「はぁっ、はぁっ」
「いや、無理しないでいいから」
と、言いつつ、コオロギを独り占めする。
「どっ、どうしてっ」
言外には、どうして虫なんかをわざわざ食べるんですか、おかしいですよ! と言っている。
フッ、教会育ちはこうも惰弱になるか!
「味の秘境はゲテ食にあり…………。新たなる美食の可能性を開拓する……。皆が一般的に食べているものは、先人たちが開拓したものに過ぎず、遠い過去にはゲテ食しかなかった……。その先人たちが見逃してきたものがあるかもしれない。先人たちが絶対に正しいとは言い切れない。虫を与えてくれるのは自然、だけど虫を料理したら、それは文化なのだ!」
店内にいる人たちが立ち上がり、大粒の涙を流して拍手をした。
「ゲテ神様だ!」
「かっ、感動したっ!」
「ううっ、そこまでゲテ食を愛してくれているとは!」
グリーンさんも泣いている。何事か、と出てきた厨房のおやっさんだけが首を捻っていた。
その混乱の最中、エミーは一匹だけコオロギを口にした。
「…………………」
鼻を摘んだエミーはとてもキュートだった。
――――そして、何も考えずに咀嚼したようだね……。




