※魔力回復ゼリーの完成
【王国暦122年9月3日 5:13】
「ほら、朝よ!」
もうちょっと寝ていたい……久しぶりの睡眠なんだよ……。
「朝だってば。アンタも! 起きるのよ!」
と、ドロシーに強制的に起こされて、二人して腫れた顔を冷やしに洗面所へ行った。
サリーとレックスは既に起きていて、しかも着替えていて、スッキリした顔をしていた。若者は元気ね……。
「おはようございます、姉さん」
お、レックスが凛々しい。だけど、この仮面の下には下着コレクターの変態男が隠されているのだ……。うん、姉としては、そんなレックスに何かしてあげたくなるよね。ラッキョウ下着、アーティチョーク下着、もとい下着の成る木とか。
「ふむ………」
一瞬真面目にそんなことができるのか考えてしまったけど、馬鹿らしいので思考を止めた。
「お昼には迷宮よね。午前中はどうするの?」
「工事現場。作業が遅れ気味だからね」
チラリと夕焼け通りの方向を見る。なるほどね、とドロシーが頷く。
「ドロシーの方は?」
「午前中は縫製部、砂糖の取引、その後一度商業ギルド、午後は迷宮で支店の様子見と素材部」
何だか仕事を抱え込んでるなぁ。
「お砂糖?」
「綿菓子を常時販売してほしいって要望が多いのよ。どっちにしてもお砂糖が足りないから交渉ね。決裂したら王都で買い付けするしかないわ」
「ふうん、ビートが手に入れば、ウチの畑で作ればいいんじゃない?」
軽く言ったつもりだった。
「ビート? 手拍子の?」
ポンポン、とドロシーは手を叩いた。
「いや、根菜、植物だよ。お砂糖はトウキビかビートから作るのが一般的なの」
サッカリンを作ってみてもいいんだけど、化学の知識が必要なのよね。そもそも生成方法がわかんないし。朧気な記憶では殆ど合成麻薬みたいな作り方で、およそ食用添加物とは思えない原料から作るのよね。発がん性については否定されてるみたいだけど、まあ、自然のものじゃないというか。他の人工甘味料も、人体に悪影響が出るのは間違いないし、出来れば作りたくないモノね。
「お砂糖の原料って、南方からだけじゃなかったのね……」
「うん、フェイ支部長がビートの入手ルートを確立しているはず。ホテルトーマスのレストランで使用してたよ。あの人、自分で料理はやらないけど、やらせるための食材調達については執着心が凄いからね」
「あー、やっぱりトーマスさんに話をしてみるべきだったわ……」
トーマスとドロシーがお互いに多忙になっていて、別々のところから同じモノに手を出そうとしていたのか。コミュニケーション不足を露呈した格好ね。
「ビートについては私もちょっと興味があるから欲しいかも」
「原料から作った方が儲けが多い、か。トウキビから作るのは知ってたんだけど、南方の植物だから、育てるのは諦めてたのよ」
「ビート、トウキビ、イネ、ゴム、いつでもいいから、苗か種の状態で入手できないかしら。ビート以外は南方の作物ね」
「調べてみるわ」
軽く興奮したドロシーと、それを満足気に見る私に、アーサお婆ちゃんからお叱りの言葉が投げられた。
「そう! いつまでお話ししてるの! 朝食が冷めちゃうわ!」
「はい! すみません! すぐ行きます!」
「ごめんなさい! 行きます!」
やべっ、って顔になって、私とドロシーは小走りにリビングのテーブルに急いだ。
【王国暦122年9月3日 5:55】
ドロシーたちが出勤した後、ちょっとの時間を利用して、チューブのリビング脇の小部屋(この上が脱出口だ)にある、空調設備などの管理魔法陣に付随させて、魔力供給パックを取り付けた。
「本当にミスリル銀が心許ない……」
ロンデニオン西迷宮に行けば多少の在庫はあるとはいえ、思い切って色々作れないのはストレスだ。貧すれば鈍する、負のスパイラルだ。
そんなストレスと闘いながら、脱出口にも小さな穴を空けて、そこからミスリルケーブルを本邸に引き回し、転送魔法陣と、台所に配線する。魔力は空気中も伝播するので、無線送電みたいな方法も使えるのだけど、到達するまでに拡散してしまうので効率はよろしくない。以前、魔核の形を変えてアンテナっぽくしてみたのは指向性が得られないか、という実験でもあったのだけど、結局一番お手軽で実用性があって確実性が高いのは有線で送ってしまうことらしい。
大規模魔法ならともかく、生活魔道具を使用する程度なら細いミスリルケーブルで十分ではあるけど、減衰を考えるとある程度の太さは結局必要になる。つまり、有線で繋ぐ方法は、短距離にこそ有用であると。長距離の『送魔力』は念話などでは実現できているけど、やはりまだ発展途上であることに変わりはない。
「ええと、チューブのここに差し込みます。交換用の魔核は、定期的に届けてもらうようにしてありますので……」
「え、これが魔核なのかい?」
今日の居残り、シェミーが驚いた声を上げる。
「そういう形に作ったんですよ。中身の魔力は……その……私の魔力です」
「そう、じゃあ、貴方が離れたところから動かしているようなものなのね?」
アーサお婆ちゃんの理解は、時として私に超常的なインスピレーションを与える。なるほど、そうか。念話は召喚魔法を応用したものだ。昨日話題に上った『手鏡』もそうだ。召喚物として認定された―――『リンク』されたものなら、継続的に魔力が送信されてくるのではないか―――。
「嬢ちゃん、時間はいいのかい?」
「あっ」
思考の海から引き戻された。
「行ってきます。今日は遅くなると思います」
「そう、わかったわ。気をつけていってらっしゃい」
頭の中では召喚魔法と魔力送信についてグルグルと思考が回ったまま、私は工事現場へと出勤することにした。
【王国暦122年9月3日 6:08】
「おはようございます」
「オハヨーッス……」
「オハヨース」
「お……おは、おはおはよう……!」
建設ギルド員たちの声に混じって、勇者オダの慌てたような挨拶が飛んできた。
「おはよう。今日も頑張って下さい」
ほんの少しだけ微笑みを送る。勇者オダの顔には疲労が浮かんでいたけれど、あのくらいでへばるなと言いたい。
んー? これは……アルコールの過剰摂取というやつでしょうか。毒物耐性とか持ってないのかよ……。
しばしガッド、タイニーと話し合う。
「昨日は遅くまで飲んだんですか?」
「そんなに遅くでもねえな。な?」
「ええ、まあ」
勢いのあるガッドに対して、青い顔をしたタイニーは元気がない。タイニーの方は明らかに二日酔いだ。
「ふうん……翌日に影響が出るような酒精の摂取は控えて頂きたいですね。今日は休憩多目に。水分補給を過剰なほどしてください。特に午前中はそうしてください」
諫めると、ガッドとタイニーは恐縮して謝罪した。
「申し訳ない……」
「うん、それはいいんです。えーっと、全員集合してください」
何事か、と集まった建設ギルド員に、ちょっと気合いを入れる。
「全員注目!」
と言いつつ、『威圧』する。全員の視線が集中する。強制的に私から目が離せなくなる。
「慣れは心の隙間を生みます。心の隙間は事故に繋がります。事故は時として取り返しの付かない怪我を負わせます。工期が遅れ、依頼主に迷惑がかかります。依頼主が不満に思えば、我々への発注は減っていくでしょう。我々のお仕事がなければ、皆さんは食べていけません。食べていけなければのたれ死にです。そんな風に死にたいのかっ?」
「ぐあっ」
「むあっ」
威圧を強め、勇者オダを含めて全員が横に首を振ろうとしているのが見えた。
「それが嫌なら、日々の作業に、一人一人が責任を持たないでどうするっ! この工事に全力を傾けなくてどうするっ! この工事は、唯一無二の工事なり! このセメントは、明日にはもう塗れない!」
「申し訳ありません! 小さい親方! 頑張ります、頑張りますから!」
「お酒を飲むなとは申しません。日々の楽しみは大切です。ですけど、工事に影響の出るような飲み方はしないで下さい。節度を持って下さい。それが出来ないほど子供じゃないでしょう?」
過剰にお金を握らせたのは私なので、まあ、浴びるほど飲んじゃうよね。勇者オダを歓迎する名目があればハメも外しちゃうよね。だから、こうなると思っての、実は予定調和だったりする。
「よし。反省したね? では、私と同じように動いてみてください」
威圧を解いて、一気に弛緩した建設ギルド員の顔には、一様に『?』と書かれていた。
「はい、まずは背伸びから~」
腕を伸ばして背筋を伸ばす。これを四セット。
「そのまま左に腰を折って~右側の筋肉が伸びてますか~」
左右に動いて、これも四セット。
「上半身を後ろに反らして~前に戻る~」
ここまでやって、勇者オダはポツリと、
「ラジオ体操……?」
と、絶対に想像するだろうことを言った。
「はい、そこ黙って~。足の筋肉と筋を伸ばします~勢い付けちゃだめです~」
グングンやっちゃいけない、グ~ッと伸ばす。
「はい、反対の足~」
四セットやる。
「次は軽く飛んで~一、二、三、ハイ、一、二、三、ハイ」
私のポーズを見てから動く建設ギルド員たちに比べて、さすがに勇者オダは恐らく経験者だろうから、動きが軽快だ。
「はーい、深呼吸して~、ス~、ハ~」
「ス~、ハ~」
軽く汗ばむ。全員の顔が上気しているのが見えた。
「小さい親方、いまのは……?」
「お仕事前の準備体操です。ロンデニオン西迷宮で習ってきました。体を使う作業の前には有効なようですよ」
ガッドに、これ以上ない、言い訳じみた説明をして納得させる。
「今のは一例ですので、そうですね、お仕事が終わったら、そこにいるオダさんを含めて、全員でもっとまとまった手順で構成してくれると嬉しいですね」
「お、おう。オダ?」
何でオダを強調するんだ? と訊かれる。
「彼の動きは軽快でしたしね。この手の体操の経験があると見ました」
凄く言い訳臭い。けど、こんなのはみんなでやってくれ。
「わ……かりました。小さい親方」
勇者オダにまでそう呼ばれてしまった。内心の苛つきを隠して、
「はい、事故を減らすために協力をお願いします。それでは皆さん、今日も一日、張り切って参りましょう!」
「うぃーっす!」
よしよし、いつもの調子だ。あのまま作業に入っていたら集中力を欠いて大きな事故になっていたところだった。大体、注意してても起こるのが事故というもの。生産性を著しく落とす、事故は建設を生業とする者たちにとって大きな災厄だ。
「今日は午後から雨になるかもしれません。午前中に出来る限りやって、午後は雨が強ければ作業を中断。判断はガッドさん、頼みますよ」
「おう!」
何で天気がわかるんだ、っていうのは風を読んでいるから。本日の天気、みたいなのは殆ど毎日、朝礼で言ってたりするので、もう驚かれなくなったけど。グリテンの天気は変わりやすいけれど、ここは山の方じゃないから、比較的読みやすい。
『道具箱』から控えめにセメントを出して、煉瓦も少なめに出しておく。
「行きがけに建設ギルド本部の方に、少し建材は出しておきますので、足りなくなったらそこから補充をお願いします」
「わかった。雨が降る前提なんだな?」
「はい、多分。午後の休憩の時には降ってるでしょうね」
「それなら休憩を短く、回数を増やしてみるかな」
「任せます。今日は迷宮の……トーマス商店の工場に行きます」
待ち合わせは午後だけど、それまでにはレシピにする濃度の傾向を掴んでおきたいから、実験したかったのだ。
「わかった」
ガッドは連中の中でも一際アルコールに強いのかな。ちょっと羨ましいね。
【王国暦122年9月3日 8:21】
私が迷宮広場に到着すると、トーマスが遠目から、ホテルトーマスの様子をジッと眺めていた。
「おはようございます」
「ああ、早いな。魔力回復ゼリー? のレシピを決めるって言ってたな」
「濃度を決めるだけですけどね。それより、ドロシーが砂糖を探してましたよ?」
「ん? ああ、そうなのか。ホテルの方はまだ落ち着いたとは言えないが……放置しすぎだったな」
さすがにその一言だけでコミュニケーション不足を察したようだ。
「ドロシーは午後には素材部に寄るそうですよ。ドロシーは才女とはいえ、若いです。まだトーマスさんの補助が必要ですよ」
「うむ。うむ、そうだな」
トーマスは、二回、大きく頷いた。私も、自分でそんな台詞が出てしまうことは、本当に自分が見た目の年齢じゃなくて、召喚された存在なのだと意識せざるを得ない。自分の表情が曇るのがわかった。
「儂に言わせればお前だって小娘だよ。でも、気付かせてくれてありがとうな」
本当にそうだろうか、と、もう一度首を捻ってしまった。
【王国暦122年9月3日 11:11】
何とも皆さん早め行動が身についているようで、午後、と言っていたのに、この時間には関係者が集合してしまった。素材部に行く、と言っていたドロシーも含めてだ。
「仮ではありますけど、基本レシピはこんな感じです」
教会印ではなく――――迷宮工場産(すぐそこで作っている)の紙に書いたレシピをトーマスに渡す。
「これはまた………毒々しい色合いだな……」
「無着色ですからね。月光草の葉っぱの煮汁、そのままの色ですよ」
「この三角とか丸とかは何?」
「お砂糖に着色して固めたもの。製造年月日を示す暗号みたいなもの」
「え、これお砂糖なの?」
砂糖に取り憑かれた女、ドロシーが驚く。
「さっき、姉さんが木型で作っていたのはコレなんですか……」
サリーは売り子をしながらチラチラと見ていたものね。作り方は落雁とか干菓子とかの作り方と一緒。昨日買ってきた着色料を粉にして、砂糖に混ぜ込んで、木型にいれてプレスしただけ。
「これでどうして製造年月日がわかるのだ?」
ゴードンさんが訊いてくる。いい質問です。
「五色の着色料があります。干菓子の形は全部で六種類あります。○△□、五角形、六角形に☆、です。たとえば、赤の○、黄色の□、青の△を入れたのは何月何日であると決めておきます。明日の製造分には赤の○、黄色の□、緑の△、みたいにすればいいのです」
「あ、なるほど」
「一応ですね、製品は一ヶ月は保つ、というのはわかっています。ゼリーの部分が乾燥しても、薬効に変化はなし。恐らくは二ヶ月、いや三ヶ月以上保ちます。ですが、食感が悪くなるので、芋粉をまぶして、紙に巻いて提供するのが正しいかと」
「三ヶ月も保つのか…………! これは革命的だな!」
トーマスが興奮している。魔力回復ポーションって二~三日しか保たないものね。道具箱に入れても(時が止まるってわけじゃないらしいので)十日ってところ?
「それでも品質保証をする際に、古い魔力回復ゼリーを持ち出されても困るので、管理のためにマークを入れておきました」
「おお………………」
「売りっぱなしにして、品質の保証なんかしませーん、でも良いんでしょうけど、いずれ品質保証の仕組みは必要になります。製造責任というやつですね」
「うむ……」
「で、この砂糖菓子―――干菓子を作るには、それなりに砂糖が必要でして。綿飴の件もありますし、それに――――――」
「うん?」
「魔力回復ゼリーは、案外薄い濃度で十分だということもわかっています。レシピ通りだとそのくらいなんです」
大体十パーセント溶液くらいよね。
「で、一度に大量に作らざるを得ない。テングサの方も大量に使用します。ゼリーが固めの方が水分の抜けが悪くなり、保ちがよくなりますからね。ああ、つまりですね、テングサを処理する人が専任でいてもいいくらいなんです」
「製菓部を立ち上げろ、ということだな?」
私は頷いた。
「『くにゃレモン』も、ここで作ればいいと思います」
「よし、儂もそれには参加しよう。ドロシーに砂糖を入手してもらわねばな」
トーマスは私にウィンクしてから、ドロシーに向き合った。
ドロシーはとても嬉しそうな顔を見せてくれた。
―――――五色の六種が三つ…………ええと、何パターンできるんだ?
何パターンなんですかねぇ……。




