広場の吟遊詩人
【王国暦122年8月6日 16:11】
アイザイアは公園の概念についてはピン、と来ていなかった様子だったけど、ポートマットには、公共の場としては、噴水はないけれど広場的なものがある。
ロータリーから見て北西、つまりトーマス商店のある方角の、さらに北側にしばらく歩いたところに古い石畳に覆われた、広場というにはこぢんまりした空間がある。
普通広場と言えば鳩が飛んでいるものだけど、グリテンの人にとって鳩は食材でしかない。あんまり美味しいとは思えないけど、乱獲が祟ったのか、ポートマットの町中にいる鳥といえば海鳥だ。海鳥はさらに美味しくないので(食材として)見向きもされない。ただ、この広場は海から少し距離があるので、数そのものは多くない。
ちょっと寂しい、夕方になると暗がりに覆われる、それがこの北広場だ。
「あ、いたいた」
北広場の石製のベンチに、頬杖をついて、サリーが黄昏れて座っていた。
「姉さん……」
サリーに用事があって連絡したところ、夕方に広場脇にある錬金術グッズのお店に行く、と返信があったので、広場まで足を伸ばしたのだ。
「どうしたの? 疲れた?」
「ええ、まあ、レックスがすごい張り切ってて……」
薬の副作用なのか、覚醒したからなのか、精通を迎えたからなのか、遅れて出勤したレックスのテンションは異常なほど高かったのだという。それに対応していて疲れたのだと。
「私を守る、なんて真顔で言うんですよ」
サリーの方が圧倒的に強いっちゃ強いけど、強い弱いは戦闘力の話だけじゃないからなぁ。
「ふうん、サリーはそれを聞いて、どう思ったの?」
「勢いに圧倒されてしまって……。ああ、レックスって男の子なんだな、と」
おや……? 男女について意識をし出したってことかしら。まあ、昨晩のガチ性教育の後じゃ、意識しない方が無理があるわよね。
「そっかぁ。サリーはさ、男の人とか見て、格好いいな、とか思う時ある?」
「あー…………。あの、最近、漁協の船に冷蔵設備を設置しに行ったりしてるんですけど。漁協の副協会長さんで……」
えっ!
ドキッとしちゃったじゃん!
「モーゼズさん?」
「あ、はい、そうです。お兄さんみたいでいいな、とか」
「へ、へぇ~。モーゼズさんは匂いがいいよねぇ」
私の相づちに、サリーはきょとん、と私を見返す。
「匂い、ですか?」
匂いでキシリアの手の者かどうかわかるのはシャアだけなのだけど……。
「ああ、うん、フェロモンみたいなの?」
「フェロモン?」
反芻して、何を想像したのか、サリーの顔は赤くなった。
「匂い物質、感覚器官でやり取りすることで虫とかは意思の疎通を図ったりしてることがあるね」
「え、モーゼズさんは虫? なんですか?」
「いやいや、動物はみんなそうなの。ヒューマンだってクォーターエルフだって変わりはしないよ」
「動物、って……」
自分を動物呼ばわりされたと思ったのか、サリーの少し表情が曇る。
「うん、私だってサリーだって動物よ? 皮を切れば血が出てくるのは、私だってワーウルフだってクマーだって変わらないじゃない?」
「それは……そうですけど……」
「言葉や文字で意志の疎通が図れるのはヒューマンと、その近縁種だけ。他の動物は、仕草や鳴き声や、匂い物質で頑張ってるのさ」
「ヒューマン近縁種が動物として持っている本能的によって……モーゼズさんに惹かれている、と?」
えっ? 誰が? サリーが? 私はまあ、モーゼズは美味しそうな男だと思ってるよ?
「お兄さんみたい、って感じがするなら、きっとそうだよ。サリーはお兄さんが欲しいんだ?」
「うーん……どうなんでしょうね」
小首を傾げるサリーは、顎の線がとても綺麗だ。
「まあまあ、色んな男がいるんだからさ。色々見てみればいいよ」
敢えてレックスは薦めなかった。私の大いなる誘導の結果かもしれないけど、下着フェチになっている可能性があり……。あれっ、魔力制御中のレックスは何て言ってたっけ。サリーと下着を守る? サリーの下着じゃなくて? あれ、じゃあ、サリーと下着が同列なのか? それは思春期の男の子として正しいのかしら?
「そう、ですね」
あまり納得していない様子で、サリーは溜息をついた。
「何か気になることがあるの?」
「はい、あの、私って女なんだなぁ、って」
九歳だか十歳だかの女の子の台詞じゃないわね……。それを言っていいのはアン・ルイスだけだと思うの。
「それを語るのは、私も、サリーも、まだ若すぎるよ。ね?」
サリーは若すぎるけど、私は本当はきっと若くない。元の世界の昭和歌謡が頭に浮かぶもの。
「………………」
よくわからないや、とサリーは黄昏れて夕日を見続けた。
【王国暦122年8月6日 16:28】
「で、買い物は終わったの?」
「あ、はい。天秤とか、お匙とか、すり鉢とかです」
サリー曰く、迷宮支店で使うものらしい。トーマスが書いたと思われるメモを見せてくれた。
「ふむふむ」
いわゆる基本的な錬金術の入門セットで、全部揃えるとなると結構なお値段になる。サリーがお金を持っているわけではないだろうけど、トーマス商店の名前でサリーが作っている魔道具の販売額、その総計は、入門セットが二十個は買えるものだろう。今購入した品物は、当たり前だけどトーマスがお金を出したそうな。
「姉さんの方は? 何か用事だったんですよね?」
「うん、その、モーゼズさん――――漁協にさ、昨日作ってた『くにゃレモン』とかの材料、海草の収穫をお願いしたんだよ。どのくらい採れるのかまだ不明だけど、収穫量は繁茂している場所の調査とか、様子を見ながらってことにしてもらった」
漁協の方で天日干しをしてもらうことも考えた。その方が漁協の儲けが大きい、と思われたんだけど、淡水を使って脱塩しなければならないのと、安定した天候で天日干しをするには迷宮の疑似太陽の方が効率がよさそう、ということで、結局は生の状態で持ち込んでもらうことにした。
「はい、あ―――なるほど、わかりました。迷宮支店の方に納入するように、漁協にお願いした、ってことですね?」
さすがは麒麟児、察しがいい。
「そういうこと。本店に納品しても、どうせ迷宮に持っていくだけだからね。ガラスの――――お姉さんが取りに来るから渡してあげて。実験は迷宮と工場でやることになるけど、うーん、そうだね、夕焼け通りの工事が終わってからだね」
「実験、って言ってる姉さんは輝いています。道路工事の時も嬉しそうですけど」
「あら恥ずかしい……」
赤面の至りというやつだわ……。ノーム爺さんと楽しく作業しているときは、レックスじゃないけど相当にハイ、ってやつだからねぇ。
「姉さんはドワーフなんだなぁ、って思う時、あります」
「ふうん、そういうもの? 種族違いって気になる?」
ゆっくりとサリーは頷いた。
「どうして、私の親は、普通のヒューマンじゃなかったんでしょうか……」
サリーは産まれの不幸と未来への不安を口にした。それが種族に起因するんだから救われない。
「サリーは、現状には不満はあるの?」
「えっ? 不満なんてあるわけないです! トーマスさんだってドロシー姉さんだって、いつも私に良くしてくれます! 姉さんが色んなことを教えてくれて、毎日が楽しいです!」
心外です、とサリーは首を振った。
「毎日が楽しいサリーでも、生きていく上で、結婚だとか子供だとか、未来を考えてしまったと。それで急に不安になったわけね」
「はい、もう、その通りです、そうなんです。姉さん、私の心が読めるんですか……?」
眉根を寄せたサリーに、思わず吹き出してしまう。
「ああ、ごめんごめん、みんなそうなんだよ。みんな未来が、将来が不安なの」
「…………それを解消するには……どうしたらいいんでしょうか?」
私、気になります! みたいな迫力で訊いてくる。
うーん、何て答えようかしら。通り一遍のありきたりな回答や、ふざけた回答はサリーのためにならない気がする。
「答えは自分で出すもの……そうだなぁ……そのためには見聞を広げておくといいんだけど……」
「見聞……ですか。どこか旅行に行くとか……?」
「旅行……ああ、そうだ。ブリストか、カディフに一緒にいってみようか?」
「ブリスト……? カディフ……?」
「うん。どっちになるかはわからないけどね。ノックス領地の領都ブリスト。ウェルズ王国の王都カディフ。それぞれの冒険者ギルドに、通信サーバの設置を頼まれてるんだよ。今は忙しいけど、色々片が付いたら行くつもりだったんだよね。どう?」
「行ってみたいです。色んな場所を見て回りたいです!」
お、サリーの目に気力が蘇った。サリーは将来的にグリテンで一番の錬金術師か魔術師、魔道具技師になる可能性がある逸材だ。世界……と言ってもグリテン国内だけど……見て回るのはきっと役に立つ。私が見逃していることを指摘してくれるかもしれないし。
旅行するとなったらエミーはどうしようか。同行できれば安心なんだけどな。
「ホテルトーマスやら学校やら……色々作るものがあるからさ。落ち着いたらってところだね。年内には出発したいと思うけど、トーマスさん次第だね」
「はい! 待ちます!」
キラキラキラッ、とサリーの魔力が点滅した。おお、こんな背景効果みたいなことができるとは。
「うん、じゃあ、約束ね。年内出発に向けて、頑張っていこうー!」
「はいー!」
サリーは子供らしい素直な返事をしてくれた。
ああ、モーゼズとの絡みは聞きそびれたなぁ……。そっちの方こそ、私、気になります!
【王国暦122年8月6日 17:15】
サリーと、テングサの扱いについて軽く話し合う。
今のところレシピが確立していないので、濃度やら工場での製法やら、魔道具の用意やらが決まっていない。
「実際に姉さんが製法を決めるまでは、迷宮で加工された原料を、支店で保管しておけばいいんですね?」
「うん、そうなるね。漁協の方でも、海草なんか欲しがって、って変な顔されてさ。ゴミとして捨てるものがお金になるんなら大歓迎だってさ。モーゼズさんによれば、夏は割と見るけど、夏を過ぎると採取しにくくなるかもとか言ってた」
正確にテングサを持ってきてくれるかどうかもわかんないしなぁ……。
「夏に集中して採ることになるんですか?」
「そう言ってた。海草は生態も分布域もわかんないからねぇ……。文字通り手探りになりそう」
「あ、シェミーさんに訊いてみてはどうでしょうか?」
「あっ!」
そうだそうだ、海の女、シェミーに訊いてみればいいじゃないか。専門家に訊かずして事は語れまい!
「今日はシェミーさんはアーサ宅だっけ?」
「はい。お店にカレンさんがいます」
「わかった。サリーはお店に戻る?」
「あ、はい……。閉店作業を手伝わないと」
躊躇ったね。何だろう、フローレンスたちからの責めの時とは違う感じがする。レックスに会いたくないのかな? 帰宅したら顔を合わすでしょうに……。
「ふうん。でもまあ、たまには皆に任せておけばいいよ。もう少しここで休んでいこうよ?」
サボりたい気分の時だってある。ちなみに、この世界にも木靴はあるから、産業革命が起こったら労働争議が大陸から始まるのかねぇ?
「はい」
真面目なサリーにしては、素直にサボりを了承してくれた。そうそう、時にはいい加減に生きることも重要さ!
どんよりとした曇り空は、夕暮れなんてロマンティックな演出はしてくれない。
その代わりというと変なんだけど、吟遊詩人さんがアカペラで歌っているのが聞こえてくる。
~グリテンの曇り空~
~ボクの気分も曇り空~
~行く先はいつだって霧の中~
~だけど行くんだ、雲の向こうへ~
~そこに未来がある限り~
~そこに明日がある限り~♪
即興で作ったのか、いい歌なのかどうか、昭和歌謡に慣れた私にも判断が付かなかった。
せめてリュートでもあれば違うんだろうけど……。リュートってあるのかしら。
「心に沁みますね……」
何故かサリーは感動している様子だった。元の世界の演歌を聴かせてあげたいところね。Aメロから泣いちゃうよ、サリー?
「投げ銭しにいこっか」
「あ、はい」
サリーを促して立ち上がり、吟遊詩人の前に行く。
鍋みたいな容器に、疎らに銅銭が入っていた。彼女の歌は、大多数の人から喝采を受けるものではないのかもしれない。周囲に人もあまり集まっていないし、聴かせているというよりは、彼女が歌いたい歌を歌っている、という感じだ。
「いい歌をありがとうございます」
サリーは丁寧にしゃがんで、吟遊詩人を見上げてお礼を言い、自分のポケットマネーなんだろうけど、金貨を一枚入れた。入れすぎじゃないかなぁ、とは思ったけど、私もサリーに倣って金貨を一枚入れた。
「ありがとう」
地声が低い。私よりは背が高い人で、夏だというのに襟の高いシャツとマフラーで顔を隠している。辛うじて口が出ている……目も隠しているのか。
あれ、これ、見えてないんじゃ?
案の定、低いところにいるサリーに顔の方向が合っていない。
ちょっと気になって『人物解析』で見てみると……………。種族、ハーフエルフ、か。あれ、この人……。
すぅ、と息を吸って。
~周囲を調べるのよ~♪
~そこには何があるの?~♪
~そこには誰がいるの?~♪
~教えて、私に教えて~♪
なんだこりゃ、フルコーラスだとこんな歌なんだねぇ。
「おや……その歌……」
「探知の歌です」
「おや……貴女も吟遊詩人か何かですか……?」
「いいえ、妹さんに教えてもらったんですよ」
「おや…………そうでしたか」
僅かに見えている口元が少し笑ったように見えた。
「はい、ところで吟遊詩人さんは楽器は使わないものなのですか?」
「お詳しいですね。……私は普段、『リャウテ』という弦楽器を使っていますよ……。今日は声だけで演奏する……気分だったので……」
そのリャウテっていうのがリュートに相当するのかな。名前が似てるものね。
「そうなんですか。『リャウテ』を使った演奏も聴いてみたいですね」
「おや……それは嬉しいですね。今は……『コウノトリ亭』に逗留しています。よろしければ……宿をご利用頂ければ幸い……です……」
へえ、こういった営業活動もしてるわけね。宿泊費の代わりとか、そんなものなのかな。
「はい、近いうちに」
社交辞令的な挨拶をして、吟遊詩人と別れて、サリーと二人、トーマス商店本店へと足を向けた。
「姉さん、あの人って」
「吟遊詩人マルタ。マリアのお姉さんだね」
「え、マリア姉さんのお姉さん?」
サリーはビックリしていた。
「うん、マリアのお姉さんだったんだね。マルタの名前は聞いたことがあったからさ」
私もちょっとビックリ。
「声の質とか違いますよね……。あ、でも魔力の形は似てるかも?」
「そうかも。魔力波形は近縁者で似るんだよね」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
未来が不安だ、とか言っていたサリーは、すっかり姦しく話している。いい話題転換、気分転換になってくれた。
もしかしたら、マルタが、わざと気を惹くようにアカペラにしたのかもしれない。偶然かもしれないけど、マルタに感謝したくなった。
「グリテンの曇り空~♪」
「すごい、姉さん、もう覚えたんですか?」
サリーが感心しているのを見て、私は苦笑することしかできなかった。
――――変な歌……。




