鯖のサンドイッチ
私は、留守番へのお土産はお寿司こそ至高であると思っている。
これはフェイ曰く、国民的アニメのンガッコッコを見て育った世代であることの証左なのだという。こういう、よくわからない知識や記憶は残っているのに、思考そのものは幼女に統一されつつある。言葉通りのオヤジギャル(死語)といったところだ!
しかし、今はそんなことはどうでも良く、食後の余韻を楽しみたい。
「美味しかったねぇ……」
「美味しかったわ~。あの魚と貝の黄色いスープ? もっと食べたいわ! けどお腹一杯ね!」
ドロシーもご満悦だ。『シモダ屋』は魚料理に関しては、ポートマットで一番じゃなかろうか、と自身の評価を再認する。もっとも、ポートマット全部の店を食べ歩いたわけではないので、一面的なものでしかないけど。
私とドロシーは夜風に吹かれながらお腹を押さえてトーマス商店への帰路を歩いていた。残念ながらお寿司に類する食べ物は、この世界にはなさそうだった。
一応、シモダ屋の主人、チャーリーに訊いてみたのだけど、もしかしたら、私とのやり取りでヒントを得たチャーリーが、寿司を再現してくれるかもしれない。そんなことを祈りつつ、トーマスへのお土産は、焼いた青魚(おそらく鯖に近い種類だと思われる)をパンで挟んだサンドイッチ。感性的には、お土産のお寿司の代用として十分だろう。
「そういえばチャーリーさんは何て言ってたの?」
「えーとねー。チャーリーさんが研ぎとか新刀とかを依頼してる鍛冶屋さんがいてね。その人に紹介してくれるっていうんだ」
「鍛冶? にも興味があったの?」
「うんー。達人って言われてる人なんだってさ。一度見ておきたくてねー」
鍛冶スキルそのものは覚えている。確か……LV2だとか3だとか。だけども、名人に分類されるような職人の仕事ぶりなら見てみたい。得る物は多くあるだろう。
「鍛冶ねぇ。あっ、また何か装飾品でも作ってくれるの?」
「えっ」
「これみたいな」
ドロシーの指にはめられた『守護の指輪』は、夜の薄暗い『街路灯』の中でもキラキラと光って見えた。
「あーそうねー。でもそれは銀細工みたいなものだから。基本的には鋳造だよ?」
「そうなの?」
「うん、型枠に、溶かした金属を入れて固めたもの。銀は柔らかいから後で装飾しやすいんだ」
「なるほどねぇ……」
などと話していたら、トーマス商店に着いた。ドロシーとはここでお別れ。
「じゃ、二~三日、ちょっと行ってくるから」
ドロシーには巡回の件は言ってある。言っておかないと心配するし。
「アンタ、ちょっと強いからって油断するんじゃないわよ?」
いいね、ドロシーはホントにぶれない。
「うん。わかってる。無理はしないよ」
そう言って、ドロシーは裏口から建物に入り、私は暗くなった夕焼け通りを西に、借家の方へと向かう。
晴れているのだから、星がもっと出ていてもいいのだけど、冬に近くなれば、ポートマットも、ロンデニオンも、グリテン中が、暖を取る煙で空は暗い。
魔力だけで生活に必要なエネルギーを満たすことはできない。クリーンかつ軍事利用できないようなエネルギーというのは存在しないのだろうか。
「それはエコだよっ……」
ニュータイプなエネルギーがきっとある。いや、別にそんなことをするために召喚されたんじゃないと思うんだけどね。
借家に戻ると、明日の旅装をチェックする。食料とかは出がけに準備すればいいかな。朝イチで出発って訳でもなさそうだし。
時間的には……実験をする余裕はなさそうだなぁ……。寝るか……。
パパパッとチュニックを脱ぎ散らかして、魔導ランプの灯りを消して、ベッドに潜り込む。
ああ~布団が冷たい~。これは野宿もきつそうな気温になりそう。
というか明日の朝、寝床から抜けられるのか、それの方が、問題、か、も………。
「さむい」
朝になった。
案の定、温い寝床が愛しい。
思い切って布団を跳ね上げてみる。
「ひょおお」
もの凄く寒い。まだ秋だけど、もう冬が近い。
「ぬおおお」
叫びながら、『道具箱』から厚手のチュニックを出して、急いで着て、同じく厚手のローブを羽織る。昨日脱ぎ散らかしたチュニックは洗濯物置き場へ。我ながらだらしないけど、一人暮らしなんてこんなものです。
厚手のローブは薄い蒼色で、輸入物の染料(たぶん、藍)を使っている。このローブは冬にコート替わりに使っていて、フードが付いているのも重宝するポイントだ。
髪の毛をまとめなおして、洗面器に水を入れる。
「―――『飲料水』」
これ、変なスキル名だよなぁ。まあ、水を溜めるだけなんだけど。
ありがたいのは、スキルで出した水は冷たくはないこと。夏は冷たく感じるから、水温が一定なだけかもしれない。
顔を洗って、麻の布で顔を拭き、頬を叩く。
「む~」
眠い。っていうか寒い。
港で働いてる人たちが着ているような毛糸のセーターが欲しいなぁ。編み物してる人はあんまり表に出てこない(母親が家庭内向けに編んでるだけだったりすることが多い)から、お店に売ってないんだよなー。
ま、文句を言ってもしょうがない。この辺りも巡回から戻ってきたら考えよう。
借家を出ると寝ぼけ眼のまま、夕焼け通りを疾走する。ワーウルフ騒動の前には、早い時間から採取に動く人もいたので、そこそこの人とすれ違ったものだけど、少なくとも太陽が昇っていない状態では心理的に外に出るのを忌避してるのかも。
地味だけど効果的な嫌がらせをされてるなぁ。
冒険者ギルドに着く。
昨日の夕方にベッキーはいたから、早朝シフトには入っていないかな。ギルド職員は三交代制で、シフト勤務なのだそうな。ベッキーがいたらセーターについて聞いてみたかったんだけどなぁ。ちなみにベッキーには編み物のスキルはないんだけど、女性繋がりで情報は得られるんじゃないかと思う。
まあ、何事もスキルが必要という訳ではないし、スキルじゃない技術というものがあっても不思議じゃないか。
「おはようございます、ピーターさん」
「あ、おはようございます。支部長は部屋にいると思います」
ピーターは若いヒューマンの職員で、私から見てもまだ新人の部類に入る。中肉中背、面白いスキルを持っているわけでもない。ましてや良い男という訳でもない。
「何か……?」
その、他人の顔色を窺うような目が、ちょっとそそるだけ……。
「いいえ、何でもないです。支部長の部屋に行きますね」
うふふ、若い男はいいわね……。あれ、まるで私、年増の発想じゃないか……。外見幼女なのになぁ。今までの知識の偏りから想像するに、私の『中の人』は中年男性っぽい。いやいや、オヤジギャルのような死語の世界の住人だったかもしれないから、性別は確定ではない……。
……って、何を力説してるんだかなぁ。
少し脱力しつつ、支部長室へ向かう。
「おはようございます。入ります」
「………………ああ」
沈黙部分が長かった。ちょっとウトウトしてたんだろうか。
部屋に入るとフェイもさすがに眠そうだった。
「眠そうですね」
「……お前もな……」
「今回は単独行動なんでしょうか?」
「……うむ。二日の予定、と言ったが、場合によっては日帰りにしてもいい。……エレクトリックサンダーが出現した二カ所。……そこを回ってほしい」
「挑発ですか?」
「……一つはそういうことだな。……もう一つは、その二カ所の共通点を探って欲しい」
「出現の条件を調べるわけですか」
「……その通りだ。……召喚、もしくは転送に条件があるなら把握しておきたい。……これ以上の脅威があるのかも知りたいところだ」
「なるほど、それで私だけを早期投入して刺激してみようと?」
「……うむ。……色々と情報も得られるはずだ」
強力な魔物がこれ以上出るのか、出るならその条件を調べる。とはいえ、本題は、魔術師としての私が容疑者リストに入っているのかどうか、だと思う。それならば単独行も納得だ。パーティーメンバーを無為に危険に晒すこともない。
「はい。じゃあ、いってきます」
私はフェイの意図を了承して、支部長室を出ることにした。
「あ」
短く声を上げて足を止めて、フェイに向き直る。
「……どうした?」
「一つ、お願いがあります。編み物のスキルを持っている人をご存じないでしょうか?」
「……編み物? ……するのか? ……お前が?」
変ですか? と首を傾げてみる。
「……まあいい、わかった。……ベッキーに聞いておこう」
雑事は全部ベッキー任せだな、このダークエルフは。私も他人のことは言えないけど。
「はい、よろしくお願いします」
そう言って、私は食料の調達に向かった。
サンドイッチを買いに、早朝のシモダ屋へ。
「おはようございます。チャーリーさん、昨日はごちそう様でした。大変美味しかったです」
「おお? また食べにきたのかい?」
シモダ屋のご主人、チャーリーは口元を歪めて、全体的にはにこやかな顔で応対した。この人も昨晩は遅くまで厨房にいたというのに、元気だなぁ。
「いえ、ちょっとお弁当を。昨日のサンドイッチを四食分、ください」
「おお? 気に入ったのかい?」
この人はいつも嬉しそうだ。常連客にだけでなく、一見さんでも同じように接客するのもポイントが高い。一期一会をよくわかっている。
「ちょっとまってな?」
チャーリーは厨房へ入っていった。この時間はカーラはいないみたいだ。私と(肉体的には)同じ年齢なのに、夜遅くまで酔客を相手にしてるもんなぁ。で、そのうち、料理の上手い冒険者なんて狭いポイントを突いた彼氏を連れてくるんだろうなぁ。それでチャーリーは『料理対決、一時間一本勝負な?』とか言い出すんだろうなぁ。私は審査員で、『大変おいしゅうございます』とか言うんだろうなぁ。鉄人じゃないとシモダ屋は継げないなんて、カーラちゃんも、どっちを応援していいものか迷っちゃう!
「はい、四人前ね。毎度あり!」
妄想から醒めると、チャーリーがホカホカの包みを出してきた。こういうのは紙に包めばいいと思うのだけど、紙は高級品だ。なので、何らかの木の葉。元の世界の日本ならササでも使うところなんだろうか。
「はい、ありがとうございます」
チャーリーに釣られるように私もにこやかにお代を差し出す。
「これから採取かい? 気をつけてな」
採取メインの活動をしている冒険者だってことは知られてるみたい。
「はい、ありがとうございます」
私は同じ台詞を言って、シモダ屋を出た。
包みのうち、三つを『道具箱』に入れて、もう一つは頬張りながら、北通りを北門に向かって歩く。
出来たてのサンドイッチは、まだほのかに温かい。
うんうん、鯖の臭みが全然ない。しっとりとしていて、脂が乗っていて。レモン風味のソースが絶品のサンドイッチだわ。
北門に着くと、そこにはエルマが立っていた。
「あれっ、エルマさん?」
「あっ、ああ……おはよう」
サバサバしているのが魅力のエルマも、その金髪は疲れからか、パサパサしている。
ワーウルフ騒動は、騎士団員たちのメンタルを直撃しているのだろう。街の防衛という責務を、先日の被害に遭遇して初めて現実として感じた者もいるのだ。門番が下っ端の仕事というわけではないだろうけど、エルマのスキル保持数、スキルレベルは実働隊の連中から見れば数段落ちるから、それは間違いではないと思う。
「今日は北門なんですね?」
それも一人だけで担当している。
「ああ……。時々ね。普段は西門なんだけど」
元気がないなぁ。
「そうですか。ああ、これ、良かったらどうぞ。元気出してくださいね」
そう言って、私は『道具箱』から鯖サンドを出して、エルマに押しつけた。
「えっ、いいの?」
疑問符を投げるエルマを笑顔で封殺する。
「じゃ、ちょっと行ってきます。今日の遅くか、明日早くには戻ります」
「そう……。ありがたく頂くよ。いってらっしゃい」
レディーは不意の優しさには弱いものさ。フッ、餌付けしてるみたいだけど、元気がないよりいいよね。
手を振って、私は門の外へ出た。
―――鯖はこの世界でも『サバ』と呼ばれていて、やっぱり足が早いので基本的には生食しません。