忘却の木霊
..忘却の木霊
【王国暦122年7月24日 20:36】
せっかくリビングを新設したというのに、どうして工房に集まってしまうのか…………。
「慣れってやつじゃないかしら?」
「私もここの方が落ち着きます!」
ドロシーのツッコミに、サリーが同意をする。
「そうね……狭いところの方が落ち着くなんて、人間っていうのは不思議ね」
アーサお婆ちゃんが遠い目をして、含蓄に溢れた感想を漏らす。
「母親のお腹の中にいた頃を思い出してしまうからかもしれませんね」
私がそう言うと、全員が、さもありなん、と頷いた。
「そうね――――」
アーサお婆ちゃんは何かを言いたそうに……言い淀んでいる感じ。しばらくそうしていたので、全員の耳目が集まった。アーサお婆ちゃんは、カレンとシェミーを一度ずつ見て、二人も頷きあった。二人も知ってる内容なのかな?
「そうね。お話しするわ。月初めにフェイさんから連絡があってね。私には孫が二人いる、っていうのは知ってると思うけど……長男の方からの手紙を預かっていてね」
辛そうに話すお婆ちゃんの顔を、全員が注視する。私も目が離せない。これ、恐らく訃報の類だ……。
「そう、次男の方のね。遺品を預かってる、っていうのね。それまで音沙汰もなかったのだけど、娘は、自分の妊娠が発覚して、セロン……長男の方ね……に連絡したらしいのね。ベッキーへの返事には祝福する、の一言だけだったわ。私宛には次男らしき遺品を預かっている、って。どうしたらいいのか、セロンも迷ってるみたいね」
「遺品、ですか。死亡が確認された訳ではないんですね?」
「いや、嬢ちゃん、状況を聞いてみると…………」
カレンもちょっと言い淀む。
「遺品が見つかったのは迷宮の中なんだわ。王都西迷宮の」
えっ?
「そうね。見つかったのは三月だか四月だか。その辺りだったそうよ。ガラスの人が届けてくれたとか何とか」
じゃあ、スライムの餌食になった集団の中にいたってことか。遺品を拾ったのは間違いなく私だ。
「ベッキーさんは、このことをご存じないんですか?」
「そうね。知らないと思うわ。それなのに子供を授かるなんて、まるでスティーヴンが帰ってくるようじゃない?」
アーサお婆ちゃんは無茶苦茶な筋道を通して、悲しそうな顔で笑った。
【王国暦122年7月24日 21:49】
件の長男からの手紙を見せてもらい、お婆ちゃんとカレン、シェミーからいくつか補足をしてもらい、遺品受領の経緯も知った。
ベッキーの息子、長男であるセロン・ミドルトンは普段、王都とドワーフ村の定期隊商の護衛を生業としている冒険者だ。本部所属、中級だそうな。ドワーフ村への定期便は、王都からは生活物資を、ドワーフ村からは主に鉄などの鉱物資源を運んで往復している。
セロン氏が遺品の件を知ったのは三月の上旬頃で、冒険者ギルド本部の掲示板に掲示されていた内容が発端だったそうな。曰く、『スティーヴ・マーローの情報を求む』という掲示で、セロン氏は何故かピン、と来たらしく、それが連絡の途絶えていた弟ではないかと思ったそうだ。冒険者ギルドでは自己申告なので偽名で登録も可能、という事情もあって、風聞ではスティーヴン氏が冒険者で活動していると伝わっていた。それで遺品の担当者、生き残った迷宮第八階層攻略パーティーのメンバー、スティーヴ氏の知り合いだという人物、数人と面会して人となりを調べたそうだ。
セロン氏は隊商の護衛の仕事もあったため、王都に戻ってくるのは一月に一度、空き時間をやりくりして調査を続け、類推した結果、スティーヴ・マーローはスティーヴン・ミドルトンである、と確信を持ったそうだ。
スティーヴン氏は母親であるベッキーから冒険者の仕事は反対されていたそうで、アーサ宅から家出同然に飛び出していった。母親と兄が冒険者ギルドに勤めているわけで、その環境で末子が育ったら、反対されようが冒険者になるのは必然だったように思う。そんな事情があって偽名で登録していたスティーヴ・マーローは、それなりに才があり、頭角を現し、ボス攻略パーティーに参加できるまでになった。三~四年前のことだそうな。
① スティーヴが活動を始めた時期と、スティーヴンが家出した時期は一致する
② スティーヴの知己から聞いたスティーヴの風体や性格、特徴、使用武器が一致する
③ 幼少のころから、スティーヴンは、スティーヴと呼ばれていたため、偽名として自然である
という状況証拠があり、これをもってセロン氏は、スティーヴをスティーヴンと認定した。指紋やDNA鑑定なんぞがない、この世界では十分すぎる証拠だとも言える。
迷宮的に立証は可能だろうか? 三~四年前のログが残っていればいいけど、仮に残っていたとしても、迷宮攻略に来たのはスティーヴである、としかわからないだろう。スティーヴを飲み込んだスライムの個体は私が倒した個体だった可能性が高いし、本人証明は非常に難しい。こういう時に、タグプレートみたいのがあればいいんだけど……。
「冒険者になったスティーヴンさんに、セロンさんは一度も会ってないんですよね。なら、スティーヴンさんはまだ生きている可能性があるのでは?」
そんな可能性はない、という内心を隠しつつ、敢えて私はそう言った。
「そうね……」
でも、私も、娘も、待ち続けるのには疲れちゃったのよ、とその顔が言っていた。これは言葉に出してはいけない。その言葉に縛られそう。
それにしても、良かれと思った遺品の返還がこんなところで顔を出すなんて。
忘れかけてた話だったのに、これは真実、亡霊の仕業だろうか。
…………この家ではあり得ることかもしれないなぁ。
「そこでさ、嬢ちゃん」
カレンがぐいっ、と顔を近づける。
「ベッキーさんのお子さんが産まれて、母子ともに順調だったら、トーマス一家を王都西迷宮に連れて行ってあげたいんだわ」
シェミーもぐいっ、っと顔を近づけた。
「ああ、うん、なるほど」
お墓参りのつもりですね、とは言えず、曖昧に頷く。二人は事前にアーサお婆ちゃんから相談をされていたようで、力になりたい、という強い意志が感じられた。普段、護衛と称して一緒にいるから仲良くもなるし、ベッキーさんよりは若いけれど話しやすかったんだろうね。
「そうね。色々落ち着いたら…………行ってみたいわ」
逆縁に遭っても、アーサお婆ちゃんの視線は、真っ直ぐに私を射貫く。
「わかりました。その時が来たら……可能な限り、力になります」
私も見つめ返して、確約をした。
【王国暦122年7月24日 22:49】
暗い話の後だからか、早めに寝てしまおう的な雰囲気になり、工房でのお茶会は解散になった。
カレンとシェミーには、もし、お婆ちゃんの迷宮旅行に私が同行できない場合は、フェイに話を通しておくようにお願いをしておいた。何年後になるかわからないし、その時に私がいない可能性もあるから。
二人からは、嬢ちゃんが生き急ぎしなければ同行できるさ(わ)、と諭されるように言われた。敵わないなぁ。
ベッドに横になると、ドロシーは先日の疑問が解消されたからか、少し饒舌に話しかけてきた。
「冒険者はいつだって死と隣り合わせに生きてるのね」
「そりゃそうだよ。家柄も才能もなく、体格にだけ恵まれた人がなる職業ではあるもの」
多少の自己否定が滲む。
「え、そうかな。三つとも持ってる人は、本来何をすればいいのよ?」
「そりゃ、勇者様か騎士様か貴族様にでもなればいいんじゃないかな」
どうせエドワードに置き換えて話してるだろう。王様に、とは言わないでおいた。
「あー、うん、そうか、なるほどね」
何に納得したのかはわからないけれど……。エドワードは自分の出自について、ある程度はドロシーに話しているんだろうということはわかった。お家騒動があれば巻き込まれる位置にいそうだけど、その辺りの事情は詳しくない。国民(というか臣民だろうね)全員を幸せにするよりは、ドロシー一人を幸せにしてくれるようにエドワードには動いてもらいたい。
「冒険者ギルドの幹部は陣頭に立ちたがる人が多いから、後方勤務だから安全って訳じゃないのは確かだね。プロセアの侵攻があった時もそうだったでしょ?」
「そうだったわね」
「死ぬ時は死ぬ。死なない時は死なないものよ。本当は自分で選択してるのに、他人の責任にするみたいでさ、運命のせいにするのは好きじゃないんだけど、偶然そうなったとしか思えない時も、まあ、あるよ」
「運命、ねぇ」
「うん。殆どの場合は、周囲がそうなるように動いた結果だと思うんだけどね。たとえば、エドワードさん」
「なっ、なによ」
慌てたね。エドワードにドロシーを取られてる気分はままあるので、半ば意地悪のつもりで、例として挙げさせてもらおう。
「エドワードさんが冒険者になったのも、ポートマット支部に来たのも、仲間を選んだのも、ドロシーを選んだのも」
「ぐっ……うん、そうね」
「でも、確かに運命としか言えないものもあるよね。エドワードさんの出自、ドロシーがポートマットにいたこと、トーマス商店に勤めていたこと」
「うん、わかるわ。全部の出来事を運命として捉えるなってことね」
「自己欺瞞……っていうのかな。自分で自分を騙して納得させてる。そこから離れたいよね」
そう言いつつも、自分自身を振り返り、自嘲してしまう。確かに『使徒』の横槍や指令は、神様のイタズラである運命なんかじゃなくて、『使徒』の恣意的なものだ。
その手駒として動かされている無力感と諦観。これを運命として受け入れることは、自意識の崩壊に繋がってしまうのではないか。それを私は恐怖する。だから、常々反問していなければ自分を保てないのではないか。
「アンタ、穴掘りしてるだけじゃなくて、色々考えてんのね」
「うん。何のためにここにいるんだろう、って考えることは、一生の命題だと思うから」
「一生かぁ……。私もいずれ、子供を産んで、育てて、死んでいくのかしら。それとも……ああ、そりゃベッキーさんも、息子さんに危険な職業には就いてほしくないわよね……」
それとも、子供が先に死んでしまったら、とドロシーは考えたのだろう。首を振ったのが、衣擦れの音でわかった。
ドロシーは孤児だったこともあって、親を含めた親族から愛情を受けた記憶なんか無いんだろう。それなのに、まだ見ぬ我が子を心配しているわけだから、本能って凄いなぁと思う。
「アーサお婆ちゃんがそうだけどさ。親なんて、心配するのがお仕事みたいなものだから。人間に元々備わってるものなのかもね」
「そう考えると不思議ね」
ドロシーは即答しつつも、少し寂しそうに言った。
私はお腹を中心にした気怠さに、それ以上の会話を継ぐことはしないで、体の力を抜いた。
「寝るわね。おやすみ」
「おやすみ、ドロシー」
すぐに、意識が落ちていった。
【王国暦122年7月25日 5:15】
こうも正確に生理周期が来るということは、生体じゃなくて、私は機械か何かなんじゃないかと勘繰りたくもなる。
「おはよう。体調悪そうね」
苦労して半身を起こして、隣のベッドを見ると、そういうドロシーも、あまり顔色がよろしくない。元々彼女は朝に強い方ではない。
「ドロシーも顔色良くないね。休めば?」
「アンタほど重くないわ。今日は大丈夫よ。出勤するわ」
そういうドロシーは、例の生理用下着……この世界的にはセクシーショーツ……をしっかり履いていた。先日も思ったけれど、体全体が丸みを帯びてきて、美人ではないにせよ、凛とした空気を纏うドロシーは魅力的な女の子だ。
「うん、無理しないでよ? 私はもうちょっと寝る」
あーもー動きたくない。これ、お薬とかないものかねぇ……。
「わかったわ」
短く言って、ドロシーは部屋から幽鬼のように出て行った。大丈夫かね、ホントに。
はー、頭痛生理痛に……よく効く……薬……。
考えがまとまらずに、面倒になって、また意識を手放した。
【王国暦122年7月25日 8:36】
いつもよりは軽めかしら。
まだ少し怠さはあるけど、活動に支障があるわけでもない。今回は前日から無理をしないで静かにしていたせいかも。
「そうね、おはよう。体調はどう?」
普段と変わらぬアーサお婆ちゃんと挨拶を交わす。
「おはようございます。大丈夫です。お風呂入ろうかな……」
夏真っ盛りだけど、少し体を温めたい。ああ、こんなファンタジー世界で生理痛に悩まされるとは。他の人に対してはわからないけど、『治癒』は光系も水系も意味ないしなぁ。これは想像に過ぎないけど、恐らく、肉体が損傷しているわけではないから、と思われる。死んだ卵の排除をしているだけなのに、どうしてこんなに辛いんだろうか。
「贅沢だな、嬢ちゃん」
居残っていたカレンがエプロン(凄く似合わない)をしたまま顔を出す。
苦笑しつつ、増築したお風呂場へ向かい、お湯を沸かし始める。このお風呂はそれほど大きい湯船ではなく、せいぜい二人が一緒に入れるくらいの大きさ。個人宅用なのでこのくらいにしてみたのだけど。
お風呂じゃなくても『洗浄』で綺麗サッパリはできる。だけど何となく、リラックス効果のあることをしたい。普段と変わったことをしたくなる。
「はー」
ボーッとお風呂が沸くのを待つ。公衆浴場はこういうとき、二十四時間沸かしっぱなしだからいいよなぁ。いつでも入れるっていうのは魅力的。うーん、二十四時間営業をすべきだろうか、ちょっと悩むなぁ。清掃時間を取りたいから、早朝から深夜まで、みたいにするしかないか。迷宮正式開放後の、利用状況を見て考えよう。
ぬるま湯程度に暖まったところで手桶でお湯を汲み、体に掛ける。
「ほー」
海綿に石鹸を薄く付けて体を洗う。ああ、これってマッサージでもあるんだなぁ。この石鹸があんまり泡立たないこともあるけど、元々私はきっと、こんな洗い方なんだろう。
再度手桶にお湯を汲んで、ザッと掛け流す。
お湯はもう適温になっていた。加温を止めて、湯船に体を沈める。
「ふー」
いやあ、朝風呂っていいわー。王侯貴族だわー(偏見)。
この手桶もなー、作っておいて良かったよー。桶って言えばケ○リンだよねー。黄色いプラスチックの桶。
「ん?」
ケ○リンってお薬だよね。頭痛生理痛の……。
「あ?」
あれってアスピリンだよね。アスピリンは噛むものじゃないよね。お薬の登録商標だよね。
アスピリン……………って作れるのかしら。原料が確か……すごく意外な植物の樹皮だったんだよね。えーと、えーと。
「ヤナギ……ナギ……」
そうだそうだ、柳だ。
柳なんてどこかに…………。いやどこかで見たぞ? 思い出せ………………。
「ああ!」
領主の館の敷地内だ。ちょっとだけ木が植えてあって、そのうちの一つの木が項垂れるように風に吹かれていたっけ。何であんなところに植えてあるのかは知らないけど、あれが柳に違いない。
《ノーム爺さん、植物の薬効についてはわかる?》
《ん? 単品での薬効ならある程度はわかるぞい? だが精製したりはできんぞ?》
《あ、それで十分。あとで見てほしい木があるんだ》
《ふむ?》
スパイスショップのマホニーさんにも訊いてみるか。ヒントが得られるかもしれない。
「ふぃー」
体が温まって、血の巡りが良くなったからか、頭も冴えてきた。朝風呂は良い! 人類の宝だ!
――――魔力供給問題が解決したら、アーサ宅も二十四時間風呂にしたいところ!




