商人の娘ドロシー
【王国暦122年7月22日 13:25】
公衆浴場二階の軽食堂で昼食を摂る。
メニューは漏れなくフィッシュ&チップスになる。これしかないもんね。
油っぽいとか、これは料理じゃないとか言いつつも結構食べている。勇者オダもこんな気持ちなのかしら。
煉瓦工場の視察をしていたドロシーと待ち合わせをしていた。ドロシーは魚フライを食べ終わり、コルンがサービスでさあ、と山盛りにしたポテトフライをゆっくり食べている。味付けがシンプルだからか、半分も食べ終えていないのに飽きた、って顔だ。
「えっ、もう一回言って?」
「畑の拡張は終わったよ。あとは好きにしていいから」
ドロシーは口を開けて、ちゃんと驚いてくれた。お約束を外さないね。
「呆れたわ……アンタ、土いじりのために生まれてきたんじゃないの?」
その意見はミクロ的には正しいと思う。
「そうかもね。ああ、門は作ってないから、必要なら建設ギルドに発注かけてよね」
帰りがけに一度畑に寄って状況を見たい、とドロシーは申し出た。
「煉瓦の方は色々聞いたわ。品質の善し悪しは、私が見ても、まだわからないのよね。もうしばらく通うことになりそうだわ」
「熱心で何よりだよ。戻る時、煉瓦を『道具箱』に飲み込んでおきたいんだけど」
わかったわ、とドロシーはポテトフライを摘みながら頷いた。もう食べられない、と顔に書いてあった。
【王国暦122年7月22日 14:08】
胃もたれを感じつつも、ドロシーと私は煉瓦工場へと向かった。
「そうそう。アンタの言うとおり、スペンサーさんに物凄く丁寧に説明されたわ」
スペンサー親方は、以前話にあった、引退していた煉瓦焼き職人の一人。物凄く腕がいい、というわけじゃないけど、話し好きでまとめ役には最適な人材だと思う。
「うん、お爺ちゃんっていうのは小さな娘と見ると可愛がる生き物なんだよ」
傍らにいる爺もそうなのかなぁ。
「わかるわ、それ。トーマスさんが良い例だもの。あれ…………トーマスさんから見たらベッキーさんも小さな娘なのかしら?」
「あー、そうかも……」
ベッキーさんが小さい時から見ていれば、本当にそう感じているかもしれない。長寿種族から見たら、中年過ぎの女性くらいが適齢期に見えたりするのかも。
「一つ気になったんだけど」
「うん?」
「ベッキーさんって、大きなお子さんが二人もいるわよね。息子さんたちは、今回の懐妊を知ってるのかしら」
「ああ……どうなんだろうねぇ……?」
確かに。全然連絡がないのか、アーサお婆ちゃんとも、その会話をした記憶がない。
「何かおかしい気がするわ」
「事情があるのかもしれないよ? ここまで話題に出ないっていうのは確かに変だし」
「そうねぇ……」
立場的にドロシーはトーマスの保護下にあるので、養女と言えなくもない。これはサリーやレックス、四人組にも言えることだけど。実子と同列に扱うことになるのかは疑問だけど、一般的な観念では、ベッキーさんの息子さんたちとは兄妹として扱われるだろう。
「ま、話せるようになれば話してくるでしょ。ベッキーさんはともかく、トーマスさんは資産持ちなんだし、関わる気があるなら息子さんの方から言ってくると思うよ」
「それもそうね。トーマスさんの資産なんて、考えたくもないわ」
ドロシーは両手を広げてハン、と鼻で笑った。金が全てではないけれど、現在のトーマス商店は金が金を生んでいる状態でもある。いつまでも続くのか、いつか終わるのか、それはわからない。
それに、ドロシーの、考えたくない、というのも本心だろうと思う。ドロシーは自らの才覚で発展させたい、と気概を持っているのだから。元の世界で言えば、用意されたレールばかりを走るレールバスじゃなくて、DMVだと思う。なんのこっちゃ。
「煉瓦の製造については説明を受けたんだよね?」
「受けたわ。ここの工場で作るのは二種類を予定していて、通常の建材としての煉瓦と、耐水性に優れた高温焼成煉瓦ね」
「うん、今のところは耐水煉瓦しか作ってないけどね。手間はかかるけど、利益は出やすいね」
「公共の建築物用だから?」
察しがいいね。
「そういうこと。一般の小売りより数も出やすいし、権力者と仲良くなっておくのは重要だね」
「ノーマン伯爵ね。普通に暮らしてたら会うような人物じゃないわ」
「二~三回は会ったことがあるでしょ? そのうち毎月にでも顔を合わせるようになるよ?」
これは予言じゃなくて、確定事項だ。トーマスが多忙になりすぎていて、代理としてドロシーをポートマット会議(表)に出席させる可能性がある。
「そんなものかしらね。とりあえずは建設ギルドに注文数を納品するわ。まだ煉瓦焼き工房としては無名だから、せいぜい宣伝してよね」
「はーい」
肩を竦めてみせた。
あとは原材料の入手ルートの確立についても調査をお願いしておく。
「今使ってる材料は? どこ産なの?」
「ここの迷宮産だよ。私が強引に作ったからさ」
「粘土を? 作れるものなの?」
その疑問は尤もだと思う。私もそう思う。
「錬金術的な手法を使ったと思ってよ。早晩在庫は切れると思うから、それより前に材料を調達できるようにしてほしいんだ」
ドロシーは、うーん、と首を傾げた。ちょっとちょっと、それは私の真似ですか?
「粘土ね。カディフが陶器で有名だけど、質の良い粘土が枯渇気味って話、知ってる?」
「え、そうなんだ?」
さすがは最前線にいる商人……初耳だわ。
「埋蔵量が少なくなったのか、採掘する体制が整ってないのか、それはわからないわ。確かなのは粘土の産地は主流がブリストに移りつつある、ってこと」
「ほうほう……」
私が感心して頷いていると、ドロシーは少し恥ずかしそうな顔をした。
「ま、まあ、どちらかから入手できると良いわね」
粘土の発注先? 納入元? については私はノータッチになるだろう。ブリストかカディフに行った時、現地の状況を教えられたらいいな、くらいの気持ち。
「うん、本筋としてはさ、土を移送するよりは作業場をそっちに置いた方が話が早いだろうねぇ」
「それもそうねぇ……。ただ、特殊な煉瓦を作ってもいるわけだから、移送しても黒字になればいいわけよね?」
「それは、そうだけどさ」
またまた肩を竦めておいた。
【王国暦122年7月22日 14:44】
煉瓦工場に寄って、出来上がっていた煉瓦を受領して、ドロシーにも『風走』をかけて、畑へと向かう。
「このスキル、便利よねぇ……」
「魔力を馬鹿みたいに食うから、魔術師の見栄張りとかお遊びみたいなものだよ。『加速』の方が実用的かも」
ただし、『加速』はある程度体を鍛えていないと、使用後の反動(要するに筋肉痛)が酷い。善し悪しだと思う。
「ふうん、私も習ってみようかしら」
軽く、ドロシーが言った。
「この間、『第四班』のみんなに『加速』の講習会やったよ?」
「何で私を呼ばないのよ」
わけのわからない怒られ方をしたなぁ……。
「講習会の中身は、殆ど歌の練習だったよ?」
「何で歌なのよ」
「歌って覚えるから」
私の答えにドロシーは、全身で『?』を表現してくれた。
ある程度の鍛錬は必要になるとしても、インスタントに習得できるシステムがあれば面白いなぁ。
先日の『光球』による録音と再生の機能を魔道具化するにしても、呪文を聴き流しているだけじゃ、恐らくは習得なんかできない。
※習得の速度には個人差があります
※個人の感想です
って小さく書いておかないと訴えられちゃうな。
本人がやる気を出して記憶して、音感を鍛えて、発声を磨く。それも長時間。
私が付きっきりなら早期に覚えられるだろうか?
【王国暦122年7月22日 14:55】
「えー、この広さを……? 本当だ、終わってるわ。魔法を使ったんだろうけど……」
「その通り」
黒々とした地面を見せて、自慢げに肯定しておいた。
「こういうのはサリーに教えなくていいの?」
サリーが私の後継者的なポジションにいる、というのは周囲が認めているところ。私は師匠の一人には違いないけど、私自身は積極的には関わっていないような気がしてる。きっとドロシーには逆に『過保護だ』なんて言われそうだけど。
「これは……錬金術的な技ではあるけど、毛色が違うからなぁ……」
「錬金術とか魔法に色とかあるの?」
「いやほら、これってあんまりサリーっぽくないかなぁと」
「そう言われてみれば……。土にまみれてるのはアンタの方がしっくりくる」
「悔しいけど自分でもそう思うよ……」
苦々しく頷いた。
畑の構造や水路、防犯の説明も少ししておいた。
トーマス不在の時とかはドロシーが指示を出さないといけないので、一定の知識は必要になる。孤児院にいた時代に軽い農作業くらいは経験しているだろうけど、基本的にドロシーは町中で育っているから、田舎暮らしみたいな方向性に進むイメージが湧かない。ポートマット在住の人間全般に見られる傾向だと思うけど。
「半分をイモ、半分をコウゾ? に分けて栽培すればいいの?」
「基本的にはそういう分け方でいいと思う。使う畑自体は、もう少し分けることになると思うよ。コウゾは、教会の古いシスターさんに聞いたら、十年くらいしか保たないことがあるんだってさ。手入れしていればもっと保つだろうけど、採取可能な木が順序よく育つようにしないとね。イモは半分に分けて交互に使うとか、三つに分けて順序よく使うとか。ノーマン伯爵に仕えてる畑の管理をする人で……ビッグスさんっているんだけどさ、日光草畑の時も呼んでトーマスさんが相談しているから、その人の協力をまた仰ぐことになると思う」
「ああ、一度会ったことがあるわ。饒舌な人よね」
農業を語る時のビッグスさんはまあ、確かに饒舌ではあるよなぁ。
「そう、かな」
トルーマンといい、アイザイアの周辺は変人で固められてるんじゃなかろうか。余計な心配だけどさ。
【王国暦122年7月22日 15:41】
トーマス所有の奴隷頭、フェルテンに言って、馬車を回してもらう。
そのフェルテンも、午前中に開墾が終わっているという非常識に、目を丸くしていた。だけど、立場を弁えている彼は、それについて質問することはなかった。
トーマス所有の奴隷も、私の奴隷と同様に、管理はかなりいい加減。野放しと言ってもいい。奴隷紋による強制力はあるにせよ、最低限の指示だけ出して、あとは自由にさせている。プロセア帝国から見れば、死んだものと同義の扱いを受けている彼らに帰る場所はない。国に捨てられた、という立場を慮るにしても、彼らの軍を直接打ち破った張本人としては過保護にもできない。
でもあれか、直接負かせた人物の配下になる、っていうのはちょっと男気が感じられるものなのかな? 男性の感覚ならそうかもしれないなぁ。
「教会に向かってちょうだい」
「はい、ご主人様」
フェルテンは素直に頷いて、馬車を走らせた。いかにドロシーが女主人オーラを醸し出していても、外見上は十五歳程度の女の子だ。侮られても不思議じゃないのに、フェルテンの態度を見るに、恭しいというか、素直ではある。私の知らない間に、なんぞ人心掌握の技術でも磨いたのか、心を打つエピソードでもあったのかしらね。
迷宮街道を東に向かって真っ直ぐに馬車は走る。
「教会に行くんだ?」
「アンタは来ないの?」
「苗を植える段取りを決めるくらいなら、私がいてもいなくても一緒じゃないの?」
ドロシーは少し考えてから、
「教会のコウゾ畑にある若芽を選んでおいてほしいな」
と、上目遣いで言った。
「わかったよ…………」
ドロシーに甘い私は、詮方なく了承した。
蹄の音と車輪が定期的に鳴る音に耳が慣れる。この一定のリズムが眠りを誘うかも。直線過ぎるのも善し悪しなんだな。元の世界でも高速道路とか、一定のところで曲線を設けたりしてるものね。ついでにそこで渋滞するんだけどさ。
少し商売関係の話でもしておくかな。
ドロシーとは毎日顔を合わせて、同じ部屋で寝ているのに、あんまり商売の話題にならない。ちょっと不思議なことだけれど、部屋では何となく二人とも商売以外の話題を選んでいる気がする。
「そういえば、エールの醸造所の件は進展あった?」
「ああ、アンタに言われてたやつね。ごめん、条件に合う醸造所がないのよ。公衆浴場の軽食堂で消費量が激増してるから、零細の醸造所―――工房規模ね―――でも助かってる面があるみたい。零細の工房は、他の工房と合わせてエールを売ったりするから」
いわゆる『桶買い』で、他業者の製品とブレンド、もしくは他の工房のブランドとして出荷されてるのか。
「ということは、元締めというか、零細工房から買ってる業者? 醸造所がいるわけよね」
「アンタなら脅す、とか言い出すとは思ってたけど。この場合の『縦の繋がり』は『横の繋がり』でもあるわ。純粋に救済策になってる一面があるし、両者の関係を離反に持っていくには、打つ手がちょっと足りてないかな」
「ふむふむ……」
ゴトゴト、と揺れる馬車の内部で、ドロシーは私に諭すように説明をしてくる。
「本音としてはさ、零細の工房であっても、自分のところの商品として売りたい訳じゃない? アンタの言うような条件―――情熱があって事業には窮していて、自社の製品を捨ててもいい―――には合致しないことが多いのよ。アンタはエール醸造の知識と経験を持っている人たちを使って、何か別のことをやらせたいわけでしょ?」
その通り、と私は深く頷く。
「それは、たとえば、引退した煉瓦焼き職人を引っ張ってくるような方法が使えればいいんだけど、そうもいかないのよ。本質的には、どの醸造所、工房も、自分のところの商品に誇りがあるから」
煉瓦焼き職人だってブランド意識が無い訳じゃない。製品には、工房ごとに製造者のスタンプを彫ったりするものね。でもまあ、それは酒造業者に比べたら、の話か。スペンサー親方が引き抜けたのは運もあったと。
「アンタが何を作らせようとしているのかはわからないけど。またとんでもなく売れそうなものを作るんだろうと思うんだけど、アンタの言うようなやり方では難しいわね」
無理ね、とは言わなかったけど、ドロシーから見ても私のプランは上手くいかない可能性が高いのだろう。
「その言い方だと代案があるんだ?」
「あるわ。ちょっと大がかりになっちゃうけど。ポートマット中のエール醸造所、工房を全部買収すればいいの」
目が点になった。何という手段を思いつくんだろうか。悪魔のような笑みを漏らすドロシーに見入ってしまう。
「ただ、費用対効果は今の時点では不明だわ。大手醸造所に製造委託をするとか、その醸造所に投資するとかじゃ駄目なの?」
これまた諭すようにドロシーは私に聞き返す。笑みは通常に戻った。
「うーん…………」
そもそも、私がエールじゃなくて貯蔵ビールを作ろう、と思ったのは、元の世界の偏った知識からすると『ビール=ラガー』の印象があるからだ。大陸にはどうやらラガーが既に存在するらしいのだけど噂の域を出ないし、流通が発達していないためか、地域限定であることには変わりない。
コルンとクレメンスとの会話の中で、『新ビール』を作る意義は薄れてきたと言っていい。
意外にもエールの保存性は悪くなかったし、冷やしたことで味も改善(というか多分誤魔化せてる)できることがわかった。
うーん、ちょっと時期を見誤った気がする。ポートマット中の醸造所をまとめ上げた後に冷却エールを提供する施設を作るべきだったかもしれない。
「うん、わかった。今回はちょっと諦める。でも、継続して調査はしておいてほしい」
アンテナを張っておいてよ、と言ったつもりだったけれど、ヒューマン語スキルは(アンテナが発明されていない)意訳で伝えた。
「いいわ。アンタが拘る理由が何なのかわからないけど」
「美味の追求を名目に技術革新を進められて、なおかつ儲かる」
「アンタらしい理由だわ」
納得した、とドロシーは呆れ顔になった。
「綿飴の方は試験販売するんだっけ?」
「お昼過ぎから販売するつもりよ。作るのには慣れたけど……手間がかかるわ。短時間にたくさん売るのは無理だし、専門の職人を雇う程ではないし」
「あれさ、作るのを見ているのも楽しいんだよね」
「確かに……砂糖の焦げる香りもそうだけど、くるんくるんと棒に絡まっていく綿飴を見ていると飽きないわよね……」
うっとりと綿飴を思い浮かべたところで新西門に到着、旧西門までは石畳で舗装されていないので、一気に道が悪くなる。所々がぬかるんでいて、そこに轍が出来て、凸凹しているわけだ。
「この轍も、真っ直ぐなら、かえって走りやすいのにね」
ドロシーが『使徒』に粛清されそうなことを言った。
でも確かに、発想としては鉱山のトロッコなんだろうけど、それと轍が組み合わさったら、町中で再現すればどれほど便利か、すぐに思い至るはずだ。そして、この程度は誰でも思いつく。
蒸気機関は止められているし、鉄道も止められた。私としてはおおっぴらに鉄道を建設できるとなればウハウハだ。熱い、というよりは暗い鉄道魂が私の中に燻っているのだ。
「そうだねぇ」
色んな気持ちを隠しつつ、頷いておくだけにした。
教会に到着すると、フェルテンは街で皆にお土産を買って帰る、とのことでロータリーの方向へ馬車を走らせていった。
「あら、お姉様。と、ドロシーさん」
「あら、シスター・エミー。ごきげんよう」
バチバチッ、と火花が散ったように見えた。あろうことか、光の精霊たちが戦闘態勢を取っている。
「ちょっ、ごきげんよう!」
慌てて二人の間に割って入り、精霊たちの毒気を抜く。面白いことに、精霊たちは私の存在を無視できないみたいだ。エミーの性質によるものか、私の『半精霊使い』の性質によるものか、それはわからない。
「シスター・カミラにお会いしたいのですが」
ドロシーとエミーを交互に見て、二人を落ち着かせる。まるっきり、本妻と愛人の戦いに割って入る駄目亭主だ……。
カミラ女史に取り次ぐまで、光の精霊たちが臨戦態勢だった。ドロシーの何が、エミーを刺激しているのかは窺い知れない。エミーに訊いてみたいけれど、それはきっと藪蛇なんだろうなぁ……。
「これは……修羅場か何かですか?」
カミラ女史は、私たち三人を見た時に、怜悧な視線で冷静な表情で言った。
――――よくわかんないですけど、多分当たりです。




