ドロシーとのデート
【王国暦122年7月21日 12:39】
うー、口の中が甘ったるい。
「コウゾ畑の話とか煉瓦とかの話をしにきたんだった」
「あ、そうなの? レックス、サリー、ちょっとシモダ屋行ってくるわ。あとお願いね」
「あ、はい、わかりました、ドロシー姉さん」
素直に頷くサリーの口元も、綿飴でベタベタになっている。ついでにカウンターにいたフローレンスとペネロペ辺りも順番に食べに来させていたので、全員がそうだ。
「まだ食べるの?」
「固形物を少しお腹に入れておきたいわ」
そう言われると、何となく食べる大義名分が立ったような気になるから不思議だ。
久しぶりにドロシーと二人きりで街を歩く。
「トーマスさんに言われてね。なるべく外を出歩いて、街の様子を見るようにはしているわ」
「それ、サボる言い訳が欲しいだけだよ……」
「わかってるわよ。でも重要なのも確かね」
そう言われると、何となくサボる大義名分が立ったような気になるから不思議だ。
あれっ、ドロシーさんや、何か口が上手くなってないかい……?
『シモダ屋』に入ると、カーラちゃんには露骨に珍しがられた。
「二人一緒なんて珍しいね」
「そうかもね」
「普段一緒にいるのに、変だよね」
三人で苦笑しながら席に案内された。
この三人は道具屋と食堂、という違いはあれど、働き始めた時期が似ていて、しかも同い年だから、『同じ年代』に特有の仲間意識みたいなものがある。
「今日は軽く。生ハムのサラダとパン、果実水」
「私はサバを焼いたのとパン、本日のスープ、果実水」
「食後の甘いものは?」
カーラちゃんの言葉に、私とドロシーはハーモニーを奏でながら言った。
「もう食べてきた」
【王国暦122年7月21日 13:22】
私もドロシーも健啖家だし、その例に漏れず早食いでもある。
サッと提供された料理をササッと平らげると、話を始めた。
「さっきカミラさんに会ってきてさ。もっと広いコウゾ畑が欲しいって話」
「トーマスさんから聞いてるわ。トーマスさんはホテルの方もギルドの方も忙しいから、私に細かいことは任せるってさ」
「ホテルトーマスが落ち着くまで……開業から半年、ううん、一年はかかるかなぁ」
「運営内容が多くて複雑だものね。実務はアンブロズさんに任せるみたいよ?」
「アンブロズさんって、『跳ねイルカ亭』の?」
そうそう、とドロシーは果実水を口にしながら頷く。
「長男に宿を譲ったと思ったら、トーマスさんが引き抜いた格好ね。三男のロナルドさん……は知ってる?」
「ん~ポッチャリさんだとしか」
ダリル・アンブロズさんは初老の紳士で、声が渋い。ヘンケン艦長の声っぽい(オラオラオラオラ、はこの人の方が合うと思うんだ!)。長男に店を譲った、って話は聞いてたけど……。
「トーマスさんによれば、長男よりよっぽど商才があるみたいね。アンブロズさんもそれを気に掛けていて、英才教育のつもりで支配人を引き受けたみたい」
「へぇ~」
「畑の拡張は、ほら、おイモを植えたじゃない? あれでも手狭だから、って、お隣の土地を確保してあったんだって。塀までは不要だろうけど、魔物も野生動物も出るから、最低でも柵は必要だろう、って」
「あー、うん」
暗に私にやれって言ってるのか。そりゃそうだよなぁ……。
「土壌の改良とか。畑の拡張とか、アンタに依頼したいわ。頼める?」
最初から頼むつもり満々のくせに。でも私はホイホイ請け負っちゃうんだ。
「やるやる。ちょっと試したいことがあるんだ。肥料なんだけどね」
「んっ?」
「出所は……まあ、迷宮なんだけど。今後大量に発生……いや生産……されると思うんだ。今のところ迷宮内部でしか使ってないけど、余る可能性があってね。外でどのくらい効果があるのかなぁ、と」
「怪しいものなの?」
「安全性はわかんないなぁ。イモはともかく、コウゾなら実を食べないのであれば、とりあえずの安全性は確保できるかなぁ」
コウゾの実はベリーの仲間で、貴重な甘味でもある。スライム肥料の影響が悪い方向に出なければ、まずまずの結果というところ。
「最悪、誰かに食べてもらうしかないわね」
「うーん、体に良すぎる可能性もあるからなぁ……」
量の調整の実験にもなるだろう。大きすぎるヒョウタンでも作ったろか。
肥料に加えて、ノーム爺さんの面目躍如、一番の得意技だろう土壌改良もやってみたかったから、この話は渡りに船だと思う。
【王国暦122年7月21日 13:40】
紙の生産委託の話も詳細を聞く。
教会でやっている規模の四倍程度を想定しているそうな。
「畑での原材料生産が上手く行くっていうのが前提になるわね。今はコウゾの採取料を懸案してギリギリまで多く作ってる状態だから」
ボトルネックがコウゾの生産量って言うのは、カミラ女史に製法を伝えた時からわかっていたことではあった。
うーん、その辺に生えてる樹木をパルプチップにして、それが紙に出来ればいいんだろうけど。ただ、それはもう、教会でやっているような手工業では無くなってしまう。化学的な手法も必要になるだろうし、迷宮工場の片隅を間借りして作るレベルを超える。
「畑次第ってことね。風呂桶と木枠の網? は比較的すぐ揃うと思うわ。肝心なのは教会で蓄積されている製造に関する知識だから。結局のところ、教会だけじゃ手が足りなくなって、トーマス商店に話が戻ってくるように仕向けている、アンタに先見の明があったってことよね」
「うーん、紙の需要が急拡大したからねぇ……。もう少しゆっくり浸透して、教会関係者だけで話が進むものだとばかり」
紙に関しては想定外が続いている。教会印の紙が売れるのはわかっていた。ヒット商品には類似品が出回るはず。
事実、品質は相当に劣るものの、どこかの業者が製造を試み、少数は市場に流れた。
ところが、この動きは二つのルートで潰された。一つは製造元でありノウハウを一手に持っていた教会。もう一つは販売元であるトーマス商店、というか商業ギルド。
教会は名指しで批判こそしなかったけれど、この業者が教会へ納入契約していた品物を買わなくなった。露骨に排除した……とも言えるし、ちょっとした意趣返しだとも言えた。トーマスの方は何もしなかったらしいけど、嫌がらせを受けて相談する相手は商業ギルドなわけで……。それで自然消滅した、という説明は、なるほど納得だ。
しかしながら、トーマス商店は色々な物を売りすぎでもある。道具屋は雑貨店でもあるのだから、色々売っててもいいのだけど、色々な色が着きすぎていて、このままだと生鮮食料品以外はトーマスの商材になってしまうのではないか、という勢いに見える。
もう少し時代が進んで、たとえば下着だけでお店が構えられるほどの品揃えが可能になったり、紙だけで商売が成り立ったり、綿飴……はないな……とまあ、『専門店』が存在できるまでに市場が成熟したのなら、そこで初めてお店を分ければいいのか。
どうも『使徒』絡みで先への影響ばかり考えちゃう癖がついてるなぁ。良い言い方なら未来志向なんだろうけど、不都合で不幸な未来をチョイスしないように、怖々と生きている気もする。
「明日一日空けるからさ。畑の下準備やっちゃおうよ」
「明日……明日……は迷宮に行く用事があるからちょうど良いわ」
予定を思い出しながらドロシーは首肯した。
「煉瓦工場?」
「一度行ったきりだったし。話を貰った時は驚いたわ」
「ベッキーさんがご懐妊だもんなぁ……。ドロシーは事前に話を聞いてたんだね」
「うん、ホテルだけでも忙しいのにね。アンタよりトーマスさんの方が多忙で死にそうだわ」
いいや、敢えて言わせてもらおう。私は、つい先日、多忙かつ死にそうな戦いをしてきたばかりです!
「そうかもね」
とりあえず、そう言っておこう。
「じゃあ、明日朝イチで畑に行くわよ。場所を指定しないと作業できないものね」
「肥料を用意するにも広さがわからないとなぁ」
「ま、明日見ればわかるわよ。煉瓦の方だけど、今のところは建設ギルド向けだけで手一杯ね。建材の品質については私はわからないから……何日か通うつもりよ」
片手間にしては目が真剣。ドロシーにしてみれば二店目を任されているようなものだもんな。これはとても凄いことだと思う。エドワードが気後れしているのは、ドロシーの立場的なものも影響しているんじゃないだろうか。
あ…………。
だから冒険者ギルドの幹部になろうとしてるのか。血筋を頼れないエドワードからすれば、身一つで彼女に釣り合う男になるためには、冒険者ギルド内部での地位をあげるしかない、みたいな?
うーん、立場に拘る男の発想だなぁ。でも、決意みたいなのが垣間見えてなかなか気持ちがいいね。
「煉瓦焼き職人さんたちは女の子に飢えてるから、親切に教えてくれると思うよ?」
ニヤッと笑っておいた。
【王国暦122年7月21日 15:54】
迷宮へ向かう。
今日は肥料の在庫を見にいく。ポートマット西迷宮の西エリア第三階層。悪臭漂う魔窟だったのだけれども、脱水して湿度を下げただけでも相当に臭いは減った。
それでも、このエリアの担当魔物はラバーロッドで、臭いが染みついて、本来は黒い表皮なのに、少し茶色く変色している。短期間でこれだから、長期間の使役で、別の魔物に進化(?)してしまいそう。スライムが歩く肥料なら、このエリアのラバーロッドは歩く汚物みたいなもので……。外部と直結している南エリア第三階層、連なる西エリア第三階層の守りは盤石と言える。人間に対しては、と注釈はつくけれど。
鼻の穴のない人間――――クリ○リンのことかーっ! ――――がいるなら、このエリアは迷宮の弱点でしかない。それでもまあ、ラバーロッドは結構強い部類だし、倒しても相手は毒にまみれるから、同種じゃないと攻めは難しいんじゃないかな。
乾燥させた肥料は半メトルx半メトルの正方体にして、肥料倉庫に積み上げられている。まだポートマット中の下水が来ているわけじゃないから、四個ほどか。馬糞だけを食べて育ったスライムの死骸(を乾燥させたもの)、と考えると結構な量とも言える。
これ、『道具箱』に入れるの、嫌だなぁ……。これだけの臭いがあるということは、多種多様な菌が繁殖しているということでもあるから、一定の大きさ以下の生物を殺してしまう『道具箱』に入れて変質させてしまうのもよろしくない。
「専用の容器を作るか……ノーム爺さん、薄い陶器の皮膜、みたい感じの容器が欲しいんだけど」
《ほう…………?》
精霊に悪臭は関係ないのか、私の嫌悪感は伝わらなかった。だけど、肥料キューブがすっぽり入る容器を作ってくれた。スライド式の蓋が付いているので、これならこぼれることもないだろう。だけどまあ、容器と中身を含めると、かなりの重量になってしまった。これは人間の運べる重さではない。
そこで『ロダ』をこの階層まで入れて、直接運ばせることにした。キューブ容器は二個作り、それぞれトーマス商店の日光草畑、その門前にデデン、と置き去りにした。
もちろん、使用後は『ロダ』には『洗浄』『浄化』をしておいた。
【王国暦122年7月21日 18:16】
公衆浴場へ。
迷宮関連施設で働く人たちにはかなり認知されてきたようで、男湯の方は大混雑だ。
女湯もそこそこ混んでいたので、サッと体を洗って、サッと湯船に浸かって出てくる。
「最近は素人さんも減ってきました」
ちょっと偉そうに、奴隷頭のクレメンスが報告してきた。彼の言う『素人』とは、湯船に入る前に体を洗わない不届き者のことだ。
ここでは、迷宮のオーナーたる私がルール。
『いかな身分の人であっても当店の方針に従って頂きます』
という高飛車かつ、貴族制度クソ食らえの文言が浴場の入り口に掲示してある。
浴場に入る、ということが、この文言を認めたということであり、それはたとえ国王スチュワートが来場しても変わらない。
法的に問題ない、ということはトルーマンからお墨付きを貰ってもいる。これは娼館などにありがちな規則と同様であり、元の世界でもそうだったように、風俗営業法が適用される職種ってことなんだろう。
とまあ、奴隷とはいえ、屈強な男たちが、『先に体を洗って下さい!』と(半裸で)腕を組んでプレッシャーをかけるのだ。渋々にでも従うというもの。先に掲示した文言は、奴隷たちに浴場内部の衛生管理を任せる以上、奴隷が一般の客に対して指示や指導をすることへの、お墨付きを与えなければならなかった、という事情もある。
女湯の方は、実はそういったことはノータッチになっていて、男湯の方から時々叫ばれる、『先に体を洗って下さい!』が聞こえるため、綺麗に使った方が後々自分たちのためだ、という自浄作用にも近い現象が起きている。
元々、女性の入浴、というのは湯船に浸かることではなく、長い髪を洗うという、洗濯に近い『作業』であったことも関係しているように思う。だからまず髪を洗い、ついでに体を洗い、さらについでに浴槽に入る。
今のところ問題は起きていないし、クレメンスの言うところの『素人』が減ってきているために利用客同士で注意しあう環境になってきている。
それでも、女湯には女性スタッフが三~四人は欲しいところ。こういうのは若い女じゃなくて、元気なオバちゃんがいいなぁ。
また、男湯のあまりの混雑ぶりから、クレメンスは入場制限を提案してきた。
「このままでは裸の男たちが脱衣所に溢れてしまいます」
「それはそれで……いや、本営業になったら激減してちょうど良くなると思うよ?」
そう、いまだ公衆浴場は仮営業中。浴場の使用料は無料なのだ。
「石鹸や手ぬぐいが売れているので、今のままでも利益は出ていますが……」
そりゃあ、燃料代もないし、せいぜい奴隷に支払ってる賃金くらいじゃないの? 黒字になるのは当たり前なんだから。
「混雑で問題、ね。本営業を始めても解消しないようなら考えようよ。策は幾らでもあるしさ」
「はぁ」
少しクレメンスの顔に疲れが出ているか。でもまあ、それも今のうちだけだよ。適正の利用者数になれば上手く回転するさ。多分。
クレメンスと別れて二階の軽食堂へ。
「うわっ」
こりゃまた大混雑だなぁ。
「マスター、今の時間からが混み合うんでさあ!」
コルンの顔は、揚げ物の作りすぎでテカテカしている。これはこれで体調が心配になるテカりだ。
調理作業を見ていると、ひっきりなしに魚のフライを揚げていて、油の温度管理が難しそうだ。火を使っているわけじゃなくて、ここの厨房は火系魔法で熱した鉄板を熱源にしている。魔力コンロというやつだけど、これだけ頻繁に調理作業をしては道具のキャパシティを超えそう。鉄板は暖まるけれど、そこに載せられている鍋や、鍋に入れられた油はすぐには高温にならない。
「うーむ……」
揚げ物専門の調理器具が必要かもしれない……。
元々、魔力コンロしか備え付けてないのは、火災対策でもある。一定の温度に上昇すると、魔力コンロは温度を下げるようになっている。サーモスタットの発想に近いけれど、そういう動きになるように魔法陣に記述されているだけ。『綿飴くん一号』に実装してもいいのだけど、かなり魔力食いで、迷宮のそばだからこそ使用可能な調理器具でもある。
「丁寧に素早く提供するには、コルン、君の力が必要だっ!」
「マスター! おりゃあ頑張るよ!」
「火事には注意ね!」
火事になったらグラスメイドたちが総出で消火に来ると思うけどね!
忙しそうなコルンと配膳担当の奴隷たちに手を振って、帰宅の途へつく。
――――夕食のデザートが、また綿飴だった罠。砂糖ばっかり食ってられるかっ!