月光の部屋
【王国暦122年6月28日 5:48】
ものすごく当たり前の事なんだけど、この世界には『明けの明星』『宵の明星』―――つまり金星―――は存在しない。
この時間、月が出ていないと、西の空はまだ夜の世界で、元の世界の都会で生きていた時には見られなかった、夥しい数の星々が瞬く。
それでは、『瞬いていない』ように見える星、惑星があるのか、というと、判別しづらいけれど、あるにはある。
赤星、白星、青星、と俗に言われる星(確かにこの三つの星は瞬いていない)があって、一応は存在する神話らしきものによれば、これらは神の『使徒』を表しているのだという。
「ぷっ」
アマンダはエルフだったけれど……口調は荒いし、食いしん坊だったし、人間味のある存在だった。それが今や、比喩ではなく天に昇っている。赤、白、青のどれかの星になってるんだろうか。
今のところ、ガラスや水晶を使ったレンズというものは普及していない。それでも先日、プロセアの船を奪取したときに、遠見用の望遠鏡が発見されたっけ。遠見とは言っても五十メトル先くらいにしか焦点が合わない、いわば儀礼用の道具だったわけだけど、発想としては既に存在している。初期の遠洋航海術もあるわけだし。
だから、いずれは他の惑星も見つかるんじゃないか、なんて思ってるし、望遠鏡、顕微鏡、眼鏡……が普及するのは、そう遠くないんじゃないかと思う。
そもそも、この世界の人類発生から間もなくして、石器程度はあったはず。ない方がおかしい。だから、ガラスを加工する、という発想そのものは物凄く昔から存在しているはず。
ただ、広めるにしても注意深くやりたいところ。例によって『使徒』のNGサインに引っかからないように生きていかなければならないから。
個人的には――――眼鏡を作りたいところ。
具体的には、カミラ女史にプレゼントしたい。彼女は実際に視力が悪いはずだし……眼鏡が似合いそうだ。
あとは、先日の石工作業時に思ったのだけど、防護眼鏡があれば効率が上がりそうだなぁ、と。これもヒマになったら着手したい。
で、ですね。
迷宮に向かいながら星を眺めつつ、深遠なる宇宙について考えていたのは、とある魔道具の着想を得るため。
月。
今は新月に向かっていて、正確に毎月十五日が満月になる。昼でも見える『白い月』、これが『一ヶ月』の始まり。グリテンには四季があるので月の通り道―――白道――――は角度がズレていく。たとえば春は鋭角だし、秋に向けて鈍角になっていく。
正確に測ったことはないんだけど、月までの距離がわかれば、大まかな『この星』の直径やら軸の傾きやらがわかるんじゃないかなぁ。以前、月に向かっておしおき……じゃない、『計測』をしてみたけど、スキルが反応しなかった。距離が問題なのか、対象として認識されてないのかわからないけどさ。
ガラゴロパカパカゴロガラ…………。
途中、大音響を響かせて、トーマス商店の馬車とすれ違う。お店に向かっているのだろう。
朝イチ納品の馬車で、常に二台編成。一台は未だ売れ筋だというポーションと錠剤を満載した馬車、もう一台は護衛で、『第四班』のうち、五人が乗っているはず。
トーマス所有の奴隷たちは真面目に働いているようだ。基本的に無休なんだけど、早番、と呼ばれる組は、元の世界のお豆腐屋さんみたいに、夜に起き出して深夜にポーションを作る。納品係の組、日光草を管理する畑組、と分かれている。
各組のローテーションは行われていない。早起きなら早起きに体を慣らしてしまった方が楽だ、というのはトーマス商店の従業員が身をもって証明してるし。
あー、何も思いつかないまま迷宮に到着してしまったー。
要するにですね、月光草の移植、栽培ができる環境の再現、それを可能にする魔道具群……を開発しようと思っていたわけなんです。
【王国暦122年6月28日 6:09】
「小さい隊長、おはようございます」
「ラナたん、おはよう-。っていうか『第四班』のリーダーはラナたんなんだから、隊長はやめようよ……」
「いいえ! 小さい隊長は永遠に私たちの隊長です!」
鼻息荒く力説された。今日、ラナたんの班は『工場』を含む周辺の警備担当らしい。
「あ、靴の購入は無理させちゃってごめんね。ホント助かったよ」
「いえ、良い経験になりました……」
ブリジットにイヤミを言われつつも、本部の幹部連中に『雌牛の角亭』へと拉致されたそうで、グロッキー状態のまま、翌日早朝の特急馬車に押し込まれたそうな。
「それはそれは楽しかったでしょう」
「恐縮しっぱなしでしたよ……」
ラナたんが苦笑して、私も釣られて笑う。
「あはは」
「そうそう、ラルフに増員の話をしたそうですね」
「うん。前向きに検討した方がいいと思うんだ」
「そうですねぇ……」
「ああ、『加速』の件ね。今手元に魔法書がないから、持ってきてくれれば、今日にでもやりましょう」
ラナたんの顔がパアアァと明るくなった。
「本当ですか! ぜひお願いします!」
「それじゃ、公衆浴場の休憩所で。昼食の後にやりましょう」
「はい!」
ラナたんは早速、荷物の護衛に向かったメンバーに向けて短文を打っていた。私の方は奴隷頭クレメンスと料理番コルンに短文を打っておく。『お昼過ぎにゲストを連れて行くので試食の料理を宜しく』と。すぐに『了解マム』と返信があった。クレメンスの心中はわかんないけど、コルンは料理をする毎日が楽しいらしい。奴隷根性が身についたのなら重畳というもの。別に逆らってくれてもいいんだけどさ。その時は領主に売るか、他の奴隷商に売るだけ。反乱予防策としては、それとなく他の奴隷の末路を話している。いかに現状が恵まれているのかを滔々と説く。嘘は言ってないよね?
あとはベッキーにも短文を送っておく。ベッキーはお休みの可能性もあるけど、必要ならフェイ辺りに内容を転送してくれるだろう……。通信端末を持つということはそういうことだし。念のため、『時間の余裕はありませんので……』と付記しておいた。前みたいな講習会モドキに担ぎ出されるのは困っちゃう。
【王国暦122年6月28日 6:34】
そうだ、元の世界でも、夏休みの宿題は九月一日になってからじゃないとやらないタイプだった気がする。追い込まれないと体が動かない……。ピンチじゃないとチャンスにできない……。
「まるでジャ○プの主人公じゃないか……」
様々な主人公を一括りにするという暴挙に出た私は、『工場』から西エリア第四階層へと降り立ち、太陽の運行を再現する魔道具を作る。ロンデニオン西迷宮で散々作っていたこともあって、設置を含めて一時間で終わる。
問題はプログラムの方で………。
普通の作物なら、太陽を模倣すれば十分。植物に必要なものが光合成だとわかっているから。
でも、ここで栽培する予定なのは、か弱い月光草だ。
考えてみたら、月光草の生態ってかなり謎なのよね。
何となく名前のイメージから、月を再現した機構を考えていたけれど、植物なんだから日光でいいんじゃないか。
太陽光の模倣として熱も伝えるべきか、月光の模倣として捉えて光線だけにするか。
「んー、それも含めて調査してみるかなぁ」
六人の修行というものが、揃いも揃って月光草を眺め続けるという、ある意味で修行らしい修行になりそうな気配に、一人ほくそ笑む。
【王国暦122年6月28日 10:34】
どのように日光再現魔道具で月光を再現するのか……についての考察はちょっと置いておいて、西エリアの第二階層、第五階層にも、第四階層と同じ仕様で設置をしてみた。ロンデニオン西迷宮では途中で土作りに入ってしまって中断している、迷宮農業の実験施設。
今回は特に土を作ることなく、お手軽にやってみたいと思っている。ポイントは水耕栽培なわけで……。実験の結果、月光草が土壌を必要とするなら、やっぱり土作りから始めなければならない。
対して、元の世界の知識からすると、トマトに関しては水耕栽培は問題なく可能だと思う。ノウハウの蓄積こそが大事になる。
これは第二階層でやってみようと思う。
残る第五階層は、お米を栽培してみようかと思っている。一つにはお米が南方の植物であること。迷宮に限らず、土中は深く掘れば気温は上がる。なのでなるべく暖かい場所が適しているだろうと思ったのだ。ああ、稲の水耕栽培なんてあんまり聞かないから、ここも実験次第ということになりそう。
迷宮施設の方はいいとして、問題の農作業担当は、リヒューマンの三人を起用する。
「マスター、農業について我々は素人なのですが……」
「ケリーくん、何事もやってみてから、だよ。嗅覚については通常の人間と同様と思っていいのかしら?」
「は? 臭い、ですか? はぁ、生前と変わらないと思いますが……」
「南エリアにスライムがいるのは知ってるね? そのスライムは、死亡直前に西エリア第三階層に移動してから死ぬようにしてあるんだけど。この死骸は肥料で、水溶性ね」
「もしかして、ものすごく臭いのですか?」
察しがいい。
「うん、ものすごく臭い」
私はニッコリ笑った。三人組はいやそうな顔をした。
第四階層に移動して、石の桶を十二個作る。
「ここに『飲料水』で水を入れて、あの臭い肥料を混ぜて、濃度を段階的に高めていって、どのくらいの濃度が適切か、判断してほしいんだ」
「適切かどうかの判断はどのようにすればいいのでしょうか?」
「この種から出た芽の生育が最もよかった物ということで」
ロンデニオン西迷宮で遺伝子改良を施した……第五世代トマトの種をケリーに渡す。
「はぁ」
「まずはちゃんと発芽するかどうかだね。『どのくらい育ってるのか』なんて曖昧なものは、人間じゃないと判断しづらいでしょ?」
「これは……マスターにとって重要なことなのですね?」
ブレットが口を挟む。
「うん、重要だよ。金銭的にも、食文化的にも、迷宮の地位向上にも」
「迷宮の地位向上ですか!」
ハンスが力強く叫んだ。
「なるほど、それは大事に違いありませんな!」
ケリーも同意した。
どうやら、畑違い(水耕栽培の現場だけどね!)の命令をされることにストレスがあったみたいで、『迷宮のため』で納得することで心的な折り合いをつけたようだ。
「『太陽光』の調節や、魔物の配備は、めいちゃんに言ってね。光量も発芽に関係すると思うんだけど……それも一緒に調べてくれると嬉しいかな」
現在は十二時間を1サイクルとして、六時間目に最大の光量になるように設定している。夜の設定をせずに、一日二回、お昼が来るわけだ。気温調節やらも本当は必要なんだろうなぁ。
「はい、お任せください、マスター」
恭しく三人は合掌をした。
この作業は、迷宮的には全自動のシステムをデザインしておきたい。ケリーたちの寿命がどのくらいなのか不明ということもあって、最終的には魔物なり、グラスメイドなりを使うことになる。
グラスメイドならある程度の判断は可能だろうと思う。苗の選定なり、食材加工の指示、出荷の判断……。でも、それを確立させるのは、人間の目の方が正確だし容易だろう。
一度軌道に乗ってしまえば、千年以上、全自動でケチャップとお米を生産し続けるとか…………素敵過ぎる。それで稼いだお金はどうなるんだとか、そういうことは考えてはいけない。
【王国暦122年6月28日 10:58】
地上に戻ると、ラナたんが花丸をほっぺたにつけて走り寄ってくるのが見えた。
「隊長! 簡易スクロールを預かってきました!」
「ありがとう。うーん、どこでやろうかな」
思案顔で周囲を見渡していると――――。
「魔術師殿! それは是非、我が演習場をお使い下さい!」
爽やかな提案が耳に入ってくる。おい、騎士団に演習場を提供してるのはこっちなんだよボケ、と反論しようと振り向くと、えーっと。
「ロリン、さん」
「はい! ロリンです! 名前を覚えて頂いて光栄です!」
大げさに喜びを見せたロリンに嫌悪感が湧きあがる。内心で舌打ちを十回ほどしてから体裁を整え、作り笑顔で応える。
「いやあ、詠唱するだけなので演習場を使うこともありません」
「いえ! 是非!」
面倒くさい人だなぁ。
「それに、使用許可はロリンさんが出すものではないのでは?」
「いえ! 本日は魔法隊が使うことになっておりますので問題ありません!」
チッ。これ以上は断り続ける方が面倒か。
「わかりました。今から伺います。ラナたん、チームの人で手空きの人を全員呼んできて下さいな」
「あっ、はい!」
ラナたんは私の感情を知ってか知らずか、嬉々として通信端末を操作し始めた。事前の連絡は終わっているわけね。
「じゃあ、行きましょう」
あー、めんどくさー。
【王国暦122年6月28日 11:12】
迷宮演習場はよく見れば巨大な四角いクレーターのようなもの。魔導灯に照らされているとはいえ、石壁の側は相当に薄暗い。
それ故に集中できるというものだ。
魔法隊は午後から使う、とのことで、それまでは『第四班』が使うことになった。
「まず詠唱の前半部分だけでも覚えちゃおう」
ベッキーさんからラナたんにレンタルされた『加速』の簡易スクロールだけど、眺めて見た感じ、これは相当に長い。生活系魔法が一分ほど喋り続けていたのに対して、こちらは三分ほど喋り続けることになる。
三分、といえばちょっと長い歌謡曲くらいのものだけど、音の調子もバラバラで、意味をなさない歌詞(?)は、覚えるのに苦労しそう。これ、普通に丸暗記しないといけないんだろうか。
「ラララララーララルルララララララウルルルウウルルラーララララルルラー、サン、ハイ」
「ラララララーララルレララララララウルルるウウルルらーラララらラルラー」
こんなのが延々続く。うーん、これは視覚化すればもっと簡単にマスターできるかもしれない。
しかしなぁ、楽譜化するにしても楽譜の読み方から覚えさせないといけないし、それは例によって、簡単にしようとしたら面倒になる、いつものパターンに陥る可能性が高い。『楽譜』自体は、驚くべきことに五線譜が存在している。教会でマリアに見せてもらったことがある。思いっきり元の世界のイタリア語が書かれていたので驚いた。
そういえば『スコア』だっけ。彼女が確立させたものなんだろうか。文化ハザードではあるだろうけど、芸術性が高いのなら『使徒』のチェックも緩いのかしらね。
「サン、ハイ」
まずは全体像を把握させちゃおう。なーに、世の中の中級冒険者が通ってきた道なんだから、きっと出来る!
「ルル、ララ、ルルル、ララ、ルラルララルー」
うーん、埒があかないなぁ。これ、再生プレイヤーみたいのがあれば、私がいなくても良いわけだよね。魔道具で作るとちょっと複雑になっちゃうか。一見、『使徒』に警告食らいそうだけど、音声を記録/再生する魔道具っていうのは、かなりレアだけど存在する。
「光球でやればいいか。―――『召喚:光球』」
大きめの光球を出して、
① 『集音』スキルで音声を波として捉える
② 捉えた波を『転写』で一時的に保存。保存先はオーブそのもの
③ 風系魔法で波を一定方向に向けて再生
④ 以下ループ
と設定してみた。
――――補助魔法:録音を習得しました
――――補助魔法:音再生を習得しました
おや、新規スキルになったか。
ちなみに②は『記録』というスキルでも可能。『転写』の亜種だと思うけど、どちらでもいい。『録音』も転写の亜種なんだろうね。結局、魔力って波の性質を持ってるから、光だろうと音だろうと、記録できる波があれば何でもいいんだろうね。
「ちょっと音を記録するから休憩してて下さいね」
そろそろ喉が枯れ始めた『第四班』を休ませて、全編を歌ってみる。
「―――――――ルラルラルルールルルラララールララララルー」
と、歌い終わったところで自分の魔力が反応して『加速』LV1が発動した。リズムの差異には厳しい反面、音程は少し変えても問題ないみたい。少々の編曲でずっと歌っぽくなった。
よし、録音終了、と。
「素晴らしいです、小さい隊長」
「これ、歌だったんだな……」
「でも、何だかとても急かされた気持ちになる……」
口々に言う『第四班』の面子の感想を聞いて、なるほど……と思う。
一応、この『簡易スクロール』は歌として通用する。となると、あれか、マリアみたいな『吟遊詩人』的なスキル構成の人が使う、歌う補助魔法って、簡易スクロールを歌いやすくして音読したものなのか。この世界の魔法が詠唱を省略している(発動した魔法陣の転写で代用しているわけね)のを、わざわざ歌にする意味って何だろう。色々な魔法の発動方法がある、って考え方なのかしら。
うん、人に教えることで自分も理解が深まるっていうのは本当なんだなぁ。
「じゃあ、これでもう一回歌ってみましょう」
「はいっ」
まだ気合い十分。百点が出るまで歌い続けて頂きましょう!
【王国暦122年6月28日 12:09】
「ラ………ル………」
フフフ、ザクとは違うのだよ。
渋いオヤジさんはいいとして……声がみんな枯れたね。このままじゃ三分間歌えないね。
「えーっとね。歌止めてね。えとね、みんな、お腹に力入れて声を出してみよう?」
「お……なか……?」
ラナたんの掠れた声がちょっとセクシー。ラナたんはムチムチじゃなくてモチモチだよね。発達しきっていない筋肉っていうのもいいものだなぁ。ブリジット姉さんなんてムチムチしすぎて紫色のオーラが出てるからなぁ。
「そう、発声するには確かに喉を使いますが、安定して声を出すならお腹から呼吸をするように――――ここの筋肉を――――使うのです」
ラナたんのお腹をポンポン、と叩く。ラルフ少年の顔が赤みを増したのを見逃さない。
「はい、では、お腹に手を当てて――――深呼吸をどうぞ~」
ス~ハ~。
ス~ハ~。
演習場に呼吸音だけが満ちて、まるで太極拳(この世界にもあるのかなぁ?)。
今日中の習得は無理だと諦めて、この後は呼吸法の練習に充てることにした。
―――――腹式呼吸は歌手として基本の技術ですっ。




