血の臭い
【王国暦122年4月26日 6:00】
「おや、寝不足かい?」
ゲテ御者こと、サイモンが鼻で笑って話しかけてくる。
「ええ、まあ」
加速を始めた馬車。幌の後ろから見える薄暗がりの王都。冒険者ギルドの建物が遠ざかっていく。
出がけに迷宮の人工魔核に、ありったけの魔力を補充してきた。満タン、とは言わないまでも、二つの人工魔核は順調に稼働していた。
心配だったのは新規の魔導コンピュータに据え付けられた人工魔核。ちなみに元々あった人工魔核/魔導コンピュータは第十二階層と第十三階層に分かれていたけど、新規のものは同じ第十三階層にある。機能的には変わりない。
今のところは安定して二つの魔導コンピュータは連携が取れている。新しい分、処理能力が高い……というわけではないはずなんだけど、元々の方は千二百年も稼働し続けている古参でもある。補修されているとはいえガタが来ていても不思議ではないので、次回に来たときは、その辺の補修もしたいところ。それが終わるまでは、大型施設の増築はしない方がよさそうね。
「寝ます」
短く言って、私は旅装のフードを被った。外套は旅の必需品。くるまって良し。寝て良し、被って良し。プライバシーの確保とまではいかないけど、無いよりマシ。
魔力貯めに入ろうっと。
【王国暦122年4月26日 17:35】
「何も起こらないっていうのが逆に怖いな……」
サイモンがそんなことを言った。
ポートマットから王都に向かう時には例の小屋を利用できるのだけど、王都からの便は近すぎて利用できず、中間点よりはポートマット寄りにある水飲み場で野営になる。
それでも一応屋根があるだけいいか。馬車の中で寝ている人もいるし、馬への給水施設でもあるので、藁で寝ている人もいる。
王都発の便は、これもあってポートマット発の便よりもお値段が安い。改善しようとちょこちょこ拡充されて(それでやっと屋根が付いた)はいるけど、遅々として進んではいない。
理由の一つは、特急馬車がもう少しスピードアップすると、ギリギリ一日で王都からポートマットに到達できるから。サスペンションだかを改良すれば行けそうなんだけど、これについては私から技術を提供するつもりはさらさらない。
手が回らないというのと、王都とポートマットの微妙な距離が、ポートマットの安全保障になっている点が大きい。
グリテン王国が大きく変わって、ポートマットが協調できる政治体制になってからじゃないと。先日、その隙を突かれたばかりだしねぇ……。
【王国暦122年4月26日 22:08】
「んっ」
「どうした? 目が覚めたかい?」
サイモンが欠伸をかみ殺しながら言った。
「んーと」
「ん?」
「ワーウルフ。弱い個体ですけど……四匹。近づいてますね」
「えっ」
「怪我されるのも寝覚めが悪いから、やりますよ」
「あ、ああ……運賃半額でどうだ?」
「いいでしょう」
ニヤッと笑って、一番面倒臭くない方法を取る。
「―――『召喚:光球』」
んー、四匹は群れかぁ。光球を群れに近づける。
召喚物の操作限界距離は飛躍的に延びている。
覚えたてだったころ、二百メトルほどだった頃が懐かしい。
お、いたいた。光球で目視確認。
遠隔操作で、突然群れの足元に落とし穴を作り、落とす。そして埋めてしまう。
ゾンビになる可能性が無くはないけど、土に押し固められて出られず、圧力が高ければ化石になっちゃうだろう。その場合不死者ってどうなるんだろうねぇ……。
「四匹の処理終わりましたよ」
「そ、そうか……手早いな」
目が覚めちゃったなぁ。サイモンには、半魔物蜂の子の串焼きでもご馳走するかなー。
【王国暦122年4月27日 2:16】
「西から三匹。南西から二匹。どっちもワーウルフですね」
なんだなんだ、なんでこんなに魔物の襲撃を受けるんだろう?
この数時間で、これが三度目。さすがに騒がしくなって、他の乗客たちも起きてきた。
「お嬢ちゃん、もしかして。月のモノかい……?」
ドキッ。なっ、何で知ってるんだ!
「いや、ワーウルフがこうも集まってくるのは、乗客が月のモノの時、って相場が決まってるのさ」
え、じゃあ、この襲撃って私のせい? これは盲点だったなぁ……。
そっか、鼻がいい魔物だから、月経の血に敏感に反応するのか。生物として弱ってる時なのは間違いないものね。もうすっかり止まってるはずなんだけど、内部的には、自分の体だっていうのに判断が付きかねる事象だしなぁ……。
「よくわかりませんけど、対処はします。馬車動かした方がいいかもしれませんね」
「ああ、そうだな。そうしよう。みなさーん、ちょっと魔物が来ますので-! 時間的にはかなり早いですけど、ポートマットに向かいますー」
特急馬車にはVIPっぽい人も利用することがあるけど、今回の乗客は剛胆な人が集まってるみたいで、特に文句も出なかった。旅慣れているんだろう。
それにしても、ウィザー城西迷宮が放ったと思われる魔物が処理しきれていないわけね。数が多かったからなのか、排除に回っている冒険者や騎士団の数が少ないのか。
【王国暦122年4月27日 8:18】
早朝とは言えないけど、有意義に一日を使えそうな時間にポートマットに到着した。
「ちょっと予定外だったけどな! 遅く着くよりいいよな」
他の乗客たちも、納得してるようなしてないような、微妙な表情で頷いていた。
「ご乗車ありがとうございました。ああ、嬢ちゃんの蜂の子、美味かったなぁ……」
「ええ、まあ、出所は言えませんがね……。フフフフ」
「わかってる。またのご利用お待ちしております!」
サイモンと助手の御者さんが最後に挨拶をして、解散。
私の運賃は半額になった。用心棒代ということらしい。
十日ぶりのポートマットは、潮の匂いがした。刺身が食べたい。王都では虫かフィッシュ&チップスばっかり食べていたような気がする。断じて、フィッシュ&チップスは魚料理ではない。
あとはお土産を配って回らないとなぁ。ウチ(アーサお婆ちゃん宅)はいいとして、教会、ルーサー師匠もかなぁ。
冒険者ギルド支部の建物に入ると、ベッキーがいた。
「あら、おかえりなさい……」
時間的には早かったわね、なんだろうけど、時期的には遅かったわね、と揶揄したい気持ちもあったのか、ベッキーは口ごもった。
「ただいまです。支部長はいらっしゃいますか?」
ロンデニオン西迷宮と王都騎士団、冒険者ギルドとの取り決めは、ポートマットにも影響する。報告しておくべきだろう。
「うん、中にいるわ。入って待っていてちょうだいな」
と、そこに短文が入った。連名で、『会議』の招集の連絡だった。場所は冒険者ギルド支部長室だと。フェイが動くのを面倒がったと思われた。
【王国暦122年4月27日 8:35】
一番先に到着したのは、なんとユリアンだった。
「実は、乗合馬車の運行が始まったのですよ」
町営の乗合馬車は新西門手前にある『営業所』から夕焼け通りを通って、ギルド支部前のロータリーを往復する―――という路線設定だ。途中、教会と西市場前(停留所からはかなり離れているけれど)の二つに停車する。片道、銀貨一枚は高いのか安いのかわからない値付けだけども、無闇に安い(もしくは無料)だと馬車の運搬能力を超えるし、なかなか微妙な線で決まったものだと感心する。
もっとも、乗合馬車の『営業所』はまだまだ仮設状態で、要するに他に手を取られていて大工の工面が間に合っていない。プロセアから攻撃を受けて傷一つなく撃退したこともあって、周辺の町(無論、王都も含む)から人間の流入が加速しているのだ。
「おう、お帰り。ギルバートには工事関係者用の宿泊所を作ってもらってるぞ」
トーマスが肩を揺らして入ってきた。
「ただいまです。すみません、向こうも色々ありまして」
「うむー」
そうだな、仕方ないな、と諦観で顔を染めて、トーマスは頷いた。
「……まあ……急ぎたくなる気持ちはわからないではないが、何事も順序は必要だからな」
フェイの言葉は、私へのフォローなのか、トーマスのフォローなのかわからない。
「ギルド支部長室だと、いきなり密談という雰囲気になるな」
そんな軽口を言いながら、アイザイアとスタインが入ってくる。軽い安堵が部屋に流れた。トルーマンが一緒だと、場が凍り付くというか、無駄に緊張を強いられる感じがする。それは私だけが感じているのではないのだろう。
「おまたせ―――した」
アーロンはジェシカを同伴していた。副団長であるフレデリカでも良さそうなものだけど、彼女はあまり運営だとか政治的な話だとかには向いていない。ぶっちゃけ脳筋なのだ。
「……集まったな」
冒険者ギルドからはベッキーがお茶を配り、そのまま参加するようだ。
フェイが『遮音』結界を張ると、すぐに私はロンデニオンの状況について報告を始めた。
【王国暦122年4月27日 9:03】
私とロンデニオン西迷宮管理者は別人である。
私と『ラーヴァ』も別人である。
当たり前だけどイコールではない。
これが大前提で、その上で、ロンデニオン西迷宮とポートマット西迷宮は協力関係を結ぶことができた、という報告をする。
「なるほど――――それは確かに重要案件だ」
ポートマット西迷宮が立ち上がったところで、私は特に詳しい説明もしないまま、アーロンら防衛を任せての王都行きだったから、やっと合点がいった、という顔をした。
「決定するまで秘匿する必要性がありましたし、十分な説明ができなかったのは申し訳なく思っています」
「……具体的にはどういう協力をすることになってるんだ?」
「運営上の助言を頂くことになりました。まだ当方は迷宮というものを理解できていない、と感じていますから、ありがたい話です。また、ウィザー城西迷宮の監視についても南北から挟む形で共同で行うことになっています」
「それは―――魔物が監視を行うということか?」
「迷宮所属の魔物の一部に、監視に適した魔物がいるのです。そういった魔物はほとんど姿を見せずに監視をすることが可能です。これはもちろん、ウィザー城西迷宮にも言えることでして……。まあ、ほとんど、一般の目には触れない、と思っていいと思います」
「それは、今まで、気づかれずに我々は監視されていたかもしれない、ということか?」
アイザイアが困惑して訊いてくる。
「そう思っていいと思います。たとえば―――――『不可視』」
ブィン、と羽根が震えるような音を短く立てて、私はスキルを発動して、アイザイアの背中に移動してから、声を掛けた。
「このスキルは光系の、身を隠すスキルですが―――ロンデニオン西迷宮には、このスキルを所持する魔物が大量にいます。ですから、その気になれば、特定の施設に入り込み、破壊活動を行うことは可能なのです」
私は透明のまま言った。アイザイアだけがキョロキョロと背後を見渡している。他の面子は、正確ではないけれど、私のいる位置を感じているらしく、透明な私に視線を向けている。
「……戯れはそのくらいにしておけ。……『気配探知』や『魔力感知』の技能を持っていれば、看破は可能だ」
「いやしかし……これは……」
フェイがフォローをしたにも拘わらず、アイザイアは青い顔のままだ。
「つまり―――我々は、迷宮管理人―――いや、魔術師殿に首根っこを押さえつけられている、ということだな」
フン、とアーロンが鼻を鳴らす。
「それは今さらな話ではあるがな」
ニヤニヤ、とトーマスが笑う。
アイザイアは、軽々しく迷宮の発掘と、発掘後の管理を承認した自分に頭を抱えている様子だ。遺跡が、迷宮が、何なのか、というのは一般の―――――それこそ領主でさえも一般人だ――――人間からは到底想像出来るものではない。
アイザイアはスタインをチラリ、と見た。スタインは肩を竦めてみせた。
「魔術師殿の害になるようなことは一切しない、と確約しよう。領主の名において発布してもいい。仮に殺人を犯したとしても、我々には取り押さえる術がないからな……」
私を抑える法律の制定でも画策してたんだろうな。前にも言われたように、法じゃなくて情で縛った方が、私には効果が高いだろう。
――――領主も色々と考えることがあって大変、ってことね。
次回から新章であります。




