迷宮の厨房
【王国暦122年4月24日 21:11】
半魔物の蜂の子は、ミッチリとした肉と、トロリとした体液のバランスが見事だった。目を瞑って提供されたら、密なカエル肉と思われても不思議ではない。
ああ、いいんだ、ゲテ話はいいのよ。
魔力注入したばかりの人工魔核も心配だったので、食事の後に一度迷宮に戻る。
『……今回の魔導コンピュータ増設により、当迷宮倉庫にあったミスリル銀、及び通常の銀の在庫が極端に少なくなっております』
と、めいちゃんからの警告に、なるほど、と思ったり、危機感を抱いたり。
魔道具作りに欠かせない金属でもあるから、ミスリル銀の在庫不足は切迫した問題だ。
確かに…………猛烈な量のミスリル銀を使っちゃったのは確か。ケーブル然り、魔導コンピュータ然り。
生物を魔物化するのと同様の仕組みらしいのだけど、金属、特に魔力に親和性のある銀は、迷宮の、とある場所に置いておくと、自然に魔力を帯びる。
この現象は『魔化』と言って、基本的にはどの金属でも起こり得る。だけど、何千年かの経験則から、一番魔化効率がいいのは銀である、という結論になっている。金よりも銀の方がいいんだとさ。
で、この迷宮内部で一番『魔化』しやすいのは、人工魔核が封印されている魔力シールドガラスの内部。人工魔核の台座の下には物置があって、ここに銀などを置いて魔化させるようになっている。
なるほど、そうやって千年単位でミスリル銀を作り続けてきたのか。そりゃ、大量にあるわけだなぁ……。
ところが、その大量の在庫が尽きかけていると。
『……魔導コンピュータがもう一台製作できるか、ギリギリの量だと思われます』
いやまあ、まだまだあるじゃん。でも、大量の素材ストックがあると安心するのは、私も同様だよ、めいちゃん。
「ミスリル銀は最悪、錬成が可能だとしても、その元になる銀が絶望的に足りないわけね」
『……グリテン島西岸のパープル東迷宮は、銀の採掘を目的に設置されています。……ドワーフ村鉱山に匹敵する埋蔵量だと推測されています」
「なんですと……」
パープルの町は、めいちゃんが言っている通り、グリテン島西岸、隣国のウェルズ王国にある。確かこの迷宮も休止中なんだっけ。
「……同じくグリテン島南部中央のブリスト南迷宮、カディフ東迷宮も、隣接する銀鉱脈からの採掘を目的に設置されています。……各々、埋蔵量はパープル銀鉱脈の一割ほどと推測されています」
「へぇ…………」
ブリスト、カディフは冒険者ギルドからの話では、通信サーバの設置依頼があったところだっけ。この二つの町は国こそ違えども隣り合った立地よね。パープルはさすがに遠いとしても、ブリストかカディフ辺りならどうだろう。すでに人の手が入っていると問題だけど……。
「黙って採取してしまえば問題ない……」
それこそ、謎の迷宮管理人が魔物の暴力を背景に鉱物資源を人知れず確保していた―――のであればいい。あとは先住権を主張してしまえば資源もゲット、という寸法ね。
これも『迷宮中心思考』ってやつなのかな…………。
王都西とポートマット西の迷宮が落ち着いたら、銀ゲットの旅っていうのも悪くないなぁ。
銀のゲットが本筋として、代替素材の開発(発見?)と、集積化による使用量減も同時にやっておいた方がよさそう。
「ふむ……」
とにかく。
今回やるべきことはやった。そもそも千年単位で行われるべき迷宮の拡充を一気にやっているのだ。未来を先取っている、と言うと格好良く聞こえるけれど、単に生き急いでいるだけかもしれない。
迷宮に籠もって物作りをするのは本当に楽しい。寝食を忘れて没頭できる。魔導コンピュータは作っているというよりは転写と組み立て、という風情だけど、元の世界でいう、プチプチを潰しているような―――。
「王女様の依存症を笑えないな……」
こうやって、思考がグルグルしてしまうのも、迷宮で誰とも会話しないからだろう。
今晩からの迷宮開放。
人工魔核の経過観察と、魔力補充。
それが終わったら一度、ポートマットに戻ろう。
「その前に………」
プライベートルームへ向かう。
今までは料理をするのにホテル区画にある簡易キッチンを使っていたのだけど、プライベートルームにも同等以上の設備があった方がいい。
だって、プライベートルームから出なくて済むじゃないか。
手間を惜しんで盛大に面倒になるパターンは、もう私の中ではお約束なのよね。
【王国暦122年4月24日 21:45】
プライベートルームは第十二階層の1/4を占めているので、そこそこ空間的な広さはある。執務室にある書架だけではなく、書庫がかなりの割合を占めている。
寝室を挟んでお風呂が一応ある。本当に一応、というほどの小さいお風呂。それほど遠くない場所が本の保管庫になっているせいか、このお風呂は使われた形跡がない。もし使うのなら、他の場所に移設することを検討した方がよさそう。
本たちから一番離れた場所に三畳ほどの空間を見つけたので、ここに厨房を作ろうと思う。
まずは台を備え付ける。
用意した魔導コンロは三口。これは火系魔法だけど、炎が出るわけじゃない。元の世界で言う電磁調理器に近い。炒め物に関しては、『炎であぶる』みたいな調理は難しいかなぁ。軽くソテー、程度なら問題ないと思う。
壁に穴を空けて、廊下の天井から空気穴を通す。換気扇がないと、部屋の中に臭いが籠もってしまう。地下の密閉空間でそれはよろしくない。
ダクトはケーブルを通したばかりの、直通換気口に接続。この作業はグラスメイドに手伝ってもらう。ひな形として、ホテル区画の簡易キッチンにも、同じ仕組みでダクトが通されていたから、工程として記録がされていたようだ。
レンジフードをつける。
排気ダクトを含めて、可能な限り、酸化皮膜ができる金属―――ステンレスで覆う。千年とは言わないけど、百年は保つんじゃないかなぁ。
「よし………」
小さいけれど厨房ができた。厨房用品は……あとで揃えよう……。
手持ちの鍋でカボチャを茹で始める。グラスメイドにはカボチャプディングを作ってもらおう。
もう一体のグラスメイドを呼んできて、こっちはトマトを加工しよう。
「トマトは今回、第六階層南西に植えたものと同等品、及び第四世代を使います。一定以上の糖度と酸味があれば、品種、個体ごとの差はあれど、同じようなものは製造可能なはず。つまり、製造工程を揃えるのは当然として、なるべく使用食材の品質を一定にするべき」
『……………………』
グラスメイドがじーっと私の言うことを聞いている。
大鍋にお湯を沸かして、十キロのトマトを全部湯剥き。
トマトが熱くても、そこはグラスメイド、耐熱性はバッチリなのでやってもらう。
皮を剥いたトマトは真ん中をくり抜いて、種を出してしまう。
「この調理では、種を取り除くのは食感を良くするために必須ね。あとは、種を迷宮の外に出さない、という目的もあります。この『トマトピューレ』に限らず、迷宮産トマトの加工食品を流通させる際には、最重視してください」
『了解しました、マスター』
くり抜いたトマトは、お手製裏ごし機―――曲げた木枠に、ネスビット商店製の粗い網を貼り付けただけ―――ですり下ろす。
「これは最初から『泥沼』を使っても構いません。作業としてはカボチャプディングと同じです」
すり下ろしたトマトは大鍋に。ここから加熱して煮詰めていく。
「アクを取りながら、焦げ付かないように時々混ぜながら、水分を飛ばします。この、白い泡みたいなのがアクね。必ず掬って廃棄すること」
『了解しました、マスター』
うーん、ここで『凝水』なんかを使わない方がいいんだよね。加熱によって、徐々にトマトの細胞壁を壊していく、って作業だし。煮詰める作業は一~二時間ってところか。
「最初の半分ほどに煮詰まったかな。一旦ここでレシピ記録終了。これは『トマトピューレ』となります。続いてレシピ記録開始」
『了解しました、マスター』
グラスメイドたちは変わらずにじーっと私の言葉を聞いている。一人が聞いていればいいと思うんだけどねぇ。
『記録開始します』
グラスメイドの宣言を聞いて、作業を続ける。
トマトピューレにタマネギをすり下ろしたもの、ニンニクをすり下ろしたもの、軽く塩、胡椒、お酢、ベイリーフ、クローブを合わせて、煮詰めていく。
これでもう一時間も弱火で煮詰めればフレッシュなケチャップが完成する。ネットリベットリしたケチャップなんかは、コーンスターチを混ぜてたりするんだけど、せっかくだから野菜だけで作りたいよねぇ。
もう一方のカボチャプディングの方は何度も作らされて慣れているのか、グラスメイドの手つきもスムーズだ。プリンダネをプディング型に入れて、新規に据え付けた冷蔵庫に入れた。
冷蔵庫は、いつぞやか作った物とほぼ同じ。ワイン樽はなかったから、ジャイアントモックに体の一部を提供してもらった。四角い木槍を出してもらったので、穂先に相当する尖った上部を平らにして使用した。
天然の断熱材として、木材は非常に優秀。何でも魔法でやっちゃう! という発想を捨てた方が上手くいく場合も多い。
『……お知らせ:間もなく日付が変わります』
めいちゃんのアナウンスがあった。
「予定通り、第一階層入り口を開放。ロンデニオン西迷宮を再開します」
『……了解しました、マスター』
【王国暦122年4月25日 0:00】
迷宮に、雨っぽく青い歌が鳴り響く。実際の天気は曇り。
この歌は迷宮内部全域と、入り口付近で鳴らしている。
今日は同時に、めいちゃんが、再開を知らせるアナウンスもしているはずだ。
『……お知らせ:冒険者と思われるヒューマン個体:二十五:が迷宮内部へ進入しました』
「脅威度は低いね?」
『……脅威度:低、と推測します。『中級冒険者』が七体存在します』
「了解、ありがとう。以降は脅威度の高い個体のみの報告でいいよ」
『……了解しました、マスター』
ケチャップの方はいいとろみがついている。
冷めると塩分を感じにくくなるし、そもそもこれは調味料なので、塩を強めに振る。
「塩は……こんなもの」
長嶋さんかよ! と思いつつ、目分量でしか塩分を伝えられなかったことに多少がっくり。
『了解しました、マスター』
ホントにわかってるのかなぁ……。
ケチャップを冷ましつつ、煮沸消毒した陶器を複数用意しておく。
冷えたところで一度網で裏漉し、念のために『泥沼(水無し)』で攪拌。
「おお……まさに赤い宝石のような調味料が完成した……!」
陶器に小分けをして入れる。十本分採れた。材料の量と製品の量、これが大体の目安になるだろうか。
「この調味料は『ケチャップ』と名付けます」
『レシピ:ケチャップ、仮登録されました』
何度か作ってみて真に確定したレシピになるんだとさ。
お料理に関しては、グラスメイドシステム(というか迷宮システムもそうだけど)がどん欲に情報を集めるように設定されているみたいだ。
その一方でホテル区域にしか簡易キッチンがなく、プライベートルームにはなかった理由を察すると―――――。
「迷宮管理人がすぐに不在になったか、すぐに不在になるか、料理を食べる存在ではなくなったか」
という邪推しかできない。いや―――邪推じゃないな。少なくとも、千年スパンで考えれば、迷宮管理人は不在の時期の方が圧倒的に長いのだから。
一時間ほど迷宮内部の様子を見る。
数十人が入場したみたいだけど、第一階層をちょろちょろしているだけで、特筆すべき行動はしなかった。
二つの人工魔核にギリギリまで魔力を注入して、『黄金虫亭』へ戻った。
―――トマトは水耕栽培にも挑戦しなきゃなぁ。




