停戦の交渉
【王国暦122年4月20日 13:15】
見るたびに、ミノタウロスとオークの戦いは洗練されていっている。
大群が適当に当たるのではなく、お互いに軍勢の端を狙って動き出す。
牽制する魔法持ち個体。わずかにでも数の有利を作りだそうと細かく位置取りを変える。
「接触しますね」
今回はオーク軍が先手を取ったようだ。魔力量ではミノタウロス軍が少し多い。オーク軍は観測班を作って、『ジェネラル』に情報を与えていた。そのために精度が高い着弾点を指定できたようだ。
「見事な……」
「ううむ……」
「……………」
防具も武器もないため、騎士団と単純な比較はできないけれど、転ばされてしまえば結果は同じ。何しろ、耐久力も、歩行速度も、筋力も、ヒューマンとは段違いに能力が上なのだ。
ファリスもパスカルも、当然ながら自分たちの騎士団と戦った場合を想定しているだろう。これは言わないけれど、実は武器を持っている相手に対しての想定訓練もさせている。槍替わりの棒をどちらかに持たせての訓練も始めている。木剣、木盾の導入も検討しなくては。
「―――やめ」
私がポツリと宣言すると、二つの軍はピタッと戦闘を止めた。
お互いの軍は負傷者を回収し、速やかに両側に戻った。魔法持ち個体が『治癒』を使う(実際には『治癒』を使える魔道具なんだけど)と、見学の三人はまた声を上げた。
「馬鹿な………」
魔物に治療の概念がある。それは三人の魔物観がひっくり返る事実だったからだ。
連携を取り、高い知能を持ち、言語を解し、コミュニケーションを取る。これが魔物だというのなら、今まで魔物だと思っていた存在は何と呼べばいいのか。
口を開けて混乱の極みにいる三人に、優しく、声を掛ける。
「下へ戻りましょう。のどが渇いてらっしゃるのでは?」
【王国暦122年4月20日 13:58】
「お疲れ様でした。如何でしたか?」
タンポポコーヒーと甘味料の蜂蜜が配られたことを確認してから、努めて明るい調子で訊く。
ファリスは、自身が持っている感想―――脅威―――を正直に言ってしまえば、友好など望めないことを自覚している。ミノ、オク軍団はさぞや脅威に映ったことだろう。あんなものを足下に置いて恫喝しておいてから親愛の情を見せる私に、忸怩たる感情が渦巻いているに違いない。
これが『領地内に勝手に巣くっている魔物集団』ではなく、『国』扱いを前提に動いているのは優れた洞察だと思う。さすがは国王の政治センス、貴族オブ貴族は伊達じゃない。ま、口添えした輩がいるだろうけどさ。それは、このファリスか、マッコーキンデールだろう。
このロンデニオン西迷宮が不利になるような取り決めが行われた場合は、西迷宮が暴発する事は想定しているはず。ウィザー城西迷宮の認知も今回、謀らずして広く行われたばかりで、魔術師ギルドが当事者だということは、王宮も当然知っているだろう。すでに魔術師ギルドに対して有利な密約さえ結ばれているかもしれない。
「お見事な連携でした。我が騎士団もうかうかしていられませんね」
かといって褒めないわけにもいかない。そんなジレンマが顔から窺い知れた。ここまで表情に出てしまうと、ファリスは本来、交渉ごとにはあまり向かない人なのかもしれない。
「某も、感嘆に値する軍勢だとする感想を持った。先日の戦いで観測された貴軍は、もっと多かったと報告されているのだが?」
「その通りです、パスカル伯」
私は素直に認めた。隠してはいない。見せてないだけ。
「当方の推定では、ウィザー城西迷宮を軽く圧倒する戦力があります。今回、先方からの奇襲攻撃がありましたので、こちらにも反撃の権利がございます。当然ですが、その意志を持っています」
「まっ、待ってくれ……。それをやられたら王都は魔物で滅茶滅茶になってしまう……」
たまらずにザンが声をあげた。一番政に向かないのはザンだもんね。
「もちろん、私とて無為に市民を巻き添えにするのは本意ではございません。ですが、他の迷宮を攻撃し、支配するのは、迷宮の存在理由の一つなのです」
これは本当のこと。
ロンデニオン西迷宮とポートマット西迷宮をリンクしてわかったことだけど、迷宮は本来、リンクによるネットワーク化をして、初めて真価を発揮する。この辺りは、元の世界のコンピュータネットワークの図式そのものだ。さらに言うと、ロンデニオン西迷宮、ポートマット西迷宮の設営時にウィザー城西迷宮は存在していないので、あの迷宮は異分子以外の何物でもない。ザンやフェイ、ポートマット会議が何と言おうと、迷宮的には排除が決定している。『使徒』も止めてないし、あとは私のゴーサインを待つだけ。
ただし、人間的―――グリテン王国的―――には、攻撃は時期の問題でしかない。つまり政治的な問題でしかない。
彼らは今回の見学会に魔術師ギルドの者を随伴させなかった。これは、暗に私の言を認めてしまったということ。
『ウィザー城西迷宮は魔術師ギルドの管轄である』
『魔術師ギルドは王宮の直轄組織である』
『王宮がロンデニオン西迷宮に害意を持って攻撃を指示した』
と、曲解でも何でもなく行き当たる。
この流れを読んでのファリス投入だったわけで、この見学会への招待が『停戦交渉』の促しであるのは正しく伝わっている。過剰に接触してきたパスカル、魔物に対して一番知識があるだろうザン。言われてみれば、この人選は納得だ。
ただ一つ疑問があるとすれば、プロセア軍の防衛、王都第四騎士団の暴走、ポートマットへの補償、『ラーヴァ』捕獲の失敗、王都第二騎士団の半壊……これだけ軍事的、外交的、内政的に不安定な時期に、また国王は側近に好き放題されているということ。
無能を超えた暗君だと証明しているし、だからこそ好き放題にされるという悪循環。
国王のコントロール下で出された指示だとは到底思えないけど、もう、それはどうでもいいこと。
「迷宮の、存在理由……」
「恥ずかしながら……今まで、考えたこともありませんでした……」
本当の迷宮の存在理由と思われるのは、プライベートルームの書架にあった『ひみつシリーズ:めいきゅうのひみつ』に書かれていた(奥付はなかったけど、たぶん学○が発行している書籍のオマージュだ)言葉が真実ではないか、と私は思っている。
それは漫画だから描かれていたというべきか。
サポートロボット『シャコたん』が、主人公『ひろしくん』にこう言うのだ。
『ほんとうに、めいきゅうは、じんるいを、うちゅうをつなぐ、さいこうのそうちなんだ(イェーイ!)』
この台詞を深読みできるかがポイントになってくると思う。具体的には書かれていないんだけど、迷宮が地球(としか思えない惑星)を分割管理している『ゆめのえねるぎー』として示されている。実際に魔力の融通を、ロンデニオン西迷宮とポートマット西迷宮で始めたことで、迷宮をエネルギー源として運用、発想できるようになった。『ゆめのえねるぎー』は、少なくともそれを目指していたんじゃないかと。
つまり、迷宮は、もしかしたら惑星規模のエネルギー管理装置なんじゃないか、そのようにデザインされてるんじゃないかと。
これも、原初の迷宮、と言われるドワーフ村迷宮を調べたりしていけば、そのうちにわかることなのかもしれない。
今は――――目の前の面倒なことを何とかしよう。
「当迷宮としましては、特に攻撃を中止する理由が見当たらないのです」
「お待ち下さい、猶予を、考える猶予をいただけませんか?」
「ロンデニオンに被害は出しません。少なくとも我々の魔物はご覧頂いたように完璧な統制下にあります。ウィザー城西迷宮所属の魔物が暴れるかもしれませんが、向こうの管理下にある魔物の動向にまで責任は負えません。損害賠償の請求は向こうの迷宮に出すのが筋だと心得ます」
「しかし――――」
ファリスが蒼白の表情で抵抗する。ああ……イケメンが憔悴しているのを見るのは後ろ暗い快感があるなぁ……。どうしてだろう、この人を抑圧しているととても楽しい……。
ザンを見ると、悪鬼のような表情で私を睨んでいる。
やむなく陶酔から抜け出す。
ザンが翻意して、冒険者ギルドが迷宮を攻略する! などと言い出したら、それはそれで収拾の付かない混乱をもたらすだろう。だからザンからは絶対に言えない。この場は黙っているしかない。
「迷宮が迷宮を攻める。私たちは迷惑を掛けない。何故、騎士団はお止めになるのですか?」
魔術師ギルド、王宮に責任を持って行かせたくない。本音はもちろんそんなことはしないで、ぶっちゃけてしまいたい。ああ、全力でぶっ潰してほしい! こんな無茶な交渉をしろと命令してくる馬鹿な王と、傲慢なマッコーキンデールに!
そんな声にならない声がファリスから立ち上るのが見えた。ファリスのイケメンが明明後日の方向に何種類もの表情に分かれて飛んで、変形していた。
もはや、怒っているのか泣いているのか笑っているのか悲しんでいるのか悔しがっているのか、どういう表情なんだかわからない。竹○直人でも再現が不可能だと思われる。
私、サディストなのかなぁ。凄く、凄く萌えるんだけど。
「私たち! 騎士団が! 全責任を持ちまして! その威信と矜持をかけて! ウィザー城西迷宮には、これ以上攻めさせません! ですから、お願いです! この迷宮が攻め入ることだけは! お止め頂きたいのです!」
あのファリスが床に顔を擦り付けた。
「わかりました。折れましょう」
私はあっさりと折れた。
本当はこんなことでは折れない。迷宮の存在理由を無視してしまうことはできない。だから、止めるだけ。準備は怠らないようにする。あとは単純に面倒で、私の本体がロンデニオン西迷宮に常駐しなければならない事態を回避したかった。もう一つは『魔物使役』スキルの存在も警戒しなければならず、魔物軍が単純に攻めるのは危険が大きいということ。
「本当ですか―――」
「ただし。これはファリス騎士団長。パスカル騎士団長。ザン冒険者ギルド本部長。それぞれに『貸しイチ』です。まあ、最終的には、貴方がたの本当の望みと合致してくるとは思いますが」
三人ともハッと私を見つめた。
「その時期は今ではないでしょうね。もう少し先の話になるでしょう。未来の同志のためにも、ここは折れましょう」
「ありがとうございます」
「顔をあげて。顔を拭いて。普通に座って下さい。…………幾つか条件を申し上げます。よろしいですか?」
この辺が妥協点ですよ、とザンを見る。
これが、ザンが望んだ形の会見なのかどうかわからないけどさ。
「はい」
ファリスの顔は、まだ少し歪んではいたけれど、イケメンを取り戻しつつあった。さっきの表情なんて、実に人間ぽくないけど、逆に人の子なんだなぁと好感を持った。
「まず、この区域―――『エリア』と呼んでいますが、ロンデニオン西迷宮の北東エリア、入り口を中心にして、半径五百メトルを治外法権とすること。同じく、千メトル以内に『軍隊』に相当する軍団が許可なく現れた場合、排除する正当性を認めること。治外法権を侵す、もしくは侵略の意志が見えた場合、今回の約定は無効となります。これらは先住権の主張でもあります」
どこが攻めたのか、とか、どのくらいの規模なら『軍隊』なのか、こちらが恣意的に決定できる穴だらけの取り決め。
「それを認めることで、今回は、当迷宮のウィザー城西迷宮への遠征は取りやめることとします」
「わかりました」
穴だらけ結構。無理難題も想定通り。最大の目的であるウィザー城西迷宮への侵攻は阻止した。あとは些事だ。……という顔になって、ファリスが頷いた。
「では、条約文書を三通作りましょう。一通は当迷宮、一通は騎士団、一通は冒険者ギルドが保管しましょう」
羊皮紙を倉庫から持ってきて、同じ長さにカット。一枚に文言を記述する。
「達筆だな……」
文字の筆記はベッキー由来だったりするからね……。筆跡鑑定みたいな技術があるなら、スキルのコピー元が割れるかもしれないね。
一枚を書いたら、もう二枚にコピー。
「えっ」
グラスアバターの状態でもこの程度の精度ならコピーはできる。
「割り印を押します。お持ちでしょう?」
「あ、ああ……」
パスカルが腰に付けていた小物入れから、金属製の印鑑を取り出した。朱肉にちょいちょい、とつけて、二枚ずつ、割り印を押していく。これで三枚が一組であるとされた。こんなの偽造簡単なんだけどねぇ。何ならいまコピーしてみせるよ?
「ではサインを」
私から書き始めた。名前は無いので『ロンデニオン西迷宮管理者』としておいた。ファリス、ザンも同様にサインをした。ザンは見届け人ということになる。
「以上でよろしいですね。―――アレを持ってきて」
『はい、マスター』
グラスメイドに指示を出して、お土産を持ってこさせる。
「これは―――?」
「先ほど召し上がって頂いた蜂蜜です。二瓶ずつお渡しします。身近にご病気の方がいたり、食いしん坊の方がいらっしゃるでしょうから。三~四日で食べきるようお願いします」
「はい。ありがとうございます」
ファリスはすっかりイケメンに戻った顔を向けて、言葉を続けた。
「一つだけ。どうしても伺いたいと存じます。迷宮管理者殿」
少し言い淀む。これは演技だなぁ。どうぞ、と促す。
「貴殿が『ラーヴァ』なのですか?」
グラスアバターの首をグニャッと曲げる。首を傾げたつもりだったんだけど、ファリスとザンは大げさに驚いた。
「私は、千年前からここにいる、とだけ。答えておきましょう」
「わかりました。失礼致しました。ありがとうございます」
ファリスとザンは直角に腰を折ってお辞儀をしながら合掌した。
地上に出ると、グラスメイドが報告に駆け寄ってきた。蜂蜜を使った焼き菓子を配らせていたのだ。
『配布完了しました、マスター』
「ご苦労様。戻りましょう。それでは皆様、ごきげんよう」
「ガッ、ガラスの少女よ!」
綺麗に見学ツアーが終わる、と思ったところで、パスカルが大声を出して、私を呼び止めた。従者たちを含めて、全員の耳目が集中する。
ザーッ!
滑り込んで大地に伏せたパスカル!
これがスライディング土下座?
「某からも……お願いがございます」
また面倒くさい事を言うんじゃないかと警戒しつつ、言葉を促す。
「某と、けっけ結婚していただけっっけませんか!」
一世一代、魂の叫びで迷宮も震えた。
―――――初プロポーズされました。
『異世界迷宮でプロポーズを受けた』というタイトル、ジャンル:恋愛での短編が書けそうです! 書きませんが!
このプロポーズ、果たしてどうなることやら!




