赤毛のワーウルフ
何だか新しく覚えた『空間レーダー』によれば、もう二体が接近しつつあるようだ。レーダーは、ドーム型の印が視界の右上の方に出て、光点によって敵性存在がマーキングされる仕様のようだ。表示範囲は狭いけど、これは便利かも。
赤毛のリーダーを倒すには、屋根の上に登らなければならない。しかし、カーラの側を離れる訳にはいかない。でも、倒さなければ脅威は去らない。
逡巡する。
包丁はまだ―――ある。これを『光刃』でコーティングすれば、やや強度に不安はあるものの、十分対抗できる武器になるだろう。しかし、短剣を使う姿を連想させるような戦い方をしてはいけない。
逡巡する。
いくつかの逡巡を恐れや戸惑いと判断したのか、リーダーはキラン、と目を光らせると、屋根上から飛びかかってきた。
「ちっ」
持っていた包丁を投擲する。が、角度が悪く、外してしまう。避けるために少し身体を捻ったリーダーも、こちらへの攻撃を外してしまう。
転がるようにして、カーラを庇える位置まで移動する。
「ガァッ!」
ここぞとばかりに牙による攻撃を繰り返すリーダー。
私もゴロゴロ転がり続けて回避を繰り返す。石畳が手にひんやりと冷たさを伝える。
石か。石といえば土魔法だなぁ。うん。
「―――『土拘束』」
イメージだ、イメージ。
石畳が、魔物の足を捕まえる。
「ガッ!」
リーダーの足が止まる。石畳が盛り上がって、リーダーは拘束されることはなかったけど、躓いた。
どうにもイメージ力が足りなかったか。でも、バランスを崩した。それで十分だった。
「――『土刃』」
鋭い、石の刃物。これは想像はしやすかった。リーダーの足下の石畳を変形させる。勢い良く。
「ギャッ」
リーダーは胸辺りから、二つに切れた。前方への慣性がついていた胸から上の部分は、私の方に突っ込んでくる。もう死んでいるだろうけど、少しだけ、目が合う。
―――殺す。
そんな意思に溢れた目と、一瞬だけ。
なるほど、これが蛮勇というやつか。でも、相手が悪かったわね。
すぐに力の抜けた上部分は、私のダイアナ・ロス掌打(攻撃力なし)の前に止められる。
念のために。もう一発。
「――『風刃』」
リーダーを、土刃ごと、今度は縦半分にする。もうさすがに生きてはいないだろう。
すぐに『空間レーダー』に目を移す。
リーダーに呼ばれていただろう二体のワーウルフが、今頃到着する。
私に正対するように、警戒しながらも、仕草には戸惑いが見えた。指示を出していたリーダーがいきなり消えたからだろう。
「――『土拘束』」
両手で、二体に対して、それぞれの足下の、周囲の石畳を、盛り上げて、足首から、一旦柔らかくして、包んでから、硬くする。
「ギャ?」
魔物、獣でも疑問形ってわかるものだなぁ。ワーウルフは、思ったよりは知能が高い魔物なのかもしれない。
「うーん」
もはや、ワーウルフには戦意はない。だけど、殺せるうちに殺しておこう。
「――『風刃』」
両手を交差させるようにして、風刃を送る。指先から、その数だけ風刃が出て、賽の目にワーウルフが切れていく。ツプツプ、と少しだけ肉の抵抗を示す音が聞こえて、怯えていたワーウルフは、瞬時に肉塊になる。
「ギャワワ!」
もう一匹いる。この賽の目切りは風系の魔法ではあるけど、イメージからすると別の魔法かもしれない。スキル名とかは結局自分のイメージや記憶から命名されているようだし、スキル名や魔法名は、結局は、発動キーワードの最後の一部でしかない。
なので、無言で、今の魔法を発動してみる。
「カッ」
声にならない音を発して、もう一体のワーウルフも細切れになる。
―――魔法スキル:風切りLV1を習得しました
ああ、やっぱり。この世界の魔法には無限の可能性があるんだなぁ。
おっと、他にワーウルフは……。
うん、空間レーダーにも、気配感知にも引っかからない。北門にいるのは人間―――恐らくはフレデリカ麾下の騎士団―――だけだ。
リーダーの前に倒したワーウルフの死骸も残っている。短剣を想像させる包丁は引き抜いて―――袋に包む。
「――『風切り』」
近くにあるワーウルフの死骸はもれなくブロック肉に。
ふっふっふ、このスキルは証拠隠滅に丁度良い……。魔核があるかもしれないけど、今はそれよりも優先すべきことがある。
肉の山が五つできたところでカーラに振り向く。ぽかーんと口を開けて、目の焦点は合っていない。放心しているなら丁度良いか。
「カーラちゃん! 逃げるよ?」
私は血を拭うこともせずにカーラを抱き上げる。力持ちはこういう時に便利ね。
北通りを駆け抜けながらも、パッシブの『気配探知』で近くに魔物はいないかどうかをマメに確認する。
うん、危機は去ったと思っていいだろう。
「え、包丁……」
「ごめん、魔物の血がついてる。諦めて?」
「いや、魔物を切れるものなのかな、って」
包丁を入れる目というのがあるんどす。切ろうと思えば匠の包丁ですもの、何でも切れますわ。
「ああ、あれは魔法だよ?」
うん、全部魔法ってことにしよう。その方が話がシンプルになる。
「そっかぁ、魔法なのかぁ……」
「うんうん。風の魔法だよ」
例によって、この説明はわかりやすいけれども、正確ではない。
正しくは、魔力で空気の流れを操作して、圧縮して、切り裂くようにイメージをした結果が、ああなった、ということ。
北通りを南に向かっていると、冒険者らしい何人かとすれ違う。彼らは鐘を聞いて北門付近へ向かっているようだ。装備を見た感じでは中級以上の冒険者で、それなりに顔を知っている面々ばかりだ。
「……むっ?」
と、その中にフェイがいた。現場指揮に向かおうというのか、本人が出動すれば瞬時に駆除できそうではあるけど。
「……何事だ? 鐘は北門付近で警戒せよ、と鳴っていたが?」
ああ、全容を掴んでの行動ではないのか。どうも、あの鐘は鳴らし方で方角とか脅威度とかを伝えているらしい。
「ワーウルフが町中に侵入しました。五体を魔法で倒しました。町中にはもう多分いません。北門で騎士団が防戦中ですが、戦闘そのものは終了してるかも。現状把握をしているのは北門にいるフレデリカの部隊だけかもしれません」
もの凄く曖昧に、だけど簡潔に伝える。
「……了解した。その娘は?」
「シモダ屋のカーラさんです。とりあえず店に送ってきます」
「……頼む。……送り終わったら北門に合流してくれ」
「わかりました」
フェイは北門方向に走り去り、背を向けた私はカーラに話し掛ける。まだお姫様抱っこをしたままだ。
「ごめん、ちょっと急ぐ。そのままで我慢してくれる?」
背負った方が安定はしそうだけど、守りにくい。
「うん、わかった」
パニックから立ち直った様子のカーラ。顔を見せているのも安心させることに繋がるだろう。とはいえ、今の自分がどんな顔をしているのかはわからない。鬼のようかもしれないし、能面のようかもしれない。ああホント、鏡が欲しいな!
―――生産スキル:鏡面加工LV1を習得しました
「なっ?」
足下から魔力が流れていく。
走った後の石畳が、ツルツルになっていく―――。
コントロールしなければ! 何もかもがイメージ通りになるのが魔法とはいえ、これはやり過ぎだ! というか、足下からでも発動可能なのか!
「ぬおおおお」
ツル~と滑る石畳に足を取られながら、魔力を制御していく。
よし、大丈夫、暴走してない。
―――補助魔法スキル:魔力制御LV5を習得しました
おお?
ロータリーに入る。
トーマス商店は無事だろうか。うん、ドロシーには守護の指輪もあるし、きっと大丈夫。まさか町中で魔物相手に使うことは想定してなかったけど。
「もうちょっとだからね」
カーラに呼びかけつつ、ギンザ通りに入る。
さすがに鐘が鳴った後の住人の行動は徹底しているようで、人通りは少ない。叫んで注意を促してもいいのだけど、それは私の役割じゃない。
「よし、着いた」
何人かが『シモダ屋』で食事をしていたようだけど、血を浴びた私を見て何事か、と腰を上げて警戒をする。要するに、あの鐘の音を聞いたのに、のんびり食事なんてしているのは、ポートマットの住人じゃない、旅人か商人ということらしい。
「カーラ?」
「お父さん!」
「えーと、ワーウルフが町中に侵入しました。騎士団から安全宣言が出されるまでは警戒を。営業も一時止めて、屋内にて待機をした方がいいと思います。カーラちゃんは大きな怪我はしていないと思いますけど、擦り傷くらいはしてるかも。……それは勘弁ね」
「ううん、大丈夫よ、私、どこも怪我してないよ? ありがとう……」
カーラは私を見て礼を言って、『シモダ屋』のご主人、チャーリーに抱きしめられると、緊張から解放されたからか、大声で泣いた。
困惑しているチャーリー。そりゃ、いきなり血塗れ幼女が自分の娘を抱えて来て、早口でまくし立てられて、その娘が号泣してる状況に置かれても、何が何だかわからないよなぁ。
「あー、それじゃ、私はこれで。北門の状況を見に行きますので」
一応、冒険者ギルドには、所属の町の防衛云々も規約に入っていたはずだし、フェイからも言われているから、行かなきゃならない。
「あ? うん? おお? ありがとう?」
いまだ混乱が収まらないチャーリーと、落ち着き始めたカーラを置いて、駆け足でトーマス商店へ向かう。
「鐘が鳴ってたけど? 何があったの? っていうかその血はなに!」
表入り口から、やや慌てた様子で店内に入った私に、ドロシーがのんびりした口調を一転させて訊いてくる。ああ、『洗浄』使えば良かったか。無用な心配させちゃうかな。
「ワーウルフが町中に侵入したって。今すぐ店閉めて、建物の中に引きこもって!」
「あ~なるほど。アンタが慌てるなんて珍しいわね」
慌ててるのはドロシーの身体を案じてなんだけど……。
「うん、だから、お願い。騎士団から宣言があるまでは、安全なところにいてほしい」
そう言っている間にも、『空間レーダー』をひっきりなしに使って状況の確認をする。
―――スキル:空間レーダーLV2を習得しました
あまりに繰り返して使ったので何だかスキルレベルがあがったようだ。繰り返し使うとスキルレベルが上がる、熟練度の仕様か。
ドロシーはジッと私を見る。
「わかった。店は閉めて中にいるわよ。アンタはどうするの?」
「北門に行くよ。支部長からも来るように言われているし」
はぁ、とドロシーはため息をついた。
「アンタが危険なところに行くっていうのに、私には安全圏にいてほしいとか。待つ方の身にもなってよね」
あ。
そうか、私がドロシーを心配している以上に、ドロシーは私を心配してくれているのか。いつも自分自身の安全なんて考えたこともなかった。これじゃいつかの限界突破の勇者と同じじゃないか。
ドロシーには気付かされることばかりだなぁ。
「……気をつけるよ」
「うん、じゃあ、これ、北門の冒険者さん達に無償配布して」
木箱に入った体力回復ポーションを指差される。
「え、無償なんだ?」
ドロシーはニヤリと笑う。あれ、この笑みは、トーマスと同種のものだ。
「そそ、消費期限切れ間近のものばっかりだし、こういう時に寄付すれば宣伝になるわ」
「トーマスさんの指示じゃなくて?」
そういえばトーマスの姿が見えない。
「トーマスさんはあの後、例の冷蔵庫の設置作業が佳境とかで、港の倉庫に行ってるはずよ。鐘を聞いて戻ってこないから、安全なところにいると思うけど」
「そっか」
トーマスは、この町の商業ギルドのナンバー2だし、状況把握のためには、屋内に引きこもっていられない立場だろう。それに、本人も戦闘には向かないけど防御力だけはある……はず。ワーウルフ程度には後れは取らない……かもしれない……。まあ、本人の戦闘能力が低くても、トーマスはどうにかして生き延びる気がする。から、放っておいて大丈夫だろう。
「よし、行ってくる」
私は木箱を『道具箱』に入れて、ドロシーを真っ直ぐ見てから、トーマス商店を出た。
―――なお、空間レーダーのインターフェイスは、某宇宙戦艦のレーダーに似ています。
 




