果物屋の跡取り息子
「月は昇るし陽は沈む……。くっ……」
港湾事務所への納品が終わって、南通りを北へ向かいながら童謡を口ずさんで目を腫らし、
「童謡で動揺……。くっ……」
ベタな親父ギャグにセンスの無さを呪って絶句する。
一人でボケツッコミは、私には無理なのかな、なんて、異世界の曇り空を見上げる。
南通りは古い石造りの建物が多くて、異世界というよりは異国、の印象が強い。文化的にも中世っぽいし、魔法や魔物やスキルの概念がなければ、ヨーロッパの港町で迷子になって暮らしています、と言われたら、納得してしまいそうだ。
「――『風走』」
もう夕方になる。ちょっとゆっくりしすぎたかな、と反省して、スキルを使う。
ギンザ通りは南通りと並行している。果物屋は、ギンザ通りの外れ、かなり南寄りにあるから、帰りがけにには丁度いい位置だ。この辺りも計算して、ドロシーは私にお使いを頼んだのだろう。
件の果物屋に着くと、声を掛けられた。
「お! ガキンチョじゃねーか!」
イタズラっぽい目つきで話しかけてくる少年……エプロンをしているので店の手伝い中なのだろう……が私を見つけて近寄ってくる。
それにしても何よ、ガキンチョって。
あー、はいはい、ここで「私、子供じゃないもん!」「なにー、ガキのクセに生意気だ!」「生意気じゃないもん!」なーんて会話を期待しての挑発だろう? 少年よ。思い通りには反応してあげないよ。そうはイカのタコ焼きよう!
「あら」
で、えーっと、なんだっけ、こいつの名前、そうだ。
「果物屋のハミルトン」
『鑑定』とかを使うまでもない。そう、一軒しかない、果物専門店の一人息子だ。確か十二歳だったっけか。しっかり者で真っ直ぐな少年だった、と詳細を思い出す。
「そうだよ、ハミルトンだ! なんだよ、ボーッとしやがって。煙に食われちまうぞ!」
まくし立てて言われる。先ほどの買い食いを見られていたのかもしれない。
「いいえ、煙は食べるものよ。質の良い煙は、それだけで看板になるものよ?」
私は(山○さんの)持論を展開する。
「フン! 煙じゃ腹はふくれねえ! パンだけじゃ心は満たされねえ!」
ハミルトンは鼻を膨らませて、私を真っ直ぐに見る。
「そこで、だ。食後に一つ。心が満たされるコレはどうだ」
六個入りパックになった五センチほどの果実。色味は赤黒くてそんなに良くないけど、この香りは……。
「これは何て言う果物?」
「これは『ジク』ってやつだ。見た目はこんなのだけど、中はトロリとしていて甘いのさ。お前みたいだな!」
私みたい? どういう意味だろう?
困惑混じりの苦笑を返す。そして『ジク』を見る。これはたぶん、『イチジク』だ。うん、想像の通りなら食後のデザートにうってつけだろう。食物繊維もたっぷりだし!
「じゃあ、二つちょうだい。十二個もあれば取り合いにならなくていいし」
「あれ、素直だなぁ……」
もっと反論してほしいのだろうか。
「この果物は……。煮込んで砂糖水漬けにしてもいいわね」
ハミルトンの鼻の穴が広がる。
「ハァ!? 果物はなぁ、そのまま食べるのが一番美味いんだよ! 煮込むとかあり得ねぇよ!」
「それは見解の相違ね。加熱することで甘みが増す作物もあるのよ?」
芋とかバナナとか、と言おうとしたが、バナナはこの世界では見たことがない。もっと南の国に行けばあるだろうか。
「それに砂糖とか……。どこの貴族様だよ!」
そう、砂糖が貴重品なのだ。だからこそ、果物屋が庶民の甘味として成り立っている。自分が欲しいからと言って、簡単にバランスを壊すのはよろしくない。
私の感覚は異世界人としては甘いのかもしれない。でも、慎重に考えて行動することは、保身になるはずだ。
「そうだね……。いずれ採ってくるよ」
だから、私にはこうしか言えなかった。
「ハン? 冒険者みたいなことを言って……」
本来なら男である自分が採りにいくから! と言うべきところじゃないの? 何、遠回しに採取デートに誘ってるの? あたしゃ素人の付き添いなんてゴメンだよ?
「私、冒険者だよ?」
「嘘つけ!」
仕方ないのでギルドカードを見せる。こちとら採取のプロ、中級冒険者様であるぞ!
「ま、いずれ、採ってくるね」
私は得意の首傾げポーズ(私の中では悩殺ポーズと同等だ)。ハミルトンの全身から湯気が立つ。
「あ、あとレモン一つね」
「お、おう。輸入物しかないぞ。高いぞ?」
レモンはそのままレモン、という名前で売られている。元の世界の物とほぼ同じ物だと言っていい。
「レモンって、島では作ってないの?」
「お? ああー。作ってるところもあるけど少ないな。グリテン島はあんまりレモンとかの栽培に向かない気候なんだ」
「へぇ~」
米と同じで、温暖じゃないと駄目なのかな。そういえばレモンって、元の世界でも南欧のイメージがあるしなぁ。
イメージといえば―――。
「キスはレモンの味がするっていうけど」
「えっ?」
ハミルトンの目が大きくなる。
「あれ、レモンがキスの味なのかな?」
「ええっ?」
ハミルトンの顔が赤くなる。
「まあいいや、はい、お代」
「ま、まいどあり」
幼気な青少年をいじるのも意地が悪すぎるので、この辺りで終える。フフフ、悪女だわ、私ったら! フフフフ。
「うん、またねー」
手を振って店を出ると、三軒先のドノヴァン酒店へ。酒屋のご主人はごく普通のヒューマンのおじさんだ。飲んべえのドワーフが樽で売ってるイメージがあるけど、それだと商品に手を付けてしまうので、酒屋さんは案外お酒が駄目な人が多かったりする。
「こんにちはー」
「おや、珍しいね。お使いかい?」
「はい、まあ、そうです。ニャックと白ワインを一本ずつください」
ニャックはアルコール濃度の高いお酒だ。蒸留酒の技術はちゃんとあるらしい。ワインは赤白が売られている。例によってグリテン島は果実の生産には向かない土地らしく、葡萄もワインも輸入物の方が質がいい。グリテンから輸出する生産物が確立しないと、いずれ輸入過多で貿易赤字になりそうだ。
「ワインは輸入物しかないよ。ニャックはこれでいいかい?」
ニャックは島内産。少し飲んだことがあるけど、独特の香りがある。これが一般的に飲食店で飲まれているお酒だ。
「えーと、香りの弱い銘柄とかありますか?」
「じゃあ、こっちかな」
透明なやつが欲しかったのだ。
「はい、これでお願いします」
これでお酒はよし、と。
酒屋を出て、ギンザ通りを東に抜けて南通りの方へ―――。
あとは砂糖を入手しよう。
「えーと。サトウ商会……ここか」
これも召還者、それも日本人絡みだろうなぁ、と看板を見上げる。サトウさんが砂糖を売る。クククク……。ツッコミ待ちに違いない、と、商会のドアを開く。
「いらっしゃい(↓)ませぇ(↑)」
「!」
イントネーションが元の世界の某国関西風だ!
まさか、『いらっしゃいませ』一つにもこんな教育を施しているとは、恐るべし異世界人。いや元日本人が凄いのか!
「何をお探しでしょうか?」
「サトウ商店の砂糖を一袋、ください」
一キログラムほどの大きさの袋を指差して注文する。ちなみに重さの単位は『グラム』で示されることが多い。グリテンなら『ポンド』でもいいのにね。あと、正確に千倍なのかは知らないけど、『キロ』も使う。私の感覚では一キログラムはやはり『1Kg』なので、アバウトであっても問題ない。なお、『メトル』で長さを表記するのが主流なので、グリテンなのに『マイル』表記はされない。何でだろうね?
「はい、砂糖を一袋ですね。一五〇〇ゴルドになります。少々お待ちください」
真顔で対応された。スルーされた。これはすべったか!
顔が赤くなるのを感じる。恥ずかしい……。商品を受け取り、代金を置き、小走りに店から出て行く。
「関西風の受け答えを期待していたのに!」
小走りを続けて南通りを北上して、トーマス商店に到着する。
「おかえり。遅かったわね? なんで顔が赤いの?」
「あ、うん、ちょっとね。他にもお買い物してたんだ」
赤面についてはスルー。サトウ商店の砂糖を見せる。
「あれ、お砂糖?」
「うん、ジクで砂糖煮作ろうと思ってさ」
「へえー? いまお砂糖高いんじゃないの?」
「レモンもワインもお高かったよー」
「何か、輸入物は値段上がってるわよね」
へえ、ドロシーも気付いているか。
「海賊が出てるんだってさ。それで船が少ないんだとかなんとか」
「はー、なるほどね。でも変ね?」
「ん?」
「だって、大陸との船のやり取りなら、そんなに距離はないわよね。砂糖とかレモンとかは南の方だからわかるけど」
「ああ……。確かに、ワインまで値上がりしてるのは変といえば変かも」
ワインは、大陸に渡った港から少し奧に行った内陸が産地だ。距離が短いといえば短い。
「便乗値上げにしか見えないけど、そもそも供給量を絞っているかもしれないわ」
ワインは―――水替わりに消費する―――軍需物資と言える。導き出されるのは、嫌な想像だ。
「トーマスさんにも聞いてみるけど。さて、どうなるかしらね?」
戦争、と言葉にしてしまうと、言霊というか、本当にそうなってしまう気がする。だから言えない。
「えーっとね、デザート作るよ」
話題をスイーツに戻す。甘味は食べられるうちが華なのかも。
「なに、どうやって作るのよ?」
「ワインと砂糖で煮込むだけ。自然に冷ましたあとは冷蔵」
超簡単。私の料理はドロシーよりもアバウトで男料理っぽい。食文化ハザードについては、過去の異世界人が色々やらかしてるみたいなので気にはしないけど、やり始めたらかかり切りになってしまいそうで、身内くらいにしか披露しないのが常だ。
「ふうん……」
「トーマスさんの分も作っておくよ。今日は遅いのかな?」
「どうかしら。まあ、お店も閉めちゃうわ。その間にジクの砂糖煮? 作っちゃってよ」
「うん、わかったー」
ドロシーが閉店作業をしているうちに、私は工房で砂糖煮を作り始める。十二個あるけど、六個でいいよね。
白ワインとお砂糖とレモン汁を火に掛けて沸騰させる。アルコールが飛ぶ。
皮をとったジクを入れて十五分ほど煮る。
鍋ごと冷やす際には魔法を使う。別に使わなくてもいいけど。温度調整の魔法が使えなければ流水で。
全体が冷えたところで冷蔵庫(保管庫)に。
「へぇ……ピンク色でいいじゃない」
一通り閉店作業を終えたドロシーがチラリと見て言う。
「うん、果物なら多分なんでもいけるよ。リンゴとかオレンジとか桃とか」
「なるほどねぇ。でも、お砂糖が高くて……」
これはやはり、砂糖の安定供給のため、南方に採取に行かねばならないか! いまは難しくとも、いずれは……。
「夕飯の準備しちゃうわよ」
そう言ってドロシーは二階に上がっていく。私は余ったレモンの皮を刻んで、ニャックに入れる。『道具箱』に入れて時間経過があるのかわからないけども、とりあえずテストとして入れてみるか。
ニャックの瓶と、余ったジクを『道具箱』にしまってから、私も二階へ。
ドロシーが配膳を始めた頃、トーマスが戻ってきた。
「お、来てたのか。港の大型保管庫、近いうちに見に来てくれるか? 作った本人の方が調整が利くだろ?」
帰宅して一言目がそれかい。さすがというか思わず苦笑してしまう。
「設置そのものは終わったんですか?」
「あー、もうちょっとってところだな。密閉するのに手間取っててなぁ」
「明日の昼前くらいにお店に寄りますけど、それでいいですか?」
「ああ、それで構わん」
「はいはい、席についてくださいな。今日はデザート付きですよ」
自分が作ったわけではないのに、偉そうにドロシーが着席を促した。
「そうだな、食おう食おう」
「はーい」
そして夕食後、デザートのジクの砂糖煮がドロシーとトーマスから絶賛されて、私はちょっと鼻高々になった。
―――ママレードもコンポートの一種なんですよね。