肉屋のマイケル
「うおー腹筋痛いー」
エミーに治癒魔法を使ってもらえば良かったかなぁ。まあ、すぐに治るからいいか。
それにしても全力で笑い合いをしてしまった。
呼びに来た子供達まで笑ってたから、きっとこれはいいことだ、うん。孤児院全体で笑い声が響いて凄い光景だったけどねー。
これは――――笑顔を教義にした宗教でも作ってみようか……。
もうすぐロータリーに着くか。考え事をしていると移動ってすぐなんだなぁ。
もうお昼前でお腹が空いているのだけど、ちゃんと食堂に入る感じじゃなく、手早く腹を満たしたい……。
そんなことを考えながら、ギンザ通りをブラリ……。
「むっ!」
醤油の焦げた香りに釣られて、鼻をひくつかせる。これはっ! おやおや、何か見つけましたか、舞○海さん~?
「あ、串焼き肉……」
喧噪と雑踏の中を進むと、串焼き肉の屋台が煙で客寄せをしている。
ウナギ屋かよ!
と、ツッコミたくなるほどにモウモウと煙を出している。本当に火事になっても、誰も消火に来ないだろうと思われるけど。
これが、ポートマット名物、肉屋のマイケルの串焼き屋台だ。
「よー! 肉だぞ肉!」
マイケルが煙りの中から声を掛けてくる。
この屋台は醤油ベースのソースと、塩胡椒のみの味付けの二種類があり、両方とも絶品なのだ。過去に召喚された異世界人の遺産とも言うべき、偉大な調味料は、この世界でも市民権を得ているようだ。
煙だらけでマイケルの姿は見えなかった。というかマイケルの姿は一度も見えたことがない。ちなみに『鑑定』の類は、対象の姿を認識して、凝視しないと発動しない。だから、マイケルの正体は不明のままなのだ。
屋台の方を向くと、辛うじて、煙の中から料金表を兼ねた看板が見える。
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肉
200
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説明不足だよなコレ、と思いつつ、煙に向かって叫ぶ。
「一本ずつちょうだい!」
「よー! 肉だぞ肉!」
いつのまにか串が二本、手渡されていた。
五センチ角のブロック肉が四つ刺さった串。ここで『鑑定』が発動する。
「ん~『串焼き肉(リオーロックス:肩部・スパイシー)』『串焼き肉(ワイルドサース:腰部・ソイソースベース)』……」
「よー! まあ食えよ! 肉だぞ肉!」
肉串は、まだジュウジュウ、と音を立てている。
マイケルの正体について考えるのをやめてかぶりつくことにする。
視界はすでに煙の中だ。
「熱っ!」
視覚を消された状態で、口腔は肉汁で満たされ、鼻腔には香ばしさが広がる。
「むっ、リオーロックス! 脂が……とろけるような……スバラシイ!」
褒め称える。
リオーロックスは牛に似た動物で、肉質もやはり牛に近い。魔物には分類されてないけど、草原で群れをなして行動する、危険な動物だ。
「よー! ハーブまぶしただけだけどよ! 肉だぞ肉!」
「うんうん、確かに肉だわ! 粗野に炭火焼きしただけの単純調理! しかしウマイ! 僅かな臭みをハーブが香りに転化させて、野趣溢れる風味に仕上げている! 殺してから一週間ほどか? 少し熟成が足りないけど、この個体には丁度良かったのかもしれない! 悔しいけど肉を知り尽くしている! ソイソースベースもいいけど、ハーブと塩だけの方が、この肉質にはマッチしてるかもしれない!」
屋台を中心にした周囲の人々からざわついた声が高まる。
ちなみに肉質やら熟成期間やら使われている香辛料やらは『鑑定』スキルが教えているので、海原○山も真っ青な品評が可能だったりする。
「もう耐えられん! リオーロックス二本くれ!」
「リオ―とサース一本ずつな!」
周囲でざわついていた連中が屋台(というか煙?)に殺到し、マイケル(というか煙?)は対応のために煙の中に戻っていった。
「よー! 子供は食え! 肉だぞ肉!」
串焼き販売絶好調のマイケル。
子供だと思われて肉食わされてたのか。まあ、宣伝効果はあったかもしれないけど、無償で貰う謂われもない。
「うん、ごちそう様でした。お代、ここに置いておくね?」
肉汁で濡れた自分の唇に、陽光が反射して目に入る。
孤児院の子たちじゃないけど、これもきっと、素敵な笑みだろう。多分。
小腹が満たされて幸せな気分のまま、ふらりふらりと歩くと、自然にトーマス商店に向かっていた。無意識だと、ここに足が向かうのか。帰巣本能というか、調教されてるなぁ。
表口からトーマス商店に入るなり、ドロシーが叫んだ。
「アンタ、肉汁が口に付いてるわよ!」
ビシィ! と指差される。ハッとなって口元を拭う。
「マイケルさんの串焼きが絶品で!」
言い訳じゃない、単なる状況説明だ。
「ああ、あれは美味しいわね! 私も素直に認めるわ!」
腕を組んでウンウン、と頷き合う。
「あ、そうだ。肉はいいとして、ちょっと配達行ってきてよ」
うう、良いように使われてる私……。
「うん、どこ?」
うう、ニッコリ笑って応えちゃう私……。
「港湾事務所。百二十本」
うんしょ、と言ってから、ドロシーは木箱を持ち上げた。わあ、力持ちですこと。
「わかったー。帰りに肉串買ってこようか?」
木箱を預かりながら訊く。
「ん~。肉はいいわ。それより何か果物買ってきてよ」
「わかったー」
普段、ドロシーはトーマスと二人分の食事を作っている。食後のデザートを買ってこい、というのは、「アンタも夕食、食べていきなさいよ」という遠回しの招待だったりする。それで唐突に思える配達を頼んだのだろう。……来る度にお使いに行かされている気もするけど。
夕食の時間までに果物屋に寄ってから戻ればいいので、南通りをゆっくり歩くことにする。果物屋もギンザ通りにあるんだけど、果物を専門に扱う店はポートマットに一軒だけ。あとは野菜と一緒に売っている店が数軒ある。
商店街の規模だけで街の規模を測ることは難しい。だけど、ポートマットが王都より小さい街であることは確実だ。穀物を扱う店も数軒あり、それぞれが大店舗ということから考えると、ポートマットの人口は数万人から、多く見積もって一〇万人はいるんじゃないだろうか。
魔物やら危険な動物が生息していて、戦争やら人同士の争いもある世界にしては大都市に感じる。王都ロンデニオンはポートマットよりも明らかに規模が大きいし、西の町ブリストもポートマットと同じくらいの規模だ。他にも周辺都市扱いされそうな町はあるわけだし、遠からずグリテン島の人口密度は飽和してしまうのではないか。
まあ、私が心配することじゃないか。
考え事をしているうちに、波止場に到着する。今日はよく考え事をする日だなぁ。
ポートマットの港湾機能は、旧市街の南側に集中している。
この辺りに来ると港湾労働者の人数も増えていて賑やかだ。会話には、理解できない言語も聞こえてくる(ヒューマン語、というのはどうやら標準語に相当するらしい)。見渡すと、『元の世界』で言うアフリカ系、インド系、ポリネシア系、黄色人種なども、かなりの割合で存在するのがわかる。
そこで港湾労働者の半分くらいは労働奴隷なのだ、とトーマスが言っていたのを思い出す。
そういえば、魔法の一つに『契約』というのがあって、それの説明書きを読んだところ、被対象の生殺与奪を管理する云々みたいなことが書かれていた。この魔法がどうやら奴隷契約に使うものらしい。今のところ別に必要に迫られてる訳ではないから、使う予定もないけれど。
とにかく、増える一方の港湾労働者には、急病やら怪我やらで回復ポーションが必要になるケースも多い。そのため港湾事務所へ時々配達の仕事があるわけだ。
「お、巨人像だ」
波止場には船や労働者たちを見下ろすように半裸の巨像が二体立っている。これもポートマット名物……ってことらしい。
身長は八階建ての建物くらい? 十階建てよりは低いかな? ロードス島みたいだなぁ。
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【守護の巨像(矛)】
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【守護の巨像(盾)】
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見上げてみると、鋳造のようで、可動部分があるわけではない。一体は矛、もう一体は盾を持っている。銅製ではないのか、緑青は見えない。
しかし―――この巨像には何か違和感が――ある。
世界七不思議に出てくるような建造物があるのは違和感があって当然のはずなのだけども―――異国どころか異世界で、今さらそれを言うのは変と言えば変ではあるか。
感じている違和感は、巨像に表示されているチップウィンドウの説明に、補足の説明がなく、空白になっているという点だ。この巨像が何なのか、という問いには答えてくれてはいない。
釈然としない。ちょっとモヤモヤするところだ。
「ピンチになったら動き出したりして……」
フラグっぽい何かを意識しつつも、苦笑して港湾事務所へ移動することにする。
「海はいいなぁ」
港という機能を持つ施設が『元の世界』と同様に存在するというのは、安心できる要素だったりもする。故郷の海と繋がっているわけはないのだけど、繋がっているかもしれない、と錯覚できるから、かもしれない。
潮の香り。
カモメらしき海鳥の鳴き声。
魚臭い感じはしない。漁港は東側と西側の、ここから離れた場所にそれぞれある。
水平線がある。ちゃんと曲がってるので、この世界が球状の天体だと推測できる(そのように見える魔法がかかっている可能性ももちろんある)。
船は、『元の世界』で言うところの中型クラスの大きさが最大で、印象としてはかなり小さめだ。『鑑定』で見てみると、
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【魔導船(水)】
水魔法によって水流を操作、動力源にしている。
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【魔導船(風)】
風魔法によって帆に受ける風を操作、動力源にしている。
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などと、いくつか種類があるようだ。魔法そのものを利用しているモノは結局人力(の魔力)ということで機関がコンパクトになるのか、小さめの船が多い。魔導船(火)というのはあるらしいのだけど、蒸気機関がちゃんと完成されていないとのことで、まだ動力としては使えるものではないのだと言う。
蒸気機関があれば鉄道ができそう……。一つ気になるのは、『鉄道』と呟いた時に、もの凄くワクワクした気分になったことだ。『元の世界』での、己の人物像についてはサッパリ記憶がない。その一方で知識については、偏りや欠落はあれど、ある程度残っている。
これも、その一つだろうか。
「うーん……」
この世界に来て、色々な所にいって、色々な人と出会えば出会うほど、自分が何者なのかわからなくなっていく。
あ、そういえば、フェイが言ってたっけ。今は、ジグソーパズルの欠片を集めている段階だとか何とか。あの時は単に私を宥める言葉の一つくらいにしか考えていなかったけれど、そうか。
私は焦っているんだ。
でも。
焦らなくてもいいんだ。
ゆっくり考えればいいじゃないか。
ドワーフの身体で、死ぬまでに、私が何であるのかを。
「うん」
そう考えると、私の心は少しだけ軽くなった。
答えが出るまでは、やれることをやっていこう。
とりあえずは―――――。
「こんにちは! トーマス商店です! 納品に参りました!」
空元気で、私は港湾事務所のドアを開く。
何はともあれ、ドロシーに怒られないように、納品しないとね……。
―――泣いてなんかない。海風が目にしみただけさ……。




