防衛戦の事後処理1
【王国暦122年3月4日 6:12】
朝日を浴びて、明るくなった西漁港を見わたす。
鹵獲した船が係留されていたり、見事だった石組みの岸壁がズタズタになっていたり、今回の防衛戦最大の激戦地だった爪痕が散見された。
「酷いなぁ」
あの石組みは芸術のような噛み合わせだったんだけどなぁ。全く無粋な連中だなぁ。それにしても、鹵獲した船はいわゆる軍船っぽいのは一部だけで、商船や漁船がほとんどに見える。改装するにしても簡単な改造で済むかもしれない。
目に見える範囲には死体こそ漂着していないものの、腐臭はそれなりに感じられる。ここにいたって、私の憤慨は人命には向けられていないんだなぁ、と気付き、思わず肩を竦める。
「おーい」
フレデリカの声が聞こえた。『気配探知』でも見えていたから、彼女の接近には気付いていた。
足が速い。フレデリカは特に目立った冒険者でもなかったのに、騎士団所属の人間に対して二つ名が付くのは珍しいことらしい。元々彼女が、私とかフェイの関係者の一人だったことも関係してるんだろうけどさ。
「傷の方はどう?」
近づきながら、フレデリカを気遣う。数日前にはお腹がぱっくり割れてたもんね。
「ああ……もう大丈夫、だ」
ポン、とフレデリカは自分の腹を叩いた。
「そっか。生きててよかったよ。こんなところで死なれたら、泣くに泣けない」
皮肉を込めて笑いかける。
「ああ……全く、だ」
歩き出した私の後を、軽く目を伏せてフレデリカが付いてくる。
コイルたちが作った『収容施設』とやらは、見た目に三角柱というか。魔力節約のためだろう、三枚の土壁で囲った形をしていた。
私の作った土壁捕虜収容施設と似た発想ではある。両者は歩いて一分ほど。当然だけど『一分』、という時間の単位はこの世界にはない。
プロセア偵察船団の処理が一段落して、一部の騎士団員は壁の警備に戻ってきていた。
「お疲れ様です、魔術師殿」
そう言いつつ、如才ない足取りで近づいてきたのは、アーロンの副官、赤毛のジェシカ・ロスだった。この人のスキルは平凡で特筆すべきものはない。ヒラの騎士団員と同じ程度だ。どちらかというと文官寄りなんだろうけど、そういう事務処理能力は鑑定の見た目に出ないものね。
見た目といえば、ジェシカ女史はそれほど顔の造形も悪くないし、しっかり者には違いないのだけど、独身みたい。この世界、時代的に二十七歳はもう嫁き遅れを遥かに超えた年齢なので、何か訳があるのかな、とは思うけど、あまり不用意にその辺りを訊くわけにはいかない。世が世ならセクハラになっちゃうしね!
「お疲れ様です。どうですか、そちらの捕虜たちは?」
「数が数ですので……正直持てあまし気味ですね」
ジェシカは疲労の見える顔で、苦笑しつつ答えた。背後のフレデリカはうんうん頷いている。フレデリカの不安定な語尾で説明されるよりは、要点をまとめてジェシカに説明してもらった方がいい。
「全部で三百十五名の捕虜がいまして――――いまさっき三十五名増えて三百五十名になりましたが――――身分の高そうな者を含めて百名は収容所の方に移動させています。例の――――五十個の首輪はすでに全部使用してしまいました。こちらの壁の内部には二百十五名がいます。自己申告にて、姓名は聞き出してありますが、正確かどうかは不明です。騎士団長と新領主様が仰るには、貴族とわかる連中は区分けして、さっさと金銭と交換してしまおう、という方針のようですね」
この壁の向こうで二百人以上の人間が蠢いている、と思うとうんざりするのも確か。面倒を避けたい心情は理解できた。
「なるほど……収容所の方はいいとして、この壁内部の食事や衛生状態はどうなってますか?」
中は酷いことになってるだろうなぁ……。
「拿捕、鹵獲した敵船から幾らかは食料が調達できたものの、基本的には全く足りていません。一日一食の提供が限度です。また、衛生状態については、その……今のところ全く考慮されておりません」
「そうですか。今後の食事の目処は?」
「商業ギルドと領主様が掛け合い、王都から物資を届けるという話ですが、一日二日でどうなる、という話でもありません。十日は必要だと見ています」
「うーん、小麦、もしくは大麦の状態で、提供できる物資の量は?」
「申し訳ありません。把握しておりません」
「なるほど、わかりました。ありがとうございます」
いえ、とジェシカは言って、少し下がった。
「ああ、なんだっけな、長い名前の船長さんは中にいる?」
「ヘンドリク・アネル・フォン・ブルッフ卿ですね。彼は収容所の方にいると思います。ヴィンフリート・アントニウス・フォン・プロセア卿は幽閉中です」
どこにいるのかは不明だけれども、騎士団駐屯地か領主の館だろう。騎士団の中から情報が漏れるなどとは考えたくはないけれど、会話の中に機密情報が含まれるならしょうがない。
「そうですか。ええと……収容所の増築を騎士団長から依頼されてるらしいのですが、このままだとちょっと円滑には行かないと思いますので、問題を解決してもいいでしょうか?」
「はぁ」
「どうするつもり……だ?」
フレデリカが訊く。
「内部の人と話をしてもいいでしょうか? 壁に穴を空けますけど、いいでしょうか?」
「え…………」
ジェシカはフレデリカを見た。
「魔術師殿には考えがあると見た。任せようじゃないか。駐屯している騎士団全員を集めてくれ。穴から抜け出せないように陣を敷く」
「了解しました、副団長」
これで責任はアンタにあるわね、とジェシカの目が言っていた。私は凛々しいフレデリカに惚れ惚れしたところなんだけど。
「まあ、大丈夫だと思うよ?」
根拠のない自信をフレデリカに投げる。フレデリカも、その自信に励まされたのか、部下たちに指示を飛ばした。
「配置よし。どうぞ」
フレデリカが防御陣(食料配給の際も同じようなシフトを組んでいるのだという)をスムーズに配置し終えると、私は風魔法で声を拡散させた。
「あーあー、失礼します。これから壁に穴を空けます。危ないから下がって下さい。穴から逃亡しようとした人はごめんなさい、痺れます。逃げても無駄です。入るのは私一人ですが、今回は衛生状態と健康状態を見るためです。健全な捕虜生活のため、どうかご協力をお願いいたします」
大声は壁の中にも届いているはず……。ラバーロッドの手袋を填めて、雷撃の杖を出す。
「―――『発電』『蓄電』『召喚:光球』『召喚:光球』」
周囲がオーヴに照らされる。チラ、と背後で待機しているフレデリカ以下、騎士団員に微笑みかける。彼らの緊張している顔がみえる。
蓄電した待機状態のまま、杖は肩に引っかけたままなのが不安に感じさせるのかしら。まあ、いいか。
「じゃ、いきます。―――『掘削』」
壁に向けて掘削を使う。小さな穴を掘る。私くらいしか通れない。
「よいしょっと。ああ、うん」
穴を通り抜けると、糞尿の臭いが鼻についた。
「はーい、失礼しますよー―――『成形』『固化』」
振り向いて、穴を閉じてしまう。
「ふむ……」
ほとんど光が射さない。光量を増やそう。
「―――『光球』」
単なる灯りの光球を召喚、中央に持っていき、高度も取る。うん、ボンヤリとだけど一応全体は見えるようになったかな。
んー、弱って反応もしてない人が四割くらいいるか。中腰で警戒している人が二割、残りは座って私の様子を窺っている。
内部から見た壁の下の方を見ると、掘って諦めた跡がチラホラ。この壁の厚さは半メトルはあるし、掘り進めようとしても気配探知でわかっちゃうんだろうね。その部分を補強(付与魔法を使える人なら土壁や、連なる土中の補強は難しいことじゃない)されちゃえばお終いだしねぇ。
「どうも。瀕死の人はいますか?」
「全員が瀕死のようなものだが……」
誰かがポツリと言った。
「ふむ……―――『中級範囲治癒』」
全体を八分割くらいにして、八回、水系治癒魔法を使う。
「お―――」
「おお……?」
反応していなかった人も、今の治癒で復活したのか、目に生気が戻ってきた。中腰で警戒していた人たちからも緊張感が抜けている。
「私を襲ってもいいですが、多分死にます。世を儚んで境遇に絶望しているような、死にたい方はどうぞ。ですが、皆さんは私の呼びかけに応えて投降してくれました。可能なら殺したくないです。それが偽善だと理解してはいますが、せめて皆さんの良心に期待させてください」
風系魔法で声を届かせる。
そこで、捕虜二百十五人たちは、私が交戦中に降伏勧告を行った者だと気付いたようだった。全員が一度に飛びかかったところで私は殺せない。諦観が捕虜たちを覆ったのを感じた。
「では、現状の補足をさせていただきます。皆さんを収容する施設は現在建設中です。それまでの間は、ご不便かとは思いますが、ここに留まって頂きます」
そう言いつつ、『掘削』を使って三方あるうちの一つの壁際に、穴を掘っていく。深さ一メトルほどを十メトルほどの長さで掘る。掘った土で衝立を作る。便所代わりだ。
もう一方の壁際、便所から離れたところも掘削を開始、掘った土で屋根付きの建物を造る。これが仮の収容所。一つの建物を四つに仕切れるように壁を作り、五十人ほどが入れるような空間を作る。
捕虜たちは、私がやっていることが自分たちの待遇の改善だとわかっているのか、黙って見守っている。
「よし、と。――――『固化』『硬化』」
壁という壁を固めて強化していく。最後に全員に集まってもらう。
「えーっと、今から皆さんを洗います。濡れはしません」
と宣言して、『洗浄』『浄化』を掛けていく。食料こそ不足しているものの、衛生的に人間らしさが保てる。
全員の処理が終わると、再度私は告げた。
「幸いにして皆さんの中には不死者はいませんでした」
ざわ……と捕虜たちが困惑に包まれる。
「といいますのは、ヤマグチさんですか。あの勇者は、みなさんを癒すだけではなく、不死者を作る能力がありまして。みなさんの中に不死者がいたかもしれなかったのです。それで『浄化』もさせていただきました。まあ、病気予防の面の方が強いんですけどね」
なんだってぇー! のような声は上がらなかったけれど、ざわめきは大きくなった。
「これからもう一つの収容所に行ってきますけど、不死者がいたら嫌ですねぇ」
俺たちを化け物にするつもりだったのか、などと宣っている人もいたので、補足しておきますか。
「こんな事を言っていいのかどうかわからないですけども、局面が不利になったら、勇者ヤマグチは死んだ皆さんを活用するつもりだったでしょうね。実際、使ってましたよ? この魔核は、長剣を持っていた冒険者のなれの果て―――不死者から出たものです。これが戦争だ、って言うならそうなんでしょうけど、ちょっと寂しい話ですよねぇ」
『道具箱』から、長剣の男に生成された魔核を取り出して、捕虜たちに見せ、目を伏せて悲しむ演技をする。
捕虜たちは声も出さず、私と同じように目を伏せた。
「仲間を魔物にして貶めてまで得られるものって、何なんでしょうね?」
脱力してがっくりと膝をついた捕虜たちに向かって、また来ます、それまでご健勝で、と一声を掛けて、固化を解いた壁から出る。
「魔術師殿、いかがでしたか、中の様子は?」
「少し心を折っておきました。戦争とは悲しいものですね……」
「は? はぁ……」
不思議そうな顔をするジェシカとフレデリカに、大根役者振りを見せつけてからため息をついた。
――――この捕虜たちを上手く活用できないかしら……。




