神託の夜1
「お姉様、ごきげんよう」
教会の敷地に入るとエミーが出迎えてくれた。明らかに待ってた感じがする。
「こんばんは。司教様に会いにきました」
少しでも余裕があれば、エミーに会いに来たんじゃないんだー、ゴメン、えへへ、今度はエミーだけに会いにくるからね? ウフフ、みたいな会話になるのだけど、その余裕はなかった。
「はい、ご案内します」
その機微を感じ取ってくれるエミーには申し訳ない。
いつものように裏口から入り、司教の部屋へ。
こんな時でも、コンコン、とノックをするエミーの拳を注視してしまう。拳が無事なのはわかっていても何故かホッとする。
「どうぞ、お入り下さい」
中から声がする。
扉を開けると、中にはトーマスとフェイがいた。
「……遅いぞ」
「うむ……」
このメンバーが集まって笑い話ということはなさそうだ。
「シスター・エミー、お茶などは不要です。しばらくは誰も通さぬように」
「わかりました、司教様」
エミーは頷いて司教室の前から立ち去った。ユリアンは扉に施錠をしてから、私に向き直り、
「どうぞ、お座りください」
と、穏やかに言った。普段と変わらない笑みを添えて。
「……―――『遮音』」
私が座るや否や、フェイは遮音結界を張った。
「夜分遅く、お忙しいところ、お呼び立てをしまして申し訳ありません。この面子が揃うということでお察しの通り、『神託』が来ました」
「……うむ……」
「来たか……」
「今回の神託は二つあります。同時に来る、というのは珍しいことではありますが、過去に例がなかったわけではありません」
「……内容は?」
「まずは一通目。『ウィンター村の聖教会に勤める神父、ジャクソンの排除と、彼が作っている装置の回収を求む。彼の発明した機械、または類似の機械で布地を織ることを最低十年間は禁ずる』です」
「……むう……」
「まさかの一般人の排除指令か……」
トーマスが呻く。
「その、ジャクソン神父というのは、何をやらかしたんでしょうか?」
「不明です。ジャクソン神父は何度かお会いしたことはありますが……極めて真面目な人物です。何かを扇動しているという情報もありません」
「……布地を織る機械を作っていて、それが問題なのだな?」
「神託からは、そう読み取れますね」
ユリアンが頷く。
確かに、自動織機の普及は家内制手工業の世界からすれば、自分たちを死に至らしめる化け物だ。産業革命を止めたい、もしくは遅らせたい、という意思が見える『神託』からすると、ジャクソン神父とやらの発明品は、それに繋がる物なのだろう。阻止するのはわかるけど、禁ずる、って何だろう? 回収した機械を私が使わないようにということかなぁ。
「しかしな……ウィンターか」
ウィンターの村は王都から見ると北西にある。学術都市ノックスに近い(ノックスはウィンターのちょっと西にある)。王都からドワーフ村に向かう街道の途中にあって、中継基地の役割を持ち、王都から馬車で行くとなると二日ほどかかる。つまり、王都ロンデニオンとポートマットの距離とほぼ同じ。
「……これはまた……意地悪な神託だな……」
「そうですね。後述しますけども、まず距離が問題です。もう一つは聖職者とはいえ一般人を殺害するとなると、立場も問題になります」
ユリアンが険しい表情で説明を続ける。
「いわゆる『ラーヴァ』が殺したとなると、ポートマットに不在だった場合、関与を疑われてしまうでしょうね」
「……確かに。……片道四日、往復で八日も不在で、その間に『ラーヴァ』が活動したとなると……まず疑われるだろうな」
「それでなくとも、目立ってるからな……」
「幸いにして、というと語弊があるのですが、勇者の排除ではなく、一般人の排除は、『ラーヴァ』の行動っぽくはないとも言えます」
ユリアンの見解に、そう言われてみればそうだ、と全員が頷く。
「つまり、完全に隠密行動で、『ラーヴァ』の仕業に見せないように行動せざるを得ないということだな。お前の足で、完全に姿を隠して行動をしたとして、最短でどのくらいかかる?」
「ウィンターまでだと……。二日強、というところです。全く休まないでそのくらいになるかと」
「……最短でもほぼ五日、不在になるわけだな」
「五日程度なら、素材採りならあり得る期間かと思いますが。偽装のために西の―――石英の岩を採取してくるという名目でどうでしょう?」
「なるほど、それがあるか。領主には追加の街灯を売り込もうとしているところだしな。素材取り、お前なら五日、と言っても実質半日で終わらせて、その間を移動に充てられる。不在の証明になり得るか」
現状不在の証明、ね……。
「……それで行こう。……ウィンターの教会や、そのジャクソン神父についての情報を、もっと詳しく教えてもらえるか?」
「はい。神に仕える信徒である同僚を、手にかける算段に荷担するのは心苦しいですが、これも何かのお導きなのでしょう……」
そう言うユリアンの表情に迷いは全く見られない。この非情さが、いつか私自身にも向けられるのではないか。そんな恐怖が滲み出るほどの決断力だ。
「私たちはチームです。仮に貴女が排除される事態になれば、我々も排除されるでしょう。だから、そんな顔をしないでください」
ユリアンが敏感に私の思考を読んで言う。これは……弁解だよな……。話半分で聞いておいた方がいいか。
「いえ、その時は皆を守りますよ」
そう言っておく。上辺だけの口約束だけども、言わないでいたらお互いが疑心暗鬼になるのは確かだ。
ユリアンは、その後は私の感情のフォローはせずに、事務的にジャクソン神父の特徴やウィンターの村について解説を始めた。
「―――というところで第一の『神託』の件はひとまずお願いします」
そうだった。もう一件あるんだった。
「……もう一つあるんだったな。……聞かせてくれ」
「大陸で召喚された勇者が行方不明、という話は聞いたことがあるかと思います。この勇者が発見された、と」
「……なにっ」
「えっ、どこにいたんですか?」
「対岸の、大陸の港町カーンです。ただ、おかしいのです。対岸であれば大陸なわけですから、私たちの担当ではありません。大陸に渡って倒してこいというわけでもないのです。ただ、そこにいる、とだけ」
「指示じゃなくて、情報の提供だけ、ってことですか。今までにこういう事はあったんですか?」
「情報の提供だけ、ということはままあります。先日の『神託』がそうだったではありませんか」
ああ、私にお金儲けの手段を相談しろ、ってやつか。本当に神託だったのか……。
「倒せというなら倒さないと駄目なんだろうが……どういうつもりなんだろうな?」
トーマスが首を捻る。
「えと、大陸のチームから連絡は無いんでしょうか?」
「鳩は飛ばしました。返答があるにしても十日はかかると思われます」
「本来なら大陸のチームに知らせて、そいつらが後始末までちゃんとやるのが筋だよな」
「……違いないな。……ところが、こちらに『神託』が来たとなると、大陸のチームには知らせても無駄なのかもしれん」
「どういうことでしょう?」
「……移動中だったり、『神託』を受ける者が、実行者と別行動を取っているか。……もしくは、別の勇者と対峙しているか」
「あり得る話だ」
トーマスが頷く。
「でも、その勇者は召喚されてから半年くらいですよね? そんなに早く、他の勇者を召喚できるものなんですか?」
「一つのチームが複数の拠点を担当している場合はあり得る話だ。さらに言えばウチみたいに一年に一回、ちゃんと呼んでくれる方が珍しいんだよ。三年に一回とかで、その周期が重なっちまえば、対応は後手になるよな」
「……その意見に賛成だな。……私の知っている限り、勇者殺しはウチを含めて三チームいる。……経験不足、もしくは加齢による能力の低下。……それと複数の勇者召喚が悪い形で重なれば、さらに説得力のある説明となるだろう」
「そうするとですよ、今回の『神託』は普通に、手が足りてないから倒しに行け、と解釈してもいいものなんでしょうか?」
ユリアンは、自身が受けた『神託』の解釈に、また疑問符を付け足す。
「実際問題として、今からカーンの港に行って倒すとして、日数はどのくらいかかるんでしょうか?」
土地鑑というか海鑑? がないので訊いてみる。走っていくわけにもいかない。
「今はまだ冬で海が荒れてるからな。大陸からの攻めも春にならないと………」
トーマスが海の状況を話し出した時、私以外の全員がハッとなった。
「……それだ」
「それですね」
「どれですか?」
「大陸から攻めてくる軍隊に混じってるんじゃないか……?」
「ああ……」
「……もし本当にそうなら……厄介だな……」
「現時点では『神託』が何を求めてのものなのか、不明という点も、混乱を招いている要因です。情報が不足しています」
ユリアンは、想像に想像を重ねてはいけない、と危惧を表明して釘を刺す。
「海が荒れていて、というなら空を飛んで……私が情報を収集してみるとか」
「……飛べるのか?」
「お婆ちゃんに怒られますが。短距離であれば飛べます」
「いや、お前の留守を突かれる方が痛い。お前はポートマット、少なくともグリテン島にはいるべきだ」
「それについては私も同感です。王都へ出張に行っている、と聞かされた時には不安になりましたし……。今回は先の『神託』の件もあります。そちらが優先されるべきでしょう」
ユリアンが眉根を寄せて私を見る。本心から不安なのかどうかは窺いしれない。
「……ふむ。……冒険者ギルドの方で情報収集チームを作ろう。……幸いにして水中特化したような人材がいるのでな」
ああ、シェミーのことか。泳いで大陸まで行かそう、ってわけね。っていうかそれチームじゃないじゃん。
「まずは勇者が大陸の軍隊に帯同しているかどうか。こちらに攻め入る意思があるか。その点だけでも確認したいな」
全員が頷く。
「来る来るって言っていても、なかなか来ませんからね。情報は欲しいです」
「……よし、お前は明日の早朝にでも発ってくれ。……可及的速やかに帰還を望む」
「確認するぞ。お前はヘベレケ山西側の中腹に、石英の岩の採取に向かう。その後に北上、王都には入らず、ウィンターの村へ直行、目的達成後、同じ道順でヘベレケ山方面から帰還する」
「ウィンターの村ではジャクソン神父殺害の他、目撃者がいた場合は……これも殺害対象となります。くれぐれも見つかりませんように」
三人がそれぞれ、まとめと補足をする。
「了解しました」
私は頷くけれど、アバウトな暗殺計画(毎回そうではあるけど)に正直不安が隠せない。四日も集中力が保つだろうか。いや、五日はかかるだろうか。まあ、天井裏で七日以上過ごしたこともある私だ。大丈夫、いけるさ。
「……それでは解散する。……各々の責務を果たされんことを」
フェイが立ち上がって合掌する。
トーマス、ユリアン、私も、神妙な顔つきで合掌し、互いにお辞儀をした。
久しぶりの殺害指令だ。お腹の中が黒く重くなっていく感覚がある。
この後、エミーやアーサお婆ちゃん、ドロシーたちに出会うのだ。なるべく普段と変わらないように演技しなくては。
……意識して……私は女優、私は女優……。
「よし」
顔を上げて、真っ直ぐに歩く。
「では、六日後に」
私はそう言って挨拶をして、司教の部屋を出て行った。
「お姉様?」
エミーが心配そうな顔をして、出入り口のところで待っていた。
「あれ、まだ寝ないの?」
「ええ、お姉様が心配で……」
チッ、相変わらず鋭いな。恐ろしい子……。
「司教様も含めての商談だったよ? 心配させたらごめんね」
テンションを抑えめにして、ゆっくり笑いかける。騙しているのは気が引けるけど、世の中には知らない方がいいこともあるんだよ。
「そうですか……」
「うん、それでちょっと採取に行ってくるからさ。綺麗な石があったらお土産に持ってくるから」
「はい……」
エミーの頭を抱えて……というか結構上の方にエミーの頭があるようになったのでアンバランス……髪の毛にキスをする。ああ……聖女様、良い匂いだなぁ……。聖女オーラに包まれながら、殺人の算段を考えている私は、きっと、とても罪深い存在なんだろう。
「うん、それじゃ、またね」
ちなみに、気配探知によれば、このやり取りを陰から見ていたマリアが、臍を噛んでいたのにも気づいていたけれど、面白そうなので放置しておくことにした。
アーサ宅に戻ると、夜中だというのに、アーサお婆ちゃんとシェミーが台所で魚の保存処理に追われていた。他の面々は魔法の練習をしていて疲れたのか、すでに寝ていた。アーサお婆ちゃんタフだな!
「ただいまです」
「そう、おかえりなさい。お魚は……まだあるわ。手伝ってくれるかしら」
「はい!」
平常運転のアーサお婆ちゃんが眩しい。この人は、私の大切な日常だ。
「サバは明日中には食べちゃわないと駄目だわ。ご近所に配りましょうか、アーサ婆ちゃん?」
「そうね。それがいいわね」
シェミーも元気だなぁ。つられて、内臓を取りまくることにする。
「ああ、それで、明日からちょっと出張で不在になるんだわ。詳しく聞いてないんだけどギルドの方から依頼があって」
シェミーが顔をしかめながら私に言ってくる。皆にはもう伝えてあるみたいだ。
「え、そうなんですか?」
とぼけて、私は初耳だ、という顔を返す。
「たまに、こういう依頼ってあるんだわ。お嬢ちゃん、あの服、着ていくわ」
「あ、不備はありませんでしたか?」
「水が腹から抜けるのは秀逸だわ。肩から多少脱げやすいかな。でも気にならない程度だわ」
「それなら良かったです。肩の方は追々改良しますよ」
一人で着られていたし、着替えは手伝わないからね。
「上級になると、この手の仕事は増えるのさ」
ああ、ギルドからの依頼とか、極秘任務とか、割と汚れ仕事とかもあるよなぁ。王都本部の特務課を見れば、その類の仕事がいかに多いか、嫌でも実感させられるというもの。
「そうなんですか……私は知らない間に上級になってて……面倒だから固辞すればよかったなぁ」
「いやあ、お嬢ちゃんは早晩特級になると思うわ」
そうだ。中級冒険者での立場なら、目立たずに裏の仕事はスムーズに遂行できるだろうに、どうしてわざわざ上級にして、目立つようなことをさせているのだろうか。難易度を上げることに何か意味があるのだろうか。
「私はそれよりは物を作ってたり、採取してたりの方が好きなんですけど……。ああ、私もちょっと明日から採取……いや採掘かな……に行ってきます」
「そう。一日仕事?」
「いえ、ちょっとヘベレケ山の奥の方で……五~六日見てます」
「そう、大変ね。お食事とかはどうするの?」
この丁寧な言い方が素晴らしい。とアーサお婆ちゃんの語彙に感嘆する。
「まだ干し肉があるので大丈夫です」
「え、お嬢ちゃんもお出掛けなのか。お互い面倒くさい立場なんだな」
あははは、と笑い合う。そんな会話をしているうちに、獲った魚の保存処理が終わり、冷蔵樽二台に魚が満杯になった。
「そう、じゃあ寝ましょうか。明日は早そうだし」
今から寝ても仮眠程度だなぁ、とは思うけど、寝られるなら寝ておこう。
ベッドに入ると、寝ていたはずのドロシーから声を掛けられる。
「アンタ、何かあった?」
とだけ言った。ドキーン! と心臓が高鳴った。
「………………明日、山奥まで採掘に行ってくるよ……?」
努めて抑えた声で返答する。
「ううん、そうじゃなくて……」
「トーマスさんの無茶振りに多少怒ってはいるけど……?」
「……まあいいわ。話せる時が来たら話してよね。私はアンタが何者でも驚かないわ」
普段から接しているせいだろうか。私が普段と違うことがばれている……。ドロシーにはいずれ何もかもばれてしまうのではないか。ドロシーにはばれてもいい、と思う反面、ドロシーにだけは知られたくない、とも思う。
だから、私は下手な演技をする。紅天女への道は険しそうだ。
「うん? うん」
ドロシーの声は、ため息と一緒に聞こえた。
「おやすみ」
「おやすみ、ドロシー」
演技として受け取ったかもしれない。だけど、今は黙っていること、知らせないでいることが優しさだと思うから。
――――演技なしで生きられたらいいなぁ……。