ガラスの世代
トーマス商店に到着した時には、お昼をとっくに回った時間になっていた。
「おお、どうだ? 冷蔵樽の方は?」
「完成しました。九台を納品します。うち二台は、王都の冒険者ギルドに送ってほしいのですけど、可能ですか?」
トーマスはふふん、と鼻を鳴らした。
「商業ギルドに不可能はない」
胸を張って豪語したよ……。
「売値はどうする?」
「金貨二百でいけると思いますけど、あえて百五十くらいはどうでしょう? 卸値が百ならお互いに儲かると思いますが」
トーマスは満面の笑みを見せた。
「いい値段だな。その二台も定価で売っていいのか?」
「はい、それでお願いします。あの二人に金貨五十枚の差額など端金でしょう」
「本部の冒険者か。豪気なものだな」
「いえ、刹那的なだけですよ」
それは冒険者全般、自分を含めての評価だ。この世界の死は総じて軽いけれど、冒険者は特に……自分で自分を軽んじている気がする。
「ふむ。白金貨で払った方がよさそうだな……ほれ」
トーマスが自分の『道具箱』から、白金貨を九枚出してくる。白金貨の素材は知らないけれど、直径十センチほどの、冗談みたいな大きさの硬貨だ。造幣局がこんなのを鋳溶かして作ってるのかしら。だとしたら、この世界の技術力はなかなか侮れないものがある。
「はい、確かに」
受け取り、確認してから冷蔵樽を一つずつ出す。
「これはっ」
トーマスが驚きの声を上げる。
「この高級感……これは金貨二百枚じゃ売れないかもしれないぞ……。三百は取れる」
「まあ、あんまりがめつくいかなきゃいいんじゃないですか?」
「うむ、まあ、そうだな」
ニヤリと笑い合う私とトーマス。
「おいっ」
と、黒いオーラをかき消すように、ギルバートが声を掛けてきた。
「何か今っ、すごい金額のやり取りを見た気がするぞっ」
まあ、普通はこんな軒先でやり取りする商談ではないよね。トーマスも私も『道具箱』にお金を入れてるので、死亡時にはお金をぶちまけるボーナスキャラだ。
「気のせいだ、ギルバート」
「幻ですよ、ギルバートさん」
「ほうっ、こりゃまいったなっ!」
呆れたよ、と肩を竦めてから、ギルバートの説明が始まった。
夕焼け通りからトーマス商店の入り口を眺める位置で、ギルバートは話し始めた。
「半日、この建物の外壁を調べてだなっ。何カ所か面倒なところはあるがよっ! 面を少なくすりゃいいんだよなっ? それなら作業自体は簡単だっ」
古い木造建築だから外壁の施工方法が混在していて、木の板を貼って終わりの所もあれば、漆喰塗っただけの壁もあれば、煉瓦を埋め込んでから漆喰を塗った壁もあるそうだ。
トーマスに言われて気が付いたけれど、この建物は、角地にある建物に、その北側の建物を強引に繋げた形になっている。
夕焼け通りに面した部分は平屋で、北側の、二階のある建物と合体させたわけだ。北側の建物には生活スペースや倉庫があり、工房はそのつなぎ目を最低限にして、土間のまま利用していると。確かに魔力炉そのものは、ポーションの錬成を中心にしているトーマス商店には不要な設備ともいえる。やや過剰に大きい工房を備えているのは、そんな理由があったわけか。
「柱とか、建物全体の強度はどうなんだ?」
幸いにして―――外壁材である木の板を外すと、柱や構造体は見える。
「いまのところ大きな問題はないなっ。少々外壁材で負担を掛けても大丈夫だろっ。側面と後の壁はいいんだがっ、問題は入り口のある正面だっ。面を少なくするには、入り口を少々細工しないと駄目だなっ」
唾を飛ばしながら、勢いのあるギルバートの説明は、頭に入ってくるような、こないような。要するに正面は大きな修正が必要だということは理解できた。
「ふむ、入り口を広くするとか?」
「それか、入り口をずらすかだなっ」
「それなら、少し入り口を右にずらして、動線を確保してみてはどうでしょうか?」
「どうせん?」
この世界にもそういう概念はあるのかな。オウム返しに同じ言葉が返ってきた。
「お客様の……流れのことです。ウチの店でいうと入り口から入ってきたお客様はカウンターに直接流れちゃいますよね。そうじゃなくて、建物の構造とか、仕切りとかで、人の流れに方向性をつけるのです」
「ふむ? そうすることの意味は何だ?」
「今だと、カウンターに三人、従業員がいれば、お客様は三列に並ぶか、並ばないで適当に注文を叫びますよね。そうではなく、一列に並んで頂いて、カウンターが三人なら三人のうち、空いたところに行くようにする、と」
「なるほどっ」
「なるほど……」
「カウンター業務の処理が早い人はどんどん捌けますし、早い人の処理能力を最大に生かすことができます」
「ふむ……。そのためには入り口が少しずれていた方が自然に左回りになる、か」
「しかしなっ、構造的に柱も動かすことになっちまうなっ。それなら単に入り口を広げるだけでいいかもしれねえなっ」
「よし、じゃあ、ギルバートの言う通り、広げる方向で行こう。後な、あの件も頼むぞ」
「窓にガラスを入れるって話かっ。どのくらい用意できそうなんだっ?」
「それはコイツが今から作る!」
私頼みかよっ。
遠目に見えるトーマス商店の店内から、ドロシーがジッとこちらに視線を送っているのが見えた。
いいでしょう。
やりましょう。
他ならぬトーマス商店の(従業員たちの)ために。
「わかりました。曇りガラスになっちゃうと思いますけど、精一杯作ります」
私はニヤッとトーマスが笑ったのを見逃さない。石を吹き付ける工法も、曇りガラスも、きっと良い商売のタネになるんだろう。ずっと働かされてるような気もするのだけど……。これもあれだ、多分、崇高な目的のために、私がやらなきゃいけないことなんだ(投げやり)。
「まあ、今日はもう暗くなってきたし、また明日だな」
「ああっ、そうだなっ。正面は後からってことにして、側面の修正は明日には出来ると思うぞっ」
「うむ、それで頼む」
そうして、明日以降の作業を決めて、ギルバート組は撤収していった。
「とりあえずガラスを試作してみないか?」
「あー、そうですね。生産数でギルバートさんの作業が変わるんですよね」
店舗部分に、自然光をもう少し入れたいのだろう。曇りガラスとはいえ、開放的な雰囲気にはなるし。
裏口に回り、トーマスは店の中に入っていった。裏口は搬入スペースにもなっていて、少し空間がある。石英の岩も出せそうだ。
「ふんっ」
珪石―――というよりは石英の岩を取り出す。半透明の岩は実に美しい。別に鉱物フェチというわけではないのだけど、この素材が、色々な物に生まれ変わるのを想像しただけでも楽しくなる。
「―――『風切り』」
粗く小分けする。石英の岩は十数個にカッティングされた。カッティングされた断面を、暗がりの中の僅かな光に透かしてみる。薄いピンク、薄い緑、黒い粒。様々な色が乳白色の水晶を飾っている。
綺麗だけど―――単純にこれは不純物だ。不純物がゼロに近くなれば透明なガラスができるのだけど。まあ、製法はそのうちに誰かが発見するんだろう。
小分けされた石英を拾い集めて、店内に入る。
「こんばんはー」
「あれ、姉さん、こんばんは」
レックスが声をかけてきた。バックスペースの掃除をしていたようだ。もう閉店間際だものね。
「ドロシー、体調はどう?」
「問題無いわ。さっき、店の前にいたわね。改装の話?」
「そうそう。正面にちょっと手間が掛かるかも、って話をしてたんだよ」
「へぇ……」
「で、お客様に一列に並んでもらうように、店内の配置を変えてもいいんじゃないか、って話にもなってね」
動線の話をドロシーにする。
「それはいいわね。接客の回転速度を上げるにはいい案だと思うわ」
「うん、じゃあ、それは改装後に実施する方向でいこうか」
「わかったわ。トーマスさんも了承してるのね?」
トーマスが頷いた。
「ああ、それで構わないぞ。ドロシーがいい、と思ったらやっていい」
随分とドロシーの権限が増えてきたじゃないか。
「わかりました。じゃあ、それで行きましょう」
ドロシーが偉そうに言って、決まったらしい。簡易柵も作った方がいいかな。
「儂はポーションの在庫を作る。魔力炉は使ってくれ」
「はい」
「じゃ、お店を閉める準備します」
ドロシーは短く言って、レックスとサリーにも閉店作業に入るように指示を出す。
トーマスがポーション錬成作業に入ったので、石英……を粉にする作業に入る。
「―――『粉砕』」
繰り返してスキルを使う度に、粉が細かくなっていく。どのくらい細かい方がいいのかはわからないけど、もの凄く細かくしてみよう。
砕く、砕く。
ボキボキ、バリバリ、サラサラ。
粉砕を音で表現するとそうなるだろか。
黒鋼の粉を作った時よりも全然楽、ではあるんだけど、石英は、ミスリル銀みたいに魔力を吸収するでもなく、黒鋼みたいに弾くでもなく、ちょうど中間な感じ。そういえば、魔法杖の先端って水晶(透明な石英の結晶)だものね。魔力を逆らわずにそのまま導いて流す、みたいな。触ったイメージとしてはそんな性質だろうか。
エイダ用に作る予定の魔法杖の先端には水姫、ってリクエストがあるし、自然の水晶から彫り出すのと、いまある石英の粉を整形したのと、どっちが丈夫になるんだろう? ついでだからテストも兼ねてみるか。どっちにしても手持ちの水晶じゃ、満足のいく大きさの彫り物にはならないし。
「おいおい、全部粉にしたのか?」
「勢いで……」
珪石そのままの状態じゃ、置物くらいにしかならないし。
「―――『点火』」
魔力炉の温度を上げて、石英粉を加熱する。
「なんか、暑いわね……」
急に室温が上がって訝しんだドロシーが工房の様子を見に来る。
「ああ、ごめん、ちょっと炉の温度上げてる」
「暑いぞ……」
「ちょっとだけ我慢してください……よっと」
液状になった石英を、金床に落としてみる。魔力で四角くなるように流体の流れを調整する。これは水系魔法……いや、風系魔法かな? の応用と言えなくもない。
「―――『冷却』」
急冷却してみる。うん、石英ガラスは急冷却しても割れないよね。
「うーん」
白っぽい板ができた。強弁すれば曇りガラスと言える透明(?)度だ。
もう一回。
今度は加熱を続けてみる。
「暑い……暑いぞ……」
「アンタ、暑いわ……」
「暑い……」
「姉さん、暑いです……」
むう、何だか環境改善を求める声が。
炉の加熱を一時中断して、工房の土間に冷却の魔法陣を転写。真ん中に中級魔核をポイ、と置いて発動。
「うん」
急激に室温が下がる。これで気兼ねなく加熱が……って、もう石英が固まってる。
ん?
ちょっと気になる……。加熱用の勺をひっくり返すと、型から外したプリンのように石英がぽこっと取れた。そして、再度固体となった石英は、これまたプリンのカラメルのように層を成していた。
んんっ?
層になっている部分を輪切りにして……。透明度の高いところだけを取り出して、再度加熱してみよう。
「―――『点火』」
再度ドロドロになった石英を板状にして冷却。冷え切る前に『鏡面加工』も使ってみる。
「おおっ?」
すごい透明度、というわけではないけど、辛うじて向こうの人間の顔が透けて見える、くらいの透明度になった。
「おお! すごい透明度だな……」
「まだまだですよ。でも、今のところはこれが精一杯かもしれません」
「うむ、それでいいだろう。十分金になる製品だ。…………それにしてもだ、背中が暑くて、右手は寒いのだが……」
わがままだな! 北風と太陽かよっ。
私は黙って、微透明石英ガラスの製造作業を続ける。
「暑いんだか寒いんだかわからない状態だわ……レックスとサリーもアーサさんの家に避難させるわよ?」
「あ、うん、お願い。ちょっと調子が上がってきたから!」
「先に戻るわ。お疲れ様」
「お疲れ様!」
テンションが上がってきた。病み上がりのドロシーにはちょっときつい環境だろうし、早めに帰宅してくれた方がいい。
「ぐ……暑寒い……」
トーマスは汗をかきながら凍えている。
「暑いのと寒いの、どっちがいいですか?」
「………………しばらくこのままで」
チラリとトーマスの作業を見ると、もうポーションの小分けに入っている。使っているのは例の六連ピッチャーだ。あの思いつき半端道具でも、小分け作業の時間が1/4になったんだとか。小分け作業そのものは素人でもできるので、今ではドロシーも手伝わされているそうな。
しかし、トーマスの手際は凄いな。一回の錬成で万本単位のポーションを錬成して小分けしている。作りだめをしているのだけど、基本的に生モノである関係上、四日分以上のストックは持たないように調整しているらしい。
トーマスは作業が終わったのか、私に声を掛けてくる。
「よし。儂は家に戻る。お前はまだ作業を続けていくな?」
「はい、せっかくなので。作り切っちゃいます」
「そうか。戸締まり、任せたぞ」
「はい、お疲れ様です」
「明日は港へ行こう。太陽が上がりきったくらいの時間だな」
漁船が漁から戻ってくる時間、ってことだね。
「了解しました」
「うむ、ではな」
シュタッ! と手を挙げて、トーマスは愛妻の待つ自宅へ戻っていった。トーマス商店の外壁が終わったら、次はトーマスの新居の防御を固めないとなー。
石英のプリンを、石英粉がなくなるまで量産していく。
よく見れば、層になっているのは何色かに分かれている。薄ピンク、緑、青、黒、茶色。それぞれは薄い層で微々たるものだったけれども、集めたら綺麗な色つき水晶……というか珪石ができそう。
ま、いまはガラス板作っちゃおう。
金床を鏡面加工で磨き直して…………。
溶けた石英を流して成型して……。
表面も鏡面加工して……。
冷やして……。
次っ!
――――ノックノック。