プロローグ―――カボチャプリン―――
その場所は暗闇の中にあった。
床ははっきりとは見えなかったが、天地があるのは判別できた。
はっきり見えないのは自分の体も同じで、これもどうやら闇で構成されているようだ。
つまり、その場所には闇しか存在しない。
何とも曖昧じゃないか。
それは単なる思考だったのか、もしかすると発声器官から出た呟きだったのか。
どうにも、その辺りも曖昧。
ところで、そんな曖昧な私だけれども、何故か手に持っているものがあり、それだけは明瞭に形状が認識できていた。どこぞのコンビニ? で買ってきた、楽しみにしていた季節のプリンと、付属のスプーン。
スプーンをお付けしますか、とか、付けるに決まってるじゃないか。そんなことよりプリンだよね。ああ、秋にカボチャなイベントが出来たお陰で、この季節はどこにいっても真っ黄色なプリンが出回る。
いやー、滑らかで甘くて……いいよね、カボチャプリン。
それはいいとして、ここはどこなんだろうね?
この暗闇はどうみたってコンビニのある世界じゃない。
夢の中……?
にしては、どうもカボチャプリンだけ鮮明だなぁ。
《その、手に持っているものは何か?》
声が聞こえた。
どこから声がしたのか、それとも脳内で響いた?
んん?
いまの暗闇状態の私に、脳なんてものがあるのか?
《脳ではない。君には脳がない。だから思考しているのは君の―――いわゆる魂というやつだ。とても俗な言い方ではあるが》
なるほど、魂というやつは、それ単体でも人間と同等の思考を有するものなのか。一つ勉強になった。
ところで、今、会話している相手は何者だろうか? 神様みたいな?
《神ではない。言うなれば……『使徒』とでも呼ぶといい》
ははあ、なるほど、俗な言い方もするけど崇高な存在であると。
《その理解で間違いはない。……そんなことより、君が手にしているもの。それは何だ?》
プリン……。カボチャのプリンだけど?
《プリンというのか。どれ、どんなものか》
ふと気がつくと、私の手にあったプリンと、プラスチック製の小さなスプーンは消えていた。
ああっ!?
プリンが消えてしまった!
楽しみにしてたのに!
《これはつまりプディングではないか》
非難めいた語調。奪っておいてその感想とは無体過ぎる。ふん、しらんがな。
《プディングではないのか?》
ええ、まあ、そうとも言うね。私のいた国では、カスタードプディングのことをプリンと呼んでいるね。
でもまあ、このプリンはカボチャのペーストを混ぜたものだ。
っていうかプリン返せよぉ!
《カボチャ? とは何だ?》
カボチャも知らないとは……。野菜の一種、南瓜だよ。皮が緑で中が黄色い……。皮がオレンジ色のものもあるけど。
《ほう、緑色で中が黄色い……それは面妖な》
いやどうだろう? 私のいた場所ではありふれた食材だったよ。あー、英語ではオレンジ色の皮のカボチャをパンプキン、緑色の皮のカボチャはスクウォッシュって呼ぶね。
《スクウォッシュというのか。これはいい。素朴で、実に美味だ》
声は何だか嬉しそうだ。
ちくしょう、食ってるし! 取られたのは腑に落ちないけども、よくわかんない存在にまで受け入れられているのを見ると悪い気はしない。いや別にカボチャプリンを啓蒙しようとかじゃないんだけど。
それはそうと、ここはどこなの?
《魂の待機場所。ここは特別な、一種の隔離施設だ》
隔離……? 魂の待機場所……?
ということは何ですか、あたしゃ死んじまったとか?
《正確には死んだわけではないが、その理解で間違いはない。その上で命を出す。現場に赴き、与えられた指示を遂行せよ》
命……命令ってこと? 指示って何? プリンを取られた上に、命令までされるとか、どんな罰ゲームなの、コレ?
《我が尖兵となり、世界の理を守り、秩序を正すのだ》
聞いてねえ……。
どうにも理不尽だなぁ。
良くはないけどまあいい。現場っていうのは?
《現地に連絡員がいる。行ってみれば理解できる》
そういうものなんだ?
うーん、よくわかんないなぁ。
現地ってどこよ? ここじゃないの?
《毎回言っていることだが、ここで理解する必要はない》
声は少々ウンザリしたように言った。貴方にとっては何度目かでも、私にとっては初めてなんです! ディズニーランドのマニュアルにもあるよ!?
《では送るぞ》
え、説明とか、それだけ? まだ訊きたいことが――――。
《説明は不要だ。行けばわかる》
そう断じられて、私の視界は暗闇の中でも暗転した、と感じられて、意識が遠くなった。
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ボンヤリした頭、ボンヤリした視界。
手と足もボンヤリしている。
体は酷く重く感じる。
寒いんだか暑いんだか。
よくわからない。
「お、いたいた」
耳に響く低音ヴォイス。僅かに首を傾げて、声の方を見上げる。
ああ、どうやら私は座り込んでいるみたいだ。
ふっ、と体が何かに包まれて、僅かな温もりを感じる。
「おい、聞こえるか? 意識はあるか?」
低音ヴォイスに頷く。
「そうか。立てるか?」
低音ヴォイスの人が私を立たせようとしている。けども上手く立ち上がれない。
「おい、ちょっと重い……しっかり立ってくれ」
なに文句言ってるんだ……?
グッと足に力を込める。ううーん、何だか上手く体を使えない。私ってこんなに体が重かったっけ……?
「まだ体に慣れてないんだな。ほら、手足に力を込めろ」
命令口調ではあるものの、そこには柔らかい印象があり、反発心は生まれなかった。素直に従えるだけの度量があるというか。
さらにググッと手足に力を込めると、足の裏に土を感じた。
「よし、立てたな。じゃあ、いくぞ」
低音ヴォイスの人を見上げると、髭面の親父だった。若くはない、だけど老人とは言えない。見事な中年だ、と感心したところで、手を引かれた。
どこへ行くんだ、と訊こうとしたものの、口がちゃんと動かない。
「ああ、喋らなくていいぞ。大丈夫だ」
髭中年が私に言い聞かせるように言う。
さて、ここがどこで、私は誰で、髭中年が誰で……。疑問だらけだったのに、何だかどうでもよくなってしまった。
これはアレか、雛鳥が最初に見たものを親だと勘違いするという……。
「ここは空気が悪い。とりあえず外へ行くぞ。その後は――――――――」
髭中年に手を引かれて、私は暗い場所から、光の射す方へと歩き出した。
――――これが私の、この世界での第一歩だった。
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と、本作主人公へのツッコミもお願い申し上げます。