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8 馬車の中

 

「ステファニア嬢は思った事をすぐ口から出してしまう、うっかりさんで有名な方なんです。ですからもし彼女に絡まれても、受け流せば問題ないって説明してありましたよね?」


 アリシアがランクスに意見出来たのは、帰りの馬車の中だった。


 ハルフェイノスの合流を馬車の中で待つ間、お互い無言でとっても気まずかった。沈黙と暗闇が痛いくらいで、何度も口を開こうとしたものの結局何も出来ずにドレスの飾りリボンを弄って過ごしてしまった。

 ランクスの方も何も話すつもりは無いようで、じっと窓の外を窺っていた。不機嫌そうに眉を寄せた横顔を、夜目のきくアリシアがそっと盗み見ていたことなど気付きもしなかっただろう。

 疲れを滲ませたハルフェイノスが馬車に乗り込んできた時には、アリシアはホッとしたし、明らかに馬車の中に漂う空気も弛緩した。


 目的は達成したのだからあの場に長居をする必要もない。三人は夜の街をバーンズ侯爵邸へと向かって揺られていた。まだまだ夜はこれからという時間帯のせいか道は空いている。


 夜会の間中ステファニアとメールナード侯爵の相手をして、ぐったりしているハルフェイノスの事も心配だけれど、まずはこちらが先だ。

 ずっと無言だったランクスを前に、アリシアは目を眇めた。この暗い車内ではどこまで威力があるのかは分からないが、ありったけの威厳を込めて見つめてみる。

 いつもの調子を取り戻さなければ! さっきまでの空気は居心地が悪すぎる。


「……愛人などと言われたら、否定をすればいいだろう」

「それはあの場で彼女が望んだ答えじゃありません。会話を早く切り上げる為に、あえて否定はしませんでしたけど、肯定だってしていません!」

「今回の件が重要で危険だという事は俺だって分かってる。それでも君自身の尊厳の為に譲れないものはある筈だろう」


 陰でそう囁かれている事はもちろん知っている。でも彼に改めて言われると思いの外ぐさりと刺さる。

 今まで誰に噂を知られても、何とも思わなかったのに。


「はいそこまで」


 アリシアの隣で無言だったハルフェイノスが、膝の上に置かれていた彼女の手にポンと自分の手を重ねながら二人を止めた。

 そのまま宥める様に置かれた手の温もりに、アリシアは緊張が解けていなかったことに気付く。いつの間にか力が入っていたようで、両手でぎゅっと握り締めていた小物入れには皺が寄っていた。せっかくの飾りリボンも解けている。フェンクローク家のメイドが泣きそうだ。

 どうやら久しぶりの鍵開けで、気分が高ぶったままだったらしい。深呼吸をして、指と肩の力を意識して抜いた。


 ランクスは不機嫌そうに目を細めて、未だ彼女の膝の上に置かれたハルフェイノスの手を見ている。そんな姿に呆れの溜息を一つ吐いて、ハルフェイノスが口を開く。


「私はあのおめでたい父娘の相手で心底疲れているんだよ。痴話喧嘩はそれくらいにしてくれるかな?」

「痴話喧嘩ではありません。ランクス様が事前に取り決めていたのに、守ってくださらないから」


 メールナード家の夜会では、高確率でステファニアに絡まれると予想していた。だから聞き流して放置しましょうと決めていたのに。

 でもこれでは教師に言い付ける子供みたいだ。口にしてからバツの悪い気分に赤くなる。

 そんな彼女にハルフェイノスは優しい眼差しを注ぎながら、珍しくランクスの擁護に回った。


「うん、でも譲れないものは人それぞれだ。アリシアにとっては流せる事でも、彼には許しがたいものだったんだよ。私だって、目の前でアリシアが中傷されたなら、相手が一番知られたくない事でお返しをしてしまうだろうね」

「それは……その気持ちなら分かりますけれど」


 アリシアだって、以前ハルフェイノスの事を悪し様に口にした遠縁の男の足を、よろけた振りして盛大にヒールで踏んでやったことがある。もしランクスが謂れのない中傷を受けていたならば、またアリシアのヒールが活躍してしまうだろう。

 先程のざわめきが心に舞い戻って来そうで、自分の中に押し込む。

 ちらりとランクスを見ると、観念したというようにガシガシと頭をかいたあと、盛大な溜息を吐いた。せっかく夜会の為に整えた砂色の髪が乱れてしまった姿に、アリシアは何故か慌てて目を反らしてしまった。


「聞いていたが、まさかあんなに不躾だとは思わなかったんだ。作戦に支障をきたした事はすまないと思うが、あの時口を挟んだ事は後悔していない。彼女達は君に対して失礼だった」

「……ありがとうございます。彼女はいつもあのような感じなので、今まで特に気にしていませんでした。それに実を言うとランクス様の言動も、大きな問題にはならないと思います」

「は?」


 今度はハルフェイノスが続ける。


「彼女の様な立場の人間は人前であからさまな悪口なんて決して言わないし、気に入らなければ真綿で首を絞めるがごとくじっくりと輪から外して、自分のサロンから締め出すんだ。それが出来ずに直情型でものを言う彼女は、影では『小鳥』と呼ばれて言動を信用されていない。メールナード侯爵だって国外には嫁がせられず、国内でも婚約者が中々決まらない。だから影響力もほとんどない」

「そういう事ですか」


 額を押さえるランクスに、アリシアが話を引き継ぐ。


「ハルフェイノス様の前に熱を上げていたレインウッド公爵の時なんて、既にいた婚約者のご令嬢を退かせようと、悪口を並べ立て過ぎて公爵自身を引かせてしまい、それがきっかけで逆にお二人の絆が深まり、社交界でも有名な相思相愛夫妻を誕生させたという、逸話をお持ちなんです。ね、可愛らしい方でしょう?」


 可愛いらしいの使い方が絶対おかしい、と唸りながらもランクスが口を開く。


「あの侍女達の笑い声も気に入らなかった。君だって頭にきただろう」

「ステファニア嬢付きの侍女達はあれが仕事です。一糸乱れず絶妙のタイミングの笑いは、まさに職人芸の域でした」

「あれは本当に凄いね。まるで機械仕掛けの様にピッタリのタイミングでいつも笑うから、精巧な機械人形説を聞いた事があったな」

「あら、魔法人形じゃありませんでしたっけ?」

「そうだったかな。どちらも聞いた気がするなあ」


 二人の会話にランクスは脱力したのか、後ろに反らした頭が馬車の壁にあたる。


「痛っ。はあ、結局いつも中身を知らないのは俺だけですか」

「そんなつもりじゃっ」


 アリシアは慌てて取り繕ろうとする。

 でもランクスに話せないことがあるのは事実で。


「アリシア、手に入れた物は私が預かろう。それとこのままフェンクローク家に寄るから、君はそこで降りなさい」

「え? でもハルフェイノス様、今度の王領への視察付随の打合せが……」


 にっこりと笑いアリシアの手を握りながら、ハルフェイノスはそれ以上を言わせはしなかった。


「彼と二人だけで話がしたいんだ。私もランクスと会話を密にするべきだと思ってね。ステファニア嬢に出くわす前の件についても、ぜひ詳しく報告を聞きたいな」


 どうやら既に警備とのやり取りまで把握しているらしい。

 ハルフェイノスは笑みを浮かべている。なのにうすら寒く、アリシアはぶるりと震えてしまった。

 ランクスの方を振り向くとこちらも笑みを浮かべているものの、機嫌は最高に悪そうだ。


「私も是非とも、バーンズ侯爵と絆を深めたいと思っておりました。なにせ貴方は仮とはいえ私の上司ですから」

「部下の意見を聞くのも上司の役目だ。君とはじっくり夜を徹して話し合わなければと思っていたんだ」

「光栄です」


 二人とも笑顔だ。会話だけを聞くと、麗しき上司と部下のやり取りに聞こえない事もない。

 だが確実に馬車の中の気温が下がっている。アリシアはショールの前をかき合わせた。そんな彼女に二人ともがコートを差し出そうとしてきたので、丁重にお断りをしておく。


 この分だと夏には重宝しそう……などと現実逃避な事を考えながら、それ以上二人の仲の良さ(・・)について考えるのは止めておく。


 カーテンの隙間から覗く王都は、街灯が霧でぼやけて幻想的だ。これは冬の足音が聞こえるしるし。どうやら本当に冷えて来たらしい。





『彼女が結婚しないのは、バーンズ侯爵の愛人だから』

 そんな噂話に、アリシアもハルフェイノスも今まで特に注意を払ってはこなかった。二人とも社交界にはほとんど顔を出さないし、男性であるハルフェイノスが愛人を持つ事に貴族社会は寛容だ。アリシアも面倒臭い求婚相手を追い払えて好きな事が出来るなら、別にどうでも良かった。何より家族はきちんと理解していてくれるのだから、他人の目なんて気にならない。


 その筈だったのに。

 ランクスに眉を顰められるのは、苦しい。

 ここ最近の揺れ幅の大きい自分の感情は、まったくの想定外で困る。



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