5 植物園
待ち合わせ場所は植物園だった。
昼下がりの午後、ランクスは制服ではなく私服で植物園を訪れていた。勿論帯剣もしていない。
最近完成したばかりの植物園は南国の不思議な花や東方の珍しい樹木が、ガラス張りの温室を利用した園内に配置されている。毎日大盛況で、入場券を手に入れるのも一苦労という人気ぶりだ。
そんな場所で待ち合わせなどしたら永遠に会えないのではと、迎えに行くことを申し出てみたが、アリシアには丁重に断られた。なぜわざわざ現地集合に拘るのか不思議に思っていたが、確かにここならば人気が無いため出会えないという事はない。
「わざわざ行列に並んで植物園に入ったのに、地元の花を鑑賞することもないしなぁ」
ランクスが居るのは人工的に作られた池のほとりのベンチだ。ガラス張りドームの植物園の外縁に作られた、季節の草花のコーナー。要は何の変哲もない庭の草花が咲いている。もしかしたらその辺りの公園の方が、手が込んでいるかもしれない。
「肩ひじ張らずに寛げるスペースを目指したらしいですけど、空いてしまうのは仕方ないですよね。私は親しみやすい草花って好きですけれど」
そう言いながらランクスの隣に腰を下ろすのはアリシア。
相変わらず敬語だが、最近のアリシアは随分気安くなった。
鈍く輝く飴色の髪を艶やかなアップにしている。帽子の角度で表情が隠れてしまっているが、薄い唇は弧を描いている。目元もきっと楽しそうに細められているはずだ。
「珍しいな、君がきちんと日時の指定なんて」
「何ですかそれ。いつも私が時間を守らないみたいじゃありませんか」
出会いからもうすぐひと月。
あの時の屋敷は貴族院預かりとなった数日後には、不審火により焼け落ちた。
子供や娘を攫われた家族の復讐による犯行ではないかと新聞は書きたてたが、犯人が捕まったという記事はもちろん載っていない。
焼け跡から大量の人骨が発見されるも、旧時代の地下道に閉じ込められた人々だと考えらえ、市井の興味はたやすく移ってしまった。
最奥の鍵は開けられなかったと報告を入れておいたので、黒幕はきっとまんまと彼女を処分出来たと、今頃ほくそ笑んでいる事だろう。
このひと月の間に、試験運用中の組織とはいえ、ハルフェイノス・バーンズ侯爵がランクスの上司として特別局顧問の座に就いた。
アリシアは彼の補佐として、正式ではないにせよ特別局の一員として所属している。
彼女の特技は鍵開けだけではなかった。そもそも弟のベルカインが次期伯爵を名乗るようになるまでの間、次期女伯爵として教育を受けていたため、伯爵亡きあと書類仕事のほとんどを彼女がこなしていたのだ。今でも領地管理は彼女が仕切っているらしい。
特別局に出仕して、書類仕事の滞り箇所がランクスだと判断したアリシアは、今ではジドルトと一緒になってランクスに圧力をかけてくるのだ。
この頃はすっかり当初の固さなど抜け、小言ばかりを聞いている気がする。机仕事は相変わらず苦手だし、手伝って貰っているので何も言い返せはしないのが悲しいところだ。
アリシアは貴族の腐敗を嫌い、少し潔癖でやり過ぎの感はあるが、男ばかりの職場でも十分渡り歩ける意志の強さを持っていた。そんな彼女が真剣に取り組む様子に、今ではランクスも部下もこの伯爵令嬢をすっかり信頼している。
二人が会うのはいつもランクスの執務室か、バーンズ侯爵の執務室だ。
そしていつの間に仲良くなったのか、不在のランクスの執務室でお茶を飲んでジドルトと歓談していたりする。
「実はランクス様に個人的な相談がありまして」
「俺に?」
「はい、もうそろそろ通るはずなのですけど」
そう言ってアリシアは人工池の対岸の植物園ドームを見る。
ドームは日の光を最大限集める為に設計士が工夫を凝らし、ガラスの濃度が調整されている。薄曇りの今日でもドーム内は明るい。明るい方からはガラスの向こうが見え辛く、逆に暗い方からは良く見えるように出来ている。あちら側からはランクス達がぼんやりとしか見えないだろう。
――なるほど、用件があって現地集合にしたのか。
外で待ち合わせをして会うなんて、ほんの少しだけ、付き合い始めの男女のようだと意識してしまったのはランクスだけだったらしい。
「それで誰が通るって?」
声のトーンが少し低くなった事をランクス自身が自覚しながら聞くと、アリシアは特に気にするでもなく声を上げた。
「ああ来ました! あの二人です。リングネル・ホース次期伯爵って、結婚相手としてはどうなのでしょうか」
「…………は?」
思わず口を開けてアリシアを凝視すると、ちょいちょいと池の方を指し、ドームの方を見る様に促される。確かに目の前のドームの中ではリングネルと着飾った令嬢が、腕を組んで順路を巡っていく様子が見える。
リングネル・ホースとランクスは知り合いだ。今は所属が違うが軍時代は同期で、国境付近の配備では同じくレンディールの下にいた。現在は次期伯爵として王宮に出仕し、ランクスとは別の方面からレンディールに仕えている。
「随分な遊び人だという噂は聞くのですけれど、実際のところはどうなのでしょうか?」
アリシアは可愛らしく首を傾げて聞いてくる。そうされるといつもは見えない項辺りが覗けて、ランクスがどぎまぎするのを分かっていてやっているのだろうか。
――きっとそうだ。これは俺を動揺させる作戦かっ!?
「調べるのは君の得意分野だろう。それにバーンズ侯爵の許しは得ているのか」
冷静を装いながら、ついつい突き放したような事を言ってしまう。
仕方がないだろう、アリシアから移り気で有名な友人の名前を聞くとは思ってはいなかったのだから。
「うーん。もちろん私達姉妹と弟の後見は、ハルフェイノス様に引き受けて頂いてますから、許可を得なければなりませんが。でも今の時点でホース次期伯爵の醜聞を公表していないという事は、シャルロッテの結婚相手として反対はしていないってことだと思います。反対の時は片っ端から相手の醜聞を暴いて、縁談を潰してくださいますから」
「へ?」
「え?」
素っ頓狂なランクスの声に、アリシアも目を見開く。
「聞きたい事は多々あるんだが……君の妹の結婚相手?」
「そうですよ。さっき言いませんでした? ホース次期伯爵の横に居たのが私の妹のシャルロッテです。今日の私は二人の付添役としてこの植物園の前まで同行したのです。本当は婚約もしていないのに二人きりなんていけないのですけど、シャルロッテのお願いは断れなくて」
しぶしぶ、といった風にアリシアは顔を顰める。
それでどうなのですか? と迫られて、ランクスは心底早まってリングネルの過去を話さなくて良かったと思った。
「以前はまあ、多少は遊んでいたかもしれないが、今は次期伯爵となった訳だし王宮に出仕している身だ。結婚もきちんと考えている、はずだ」
多分……とは言えなかった。
「そうですか。ではマーガレットさんともシシリアさんとも、マリネッタさんとも今はお付き合いはしてらっしゃらないのですよね、良かった!」
「!?!?!?」
アリシアが挙げたのは、全て軍時代のリングネルの恋人達だ。しかも三股時代の。
既に把握済みとは……いや、それはそうだろう。バーンズ侯爵もアリシアも、情報収集に関してはまさに並ぶところ敵なしだ。
「そこまで調べ上げているのなら、俺に聞く必要はないんじゃないのか?」
「あら、何においても裏付け捜査は必要です。ダブルチェックは基本ですもの!」
ランクスは少しだけリングネルが憐れになってきた。
アリシアは根が真面目で熱心だ。だからこそ鍵開けも、書類仕事も完璧にこなすのだろうが、敵に回すと恐ろしいと認識を新たにした。
「ところでさっきの、バーンズ侯爵が反対の時には片っ端から醜聞を暴露するというのはなんだ?」
「ご存じありませんでしたか? 我がフェンクローク伯爵家にまつわる醜聞のあれこれ」
田舎子爵の三男には縁遠い、貴族のドロドロがアリシアによって面白可笑しく語られた。母や姉辺りなら喜んで飛び付きそうな話題だが、家督争いなど無縁の立ち位置で育ち、職務を離れれば噂にも疎いランクスは、何とか相槌を打つので精一杯だった。
当事者なのにアリシアのその軽さはいいのかと思ったが、当時の辛さなどわざわざ語ったりはしないのは、きっと彼女の気遣いだ。
「という訳で、ハルフェイノス様によって又従兄弟達は見事に撃退、私は晴れて自由の身となったのです」
その手腕とえげつ無さに、ランクスはやっぱり一番恐ろしいのはバーンズ侯爵だと確認した。そしてやはり彼の興味はアリシアに集中している。
「どうしてバーンズ侯爵はそこまで君達に協力的なんだ? 縁戚関係という訳でもないのだろう」
「…………ハルフェイノス様は、両親の古い知り合いなのです」
ランクスの疑問にアリシアは微笑んで、それ以上何も語らなかった。
・・・・・・・・・・
「何でお前が付いてくるんだよ、ランクス」
リングネルが、隣に居るランクスに不機嫌そうに話しかける。
アリシアと一緒に、シャルロッテとリングネルに合流したランクスは、明らかに迷惑そうな顔をした男に満面の笑みを見せてやった。何故か悪だくみをしているように見えるという、軍時代から定評のある笑みだ。さっと顔色を変えたリングネルは、二人の女性に聞こえない様に小声で話しかけてきた。
店内の少し離れたところでは、アリシアとシャルロッテが楽しそうに小物を選んでいる。リングネルとランクスは明らかに浮いていた。可愛らしい雑貨の店で、二人は出来るだけ気配を消しながら、置時計の陰で攻防を繰り広げていた。
「まさか婚約者でもないのに、二人だけで外を歩かせるわけにはいかないだろう?」
ワザとらしくランクスが言うと、リングネルに脇を小突かれる。
「その為にアリシア嬢も一緒なんだろう。まったく」
「何だ、彼女が一緒なのはいいのか? 邪魔なんだろう」
「とんでもない! 未来の義姉ならいくらでも歓迎だ。家族の賛成は必須だからな。それにフェンクローク家で一番発言力が強いのは彼女だし」
最後の一言に引っかかった。
リングネルは、ランクスとは違う位置でレンディールに仕えている。
アリシアの仕事中の安全確保はランクスの役目だ。では家族に気を配り、いざという時すぐに連絡が届くように近づいておくのは? レンディールならそのくらいの手は打つ。
「……バレたら恐ろしいことになるぞ」
「怖いなぁ。でももう手遅れだし、そうなってもきっとロッテは分かってくれると思う」
そう言って、リングネルはうっとりとシャルロッテを見つめた。
境界の曖昧な役目にぐらついているリングネルを目にして、何故かランクスは焦りに襲われた。
まるで気付いてはいけないものを突き付けられているようで、落ち着かない。




