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3 再会

 ランクス・ラチェットは、気乗りのしないまま待合室へと向かっていた。

 先日の礼がしたいと、令嬢がランクスを訪ねて来たというのだ。


 地方子爵の三男坊として生まれたランクスは、身の振り方を決めるにあたり、兵の道を選んだ。上の兄二人のように椅子にじっとしているのは得意ではないし、危険が伴っても国の為に役に立っていると実感できると思ったからだ。

 軍時代は身体を動かしていれば良かったので、辛い事があっても苦にはならなかった。国境付近の配備は、上司が有能だったおかげもあり、信頼できる仲間と確かな充実感を与えてくれる任務だった。

 だが上司兼友人であるレンディールに引き抜かれ、王都の特別局に配置されてからは鬱憤が溜まっている。


 ここでの仕事の大半は机仕事。相手にするのは兵士ではなく、貴族という名の人妖だ。

 机仕事が嫌で士官した筈なのに、田舎に帰れば兄達に羨まれる王都での出仕という形になっているのだから、人生など分からないものだ。


 特別局は主に貴族による重犯罪を扱う。

 基本的に貴族の罪は貴族院の受け持ちであり、そして貴族でないものの訴えは却下が常だ。自分達で自分達を裁いているのだから、当然の結果ともいえる。

 これを嘆いたレンディールが、貴族と民間の争いにも介入する特別局を立ち上げた。まだ一年足らずの試験運用中だが、重犯罪だけでもかなりの数に上っている。軽犯罪関連もゆくゆくは運用し、民衆間の警察組織と区別なく扱えるように整えて行くらしい。

 道のりは長そうだ、そしてランクスはやっぱり机仕事が向いていない。処理したはずなのに翌日には更に嵩を増す執務机の書類を抱え、今でも自分の限界ぎりぎりの状態だ。


 今はカールストン伯爵の処遇を巡って横槍が入っている。猫の手も借りたいくらいの忙しさだというのに。

 確かに収賄と密輸入は重犯罪に括るには弱いのかもしれない。レンディールとランクスの探していた別件の証拠さえ手に入れば、また話は違っていたのにと悔やまれる。



 待合室の扉の前でため息を一つ吐き、扉を開け放つ。

 連絡を寄こした者によれば、訪ねて来たのは先日のカールストン伯爵邸での捕り物で介抱された令嬢の一人らしい。

 ランクスも部下も多くの令嬢を介抱した為、一体誰のことか分からない。彼女達は見事にバタバタと倒れたのだ。偶然(・・)みんな座イスや支えてくれる人間の居る場所に向かって倒れた為、怪我をした者はいなかったが、人手を取られて彼等は非常に困った。


 そんなことを思いながら待合室にいくつか置かれたテーブルを見回すと、一番入口から遠いテーブルの人物が目に入った途端、ランクスは一瞬目を見開いた。

 自分の思考が止まりながらも、素早く出入り口と窓の施錠を確認したのは日頃の訓練のお蔭だと、条件反射に感謝をする。


「ごきげんよう、ラチェット様」


 立ち上った彼女は優雅に淑女の礼をとった。




 アリシア・フェンクロークと名乗った彼女を、ランクスは自分の執務室まで連れて来た。抵抗せずに大人しく付いてきた事には感謝しているが、もし抵抗されても今度は決して逃がしはしない。


 独身女性と二人きりで同席する際には、慣例として扉を開けておかなければならないが、今回はそれさえも無視した。室内で作業していた補佐官のジドルトに退室を命じた時など、いつもは開いているのかいないのか分からない糸目がカッと見開かれて、ランクスは数年ぶりに彼の虹彩を見た気がする。

 しっかりと扉に鍵を掛け、唯一の出入り口の扉を背にして陣取る。ここは三階だし、秘密の螺旋階段もない。これで完璧だとランクスが彼女を見やると、勧めたソファに腰掛けたアリシアは、くすくすと笑っている。


「申し訳ないが、今回は逃がすわけにはいかないんだ」

「別にかまいません、私も他の方に話を聞かれると色々と説明に困ってしまいますから。今日はラチェット様の本当の上司の方に、大切なお手紙を届けに伺いました」


 彼女の言葉にランクスは胡乱な視線を送る。

 直属の上司と取りまとめ役は、文官出身の名士と既に高齢の貴族が名を連ねている。言わばお飾りの名誉職扱いだ。本当の上司であるレンディールは発起人となってはいるが、内実に深く干渉しているとは発表されてはいない。少なくとも公式には。


 しかし彼女の差し出した封書はレンディール宛て。

 そして差出人の封蝋は……


「バーンズ侯爵!?」


 手元に貴族名鑑も無い状態で、フェンクロークの名に心当たりもなかったランクスは、突如出てきた大物貴族の名前に思わず声が大きくなってしまった。


「今日の私はバーンズ侯爵のお使いです。あとこちらは貴方に」


 今度は封のされていない大判の茶封筒を渡される。アリシアを警戒しながら、その中身の書類を引き出したランクスは、平静を保とうとしながらも失敗をしてしまった。

 中身はあの夜見つけようとして見つけられなかったもの。


 カールストン伯爵が人身売買に手を染めている証拠の契約書だった。

 ご丁寧に使用されている屋敷の場所まで特定した書類が添付されている。


「すぐに戻る! 貴女はここから絶対に出ない様にっ」


 鍵を開けるのももどかしく扉から飛び出したランクスは、案の定扉の外で鈴なりになった部下へと指示を飛ばす。浮いた噂の一つもない上司の艶事かと、期待しながら出歯亀をしていた部下達は、ランクスの剣幕にすぐさま顔を引き締めた。

 開け放った扉前に監視を二名置き、別の一人には副官(ジドルト)に対して、アリシアの身上を貴族名鑑で調べて報告するようにとの伝達を頼み、残りの全員に非番も含めて出動準備を進めるようにと指示を出す。



 ランクスは何とか見咎められないギリギリの速度を出しながら、豪奢な廊下を競歩のように進む。王宮と特別局は目と鼻の先とはいえ、目的の場所までたどり着くには膨大な時間がかかる。通行と謁見の許可を得ているというのに一々足を止められ、会話をした事もない貴族にすれ違いざま嫌味を言われ、それらをすべて受け流しながら漸く扉はあと一つだ。

 レンディールの執務室前には二人の護衛が付いていた。顔見知りの一人に視線を送ると緊急事態を悟ったのだろう、直ぐに中へと伺いを立ててくれた。

 入出する際にすれ違いざま「派手に動くとまた(・・)的にされるぞ」とのいらない忠告には、無言で肘を入れておいた。この護衛もランクスと同じくレンディールの軍時代の元部下だ。




 レンディール・ギルランカ・アストーン。

 アストーン国の第一王子は、この状況に何と言うだろうか。



 ・・・・・・・・・・



 件の屋敷へと揺られる馬車の中で、ランクスは正面に座るアリシアの横顔を見つめていた。

 アリシアは馬車の小窓から暮れかける街並みを眺めている。


 人身売買が行われているという屋敷へは、レンディールからすぐに急行する許可がおりたものの、その条件の中にアリシアの同行が入っていた。

 バーンズ侯爵からは情報提供と協力の申し入れがあったようだ。レンディールは封書の内容までは語らなかったが、どうやら二人が目指すものは同じらしい。


 社交界にはまったく詳しくないランクスでも、ハルフェイノス・バーンズ侯爵は知っている。侯爵でありながら独身を貫き、夜会にもほとんど出席しない変わり者。

 実はこれまで特別局には、匿名という形で貴族の不正情報がもたらされる事があったが、どうやら彼が出処だったらしい。もちろん情報がもたらされた場合、裏付けと証拠集めはこちらでやるが、その匿名情報の正確さにはレンディールも舌を巻いていた。足跡を辿れないので捕まえられはしなかったが、是非にも欲しい人材だと。


 そんなバーンズ侯爵が条件に入れてくる彼女には、一体どんな意味があるというのだろうか。


 フェンクローク伯爵家の長女、アリシア。

 貴族名鑑をあたらせたジドルトには既知の名前だったようで、すぐに報告が届いた。四年程前に次期女伯爵の肩書を下ろしてからは、全ての結婚話を断っているという。当時はちょっとした話題になったらしい。確かに先日のカールストン伯爵家の夜会名簿にも妹と共に名前が記載されていた。


 そんな思考に耽っている時、轍に嵌った馬車がガタンと大きく揺れた。

 傾いで馬車の側面に顔をぶつけそうになったアリシアを、ランクスはとっさに支えた。

 いざという時危ないからと、アリシアの正面の席から隣へと移動する。

 狭い馬車の中で、ランクスとアリシアの膝が触れ合う。


 あまりの近さに、自分から移動しておきながら間が持たなくなったランクスは、待合室で顔を合わせてから、アリシアとまともな会話すらしていないことに漸く思い至った。


「……こちらから執務室にお連れしたのに、突然退出してしまい失礼しました」

「いいえ、当然の反応だと思います。私こそ、先日は勝手に帰ってしまってごめんなさい」


 ランクスはまったくだ、とは思ったが、アリシアが本当に申し訳なさそうな顔をしているので、そんな言葉はもちろん飲み込んだ。考えればあの場から連れ出して特別局で事情を聴くなどという事になれば、醜聞は手の付けられないものになっていただろう。

 極秘書類を手に入れるために忍び込んでいたなんて、口が裂けても話せはしないだろうし。


「貴女は一体何者なのですか?」


 不躾かとは思ったが、ランクスが知りたいのはこれに尽きる。

 アリシアの様な伯爵家の令嬢が、何故泥棒紛いの事をしているのか。何故バーンズ侯爵に危険を冒してまで協力するのか。


「私はバーンズ様の収集員です」


 説明はそれで終わりだとばかりに、アリシアは微笑んでいる。ランクスの母や姉も偶にやる、完璧な淑女の微笑みというやつだ。これをやる時大抵二人とも機嫌が悪かった。今も「黙秘します」と宣言されたも同じだろう。きっと彼女は自分には何も語らない。

 この笑顔は曲者かもしれないと思いながら、ランクスは話題をあの晩の出来事に戻した。


「それにしても壺はちょっとやり過ぎじゃありませんでしたか? あの後カールストンは子供みたいに泣いてばかりでしたよ」


 このくらいの苦情は許されるだろうと、ランクスが少しおどけて言うと、アリシアも返してきた。


「あら? 最後に肩を脱臼させた方の言葉とは思えませんわ。それならもう少し右寄りに追い込んでくだされば、卓上の辞書で代用出来ましたのに」

「もちろん角で?」

「ええもちろん。一番固い角で一撃です」


 そこまで澄まして続けていたのに、耐えきれなくなったのかアリシアはいきなり噴いた。

 辛うじて扇で口元を覆っていたが、明らかに噴いた。

 ランクスも思わず自然と口の端が上がってしまう。今回の急展開と、現場へと向かう緊張とで無駄に入っていた肩の力が抜けた。


 丁度現場にも到着したようだ。馬車が徐々に速度を緩める。

 漸く笑いが収まったアリシアは、そっとランクスを覗き込みながら口を開く。


「メイドの娘さんはどうなりました?」

「今は実家に帰っていますが、新しい奉公先は既に決まっています。とても穏やかなご婦人の屋敷です」

「よかった」


 アリシアは首を少しだけ傾げて微笑んだ。先程とは違う心からの笑みに、ランクスの心臓が一瞬だけ跳ねる。

 彼女の瞳が夕日の加減かラベンダー色に輝いて見えた。吸い込まれてしまいそうだと、ランクスは柄にもないことを考えた。




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