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13 グランドー

 

 秋も深まり始めた頃、メールナード侯爵領地の王家預かりが決定した。


 メールナードもカールストンも裁判所で主張を一歩も譲らず、逃げようとするメールナードと、死なば諸共とばかりに道連れにしようとするカールストンの裁判の様子は連日紙面を賑わせている。有罪であることは誰の目にも明らかで、財産を秘匿されてしまわないよう早々に家財は裁判所に押さえられ、領地も王家預かりが異例の速さで決定した。

 ミレルヴァ第二王妃については、謁見室での出来事自体全て無かった事として伏されたが、あれ以来王妃が公式の場に顔を見せる事はない。


 そしてグランドー捜索の許可が下りた。


 二十年前の出来事は王妃暗殺という重大事件。断罪するには政治的な配慮が必要になるし、アリシアに口を出せる範囲などではない。そもそも口を出すつもりもない。

 真実を暴きたいという気持ち自体は、痛々しいほど瞳を輝かせながら首に手を掛けてきたミレルヴァを目にして、アリシアの中で決着している。

 ――それなのにどうして?

 真実を明らかにすれば留飲も下がりすっきりするのかと思っていたのに、実際は胸の途中に何かが引っかかってアリシアを苛む。


 そんな事をぼんやりと考えながら、濃いベール越しに捜索作業を眺める。

 今日のアリシアは漆黒のドレスと表情が窺えない程濃いベールを纏っている。正式な喪服ではないけれど、他の色を選ぶ気にはなれなかった。

 唯一の色は彼女の首下のブローチ。碧石のブローチは王家への返却を申し出たものの、レンディールによって返されてしまった。

「それは母がルクレツィアへと贈った感謝の品。……私も彼女には深く感謝しているのだ。だから娘である君の側において欲しい」

 この国の第一王子にそう言われて断れるはずも無く、持て余してずっと宝石箱の一番奥に仕舞い込んでいた。けれど、今日だけは着けなければならない気がした。


 今日彼女が見つかる。

 不思議な予感がして、それをアリシアもハルフェイノスも疑っていない。言葉で説明のつかないものも世の中にはきっとある。


 右手に温かいものが触れて視線を横にずらしてみると、見慣れた手が重ねられている。無骨なのに温かい大きな手。

 隣にはランクスが佇んでいた。

 ハルフェイノスと共に指揮を執っていたのに、いつの間に近づいたのだろう。余程アリシアはぼうっとしていたらしい。

 彼女の右手は強くドレスの裾を握り締めていた。またやってしまった。作法も何もあったものじゃない。マナースクールに通う生徒なら、確実に教師から物差しで叩かれている大失態。ここ最近は子供の頃の悪癖が復活していて嫌になる。


「大丈夫か」

「何がですか?」

「ずっと眠れていなかっただろう」

「ご心配ありがとうございます。もうすっかり良くなりました」


 ベールのおかげで表情が見えないのを幸いに、努めて明るい声で否定する。

 内容など覚えてはいないけれど、あの日から夢でうなされることが多くなった。

 あまりに酷くなる顔色と目の下のクマに、ランクスとハルフェイノスの二人から毎日のように心配され、元気だと嘘を吐くのが苦しくて顔を出す回数を減らしたくらいだ。


 いつもはここで引いてくれるのに、今日のランクスは引いてはくれなかった。


 触れるか触れないかの軽さで重ねられていたランクスの掌が、掬うようにしてアリシアの右手を持ち上げる。


「毎日君を見ていたんだ、今顔色が見えなくたって分かる。俺では助けにならないか?」

「相棒だからってそこまでお人好しだと苦労してしまいますよ、ランクス様」


 やんわりと、踏み込み過ぎだと指摘する。

 しかしランクスは持ち上げた手を軽く引き、至近距離まで顔を近づけた。シャルロッテ()とアリシアが内緒話をするような距離。これではベール越しにでも目が合ってしまう。


「相棒だからじゃない。もちろんバーンズ侯爵も関係ない。俺が心配なだけだ。……本音は君に頼って欲しくて、格好良いところを見せたいんだ。ほら、お人好しなんかじゃないだろう?」


 その真剣な眼差しと茶化したような言葉の差に、アリシアは可笑しいのに泣きたくなる。きっと不細工な顔になっているからベール越しで良かったと思う。

 ――ああでも、目が合ってしまう近さじゃ隠せないかも。

 慌てて距離を取ろうとしたら、逆に一歩を詰められた。ランクスの肩口に縋るような形になる。


「これなら顔も見えないだろ。声だって誰にも聞こえはしないから大丈夫」


 体勢的に大丈夫じゃない! とは思ったけれど、今なら素直に話せそうな気がした。

 程よい高さの肩口はアリシアが頭を預けるのにちょうどぴったりだ。


「第二王妃から向けられた殺意と暴力は恐ろしかったはず。そう感じるのは自然な事だし隠さなくていい、吐き出してしまえばいいんだ」

「確かに怖くなかったと言えば嘘になります。でもランクス様やハルフェイノス様を信じていましたし、最近眠れないのはその事が原因じゃないと思います。第二王妃から向けられたのは私への殺意ではありませんでした。彼女の目は何処までもルクレツィアの亡霊を映していましたから」


 ランクスの側で、一番安全な腕の中であの日を振り返りながら、アリシアは自分でも掴みきれていなかった心の中の澱と悪夢の意味に気付いた。


「私にとって彼女(ルクレツィア)は、話だけに聞く親戚のように縁遠い存在でした。そもそも自分がフェンクローク家の娘ではないと知ったのだって、十七歳を過ぎてからでしたから」


 バーンズ家のメイド頭が口を滑らせなければハルフェイノスは話してくれなかったはず。そうしたらアリシアは収集員になどならずに、ハルフェイノスとの関係もただの後見人だったのかもしれない。小さな違和感を抱えながらも、それなりに幸せに暮らしていたのだろうか。

 もっともバーンズ家の、それもメイド頭が口を滑らせる(・・・・・)なんて考えられないから、最初からルクレツィアの事をアリシアに伝えるつもりだったに違いないけれど。彼女達バーンズ家に長年仕える使用人はルクレツィアの事をよく覚えていた。


「私だけが彼女を知らないんです。彼女の容姿、彼女の声。何が得意で何を苦手としていたか。好き嫌い、好みの色。黒髪の鬘を被れば皆によく似ていると言われたけれど、鏡に映るのは私自身だもの。二十年前に亡くなった彼女を、私だけが覚えていないんです」


 最初は単純に、自分よりも多くの事を器用に熟す彼女を尊敬した。

 任務の為に散ったのだと聞かされ、可哀相だとは思ったけれど何処か他人事で一歩引いていた。アリシアにとっての母は、朧げながら覚えている亡きフェンクローク伯爵夫人と、全幅の信頼を寄せその胸に飛び込めるエリアルだから。

 ――その距離感なら丁度良かった筈なのに。

 たくさんの情報を集めて真実を突きつめる中、ふとした瞬間に似ている部分を見つけてしまう。姿だけじゃない、報告書から読み取れる行動の端々に確かな血の繋がりを感じて、そうするともう駄目だった。

 過去の言葉を思い出す。ハルフェイノスに雇われた鍵開け士は免許皆伝を授ける時、生まれながらの才だと懐かしそうに言ったではないか。まるでもう一人の教え子(ルクレツィア)を見るように。

 ハルフェイノスだってアリシアのどうって事のない仕草に、懐かしそうに目を細める。


 私を置いていった人に、私の大切だと思うものは占拠されている。

 そんなのは思い込み。アリシアには大切な家族がいて、好きな物があって、この時代に生きている。

 それなのに心の一番深いところで、ドレスの裾を握りしめ子供のアリシアが泣いている。


「ようやく気付きました、私はこの日が怖かったんです。彼女が見つかるのが怖かった。対面した彼女を、非業の死を遂げた彼女を、周りの人々の様に心から褒め称えて悼むことも出来ず、責めてしまいそうな醜い自分を晒すのが怖かったんです」


 ――どうして私を産んだの。どうして手放していったの?


 ルクレツィアに感じる憧憬と嫉妬の混ざり合ったような表現しづらい感情は、彼女を知る人々には口に出来ない。ハルフェイノスになど絶対に話せない。

 フェンクロークの家族に吐露して心配させるわけにもいかなかった。それではちゃんと愛されているのに、もっととねだっているみたいで。


「それのどこがいけないんだ。優秀な収集員だろうとルクレツィアは君の母親だろう。どんな事情があったにせよ、君の心に傷を残し枷になってる」

「でも私はもう大人です。それなのに幼い子供のように置いていかれたことを、愛してもらえなかった事を恨みに思っているなんて」

「いくつになっても彼女は君の母親だし、君は彼女の娘だろ? 俺にとってルクレツィアは話の中だけの人物で、大切なのはアリシアの気持ちの方だけだ。――だから、恨み事なんてどんどん言ってやればいいと思う。俺の姉なんて、嫁いだ後も里帰りの度に母としょっちゅう口喧嘩ばかりしてたぞ。あちらにも言い分はあるだろうが、言えないのだから仕方ないさ。死んだら聖人なんて、そんなのただの綺麗ごとだ」


「バーンズ侯爵や他の人間が何を言ったって、俺は君の味方だ」そう言うランクスに、アリシアはそっと身体を傾けた。

 ハルフェイノスはアリシアには何も言わないだろう。そこまで二人の距離は近くない。手を握られたり頭を撫でられる事はあっても、抱きしめられた事なんて無かった。

 寧ろこうして全てを預けても構わないと思えるのは…………。


 取られたままの右手の指先に力を入れたら、包み込むように握り返してくれた。

 右手を取られもう片方の手は背中に回されて、まるでダンスでも踊るようだと的外れなことを考える。

 アリシアは心が軽くなった気がした。




 王領との境界に接するグランドーの墓所の一つでルクレツィアは見つかった。

 共同安置所の棺の一つ、管理名簿に記載のないそれは二十年前王都で流行した衣装のまま。明らかに他の埋葬者とは違う服装だった。凝った刺繍も広がる裾のレースも、ボロボロだけれど、確かに彼女の仕立て記録と一致した。


 いざ彼女と対面すると、恨みごとを言ったのはアリシアではなくハルフェイノスの方だった。

 ずっと無表情だったハルフェイノスは、彼女の遺骸に嵌められたままの華奢な指輪を目にして崩れた。

 当時留学中だった彼は休暇で帰国してもルクレツィアには一度も会えず、その失踪すら帰国してから知ったのだという。知らなかった。ハルフェイノスがあの優しげな先代バーンズ侯爵の話を全くしない理由に、漸く思い至った。


 涙が溢れて止まらなくなった。

 ハルフェイノスの背中を後ろから力いっぱい抱きしめる。

 アリシアにもハルフェイノスにも口に出来なかった想いがある。

 そしてルクレツィアと先代バーンズ侯爵にも。


 ハルフェイノスに酷い仕打ちをした先代侯爵は、アリシアには優しかった。膝に乗せられ頭を撫でてもらった事を覚えてる。あれはアリシアが一番欲しかった絵本を読んでもらった時。

 それはハルフェイノスの知らない先代バーンズ侯爵の姿。


 ……同じようにアリシアが知らないルクレツィアの姿があるのだろう。

 知らないだけで、覚えていないだけで、彼女は抱きしめてくれたのかもしれない。


 それまで胸に(つか)えていたものが涙と一緒に流される。

 その日初めて二人は抱き合って、大声を上げて泣いた。



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