11 さらされた真実
「バーンズ侯爵、それは君の妄想ではないのかな。私も貴族院議長として資料には目を通したが、彼は随分と悪辣な人間だったようだ。馬車の事故も言い逃れできないと観念した上の自殺かもしれん。カールストン伯爵とは何度か顔を合わせた程度の面識はあったから、反証があるならしっかりと裁判に臨んで欲しかったと悔やまれる。真実を究明できない事は残念だが、まさか今流行の降霊術を行うという訳にもいくまい?」
メールナード侯爵は、カールストンの領地でこっそり行われていた密輸のルートを使い、人身売買に手を広げようとしていた。その中には孤児院や下町から攫われた女子供の他にも、相続問題で親族に疎まれた相続人や庶子も含まれていた。相続財産の裁判は近年急増し、貴族達にとっては最も頭の痛い問題となっている。メールナード侯爵はこれに目を付け、相続人を処分したい親族達から手数料を取り、引き取った者達を言葉も通じない、海を隔てた外国へと売りつけようと企てたのだ。裁判件数の増大で負担の大きかった貴族院の仕事も減るし、まさに一石三鳥。
貴族を取り締まる貴族院議長がこれらの黒幕では、摘発など行われるはずも無い。
これらハルフェイノスからの摘発に、メールナード侯爵は余裕の表情で応じた。
死人に口無し。自分の講じた手が完全に成功していると信じているのだろう。
「それでは証拠をお見せしましょう」
ハルフェイノスからちらりと送られた合図に、ランクスは控えの間の扉を開ける。
正面の大扉ではなく、使用人や騎士が出入りする側面の扉だ。
証人の綱を持ち出ていこうとするランクスの横では、明らかに緊張した顔のアリシアが両手を指が白くなる程強く組んでいる。
何かを強く握る癖。どうやらこれは緊張した時の彼女の癖らしい。
アリシアの手にポンと自分の手を重ね、宥める様にゆるく包み込む。いつかのハルフェイノスの真似みたいで癪に障るが、今彼女の心を軽く出来るならなんだって構わない。
アリシアは深呼吸をしてランクスに微笑む。その顔を見て、ランクスも無意識に入っていた力が、いい具合に抜けた気がした。
この間は一瞬。
証人が一緒でなければ声を掛けられたのにと思いながらも、そんなもの必要ないとも思う。初めて出会った時に感じた共感を、この一瞬にも確かに共有した気がするのだから不思議だ。この感覚は誰とも味わった事のないものだ。
ただ二人きりでないのは、やっぱり少しだけ残念だが。
そのままランクスは謁見室へと証人を連れて扉を潜った。
「あんまりですメールナード様! いつだって汚れ役を引き受けて、貴方の手足となった私を殺そうとするなんてっ!!」
「そんな……新聞では確かに事故死だとっ!」
口元を引きつらせるメールナードに向かって、死んだはずのカールストンが涙ながらに訴える。
カールストン伯爵は鼻と目から体液を垂れ流して訴えた。自慢の鼻は赤く腫れ上がっている。
勿論ランクス達は拷問などしていない。間一髪駆け付けて、体当たりで馬車を止めて助け出した時に顔面を床に打ちつけたらしい。打ち身と擦り傷がほとんどで大きな怪我はなかったが、鼻血がなかなか止まらなかった。取り調べの間中も泣き通しで参った。
逆に怪我を負ったのはこちらの方だ。御者に扮した雇い人を捕まえた部下は、切りつけられて縫う羽目になったし、ランクスも馬車で体当たりを仕掛けた時に打ち付けた肩がずきずきと痛む。夜には腫れるかもしれないなと、今までの経験から思う。
助け出された後のカールストンは、自分が使い捨てられる所だったと悟ったのだろう。聞いてもいないのに、取調室で微に入り細に入り語った。
メールナードとの連絡方法。彼からの要求。彼に重用されることになったきっかけ。
そして第二王妃からの我儘。
御者は薬で眠らされているだけで無事だった。今は特別局に匿っている。
二人分の背格好の似た死体を見つけてくるのは骨が折れたが、家令は碌に顔を見もせずに本人だと断言してくれたので助かった。もっとも、死んでくれている事が家族と屋敷の人間の総意だったというのは、他人事ながら空しいが。
警官たちの発見が早かったのもランクス達に味方した。遺体は見つからず、雇った裏路地の人間からの連絡も無しじゃ、メールナードに怪しまれてしまう。新聞記事が載ったおかげで、少しの時間を稼げた。
レンディールとハルフェイノスが戻り、この舞台を用意するまでの少しの時間が。
「知らん。その男の妄想だ」
メールナードはカールストンを不快生物でも見る様な目で蔑み、吐き捨てた。
おそらくこれにより、糸一本の細さで残っていたカールストンの忠誠心が完全に切れた。
「よくも、よくも! うちが細々やってた密輸を人身売買にまで広げたのはあんただ。鼻っ柱の強いオケリー公爵令嬢を攫って、他国の助平じじいに売りつけてやろうって言ったのだってあんただろっ」
それからは国王の前だというのに、怒号が飛び交う酷い有様となった。互いに相手の悪行を暴露し、罪をなすりつけようとしている。
「陛下」
「発言を許す」
許可を取ったレンディールに促され、ハルフェイノスが一歩前に出る。
「カールストンより提出された手紙がございます。これらはメールナード侯爵からカールストンへと届けられた直筆の指示書です。本来ならば彼の伯爵邸にて発見出来ることを期待しておりましたが、叶いませんでした。カールストンは馴染みの娼婦が文字を読めない事を利用して、彼女に預けて指示書を保管していたのです」
ランクスは取り調べでこの供述を引き出した後、真夜中過ぎに娼館へと向かったのだが、これにはひと悶着あった。
何故ならアリシアが一緒に付いて行くと言って聞かなかったのだ。娼館のある界隈で、もし万が一にでも顔見知りと鉢合わせたならば、彼女の身の破滅だ。必死に止めたのに、相棒ならばと懇願されて、結局ランクスが折れる羽目になってしまった。自分も同じ手を使ってメールナード侯爵邸に付いて行った手前、強く出られなかった。
本当は、彼女が必死になっている理由を既に知っているからだとは、言えなかった。
実際に同行してみると、アリシアは専用にあつらえられた紳士服と鬘を身に着け、外套を羽織れば年若い貴族青年にしか見えなかった。今までの潜入経験は伊達ではなかったらしい。入り口では真っ赤になっていたのに、カールストンの娼婦と交渉する時には、彼女を褒め煽てて上手い具合に説得し、見事穏便に書類を手に入れた。最後には次に来たら割引きするとまで言われ、袖を引かれて焦っていた。
生き生きとするアリシアに、危なっかしいとハラハラしながらも二人で潜入も悪くはないとほんの少し思ってしまった。
その指示書に国王と宰相が目を通す。
「燃やせとの指示でしたがね、私だってそこまで馬鹿じゃありません。万が一という時の為に半分冗談で取っておいたんですが、そんなの使う前に殺されるところでしたよ」
おどけて言うカールストンは道化のようだ。すっかり何処かのネジでも飛んでしまったのか、やけに明るい。破れかぶれという感じだ。
「どうだ?」
国王の問いに、宰相が深刻な顔で頷く。
「貴族院議長としていつも採決を頂くときのサインです。見間違えようが御座いません」
「実際に君たちは私のジネットを誘拐して他国に売り払おうとしたようだが、娘が一体君たちに何をしたというのだ」
オケリー公爵が平坦な声で詰問する。感情を露わになどしていないが、その声はどこまでも鋭く冷えていた。
彼こそがもう一人の証人、強力な援軍だ。
オケリー公爵の娘ジネットは出国してすぐに攫われ、アリシアが鍵開けをしたあの屋敷で監禁されていた。最も強固な外国製の扉の先に。
助け出した時の彼女は精神的に追い詰められかなり衰弱していた。今はオケリー公爵家の領地で静養している。
レンディールとハルフェイノスは、貴族院には奥の鍵は開けられなかったと報告し、オケリーに令嬢の生存の秘匿を頼んだのだ。愛娘の受けた仕打ちとその生還に涙したオケリーは願いを快く聞き入れ、黒幕への追及に立ち会う事を望んだ。
国王ではなくレンディールに忠義を誓うとまで言い、彼は膝を折った。
「クリス、ジネットはどうなった」
愛称で問いかける国王に、オケリー公爵は恭しく一礼した。
「バーンズ侯爵の助力と特別局の働きで、無事救出されました。お蔭様で今は領地で静養しており心身ともに安定しております。レンディール様のお力添えには感謝しても足りるという事はございません」
「そうか。オザナムの件といい、お前達には身内の不始末で苦労をかけたな」
「っ陛下!?」
国王の言葉に目を剥いたのはミレルヴァだ。
これではまるで謝罪しているようではないか。
そして、暗にオザナムとミレルヴァが関わっていると匂わせているような……。
「もうたくさんです。私がこのような場に立ち会わされる必要などございませんでしょう。既に離れた生家の所業など、もちろん把握しようがございません。陛下、私は気分が優れませんので失礼させて頂きます」
ミレルヴァは顎を上げ、レンディールを見下すように告げる。
もっとも身長はレンディールの方が遥かに高いので、どうしても見上げる格好になるのだが。傲慢な科白とは裏腹に、その顔色は青を過ぎて白く見える。
レンディールは慇懃なほどに明るい声で彼女に話し掛ける。
「申し訳ありませんでした、ミレルヴァ様。この続きは勿論新しい貴族院議長の下で公正な裁判として行われる事でしょう。このような騒がしい場面に陛下やミレルヴァ様に同席して頂いたのには理由がございます。貴女にどうしてもお聞きしたい事があるのです」
そこで一度だけ言葉を切り、レンディールはゆっくりと微笑む。
これこそが彼が最も望んだ場面。
「第一王妃を殺したのは、こちらにいるメールナード侯爵ですか。或いは亡くなられた先代侯爵? …………それとも第二王妃、あなた自身ですか」
レンディールの言葉により場が静まり返った。
この緩急を弁えた掌握術に、やはり彼しかいないのだとランクスはいつも思い知らされる。
国境線であわや衝突かと緊張が高まった時も。
雪中訓練で突然彼らの部隊だけが背後から狙われた時も。
いつだって最良のタイミングで仲間の心を鼓舞し、敵対者の心を抉るのだ。




