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9 動き出した歯車

 

「見張りの解除だと?」


 執務室で書類仕事と格闘していたランクスは、部下の報告に思わず手元の書類を握り潰してしまいそうになった。すかさず書類を取り上げた副官のジドルトが、端に付いた皺を伸ばしている。


 こんな時に限って! と、心の中で悪態を吐く。

 レンディールは現在王都を離れている。しかもハルフェイノスを伴って。すぐ側の王領地とはいえ、戻りは明日になるだろう。


 証拠を押さえ貴族院へと裁きを委ねたカールストン伯爵は、自宅での謹慎を申しつけられていた。これが爵位のない庶民ならば、あっという間に牢屋に入れられ、刑が執行されていてもおかしくはない。相変わらずこの国は貴族に甘いのだ。

 とにかくカールストンは派遣された兵士に昼夜問わず行動を見張られて、召喚までは外出禁止のはずだった。


「貴族院の職員は何と弁明しているんだ?」


 部下のキエニーは眉尻を下げる。


「酷いものです。邸に張り付いていた者から連絡が入って急いで問い合わせたら、預かった証拠書類を全て残らず紛失したと言い出すんですよ!? 証拠がない以上、伯爵位にある人物の名誉を傷つける訳にはいかないため、解除したと言ってきたのです」


 ランクスは荒唐無稽な言い訳に、椅子からひっくり返りそうになった。


「おいおい、貴族院の大金庫といえば王宮の金庫に劣らない錠前と警備が売りじゃなかったか?」

「それが……今回の書類は地下の大金庫ではなく、事務室のキャビネットで保管していたと」

「地下大金庫での保管が明記されていたというのにですか」


 ジドルトも額に皺を刻みながら部下を問いただす。その声音のあまりの鋭さに、キエニーは思わず一歩後ずさりそうになり、踏み止まった。


「それが、そんなものは見た覚えがないの一点張りで……」

「健忘症かぁ? これはキャビネットの鍵も掛け忘れていたのかもな」


 ランクスの冗談には、もちろん誰も笑わない。


「今は誰が見張っているのですか?」

「ハイセンです」

「それではナインリバー子爵の件は後回しにして、交代順序を組みなさい。君が取り纏めるように」

「はいっ」


 キエニーに指示を出し退出を見送ったジドルトは、ランクスへと振り向く。

 執務机に両肘をつき、手の指で作った尖塔を見つめていたランクスは、疑問を口にする。


「なあジドルト。お前が黒幕だったら、カールストン一人の為にここまでするか?」


 カールストンはあの屋敷の管理を任されていたのだから、重要な地位にはいたのだろう。だが、ここまで手間と金をかけて救い出さなければいけない様な人材とは思えなかった。


「悪党の気分は分かりませんが……。これだけのリスクを冒して助けるのならば、彼は今回の件などよりずっと大きな闇に関わっているのかもしれませんね」

「面倒だが、もう一度洗い直しをしてみるか」


 レンディールとハルフェイノスが不在の時を狙って、強引な手段に出たのだ。

 この隙に何かを成そうとしているのだろう。そんな舐めた真似をされて、はいそうですかと大人しくしているつもりはない。あちらが賭けに出るならば、それはこちらにとっても好機だという事。





 メールナード侯爵家夜会の後、ハルフェイノスの書斎で酒を振舞われながら、ランクスは彼の目指すものを知った。これまで伏せてきたことを打ち明け真の部下として扱ってくれたことは嬉しかった。

 国に仕える者として、溜まりに溜まりきった巨大な膿は処理すべきだと思う。今が好機だというのなら迅速に。


 だが発端は二十年以上も前の話なのだ。


 ランクスが一番に思ったことは、アリシアを早くこの件から解放してやりたいだった。

 彼女は望んだ道だと言うかもしれないが、本人の記憶もないような頃の出来事が未だにアリシアを縛っているなんて、忌々しすぎる。

 だがランクスにはこの歯車を止める権利も権限もない。ならばせめて彼女が傷つかないように、危ない時には守れるように、出来ることは一番側にいることだ。


 ついでにアリシアを巻き込んだ元凶とはいえ、有能過ぎる上司の心の平定もほんの少しだけ願っている。



 ・・・・・・・・・・



 カールストンは窮屈な馬車の中で苛立っていた。


 ここ最近まったくもってツキに見放されている。

 ようやく見張りが解除され久しぶりに紳士クラブに顔を出したというのに、知人や友人だと思っていた者たちは、声を掛ける側から皆急用を思い出してそそくさと去って行く。いつもは揉み手で現れる支配人ですら、一度も顔を見せに来なかった。

 結局グラスを一杯煽っただけで、トランプもせずにクラブを後にした。

 以前なら明け方近くまで帰らないので、御者は休憩のつもりで眠りこけていたのだろう。車回しに馬車を寄せるのがずいぶん遅くて、表で待たされた腹いせにすれ違いざま御者の靴をステッキで一突きしてやった。


 そもそも邸から出たのだって、家族の自分に対する腫物扱いに嫌気がさしたからだ。

 妻は倒れる繊細さなんて持ち合わせていないくせに、あの舞踏会の日から床に臥せっている。

 娘はカールストンのせいで、射止められるはずだった公爵家の子息を逃したと(なじ)る。それだってカールストンが多額の持参金と、公爵好みの女を用意して献上したからだというのに。

 息子に至ってはどこかから雇った弁護士にそそのかされて、家督を譲れと通達してきた。カールストン家の所領は痩せた土地で、税収など雀の涙。補う為に先祖代々沿岸で細々と密輸で補填してきたのを、上客を見つけてここまで栄えさせたのはカールストンの手腕だ。その苦労も知らずに、当主になればすべて上手くいくと思い込んでいるらしい。


 本当に頭にくることばかりだ。

 そもそもの発端は密輸船が海賊に襲われ、回収の見込みが立たなかった事だった。

 あの方に泣き付いたら国内での人身売買を持ちかけられた。それまではせいぜい国外からの密航者の手引きで手数料を取る程度で、この国では禁止されている人の売買に手を染めることに躊躇はしたものの、すぐに頭の中で天秤が傾いた。言われるがまま、寂れた屋敷を買い取り外国製の扉を設置し、柄の悪い用心棒だって雇った。

 だというのに、最初の競り前に摘発されるなんて!

 もっとも、カールストンが自宅謹慎中に扉の奥の人物諸共焼け落ちてくれたのは不幸中の幸いだったが。


 むしゃくしゃした時には憂さ晴らしをするに限る。

 いつもの娼館へ寄るようにと、屋根をステッキで叩き御者へと声を掛ける。ひと月以上ぶりのお楽しみに、少しだけ気分が上向いてきた。


 見張りが解除されてすぐ、あの方へ手紙と使者を送った。

 ひと月も待たされたのは予想外だったが、あの方以上の権力者なんて居やしない。

 せっかく集めた娘達や孤児院の子供が売れず、密輸の件も明るみに出てしまい、カールストンの財政面は大打撃だ。このままでは次の四半期の請求書の処理もままならない。


 ――またほんの少しだけ便宜を図って頂こう。何せ自分はあの方に大きな貸しがあるのだから。



 馬車がスピードを緩めずに左に曲がったせいで、カールストンは座席から転げ落ちそうになった。はずみで後輪が跳ねて、後頭部を壁にしたたか打ち付ける。


 思わず御者を怒鳴りつけようとした所で、彼は気付いてしまった。


 カールストン家に長年仕える御者は馬車の癖を知り抜いていて、跳ねやすい後輪を押さえるために、いつだって左折するときはとてもゆっくり曲がった。

 カーテンの隙間から覗く外の景色は、なじみの娼館に向かう道ではない。クラブから娼館までの通い慣れた道は、いくらカールストンが酔っていたとしても見間違えるはずがない。

 そしてあの靴!

 記憶を辿るとステッキで突いた靴は薄汚れくたびれていた。カールストンは半年に一度の使用人達の制服支給日、表仕事の者達には見栄えの良い物を配る。特に御者は常に連れ歩く使用人だし、靴の業者も家令に指定を出していた。

 間違ってもあんなくたびれた靴なんて、履かせはしない。


 馬車はどんどんスピードを上げる。

 がくんとまた車輪が跳ねる。その拍子に前の座席の座面蓋が空き、中から何かがはみ出した。



 それは人間の腕だった。


 紳士クラブでカールストンが一杯飲んでいる間に、表の男は御者をここに詰め込んで入れ替わったのだろうか。使用人の顔など一々確認しない。帽子を目深にかぶりいつもの格好で自分の馬車の前に居れば、それは御者だと思うに決まってる。加えて月のない夜だ。

 上げそうになる悲鳴を必死に堪え、ようやくカールストンは思い至った。



 自分は助けられたのではない。

 口封じの為に殺されるのだと。



 ・・・・・・・・・・



 シャーマ川。

 王都の中を蛇行しながら南の海へと注ぐ川幅の広い穏やかな川だ。

 そんな川縁で横転した馬車が見つかったのは早朝。


 見つけた巡回中の警官は、馬車の紋章に大急ぎで貴族院へと駆け込んだ。

 その場所は歓楽街にほど近く夜中じゅう煩いものだから、辺りの住人は気付かなかったのだという。あるいは犯罪も多い地域、気付いていても誰もが見て見ぬふりをしたのだろう。


 馬は少し離れた川沿いで草を食んでいる所を見つかった。

 そして下流に橋を一つ下った辺りで、二名の遺体が発見された。その流域は川底が浅く、雨の少ない時期でもあった事が幸いした。大人の腰くらいまでしか水が届いていなかったため、それ以上流されずに引っかかっていたようだ。この先の海まで流れてしまえば、行方不明として処理をされていただろう。


 水に浸かったせいで顔の判別は難しく、駆け付けた家令の確認と、身なりの特徴と持ち物からカールストン伯爵とその御者と判断された。


 馬が突然暴れだし、その上古い馬車の車輪にはガタがきていたようで、はずみで車輪が外れて横転。二人とも川に投げ出され溺れたらしい。


「いやあ、悪い事は出来ないもんですね」


 青年は、隣で二人が見つかった橋の下辺りを見つめる男に話しかけた。

 男の制服は特別局の物。貴族の犯罪を取り締まるという特別局に、青年は密かに憧れていた。毎朝新聞でも記事をチェックしているし、だからこそ巡回中に見つけた馬車の紋章がカールストン伯爵家のものだとすぐに気付いたのだ。


「ん?」


 険しい表情で眼下を見つめていた男が、表情を緩めて青年に視線を寄越す。

 橋の下は今でも貴族院のお抱え兵士が陣取り、その周りを新聞記者や野次馬が囲うようにしている。


「だってほら、あんなに悪辣な事ばかりしていたのに大手を振って出掛けたりして。貴族院の対応にはみんな不満を持ってましたからね」


 そうだな、と頷いた男に青年は、ここはアピールの為所(しどころ)だと、早口で言い募る。来年の特別局正式発足の時には、採用試験を受けるつもりなのだ。


「本当は特別局に駆け込みたかったんです。でも事件性があるかどうか分からない案件は、貴族院に通すことが決まりになっているので」

「遺体と馬を見つけてくれたのは君たちだろう?」

「はい! 馬車の現場からは締め出されてしまったので、せめて周囲だけでも探そうってなりまして。おかげで下流の遺体も見つけられたんですけどね」


 青年は身振りを交えて説明する。貴族院の兵士に現場を占拠され、自分達こそ真に治安を守っていると自負のある警官たちは奮起した。こっそり特別局に知らせに行ったのも彼らの一人だ。それで副局長がこんな朝早くから直々に出てきてくれるのだから、やはり第一王子の肝入り機関は違う。


「ありがとう。早く見つけてくれて助かった」


 青年の肩に力強く片手を置いてから去って行く男を見送り、事故死だから貴族院扱いの案件にどうして彼がお礼を言うのか不思議に思ったが、きっと処理がすぐに済むからだと一人納得した。

 行方不明じゃ探す手間も大変だ。



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