フェンクローク伯爵令嬢 1
今回は少し短めの一人称となります。
よろしくお願いいたします。
ここの空気は淀んでいる。
私が戻ってきた時、マリアルー様は微笑んだだけだったけれど、周りの侍女の子達は明らかにホッとしていた。
「今度はあの子達を守ってあげてね」
マリアルー様付き侍女から配置換えをされ、子供達の世話係の一人となった私に、彼女はわざわざ手を取って声を掛けた。
自分の力の及ばない事を恥じる様に目を伏せるマリアルー様を見て、その夫の首を絞めてやりたい気分になったけれど、勿論そんなことは出来ない。出来るわけない。でも気分的にはそんな感じだ。奥さんをもっと大事にしろと、説教をしてやりたくなる。
生まれたばかりのスー様をあやしながら、ため息が漏れる。
芸術作品と呼べる調度品。ゆりかごまでが繊細な彫刻を施されている。部屋にはいつも美しい庭の花が生けられて、芳しい芳香を放つ。南向きの窓から差し込む柔らかな光は、部屋を明るく照らして温かみを与えている。
だというのに決して拭い去れない危機感。ジワリジワリと真綿で締められるような本能の予感に、背筋が寒くなる思いがした。
私が離れていたほんの一年の間に、ここは驚くほど危険な場所になっていた。私の本職は情報収集が主で、護衛は副職みたいなもの。だというのに復帰してからは、護衛が本職みたいになってる。お蔭で情報収集は開店休業状態。
今はソファに座る私の横でこてんと眠り、天使の様な寝顔を見せている長子のレン様。この子が暗殺未遂にあった回数は片手では足りない。護衛を本職とする方の同僚達は明らかに疲弊した顔をしていたし、顔ぶれが若干変わっているのは……つまりそういう事だ。
マリアルー様はどれだけ心を痛めていることだろう。
犯人の目星がついているのに何も出来ないのは、ほんと悔しい。
「フェンクローク伯爵令嬢、侍女長がお呼びです」
音もなく勝手に入室した女はメイドのお仕着せに身を包んでいる。
足音がしないのは流石だけれど、礼儀がさっぱり出来てない。付け焼刃でも猫を被せてから送り出せばいいものを。
眠るレン様の横にスー様を寝かせて、そっと二人にブランケットを掛けた。
『フェンクローク伯爵令嬢』は、この場所で活動する為に与えられた肩書。
自分の苗字など知らず、気が付いたら両親だっていなかった私にはこそばゆい呼び名。潜入の為とはいえ、我が主君も随分大層な隠れ蓑を用意したものだ。
「随分と仕事の粗いのを寄越したなぁ。そんな殺気がダダ漏れで、よくここまで辿り着けたね」
私の言葉とその口調に、女はすぐさまナイフを取り出した。
けど遅すぎるって。
既に私の投げナイフが、女の腕に刺さってる。殺傷能力は殆どないけど、速攻性の睡眠薬を塗布した特別製の細身のナイフ。
私の特技がナイフ投げだって情報も集められないなんて、本当に仕事が雑だ。ちなみに幼い子供時代以来、ナイフを外したことなんて無いんだよね。
こちらを睨みながら崩れる女に、にんまりと笑ってやった。
「まーったく、警備は何をしてるんだか」
女のエプロンで血を拭い、そっと隠しポケットにナイフを仕舞うと、別のポケットから紐を取り出す。武器を隠すという意味で、華美なドレスって本当にお役立ちだ。男じゃきっとこうはいかない。ドレスのひだには秘密がたっぷり詰まってる。
さっさと縛り上げた頃、ようやく警備のご登場だ。焦る警備主任の脛を一発蹴り上げて、荷物と一緒にご退場願う。
まさに荷物という感じで、シーツに覆われ肩に担がれ運ばれる女を見て思い出すのは、遠いようでそんなに昔じゃない過去の私。
私達は同じ穴のムジナだ。
きっとあの女の生い立ちは、私とそう変わらない。
拾って使う人間の、立場と思想が違うだけ。
ここじゃない国の片隅で、手先の器用さを買われて盗賊団の使い走りなんてしていた私は、ほんのちょっと運が良かっただけ。
視察に訪れていた主君の財布を掏ろうなんてしなければ、主君がちょうど手先の器用な子供を探していなければ。私は何をしていたのだろう。
人くらい簡単に殺めていたかもしれないって思う。
これからの女の末路を分かっていても、何も思わないくらいに私の感情は麻痺している。
パタンと閉じられる扉を見ながら思ったことは、この騒動と血の匂いで二人の天使が起きてしまわないかという心配くらいなんだから。
――けれど。
レン様が怯えないように、スー様が健やかに眠れるように。
私が全部食い止めてみせる。
この気持ちは何て言うのだろう。
幼い二人を見ると無性に抱きしめたくなる。いっぱいキスを落として、笑いかけて、くすぐってでも笑わせたくなる。
それら全部、自分の子供には少ししか出来なかったけれど。
私の想いはあの子には届かない。だからこれは私の勝手な自己満足。
でも何かはきっとあなたに還っていくって信じたい。
スー様を起こさないようにそっと撫でて、あの子の寝顔を思い出す。
産まれたばかりの頃は淡い金髪で、私の要素は何処にあるのと思ったけれど、お別れをする頃には落ち着いた茶を帯びてきていた。成長したらもう少し暗めの髪色になるのかもしれない。私のような真っ黒になって欲しいわけじゃないけど、少しくらい似ている所があってもいいよね。
「ルクレツィア」
「何です? レン様」
今度は妹の隣で横になりながら、じっとこちらを見上げている少年の頭を撫でる。
狸寝入りをしていたのかも。その目には少しの怯えと大人びた光が宿っている。
レン様は難儀な子供だ。
生まれた時から背負うものが多すぎて、七歳で大人びた態度が板についてしまってる。
「何を考えていたんだ」
「お二人が健やかにお育ちになりますようにと願っておりました」
「嘘つき。大人はすぐそうだ……泣きそうな顔、してた」
「あら、泣くのは子供の専売特許ですよ? さあレン様、泣いてみましょうか」
「なんで僕が泣くんだ! それに僕は子供じゃないっ。……せっかく心配してやったのに」
七歳は子供ですよと返せば、大声を出し過ぎて吃驚して起きたスー様を泣かせて。結局自分も涙目になってしまう。そんな可愛らしい二人を私は抱きしめた。
人の機微に敏感で大人びたレン様。
レン様を見ていると、初めて出会った時の主君の子息を思い出す。
私が十五の時だから彼はまだ八歳だった。背負ったものの大きさと強い責任感。それが彼らを似ていると思わせるのかな。
坊ちゃんはもう十六歳だから、七歳のレン様に似ているなんて思っているのを知られたら、とっても嫌味を言われそう。
何年も前、市井の祭りに供をした私に、礼だと言って屋台の指輪を真っ赤になりながら買ってくれた事なんて、忘れてるといい。
それを今更こっそり嵌めてるなんて、墓まで持っていきたい私一人の秘密だ。
他国へと留学に出された傷つきやすい坊ちゃん。最後に会った時、私は彼を手ひどく傷つけた。大人びた目をした彼は、元気に過ごしているだろうか。
願わくば私の負わせた傷が癒えて、貴方の未来が明るいものでありますように。




