Q悪臭が酷いんで、異世界からきた生ゴミ(ゾンビ)を可燃物ごみに出していいですか?A死体は可燃物ごみに出してはいけません。
私の命を辛うじてこの世に留めているのはこの透明なマスクを始めとする医療機器。
痛みも悼みも何にもなくて、あるのはただ私のちっぽけな命だけ。
私は他にはもう、何にも持っていないし何も待ってない。
瞼も上げられないから、私の世界は真っ暗。
「あるじ、迎えにきましたよ」
酷く優しく、恐ろしいほど寂しい男の声。
何もないはずの私に突然降ってきた言葉は――
※
三代 有路17歳、ぴっちぴちの女子高生である。
例え友人には枯れすぎているせいでキョンシーと馬鹿にされ、果ては渾名をキョン子とされていても肉体的にはぴちぴちなのだ。
まあ、そんな冗談はいいとして。
私はこれから自分の物語を綴ろうと思う。なるべく、その時の気持ちを細かに思い出して。
くだらない日常で、多分とても非日常だったある夏。
これはちょっと死にたがりな女子高生たる私と、生き生きしたゾンビのセルウスの信頼と腐敗臭の軌跡の一頁である。
※
私は家と夏が嫌いだ。それはもう大嫌いだ。
なんでか?
臭いからに決まってる。
言っとくけど汗臭いとかそういうのじゃないからね。程度にもよるけど、毎日風呂に入ってる奴程度の汗臭さとかを気にするほど敏感な質じゃない。
私が言ってるのは腐敗臭。
夏場はホントに耐えられないほどの腐敗臭で鼻がひん曲がりそうになる。わかるかな…腐敗臭ってのはそんじょそこらの悪臭とは全く違うんだよ。すえた匂いってかもう、生理的嫌悪感がダイレクトにくる。例えようもないけどヤバい臭いなのだ。
わかりにくいってなら、玉ねぎあたり腐らせてみればいい。嗅いだ瞬間、本能的な反射で絶対に顔を背けることになる。私の辟易してる腐敗臭とは大分違うけど、手軽に腐らせることができる植物じゃダントツに臭いから。当社比だけど。
んまあ、とりあえず。
私は腐敗臭に困ってる。けど、どうしようもないのだ。
何故なら、家に死体があるから。
別に犯罪なんかしてないよ?死体に欲情する変態でもなきゃ、死体隠して年金だか補助金だかをせびるみたいなことはしてないからね。
ただ単に、信じられないことにってか信じたくないことに。
私の保護者は生き生きと動く死体、つまりはマニア垂涎のゾンビなのだ。しかも異世界産の。
普段は異世界からの技術ってことで幻術と我らが人類の努力の結晶たる科学の力で人間を装ってるけど、家じゃ手抜きをするせいで腐敗臭がもんの凄いことになってるのだ。幻術で隠してる時も腐敗臭を消してるわけじゃなくて認識を出来ないようにしてるらしい。だから腐敗臭からくる無意識の生理的嫌悪感は消せない。当然、仕事も限られる。今じゃ、お化け屋敷のアルバイトという天職を得てこれでもかというほど楽しそうに働いてるけどな。
生きるなら生きる、死ぬなら死ぬではっきりしろ。
それにゾンビ本体の性格というか行動も十分に私の頭痛の種なのだ。
っはあぁ…。
やってらんねぇ…制汗剤を使う理由が死臭を隠すためとか、普通の女子高生なら絶対にありえないだろ。私はどこの殺し屋だ。
ああ、なんで私は学校出てすぐの横断歩道で信号無視のダンプカーに突っ込まなかったろう。あの速度なら絶対に死ねたのに…。信号無視する社会の害悪なんて滅べばいいのに。あのチャラそうな運転手事故でも起こして捕まれ。でもな、ダンプカーに跳ねられたら肉が散って片付けする警察の皆さんに迷惑かかるからなー…真夏に割り箸使うのも大変だろーし。
全く、どっかにあと腐れなくさっぱりできる自殺方法とか転がってないのかね。
ぐだぐた考えて歩く速度を落としていたが、まごうことなきホラーハウスな我が家に着いてしまった。玄関の前まで来ても腐敗臭が漏れ出てこないのがせめてもの救いとか嫌すぎる。
毎度のことだが、この玄関のドアノブを回す瞬間のなんと憂鬱なことか。
ため息をつきながらドアノブに手をかけると、驚異的なスピードでドアが開いた。
別に自動ドアではない。手動だ。家に巣食うゾンビの仕業だ。
しかも、ドアが開くのに合わせて腐敗臭が顔面に叩きつけられる。これ、多分泣いていいレベル。
「主、おかえりなさい!今日は仕事も休みで寂しくて死ぬかと思ったよ!!!もう絶賛死亡中だけども!」
青黒い血管がクリアに見えるすっぴんのゾンビが勢いよく現れるとかどんな拷問だよコルァ。ファンタジーと私の乙女成分のお陰で自主規制必須の死体特有の現象はなりを潜めてるけどな、それにしたってグロテスクなのは変わんねぇんだよ!!!
ちなみに、主になっているのは気のせいでも私の翻訳ミスでもない。実際にこのゾンビは私を主と呼ぶのだ。敬意なんざ一回も払われたことないけど。
ゾンビのくせにやったらとサラサラしてやがる金髪に「抜けろ!」と呪詛を送ってから、無視して靴を脱ぐ。
「主、無視はいけないよ…ぐすっひっくえぐぅー。でも、僕はめげませんからね!あ、今日は主の大好きなオムライスですから、7時には降りてきてね」
てめぇホントに冷血の死体か、と怒鳴り付けたくなるほど暑苦しい独特のテンションにげんなりする。
だいたい、オムライスが好きとかいつの話だ!!!いや、今も好きだけど。このゾンビが言うとなんでもイラッとするんだ。
私はこちらを伺う半ば白濁した水色の瞳から逃げるように自室へ向かった。絶対に7時には降りてかないからな!オムライスが冷めなさそうなギリギリ7時5分に降りてやる!
※
「キョン子ぉ一緒に帰ろ?」
ショートホームルームが終わるのと同時に鞄を肩に引っ掻けて席を立った私に間延びした声がかけられた。クラスメイト兼友人の園一 瑛子だ。
「悪いけど無理。今日は病院に行く日だから」
現在はピンピンしてる私だが、実は病弱設定なんだわ。あの馬鹿みたいにウザいゾンビを保護者としている時点で海のように深い事情を察してほしい。
いや、まあ、端的に言えばものごっつい事故に巻き込まれて家族全員死亡した上に、私は生死をさ迷いさながら真っ黒なジャックさん並みかそれ以上の大怪我をしたのだよ。
ホントは今日の検診もアフアーケアってかなんてかで、本来ならリハビリが続いてるかリハビリに辿り着けてるかどーかもわからん怪我だったららしい。
…うん、何故か3年経った今じゃ後遺症どころか痕すらないんだけどね!
HAHAHAHAHAHA!!!
もう笑うしかない。
だって、正直に言うと担当医の佐柄さんには人外扱いされてないのが救いなレベルだからね。
当時の私は、脳は辛うじて植物状態にならない程度の脳内出血で済んでたけど、全身の筋という筋が復元不可能な感じにブチって27箇所の粉砕骨折(もう骨格パウダー状態だったらしいどんな衝撃だ)だった挙げ句、内臓は半損してたらしい。
…うん、何で生きてたんだろうね?
ショック死とか以前に生き物として死んで然るべきだと我ながら思ってる。
ゾンビと並ぶ程度にはファンタジーだろ。ムカつくことに、ゾンビからも「異世界の人間ってこんなに強いんだって驚いたよ!」というお言葉を頂戴した。禿げろ。
佐柄さんがあまりの現象に同情して私の存在を秘匿してくれたから普通に生活できてるけど、ぶっちゃけ研究動物にされてもおかくしくなかった…てか、されなかったのがおかしい(断言)。
佐柄さんマジ神である。
そんな大恩ある佐柄さんの検診の予定があるのだから、全力で現場に向かわねばならない。
「アディオスだ、A子」
ピッ、っとポーズを決めて後ろ姿で語ってみる。そして、瑛子のアダ名はA子であるという要らない情報を披露しつつ私は教室を去った。
※
ーーーーー
今日の病院は何時に終わるのかな???
僕はとっても主が心配です。
遠いし、佐柄先生の新しい病院に行くなんて不安です。
気を付けるんですよ?
危ないと思ったらすぐに逃げるように!
万が一の為に用意した「発声も発信も発煙もできる防犯ブザーこそ僕です」くんの紐を引っ張ってるんだからね!
今日はデザートにプリン作るから早く帰ってくるよう。
あ、迎えに行ってほしい?
お迎えほしいならメールか電話してね☆車ないから自転車にリアカーつけて迎えにいきますよ!
ーーーーー
読み終わった瞬間、即座にスマホのメール画面を閉じた。
うざっ…なんだこのゾンビ…ふざけてんのは体臭だけにしろ。そして、ゾンビの分際で自転車にリアカーつけるとかやめろ!全国のグリーンペアを愛する皆様に謝れ。
若いのに開業医として過疎した田舎に居を構えることにした地上に舞い降りた菩薩のごとき佐柄さんにも謝れ。
田舎といっても、私が住む市の中心からバスで1時間程度しか離れてないけども。それでも液酢虎村には病院が一つもなかったのだから、大助かりだろう。
バスを降りて田舎じゃたまにある使わないのにやったら綺麗で幅が広いアスファルトを進めば、真新しい病院があった。
おお、佐柄さんの病院に違いない!
本当は明日から開院らしいんだが、いつもこの日に診察に来るから私の為だけに今日は開けてくれるらしい。佐柄さんあなたはどれだけ優しくなれば気が済むんだ。
モダンな外装の割りに意外と自動ではなかったドアを押して中に入る。
「佐柄さん、三代です、三代有路です!いらっしゃいますか?」
うだるような暑さの外とは別次元なひんやりした院内の空気。新しいせいか、薬品の匂いは薄かった。
「あ、三代さん。いらっしゃい、こんな遠くまですいませんね」
ペタベタとサンダルの音をさせてたった一つしかない診察室から佐柄さんが出てくる。ツヤツヤさらさらの緑の黒髪に、細い銀色のフレームの眼鏡。白皙の美貌って言葉がぴったりの美人さんである。
ううっ、今日も白衣の天使っぷりが半端ないわぁ。
私はへらへら笑いながら佐柄さんの後をついていく。来院者用のスリッパは脱げやすいけど、佐柄さんはゆっくり歩いてくれるから助かる。流石、気の遣える大人は違うね!あの死体にも見習ってほしいものだ。
「はい、ここに来てもやることはあんまりかわらないから、サクサク検査しちゃおっか」
にっこり微笑む姿の眩しさよ…。癒される…。
そんなこんなでもう慣れっこの作業はあっという間に終わってしまった。もうあの腐敗臭に満ちた家に帰らなければいけないのかと思うと気が滅入ることこの上ない。
「三代さん、どうしたの?」
盛大にため息をつく私の顔を覗き込む心配そうな佐柄さん。眼福でござる。
「い、いや、なんでもないです。もう家に帰る時間かぁって思って…」
腐敗臭がする動く死体(異世界産)に会いたくないと言えるはずかない。
「そう…あ、それじゃあ、ここでお茶していかない?まだ看護師さんもいないから、寂しくってお茶してなかったから、もう、お腹減っちゃって」
言葉を濁した私にちょっと戸惑いつつ、お茶の提案をしてくれるとか…やばい、ここに理想郷があったのか。
「いいんですか?」
一応、遠慮の意思を見せるのが日本人のマナー。佐柄さんとのお茶会など逃すつもりはないがな!
「もっちろん!むしろ、一人で色々準備してて人が恋しかったから」
よっしゃ!!!キタコレ!!!
もう18時を回ってるからお茶会というか、夕飯の時間だけど気にしねぇ。
腐敗臭と共に食うプリンより、薬品臭の中で食う茶菓子が上なのは必然である。
え?
ゾンビに連絡?
するわけがないでしょ。絶対にうるさいもん。
※
ありー?
なんだか身体がおかしい気がする…指先が少しピリッとするような?
さっきから自分の身体が遠い気がするし…これ、なんかおかしいかも。
と気付いたのは、佐柄さんとお茶会を初めて30分後。あんまり喉は渇いてなかったからお茶菓子をぱくついてたんだけど、佐柄さんがどうしてもって勧めるから紅茶を飲んだのがついさっき。
珍しい中国の花茶で香りが強かったから、一口しか飲めなかったんだけど…。
「あれ、どうかしたの?」
不安そうに佐柄さんが私を見るけど、なんかおかしい。いつもと、さっきまでと、同じ心配する顔だけど違う。
なんだろ、口角が…上がってる?
「具合悪いなら、ちょっと横になってく?セルウスさんには連絡しておくよ?」
うーん、これは本格的におかしい。手がふるふるしてきたもん。
佐柄さんは気付いてないの?
というか、佐柄さんの表情が変だ。
やたらと顔の筋肉が強ばって、何かを耐えてるみたいな。
「いや、もう、帰らなきゃ、いけないですから」
ふらつきながらも立ち上がろうとすると、佐柄さんは「顔色悪いから、安静にした方がいいよ」と静かに私の肩に手を置いた。
「痛?!」
その手にはやたら力が入っててびっくりした。
あれ、これ、佐柄さんの目、なんかヤバい感じ…?
3年前に事故が起きた時みたいな悪寒がするもの。あの時もこの感覚従って逃げたから、私だけが生き残った。いつもと佐柄さんも違うし、なんだか変だ。
佐柄さんの親切は信頼してるけど、なんかいかん。
「うーん、そうですか?あ、鏡、見ていいですか?」
うっすらぼやけた頭でなんとか必死に取り繕う。
まさか、あのゾンビからもらった「発声と(略)」を使うことになろうとは…。
佐柄さんがやたら見てくる中、思いっきり紐を引っ張る。間違いだったとしても、鞄の中の防犯ブザーを誤って鳴らしてもそんなに変なことじゃないはず。
『ギルギャアァアアアアアアアアァオウァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
鼓膜じゃなくて、脳に直に響く大音声。
ぶっ倒れるかと思った。
なんだこれ、この音で死んでも不思議じゃねぇよ!
マンドラゴラレベルだよ!!!
よくわからんが、身体の痺れがぶっ飛ぶレベルだ。名前の通り煙が出てきたけど、なんか赤いしヤバい感じしかしない。
…うん、真実はどうあれ、逃げるしかないな。
私は見た目のわりに無害な煙に戸惑う佐柄さんを尻目に駆け出した。
「っ、何これ?!あっ、三代さん、どこいくの、待ちなさい!!!」
不快な音と共に変な煙を撒き散らさされたにしても異様な怒りを孕んだ声が背中に突き刺さる。
なんだかんだでまだ身体は上手く動かないけど、立ち止まる気にはなれなかった。
てか、これは、本気で死亡フラグなんではなかろうか。
スリッパを脱ぎ捨てて全力疾走を開始したわけだが、病院から出ても佐柄さんが追ってくること追ってくること。
艶やかな黒髪を振り乱して追ってくる様は元気の有り余った貞子のようだ。
全く信じがたい。
あのオアシスだった佐柄さんまでお化け屋敷スタッフの仲間入りである。
恐怖と危機感のせいで今まで優しかった佐柄さんに対する感情も知ったこっちゃねえ状態だ。なんというか、追われたら逃げたくなる人間として生物としての生存本能が無理矢理身体を走らせる。
バス停のある広い道路まで出てきたが、街灯も少なく、正直めちゃくちゃ怖い。
ちらり、と佐柄さんの様子を見ようと振り返った瞬間何かが飛んできて頭に当たった。
思いっきりバランスを崩して広い道路の真ん中に転がると、何かを投擲した後のポーズのまま息を切らした佐柄さんが鬼のような形相でこちらを睨んでる。
佐柄さん、私を追うならうちのゾンビとタッグ組んでお化け屋敷の客でも追ってください。絶対スターになれますから。
「やっと、捕まえ、たッ!!!わたしの、研究、材料!!!」
ぜひぜひと息をつきながら、ブツブツいっておる。本気で怖い。
けど、その呟きで全ての顛末がわかってしまった。
こんな田舎に病院を建てた理由も、開院前に私が呼ばれた理由も。
3年前から、どうして佐柄さんがそばにいてくれたのかも、わかってしまった。
何かが当たったせいで頭は痛いし、命懸けの全力疾走で呼吸もままならない。身体は火がついたみたいに熱いのに、頭の芯は冷えきっていた。
「ふふふ、あなたの、驚異的な、治癒力を解明、したら…!!!」
欲望にまみれた目で私を見下ろす佐柄さ…いや、佐柄を私は睨み付けた。
最早相手にもされてないけど、それでもそうせずにはいられなかったのだ。
ゆっくりと歩道を歩きながら近寄ってくる佐柄。
目元が熱くなったけど、泣きたくなくてぎゅっと目を閉じる。
ドサッ
…足音が、止まった。
何かが重い物が地面に落ちる音がして目を開けると、佐柄が倒れていた。
「あるじ、迎えにきましたよ」
その佐柄の後ろに立っていたのは、金髪のゾンビだった。
新たにゾンビ登場するというホラー映画でも現実でも怯えていいはずの状況で安堵する自分がいた。
ゾンビの無駄に優しさ溢れる声に何故か安心して、胸が震える。こんなのはおかしい。きっとこれは、今はこのゾンビが人間に擬態してるせいだ。幻術と化粧のせいで、腐敗臭を認識できなくて人に見えるからだ。
「お、おそいんだよ…っ!」
こんな涙声になってるのも、真っ暗だったのに明かりが差して明るくなってるのも…ん?
明るくなってる?
「意地っ張りですね…って、あ、主危ない!!!」
ゾンビが苦笑から本気の心配を浮かべて駆け出した瞬間、不吉な予感のままに振り返る。
背後に迫るはダンプカー。
ここは道路の真ん中。
運転手は、居眠りしてるチャラい…ってこないだの信号無視のかぁああぁああぁ!!!
どぐしゃっ。
圧倒的な質量がもたらす衝撃に意識を刈り取られる寸前、「あは、これが死亡フラグだったのか」なんてどうでもいいことが脳裏を過った。
せめて走馬灯見ろよ、私。
※
なんか、ふわふわする。
変な、感じ。
確か、前にも…?
でも、それより、これは…
強烈な刺激を感じて意識が浮上する。
「伏線は?!」
カッ、と目を開けて叫ぶと視界の隅に金色の塊があった。
一瞬ビビったけど、どうやら寝ている我が家のゾンビだった。
それにしても、身体がだるい。こんなにだるいのは事故の後初めて目が覚めた時とリハビリしてるとき以来だ。
私の額には死人らしく冷たい手が乗っかってた。
近いせいかいつもより一層腐敗臭が酷かったけど、なんとなく動く気がしない。あのダンプカーが迫ってきた夢があまりにもリアルだったからだろうか。
…いや、あれは夢だったのか、本当に?
ダンプカーに肉を潰された感覚がまざまざと残ってるのに。
ちらりとゾンビを見れば、前より顔色というか鮮度が悪くなってる気がする。
なんだろう、嫌な予感がする。
このゾンビは、確か…異世界から来ていて、幻術って魔法を使う。
そう、魔法を使える。
脳内で全てのピースがはまった気がした。このゾンビは、私に何かを犠牲にして回復魔法を使っていたのではないかという仮説が浮かぶ。
私の怪我が後遺症諸とも消えていく中、このゾンビの状態はどうなっていった?腐敗臭は、最初からしていたか?
どう、どうしよ…う。
きっとこれは、正解だ。
底抜けに明るく活動的なゾンビのくせに、なに本物の死体のフリしてんだ…なんでさっきから動かない?
急に背筋が寒くなって、息が苦しくなる。
これはゾンビで動くだけの死体だって、いつも思ってたのに、どうして…。
手をとって、身を起こしても反応がない。
あれ、そもそも…ゾンビは眠るの?
わからない。
私は彼をいつも無視してたから。
「お、おい…」
「…」
「おい、お、起きろよ?」
「…」
「ねえ、起きてって!」
「…」
「起きてよ!ゾンビのくせに動かないなんて、おかしいって!」
「…」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
いつも、煩いと思ってて、ウザいって罵ってた。
のに、なんで、こんなに不安になるんだ。
喉が詰まって、佐柄に追い詰められた時よりずっと怖くて、目頭が熱くなってきた。
「起き…てよ、せっ、セルウス…」
心の中がぐちゃぐちゃで、思わず嗚咽まじりに弾力のない手を握って呟いた。
瞬間。
たわんだバネが勢いよく跳ねるみたいに死体が跳ね上がった。
「あるじ、やっと名前で呼んでくれたね!!!僕が死んだかと思って不安になった?!悲しかった?!あっ、泣いて――」
思いっきり、殴った。
ごろんごろんと転がって、部屋の壁にぶつかった。
なんか死体の腕が取れた気がするけど、知らん。
「悪臭が酷いんで、異世界からきた生ゴミって可燃物ごみに出していいですか、いいですよね」
金の糸が生えた生ゴミが土下座の姿勢をとったけど、知ったこっちゃない!!
…真剣に、心配、してたのに…!
許せるかこの、馬鹿ぁああああああぁあぁ!!!
「まっ、まって、主、死体は可燃物ごみに出してはいけまうわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
この悲鳴と強化された腐敗臭から来る忌避感で、我が家は近所では有名なホラーハウスになってしまった…。
私は、このゾンビをいつか絶対に燃やすと心に誓った。