第二層なんてなかった
レイルがヘレナに引率されて初級迷宮に潜り始めてから二十一日が過ぎた。
一月は三十日であり、すでに指導が始まってから二十二日目。ヘレナは自分のスタイルどおりに一日潜り一日休むというローテーションをレイルにも課したので実際潜ったのはその半分。
だがその休日の午前中、レイルはヘレナの指導のもと剣を振り拙いながらも基本の切り下ろしと突き、同時に盾を攻防に使う方法の自分なりのコツと言うのを見つけ、迷宮に潜る日は戦闘に余裕を見せるようになった。
しかし余裕が出てきたと見るとヘレナはレイルに駆け足での索敵と戦闘を義務付けた。
一朝一夕では効果はでなかったが、急いで移動している時に敵と遭遇して咄嗟に動くという行為は、僅かにレイルにも身に付いていった。
そんな探索の仕方をしていたからか、朝から迷宮に潜り昼を腹時計を頼りに迷宮内で済ませ、夕方日が落ちてから出てくるというスタイルのおかげか、レイルが一日に得る銅貨も八十枚程度に増加していた。
食事が大よそ一食銅貨五枚から八枚。宿屋の宿泊費が鍵付き個室、身体を洗うお湯一桶分付きで一日銅貨五十枚。
なので収支で言えばギリギリだったが、レイルには確かに日々指導が効いて来ているのが感じられていた。
そうした日々の中レイルは昨日の内に、ヘレナから明日の準備をすると言われて街中を走る乗り合い馬車に乗らされ、薬屋へと連れて行かれた。
そこで、解毒薬を念のために四回分と素早く使用できるように薬を入れられるケース……ベルトを通すことで必要ないときは外しておける物を購入。
その後初心者登録所で、第二層の構造を覚えなさいと第二層の地図と睨めっこさせられ、万が一の場合にと二層と三層の地図の写しを購入することになった、これがそれぞれ銅貨二十枚と中々の値段がする。
ここまでくればレイルにもヘレナが明日以降どうするつもりなのか察せられた。第三層へ進むのだ。
こうして向かえた日の朝日はなぜだか昨日と違って見えて、レイルの心をより一層引き締める。
「さてと、解ってると思うけど今日からは第三層に潜るわよ。第二層の第三層までのルートは頭に入ってるわね?地図を読む力は探索者に必須だから私は引率はしないわ。貴方が先頭になって、貴方がルートを作るのよ」
「解りました。地図と今居る場所がどんな所か比較して確認していけばいいんですよね」
「それだけじゃ駄目。もし怪物との戦闘から逃げ出す時にただがむしゃらに走って道を見失ったなんてなったら、簡単に自分の地図上の居場所なんて見失うわ。なんとか自分の今居る場所をつかめるように逃げる時も通った場所で特徴的な地形は覚えておくこと。でないと迷宮内で迷って出られなくなる事だってあるんだから」
レイルの言葉にヘレナは強い口調で言う。
迷宮内で迷って飢える、渇く。そこまで想像したわけではないが、レイルはここまで強く言われるからには何か街で迷う以上に不味いことがあるのかな、と考える。
「はい。解りました」
「良し。それじゃあ行きましょう」
レイルの答えにそれ以上は不要とばかりにレイルに先に行くように促すヘレナ。
それにつられて先行するレイルだが、頭の中は緊張でガチガチだった。
終始まず最初の曲がり道を右に入ってから三本目の脇道に入って……等と、昨日頭に刷り込んだ地図を辿る。
当然そんな事をしていれば怪物の接近に気づくのが遅れることもあったが、マウスの移動速度はそれほど速くないので今日まで積んできた経験からなんとか対処できた。
一層は散々探索していたので下層への道は全て頭に入っているが、そこに辿りついてからは未知の領域である。
マウスとの戦闘を数回終えてたどり着いた階段を前に、レイルは喉を鳴らしてつばを飲み込む。
その様子を見てか、ヘレナはレイルに声を掛ける。
「こんな事、単独探索者を目指すならこの先無いことだけど、二層での最短ルートの答えあわせをしてあげる。読み上げなさい」
その言葉にレイルはぽつぽつと語りだす。
「まず最初の分かれ道は右のを選んで……」
そうして、何箇所か地図を見ながらの訂正を受けてから、何度も声だし確認をして改めて進むルートを確かめる。
それが終わるとレイルには自信が付いたのか、気分が楽になった様子で階段を見つめる。
「そろそろ自信付いた?」
「はい。ばっちりです。行きましょうヘレナさん」
「よろしい。ここを攻略したらこういう確認も自分でやらないといけないから。慣れてね。本当は入った階層の進行中にする地図確認の訓練とかもしてあげたいんだけど……ここの二層じゃちょっとね。三層にたどり着くルートが頭に入ったら三層でやりましょう」
「三層は敵の数増えるんですよね?」
「経験する機会が増えると思って。さ、行きなさい。」
促されて二層へ続く階段を降り、頭の中に描いた地図のとおりに駆け足で進み始めるレイル。
ヘレナもその後に続き駆ける。
そして事前に入念に地図を確認したため迷うことも無く第三層への階段にたどり着き、結果的に第二層の敵であるキャリアーマウスとの交戦は二、三度で済んだ。
様子を見ようとしたレイルに、ヘレナが後ろから毒に限らず特殊な能力を持つ怪物には先手必勝と声を掛け、走り寄ったレイルの一突きでキャリアーマウスは倒されていったのだった。
そして第三層へ続く階段で、駆け足で第二層を抜けたレイルにヘレナは小休止するように告げる。
怪物たちは何故かこの階段に侵入することが出来ず、安全な中継地点になっているのだ。
それを聞いたレイルは小さく息をつきながら安堵の笑みを浮かべた。
「安心しました。休みなしで第三層に入って探索続行かと思ってましたから」
「さすがにそんな事はしないわよ。休む時には休む。大事な事だからね」
「はい。そういえば……」
「なにかしら?」
「地図に書いてある星マークって、転送陣なんですよね。この迷宮の転送陣ってどこにあるんですか?」
「地上の転送陣は迷宮入り口の裏にあるわよ。迷宮内で転送陣に触れれば貴方の事を記録して使えるようになるから。今日の目標は転送陣までの到達ね」
腰に下げた皮袋から一口水を飲むと、レイルは浮かび上がってきた疑問を発した。
「そういえばなんで第二層には転送陣ないんですか?第一層は出るのも入るのも時間が掛からないから解るんですけど……」
「それはね。皆第二層はパスしちゃうからよ。厄介な特性を持つ怪物の居る層にはありがちなことでね、誰もそこで探索をしないから転送陣が設置されないの。あ、でもこれに例外があってね」
「例外?」
「そう、例外。普通なら誰も探索したがらないような特性を持つ怪物の出現する層に、転送陣を設置する例外」
「そんなことするのってどういう場所なんですか?」
「それはね。財宝が生まれる階層に厄介な怪物が居る場合よ。この場合はどんな財宝が手に入るか解らないから、大穴狙いで探索する探索者がいるし、外で作れないような薬も財宝に含まれるから、それを当て込んで探索者協会も転送陣を設置するのよ」
「大切なのは命を賭けて儲かるか否か、ですか」
息を整え終わり、参りましたと言うように苦笑を浮かべるレイルに、いつもは冷たい印象を与える顔に微笑を浮かべ返しヘレナは言う。
「でも大事なことでしょう。探索者になって稼げなければ人は探索者にならない、探索者が結晶石を持ち帰らなければ結晶石の力を使っている晶具が動かなくなる、すると世界は晶具を生み出す前の不便な世界に逆戻り。じゃあどうするかと言うと……探索者は稼げるようにしないとならないでしょ」
「そうですけど。でも僕思うんですよね。探索者って稼げるけど、命を日常的に危険にさらしてるわけで、結構割りに合わない職業なんじゃないかって」
「あら、ならどうして探索者になったの?」
ヘレナの問いに、レイルは少し恥ずかしそうに言った。
「……こんな事言うと馬鹿みたいですけど、格好いいからですよ。それに、商才が無い事が解ってから探索者になる以外の道に入るのには僕は年をとりすぎました」
「そうよね。男だもんね。それもいいでしょ」
「ヘレナさんが探索者になったのは、やっぱりご両親が探索者だったからですか?」
「そうね。それもあるけどやっぱり探索に充実感を感じるようになっちゃったからかしら。血かしらね、向いてるんだと思うわ、この仕事が」
「なるほど、生まれ付いての探索者なんですね。……さて、そろそろ行きます?息も整いましたし」
「そうね。行きましょうか。この階層のツインインプは常に二匹で行動する小型の怪物よ、サイズは貴方の膝下くらいね。うっかり複数の群れと遭遇しないようにね。鳴き声がキーキーとうるさいから、聞こえてくる鳴き声の大きさでそのあたりは判断して」
ヘレナの言葉に頷くとレイルは歩き出そうとし、第三層での目標と、第三層の地図は吟味していない事を思い出したのか、背中の背嚢から第三層の地図を取り出し、丸めてベルトに挟む。
それからちらりとヘレナの方を向き、ヘレナも頷いたのを確認すると耳を澄ませてそろそろと歩き始めるのだった。