ギリギリ
ヘレナとレイルが迷宮に潜り始めてからどれくらい経っただろうか。
蓄積された疲労からか、マウスを懐に入れてしまう事が増えた頃にヘレナは今日の指導は終わりだと告げた。
そして、夕日の落ちた星明りの下に迷宮から出て初心者登録所のすぐ脇にある初心者向けの……別にそうと書いてあるわけではないがなんとなくそういうことになっている……結晶石の換金所に入る。
そこでぽつぽつと今日の収穫を換金している探索者の列に並んで結晶石を銅貨二十五枚と引き換え、外に出る。
「さて、今日の宿泊先は決まってる?実家かしら」
「はは、実家はちょっとここいらまで来るのに時間が掛かるので無しということで。宿は取ってあります。とりあえず一泊ですけど。」
「そう。ならよかった。じゃあ送るから歩きながら話しましょ。」
グリンガムは広い。近いとはいえ複数の迷宮と接するのだから当然といえば当然だが、一口にグリンガムといっても端から端まで行くには一日では足りない程度の広さはある。
グリンガムに住んでいるからといって全ての人が迷宮の間近で暮らしているわけではないのだ。
それに、実入りのいい中級迷宮や上級迷宮の周囲はほとんどが宿屋が土地を押さえていたりして、歩いて五分ですぐ迷宮というような個人の家は少ない。
そう考えるとレイルのグリンガムに実家があっても宿屋に泊まるという選択肢はあながち無いわけではないのだ。
「それにしても昼から日が落ちるまでで銅貨二十五枚ですか。これってまともな生活はできないんじゃないですか?」
「そう思う?皆そう思うから必死で初級迷宮を一日も早く攻略してもっと稼げる迷宮に行こうとするのよ」
「なるほど……じゃあもしかして僕につけた一ヶ月って結構のんびりペースですか?」
「そうでもないわ。そりゃあ最初から探索者を目指して鍛錬してきたような人間ならのんびりしてるなって思うけど、貴方家の仕事が出来ないからこっちの道にようやく進めたって口でしょ?そういう人向けにはかなり厳しい設定にしたつもりよ」
「それは単独探索者志望というのを考慮に入れて、ですか?」
「ええ、ちょっと頭の廻るリーダーの居るチーム探索者ならさっさと第一で馴らしたら、第二層の構造を頭に入れて最低限の戦闘以外はパスして怪物の数が増える第三層を目指して結晶石の数を稼ぐわ」
ヘレナの言葉に引っかかったところがあるのか、レイルは顎に手を当てる。
「一層で馴らして二層は飛ばすって。二層もそんなに効率よくないんですか?」
「効率の悪さで言えばあの迷宮一だと思うわ。だって二層には微弱な毒をもった敵が出るから。万一噛み付かれたりして異常を感じたら解毒薬を使わなきゃいけないの」
「……それで結晶石の価格は一層とそんなに変わらないんですか?」
「そうよ。効果の低い解毒薬は一つ銅貨二十枚くらいでしょ?これを聞いてどう思う?」
ヘレナの意地の悪い問いかけに眉を八の字にしてレイルは答える。
「それは……まるで話になりません。あっという間に破産ですよ」
「これがどういう訓戒を新米探索者に示すか解る?」
「……危険な特性を持つ怪物とはまともに戦ってはいけない?」
「基本はそう。更に正確に言えば、対策が出来るまでは、がつくけどね。火を吹く敵には火の熱さを遮断する素材の装備を用意する、と言った具合ね」
「ヘレナさんの龍漆の盾って、まさにそういう敵の為の防具ですよね」
ヘレナの持つ、夜の闇に溶け込んでしまった盾を指差すレイル。
それに応えて盾をもつ手を振るヘレナ。
「そうね。コレには随分助けられてるわ。私この盾を作るための素材を取る為に最初に火を吹くような龍を倒した人達を心底尊敬するわ」
「龍殺しの探索者チーム、童話になってますよね。剣のオル、盾のマキオ、防護魔術のエルシオンに攻撃魔術のアドナレフ。迷宮深くに先駆け龍を討つ。この街で育った子供なら誰でも聞かされる話です」
「この街じゃなくても聞かされるわよ。先駆者になるという事がどれほど偉大なことなのか良く解るわね」
「そうですね。僕が好きな先駆者は治癒のエルレインですね。あの人が迷宮探索で深めた治療の術は迷宮に潜らない人達にも利益をもたらしましたし」
「そう。意外な感じはしないわね。貴方は物腰が柔らかいし。それにエルレインって凄い綺麗な人として描かれるものね」
からかう様な声色で言うヘレナに、首を横に振りながらレイルは言う。
「そういう好きじゃないですよ。ただ、優しい逸話が多いでしょう。僕、そういう話に弱くて」
「なるほどね。私は先駆者ならやっぱり剣のオルね。父がいつも繰り返し凄い凄いって言ってたのもあるけど、やっぱり剣を振る者としては憧れるわ。龍殺しは」
「いつか挑むんですか?」
「そうね、そろそろ体力的にはピークになるし……貴方の指導が終わったらそろそろかなって思ってるわ」
「なるほど。御武運をお祈りしておきます」
「あはは、まぁそんなすぐに戦うわけじゃないけど、受け取っておくわ。っと、ここかしら?」
レイルの足が止まったのを見てヘレナも一旦足を止める。
視線の先には古ぼけた木造二階建ての建物。木製の扉からは中から明りと、がやがやとした人の声や食器の擦れ合う音が聞こえる。
「それじゃ今日はここでお別れね。明日は日の出の刻に迷宮前で会いましょう」
「解りました。それではまた明日お願いします」
さっと腕を振って立ち去るヘレナに頭を下げてレイルが見送る。
ひとしきり頭を下ろし終わると、レイルも宿の扉を開き中に入っていくが、ポツリと一言こぼした。
「参ったな。明日からもっと頑張らないと食費と宿代でちょっと足が出ちゃうぞ。少しはお金もあるからまだいいけど……危機感持たなきゃ」
そうして宿に入って、夕食を摂った後外に備え付けられている宿で身体を拭いてから眠りにつくのだった。
人名が被っちゃってたので微修正。本筋には変わりありません。