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まずは見本から

 初心者登録所からまっすぐ歩いて少し。小さな詰め所の前に番兵が立つ門と角が見える塀に囲まれた初心者迷宮にヘレネとレイルはやってきた。

 番兵にそれぞれ登録証を提示し、門の中に入る。

 すると敷地の中央に小さく盛り上がった祠のような入り口があり、遠目から見て中は陽の光には劣るものの、十分明るい。

 そして、迷宮入り口前でヘレネは足を止め、レイルに振り返る。


「さて、これから迷宮に初挑戦するわけだけど……しばらくは私の指示に従ってね」


 レイルが静かに頷くのを見てヘレネは先を続ける。


「じゃあ早速入りましょう。初級迷宮の第一層に棲んでいるのはマウス。一言で言えば空飛ぶ口ね。しっかり狙った所に剣を振れるならそんな強い敵じゃないわ。それじゃ、入るわよ」


 そう言ってヘレネは先導して迷宮の中に入る。レイルは僅かに表情を硬くして後に続く。

 赤茶の煉瓦の階段を降って行き、薄ぼんやりとした明りがそこかしこに浮かぶ石造りの回廊。

 それは早速三股ほどに分かれてレイル達が立ち入るのを待っている。


「最初の戦闘は私が見せるから。しっかり見て勉強しなさい」


 内心の、見せる戦闘ってあんまり私向きじゃないだけどね、という呟きを押し殺して適当な道を選び進むヘレネ。

 レイルは視線をあちこちに散らし、腰の剣の柄に手を掛ける。


「そんなにちらちらと見るだけでは意識が散るだけ。周囲に気を配るなら丁寧に観なさい」

「は、はぁ。といってもどうすればいいのか」


 緊張するレイルを落ち着かせようとしたのか、柔らかい声音のヘレネ。

 その言葉でレイルはじっとヘレネの背中を見る。


「基本は円。視線をむやみに左右に散らすのではなくゆっくりと、顔自体も動かして周囲を見なさい。特に上下は眼を動かすだけではカバーできない範囲が広いから気をつけて」

「なるほど……」

「まぁ、このくらいのクラスの迷宮だとそんな目に頼らなくても……」


 言葉と共にヘレネが刀身の厚さから想像できる重さを感じさせないするりとした動きで腰のものを抜くと、レイルの耳もそれを捉えた。

 ぎぃぎぃと鳴く声と、ばたばたと空を打つ音。

 そして視界で捉えられる範囲に入ってきたそれは、丸い身体と思しきものに大振りなこうもりの翼をつけ、進行方向に向けて真っ赤な線を思わせるむき出しの牙を見せる口を備えたマウスだった。


「コレがマウス。私は盾も使う片手剣士の基本的な戦闘姿勢を取るわ。観ててね」


 セレネは中腰になりやや足の間隔を広げ、シールドを持つ手の側を前に半身でマウスと向かい合い、剣を抜く。

 そしてさほど速い速度ではないマウスに向け、細かくステップを踏んで接近すると、スッと身体を翻し剣の持ち手側を前に出し鈍色の残光を残す線を描く。

 線に沿ってすとんと両断されたマウスを前に再び盾を構え、その死体が消滅し小さな石の欠片を残すまで確認してから構えを解き剣についた血を払って納剣。

 石を拾ってレイルに投げ渡す。


「それが結晶石よ。見た事あるとは思うけど一応ね。倒した怪物はこんな風に結晶石や素材になる部位を残して迷宮に再吸収されるって話よ。どこまで本当かはわからないけどね」

「話には聞いていましたけど、外の獣からの剥ぎ取りとは違うんですね」

「そうね。まぁ楽で良いんだけど、大物を仕留めた時は色んな素材がもっと取れるんじゃないかって物惜しくなる事もあるわ」

「なるほど。それはありますね」

「さ、この迷宮に出る怪物からは結晶石くらいしか取れないから後は数をこなして慣れましょう。索敵の練習もかねて前に立ちなさい」


 そう促されたレイルは少し困り顔で答えた。


「いえ、その前に剣を振る時のコツとか……正直今の何か光ったと思ったらマウスが切れてて何がなんだかさっぱりです」

「う。そう?じゃあ剣を振る時は柄の中心を確り掴んで真っ直ぐに振る。将来的には太刀筋を変化させる為に握りを工夫しなきゃいけない何てこともあるでしょうけど、基本は腕から真っ直ぐ伸びた場所を斬ると考えて」

「なるほど、腕から真っ直ぐ、ですね」


 セレネの大まかな指示を受けて、剣を抜き剣を振る動作を何度かしてみるレイル。

 そんな彼にセレネは続けて言った。


「初心者にはそれくらいね。私はこの初心者迷宮をクリア出来るようになる程度の指導しかしないから、それ以上の本格的な技を見につけたいなら剣術道場にでも通いなさい。この街ならいくらでもあるわ」

「え。本格的な剣術まで指導してくれるんじゃないんですか?」

 少し衝撃を受けた様子のレイルにセレネはため息をついてから説明する。

「あのねぇ、私はあくまで貴方を脱初心者させるまでのサポートでしかないの。それ以上を望むならこの迷宮を攻略し終わる前に鍛える価値があると証明するなりしなさい。そうでもなきゃ、私だって生活があるのよ?貴方の面倒ばかり見ても居られないの」

「それは、そうですね。セレネさんの装備は手入れだけでも結構な手間が掛かりますし、そんなに時間をかけてもいられませんね。当たり前のことに気が廻らずにすみませんでした。」


 頭を下げるレイルに、セレネは片手を挙げてひらひらとてのひらを振ってみせる。


「気にしなくていいのよ。むしろ早いうちに言い出してくれて助かったわ。ずっと私が貴方の面倒を見ていられないってことは早めに理解して欲しかったから。そうね……一ヶ月。それくらいの期限を目標にこの迷宮を攻略しなさい。それ以降は指導役を続けるにしても、ちょくちょく自分の勘を鈍らせないために貴方から目を離して今の所の私の主な探索場所に出掛けるようになると思うわ」

「勘、ですか。それは鈍ると不味いですね。セレネさんも指導役の間それなりの自主鍛錬はできるでしょうけど、それには限界がありますか」


 レイルの言葉にセレネは頷く。


「やっぱりね、直感的な危機意識とか温い場所に居るとどうしても鈍るから……これって単独探索者には結構致命的よ?」


 それに、と続けながら剣の柄頭を握るセレナ。


「やっぱり実地で使う技は実地じゃないと見えない錆が、ね」


 その言葉になるほどと深く納得したように頷くレイル。


「ではセレナさんに余計な錆が付かないように、修練に励みます」

「そ、頑張ってね。でもあせらなくていいから。今日のところはマウス相手に縦切りの練習。それが外れたら盾でマウスの上面をひっ叩いて地面に叩きつけた後、確実に突きで仕留める訓練に励みなさいな。突く時に力を入れすぎて床石で剣を傷めないように気をつけながら、ね。さ、行きましょ」


 そう言ってレイルを促してセレナはゆっくりと迷宮の通路を進み始めるのだった。

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