66. 勅命
リャナンとカールがお茶をして過ごした数日後、リャナンは雨降る街を全力疾走していた。出発地点は学校で目的地は自分の家だ。カールとはお茶をしたのが最後だし、ルトナーは何やら忙しいらしく一緒に温室に出かけて以来、城に行っても宰相のローンに申し訳なさそうに返される日々に少なからず落ち込んでいたリャナンだが、今日ばかりはそんなことも一切、気にならなかった。一日の授業が終わると同時に走り出し、いの一番に教室を飛び出した。どうして今日は午後まで授業がある日だったのかとか、雨で傘が邪魔で走りにくいとか思うところはいろいろあったが、それでもどうにか走り続けた。雨だというのに道端に出ている人が多い。みんな傘を片手に井戸端会議に興じている。その表情は歓喜七割、不信感が三割というところか。
「たっだいま~」
糸屋の入口から勢い良く入る。ドアベルが勢い良くなった。その音に店番をしていた母親も驚き顔だ
「リャナンったらそんなに慌てて…。扉を壊す気?」
行儀が悪いとお説教が続きそうな母親を遮って、リャナンは叫んだ。幸いなことにお客は居ない。
「勅命がっ。出たって」
走ったことと、叫んだことで体中の酸素が欠乏して呼吸が浅くなっていたがそんなことが気にならない
くらいリャナンは興奮していた。
勅命。この国では、国王陛下が議会を通さずに国民に直接出す法律だ。主にどこかの地域で災害等の有事の際、緊急に税を集めるときなどに出されることが多い。要するに増税の話なので国民にとってはありがたくないことが多いのだが、今回の勅命は全く逆の勅命だった。曰く、「国王認定花への課税の廃止」先王時代に課せられた法律が現王の勅命でひっくり返った形となる。勅命で税制の廃止という前代未聞の事態に、その勅命が飛び込んできたのが一時間目終了後の休み時間という中途半端な時間だったにもかかわらず、クラスの半数を占める貴族の子供たちは阿鼻叫喚だった。リャナンを含む庶民たちはにわかには信じられず、リャナンは何人かと昼休みに抜け出して城の前に貼り出されていた勅命を見に行って、あまりの人の多さに辟易しつつも、人ごみをかき分けて王家の紋章の入った紙に書かれた内容と、国王直筆のサインをまじまじと見てきた。
「聞いたわ。そのことで、お父さんが何か考え込んで、部屋にいるからリャナン、様子見てきてくれる?」
思いのほか冷静な母親の問いかけに、リャナンは了解すると、一旦自室に行き荷物を置いてから父親のいる両親の部屋へと向かう。
「お父さん?入ってもいい?」
扉をノックしながら問いかけると中から了解の応えが帰ってきたので。リャナンは扉を開けて中に入った。部屋の中で父親は窓際の椅子に座り、祖父の染めたカルブンクルスの糸を手に取って何か難しい顔をしていた。
「帰ってきたのか。学校はどうだった?」
部屋の中に入ってきたリャナンに部屋にあるもうひとつの椅子を勧めながら父親が問いかける。
「勅命で大騒ぎだったよ」
苦笑いで答えるリャナンに「そうか」と短く答えただけで父親はまた黙り込む。もともと父親は口数が多い方ではないし、ましてや今は何か考えているようだったから、いま部屋を訪ねたのは失敗だったかとリャナンが後悔し始める。なにか話さなくてはとリャナンが思案し始めるがうまく取っ掛かりがつかめない。