36. 反古
翌朝、リャナンはいつもより早く目を覚ました。起きてからすぐに窓を開ける。窓の外はまだ日の出前で、薄暗かったが、雨の音はしない。そのことにリャナンはホッとしたが、ホッとしたことに戸惑った。それでもいつも通り身支度を整えて家を出て学校へと向かう。
リャナンが畑に着いてもそこに人影はなく、リャナンは少し残念な気持ちになる。
しかし、当初の目的は畑仕事だと、気を取り直して朝食を食べてから、畑に入る。そろそろ秋も深まって来ているため、ダリアの採種が最盛期だ。莢をとり割り開くと中から黒い楕円形のものが取れる。適度な厚みがあるものが良い種子だ。中には未熟で白っぽい色をしているものがあるが、蒔いても発芽しないので、そのまま莢とともに畑に破棄をする。畑に出来たものはできるだけ畑に返すことが、この国のルールだ。
採れた種を持ってきた薬包紙に包み厳重に封をする。得られた種子を大事に鞄にしまうと、まだ授業開始までには少し時間があった。いつもなら教室に向かうところだが、リャナンはその場にとどまった。既に日は上り辺りはすっかり明るくなっているが、相変わらずリャナン以外の人の気配は無く静かに時間が過ぎていく。リャナンは落ち着きなく周りを見回すが、誰も来る気配はない。
「おはようリャナンちゃん。いつもより遅いね」
リャナンは授業開始ギリギリまで畑にいたのだが、結局、ルトナーは現れなかった。授業の遅刻はまずいと後ろ髪を引かれながら教室にきたので、いつもより遅い時間になってしまったのだ。いつも一番に来るリャナンが教室にいなかったことをリトルアに言われてリャナンは言い訳のしようがない。普段はかなり早い時間に来て、作業をしてからでも一番に教室に来る。
「おはよう。畑でボーっとしてたら遅くなっちゃった」
無理やり言い訳にならない言い訳をして理由を濁す。
「せっかく襟を見せてもらおうと思ってちょっと早く来たのに、リャナンちゃん居ないんだもん」
拗ねたような口調でリトルアが言う。それでも理由を追求しないところがリトルアの優しさだとリャナンは思う。
「あ~。襟ね。バイカラーの花だったけど糸はピンク一色だったよ。昨日、寄り道して幼馴染に刺繍してもらってきた」
リャナンも追求してこないリトルアに安心して、変えられた話題に乗り、つけ襟をリトルアに渡す。
「幼馴染さんにわざわざ刺繍してもらったの?何でまた?」
「刺繍屋なんだ。大学入った時の約束だったの。『国王認定が取れた時の刺繍は彼女にやってもらう』
って」
やっと約束が果たせたよ。とはにかむリャナンに、襟の刺繍を撫でたりしていたリトルアが、
「幼馴染かぁ~。いいな~。ねぇ今度紹介してよ。会ってみたい。」
すっかり機嫌を直して、襟をリャナンに返しながら提案する。
「うん。いつでもいいよ。学校からなら私の家より近いくらいだし」
新たな約束をしたところで授業開始の時間になる。リャナンは襟をきちんと付け直して授業へと意識を向ける。
ルトナーが現れなかったことは気にはなったのだが、何かあったら平穏に授業が始まったりしないだろうと気にしないことにした。あんまり気さくなので忘れそうになるが、そもそも相手は国王陛下だ。自分との約束などただの気まぐれだったのだろうと思う。その仮説はリャナンにとっては面白くなかったが相手が相手だけに、どうこうできるものではない。リャナンは湧き上がった不満と昨日の約束を全て忘れることにした。