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12. 刺繍屋『アーベル』

「こんにちは」


刺繍屋「アーベル」の入り口をくぐるとエルスターとは違うドアベルの音が出迎えた。中にいたのは、九センチくらい正方形の布に花の刺繍を施しながら店番をしていたカミルだ。


「いらっしゃいませ。ってなんだ、リャナンちゃん」


刺繍から顔を上げたカミルが、リャナンを見て接客の顔から幼馴染の顔へと変わる。カミルはショートカットで金茶色の髪に切れ長の移色の目をしている。


「なんだってことはないでしょうよ。これ。ご注文の品物お届けに参りました」


リャナンは少しおどけて配達の時の定型句を告げながら糸の入った袋を差し出す。


「ありがとう。いつも助かります」


カミルも取引相手と幼馴染を相手にする口調が混ざったような様子で受け答える。カミルに配達するときのやりとりはいつも一緒だ。そして袋の中身を出し色とりどりの糸を、カウンター裏においてあったらしい糸ケースの中にしまっていく。リャナンは、カミルが先ほどまで持っていた布に目をやると途中でも精緻な図柄であることが分かる商品が置かれていた。リャナンにとってこの目の前の幼馴染が、様々な色と技法で一つひとつ商品を仕上げていく様子は何度見ても舌を巻くばかりだ。


「相変わらず、すごい技術だよねぇ」


リャナンが毎度のごとく、素直に感嘆の声を漏らすと、


「そりゃあ仕事だしね。毎日やっていれば上達もするよ」


とカミルは謙遜するが、その毎日やっていること自体がカミルが努力であることをリャナンはよく知っていた。


「まぁ、座ってお茶でも飲んで行ってよ。今、用意するから」


カミルはそう言い置いてカウンターの後ろにあるドアから奥へと入っていった。リャナンはここへ来るときにいつも座る窓際の椅子に座った。目の前のテーブルは白いテーブルクロスに多様な小動物が刺繍されているものが使われていた。これもカミルの作品の一つである。店の宣伝も兼ねている店内の刺繍はどれも精緻で見ているだけで楽しい。


 それほど待つことなくカミルが奥から二人分のティーセットとお皿の上にはドライフルーツの入ったパウンドケーキが乗っていた。それらを並べてカミルはリャナンの向かいに座る。

出されたカップの中身はバラのお茶だ。バラの香りがふわりと香りリャナンは頬を緩めた。

出されたお菓子も遠慮なく一つ口に運ぶと世間話が始まる。


「お客さんの入はどうなの?」


自分が来たからとはいえ店番のカミルが呑気にお茶を飲み始めたことに少々不安を感じたリャナンが聞く。


「国王陛下も半年前に替わられたばかりなのにさあんまり良くないんだよね。ルトナー陛下が即位された最初の一ヶ月くらいはみんなお祭りムードで色んな物新調したりとかしてて結構売上も良かったんだけどど、今はすっかり落ち着いちゃったよね」


カミルのボヤキが返ってくる。リャナンはそんな返事に半年前とは客の入が違うのは自分の家も同じだと思った。そもそもこれから寒くなるこの時期は例年観光客も減る。ほかの国の気候のことはよくわからないがこの国はよその国と比べて冷涼な気候と教わった。そのため避暑を目的にくる観光客が多いのだ。逆に冬は厳しい。


「リャナンちゃんは、学校楽しい?」


カミルはバッサリと話題を変える。唐突な幼馴染の質問にリャナンは思わず考え込んだ。


「授業で、栽培技術とか、知識として覚えていくのは楽しいよ。学校に行く前は畑仕事とかは何となく

やってたけど、そういう作業にも理由があるってわかるとやる気も出るし。新しい花が咲いたらやっぱり嬉しいし」


しどろもどろになりながらなんとか質問に答えていく。正直、最近は目の前のことに精いっぱいで楽しいとか嬉しいなどの感情は置き去りになっていたからだ。


「そっか。ならいいんだ。今日入ってきたリャナンちゃんを見ていたらちょっと心配になったから」


どうやら一目でわかるほど落ち込んでいたらしい。こんなことでは駄目だと密かにリャナンはそっと気合を入れなおす。


「正直に言うとさ、色々とあるんだよ。貴族も平民も平等って云う触れ込みだけど実際はそうじゃないし。本当は進学せず、家の手伝いしながら花嫁修行の方が正しい道だったんじゃないか。とかね」


帰り際のデールとの会話がまだリャナンの中で燻っていたのだ。気合を入れたそばから弱音が口をつく。リャナンの話を聞いていたカミルは、


「でも、リャナンちゃんはエルスター家の期待だし。この前もお兄さんがここにきてた時にひとしきり、リャナンちゃんを褒めて帰ったよ」


思いがけない言葉にリャナンは眩暈がしそうだった。


「うちの兄は何を考えてるんだろうね。」


リャナンが力なく言うと、カミルは笑って


「そりゃあ。自慢の妹のことを考えてるんだよ」


と笑いながら言ってのけた。目の前の幼馴染の表情は楽しんでいるときの顔だ。

リャナンは、最早何も言い返す気力もなく、カップに残っていたお茶を飲みほし、お菓子を食べると、「またきます」と言って刺繍屋「アーベル」を後にした。帰り道の足取りは行きよりも軽かった。


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