1. 一日の始まり
フェローニア王国・国王直轄地にある糸屋「エルスター」。そこの長女リャナン=エルスターの朝は早い。まだ、空が白み始めたばかりのころに起きだして身支度を整える。
この国では花を輸出の主力産業としており、バラ・ダリア・キク・ラン・クリスマスローズの五品種の花の育種に携わる者は『フランツェン』と呼ばれ、国民あこがれの職業だ。
フランツェンになるためにはまず、国内唯一の大学、スタンホール大学に進学する必要がある。
リャナンは、この九月に大学三年生になった。シャツに作業用オーバーオールを着て、栗色の肩より少し長い髪を一つにまとめてリボンで縛る。このリボンはスタンホール大学に進学が決まった時に刺繍屋の幼馴染がくれたもので、緑と青の縁取りに鳥の模様が刺繍されている手の込んだものだ。最後にフランツェンの証ともいえる白いセーラー型のつけ襟をつけて身支度を終える。鏡に映った真っ白い襟を見てリャナンはため息をついた。
リャナンはまだ正確にはフランツェンではないが、大学生にもフランツェンと同じ襟が与えられる。この襟には国王認定が得られたときに認定された花と同じ色の糸の刺繍がされる。つまり、まだ真っ白の襟のリャナンは国王認定を貰ったことがないということだ。
(できれば今度の開花する花たちで認定を取りたい)
何度も思ったことだが、未だに叶ったことはない。四年生の夏までに国王認定を取れなければ、筆記試験でフランツェンになるしかなくなるが、それは花を咲かせることよりも困難に思えた。
少し沈んだ気持ちで鞄を持ち部屋を出ると、まだ眠っている家族を起こさないように静かに階段を下りた。リャナンの家の一階は糸屋になっており表口は国王陛下の住まいであり政治の中枢である城へ続くメイン通りに面している。
裏口に出ると石造りの離れがあり、そこは父親と兄の仕事場の糸を染める工房になっている。離れに入らず右に折れると広い畑があり染料に使う花たちが栽培されていた。
畑の一角には去年リャナンが普通認定を取ったオレンジ色のダリアが咲いている。花自体の輸出を目的として国王自身に認定される「国王認定」とは違い、「普通認定」は大学生が届出を出すだけで認定される工芸花卉向けの認定だ。実家の売り物の糸を染めるためリャナンもいくつか申請を出していた。
「いい色が出る」と父親がずいぶんと褒めてくれてリャナンは素直に嬉しかった。さらにその花で染めた糸の売れ行きも良く今年は栽培面積を少し増やしてくれた。畑を一回りしてから、工房に入ると染物を作る竈に火を入れる。火が付いたことを確認するとリャナンは工房を出て学校へと向かう。学校に通っているリャナンに割り当てられた家業手伝いである。
まだ日が昇りだしたばかりで薄暗い中、石畳をなれた足取りで進む。速足のリャナンで三十分程歩くと城の向かいにあるスタンホール大学に着く。
一学年四十人の生徒それぞれに畑が割り振られており、座学よりも各個人の栽培実習の方が重きを置かれている。
リャナンは自分に割り振られた畑に向かうと、そのころにはもう日は昇りきり、周りの様子もよく見えるようになっていた。鞄からノートを取り出すと今日新たに咲いた花の花姿を書いておく。井戸から水を汲んで花たちに与えると、一度畑を後にした。
大学の隣にあるカフェに向かう。
「おはようございます」
リャナンが扉を開けて店の中に向かって声をかけると、人のよさそうなこの店のおかみさんが、
「おはよう。リャナンちゃん。今日も早いね」
と言いながらリャナンに袋を手渡す。お金を払ってそれを受け取ると、サービスだといって葡萄ジュースを渡してくれた。お礼を言い、店を出ると再び畑に戻る。
半年前に兄が結婚してからはこのカフェの常連だ。朝食の準備は兄嫁の仕事なのだが、五人分は面倒くさいと言外に言われてしまったためである。はっきり言って不経済なのだが、関係をこじらせると面倒くさいことになるのは目に見えているし、家族にも迷惑がかかるのでなにも言わなかった。家族が起きるよりも早く家を出るのもこの兄嫁と顔を突き合わせるのが面倒くさいからだ。
カフェで買ったチーズサンドを食べながら今日の授業を考えていると、不意に後ろから影が差した。