無用の凝り性
文章の個性というのは人折々、数えるだけあるでしょう。
コメディチックでスピーディーな文章、情景描写や感情描写が緻密で絹のように繊細な文章や、鉄の香る薄暗くて重厚な文章。かの名著『アルジャーノンに花束を』のように誤字を加えたりひらがなで書き進めたりして主人公の状態を視覚的に表す文章もありますよね。
ちなみに私はアルジャーノンの文章の書き方は素晴らしく独創的に思えて大好きです。
かく言う私にも勿論文章の個性、傾向というものがあります。
しかしながら、それはあまり誇れるものとは言えず、わかりにくい言葉や漢字を多用するせいでとにかく難解で堅苦しく、かと言って私にユーモアのセンスはあるとは言えず面白みもない。この日記はそれほどではないと思っていますが、何も考えずに書いているとそうなっています。
自分を卑下したいわけではありませんが、とにかく、客観的に見て、世に出して好んで人に読まれる文章ではないでしょう。
にも関わらず、全体の校正もせずして小さな表現の加減など、なぜ私は細かいところばかりに手が伸びてしまうのでしょうか。
掃除もそうです。一箇所にこだわって2時間ほどやっても、結局全体としては汚いまま。その一箇所の頑張りは嵐の中の一枚の葉のように、抗うこともなく虚しく飛んで行きます。
とにかく全体に向ける目がない、とりあえず形をつくるという意思が無い。
私の文章力が大いに成長して、素晴らしい文章を書けるようになっても、ちまちま細かいところばかり目を向けて、大きな枠を作っていなければ作品として固めることができません。そうなればいくら頑張っても作品は世に出せません。
大いに反省するべきですよ、私は。
とまあ、些細なことに凝ってるうちにめんどくさくなって途中でやめてしまった数々の絵や文章を見てそう思った今日この頃です。




