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幸運で不運な灰色賢者  作者: いちた
第一章

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灰色の戦術


偽りのダンジョンは、フィンがこれまで経験したどの洞窟とも異なっていた。



空気が違う。自然発生ダンジョンに満ちている、ただ純粋な魔力の澱みではない。

ここにあるのは、人間の手によって整えられたかのような建築様式と、そこに塗り込められた、歪んだ信仰心とでも言うべき、粘りつくような悪意だった。



一行が最初の広間へと足を踏み入れた瞬間、その「悪意」は牙を剥いた。

「グルォォォオオオッ!」


闇の奥から現れたのは、一体のミノタウロス。

上半身は牛、筋骨隆々の巨体に巨大な戦斧を構える、この世界でも屈指の危険な魔物だ。



しかし、その様子は明らかに異常だった。紫色の皮膚には、まるで刺青のように不気味な魔術紋様がびっしりと刻まれ、両の目は理性のない、禍々しい魔力の光で満ちている。



「なっ…!ミノタウロスだと!? なぜこんな浅い階層に!」

セラフィナが驚愕の声を上げる。彼女の配下である屈強な騎士たちが、即座に陣形を組み、盾を構えた。



「怯むな! 相手は一体だ!」



騎士たちの連携は、王都の精鋭と呼ぶにふさわしいものだった。

しかし、改造されたミノタウロスの動きは、彼らの常識を遥かに超えていた。

その巨体からは考えられないほどの俊敏さで戦斧を振り回し、異常な再生能力で浅い傷は瞬く間に塞がってしまう。



激闘の末、騎士の一人が致命的な一撃を叩き込み、ようやくミノタウロスは巨体を横たえた。

しかし、精鋭であるはずの騎士たちの肩は、一体の敵を相手にしただけで、すでに荒く上下していた。


「信じられない…! 生きたミノタウロスに、これほど高度な改造魔術を幾重にも施すなど…!」


セラフィナ配下の若い魔道士リアンが、その骸を検め、息を飲む。

「自然発生ダンジョンでは、絶対にありえない…!」


このダンジョンの異常性を、一行は身をもって知ることになった。

次に一行が、何もない長い直線通路に差し掛かった時だった。


フィンの足が、突然縫い付けられたように止まる。脳裏に、足元の床が閃光と共に爆発する「妄想」が浮かび上がった。

「ひっ…!」

彼は、すぐ前を歩いていたセラフィナのマントの裾を、思わず掴んで引き止めていた。



「ど、どうされましたか、賢者殿?」

突然のことに驚くセラフィナ。



「だ、だめです…! この先は、だめ…!」



「しかし、斥候からは何の報告も…」



騎士の一人が訝しげに言うが、セラフィナはフィンの必死の形相を信じた。

「…止まれ! 全員、そこから動くな!」



彼女の号令一下、パーティーの動きが止まる。魔道士のリアンが杖をかざし、フィンの怯える床を丹念に調べると、やがて目を見開いた。


「…魔力反応! これは…巧妙に隠蔽された感圧式の魔法地雷です! 我々の探知魔法では、まず見抜けなかった…!」

騎士たちが息を飲む。


「…対人用の炸裂呪詛だ。踏んでいれば、半径10メートルの人間は呪いを帯びた鉄片でミンチになっていた…即死だったぞ…」とリアンが青ざめた顔で付け加えた。



セラフィナは、恐怖で震えるフィンの手をそっと握った。その瞳には、もはや疑いの色などなく、ただ純粋な畏敬の念だけが浮かんでいた。



次に一行を襲ったのは、角を曲がった瞬間の奇襲だった。

通路の両脇の瓦礫の陰から、黒いローブをまとった者たちが、一斉に剣を抜き放ち襲いかかってきた。

「奇襲だ!」



先頭を走っていた護衛騎士の一人が即座に応戦するが、敵の連携は巧みで、一瞬にして前衛が押し込まれる。

「うわあああっ!」



フィンは、剥き出しの刃を前にして、情けない悲鳴を上げながらその場にしりもちをついた。

ただ恐怖に駆られ、後ずさる。その時、彼の足が偶然、床に転がっていた瓦礫を強く蹴り飛ばした。


瓦礫は、放物線を描いて壁に激突した。


その瞬間、壁に隠されていた古びた仕掛けが作動。天井から巨大な鉄格子が轟音と共に落下し、奇襲を仕掛けてきた者たちと、フィンたちの間を完璧に分断した。



「なっ…!?」

閉じ込められた敵が、呆然と鉄格子を掴む。そのフードがはがれ落ち、狂信的な瞳をした人間の男の顔が露わになった。



「人間…!? なぜだ、なぜ人間がこんな場所に!」


騎士の一人が驚愕の声を上げる。別の騎士が、敵が取り落とした剣を検め、息を飲んだ。

「…見てください、奴らの剣。すべてに即効性の毒が塗られています。掠り傷一つで死んでいた…」


セラフィナは、しりもちをついたまま震えるフィンを振り返り、戦慄した。



(すごい…! 敵が人間であることまで見抜き、殺さずに無力化するため、このダンジョンに元からあった古代の罠を利用したというのか…!)



彼女の中で、「灰色の賢者」の伝説が、また一つ強固なものになる。


そして、一行はついに、分厚い石壁で行き止まりに突き当たった。


「くそっ、行き止まりか! このダンジョン、まるで侵入者の精神を削り殺すための迷宮だ…!」


騎士の一人が悪態をつく。

絶望する騎士たちを前に、フィンも「もう終わりだ…。ここで袋の鼠だ…」と壁に手をついてうなだれた。


その時、彼の手が偶然触れたレンガが、わずかに内側へと沈み込む。

ゴゴゴゴゴ……。



重々しい音と共に、石壁の一部がゆっくりとスライドし、その奥に続く、闇に閉ざされた新たな通路が現れた。



「隠し通路…!」



騎士たちが絶句する中、セラフィナだけは静かに頷いていた。

(…これも、計算通りだと?)


その瞬間、ぞわり、と肌を粟立たせるような、冷たく禍々しい魔力の奔流が、通路の奥から吹き付けてきた。


そして、その風に乗って、微かに、しかし鼓膜にこびりつくような不気味な音が聞こえてくる。



――……L̷u̷m̶i̷n̷a̶.̷.̵.̷s̶h̷a̴d̷o̷w̴.̵.̷.̷g̷r̸a̸c̵e̷……――



複数の男女が、低い声で何かを繰り返し唱えている。それは祈りにも、呪いにも聞こえた。



「…なんだ、この音は。それに、この禍々しい魔力…」



騎士の一人が、思わず剣を握りしめる。

セラフィナは、声を出さずにフィンを背後にかばうと、騎士たちに手信号で「前進」を命じた。



一行は息を殺し、壁伝いに、音のする方へと慎重に進んでいく。


やがて通路が終わり、巨大な空洞へと繋がった。


セラフィナたちが物陰からそっと中を覗き込むと、その光景に息を飲んだ。



広大な空間の中央には、血のような赤い液体で巨大な魔法陣が描かれ、その周囲を黒ローブの者たちが囲み、例の詠唱を続けている。

魔法陣の中心にある祭壇からは、世界そのものに亀裂を入れるかのような、邪悪なエネルギーが立ち昇っていた。


捕らえられた黒ローブの男のローブに刺繍されていた紋章。それと同じ紋章を、彼ら全員が身につけていた。



それを見た魔道士のリアンが、顔面を蒼白にさせて囁いた。

「この紋章は…禁書に記されていたカルト教団…! そして、あの魔法陣の構成…古代禁呪文献でしか見たことがない…。あれは、魂を喰らい、異界の門を開くための召喚儀式だ…!」



セラフィナが全ての点と線を繋ぎ、結論を口にする。


「改造された魔物…人間的な罠…そして、武装した教団員…。そうか、ここはダンジョンなどではない。この儀式を執り行うための…『要塞』なのだ」

良ければブックマークお願いします(>人<;)


とても励見になりますうううう!!!

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