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幸運で不運な灰色賢者  作者: いちた
第四章 魂の嵐と、三つの戦場

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第四章-4:騎士の正義



騎士団本部、作戦司令室の空気は、鉛のように重かった。



ヴァレリウス団長が下した命令


ーーセリア地区の完全封鎖、貧民街を見捨てて壁とするーー


その非情さが、集まった騎士たちの顔から血の気を奪っていた。




誰もが、その命令の真意を測りかね、あるいは理解することを恐れて、ただ俯いていた。


異論を唱えることは、団長への、ひいては王家への反逆にも繋がりかねない。


その中で、ただ一人、セラフィナ・フォン・ルミナスだけが、顔を上げていた。


彼女の銀色の瞳は、信じられないものを見るかのように、わずかに見開かれている。



唇は固く結ばれ、血の気が引いて白くなっていた。


手綱を握るはずの指先が、今は腰に下げた剣の柄を、白くなるほど強く握りしめている。



(見捨てる…? 民を…壁として…?)



彼女の騎士としての誓い、彼女が信じる正義、その全てが、ヴァレリウスの言葉によって根底から否定された。



北の国境で、エリアスとセラが命を賭して守ろうとしたもの。


フィンが、あの臆病な少年が、自らの魂を削ってまで救おうとしたもの。


それらが、今、この王都で、冷たい計算によって切り捨てられようとしている。



彼女の脳裏に歓声の中心で俯いていた


フィンの孤独な背中が浮かんだ。



彼が背負わされた「英雄」という名の十字架。その重さを、今、彼女は自らの肩で感じていた。



「…セラフィナ・フォン・ルミナス」


ヴァレリウスの声が、静かに彼女の名を呼んだ。




「貴官には、封鎖線の維持と、脱走者の厳重な取り締まりを命じる。北での功績に免じ、最も『安全』な任務を与えよう」



それは、一見すると配慮のようにも聞こえる、



しかし、その実、彼女の正義感を封じ込めようとする、巧妙な罠だった。



セラフィナは、ゆっくりと顔を上げ、ヴァレリウスを真正面から見据えた。


その瞳には、もはや戸惑いも、揺らぎもない。



ただ、静かな、しかし決して消えることのない、怒りの炎が宿っていた。



「…謹んで、お断りいたします」



凛とした声が、司令室の静寂を破った。周囲の騎士たちが、息をのむ。



「私の剣は、民を守るためにあります。壁を作るためでも、見捨てるためでもありません」


ヴァレリウスの目が、温度のない光をたたえて細められる。


「…命令違反か? ルミナス」


「いいえ。騎士としての、責務を果たすまでです」


セラフィナは、ヴァレリウスに背を向けた。



「これより、我が配下の部隊を率い、セリア地区の住民救出に向かいます」



「待て!」


他の上官が制止の声を上げる。だが、セラフィナは止まらなかった。



彼女は、自らに忠誠を誓う、数名の若い騎士たちに向き直り、静かに、しかし力強く命じた。



「我に続く者は!」


迷いは、一瞬だった。



若い騎士たちは、互いの顔を見合わせ、そして、セラフィナの揺るぎない瞳の中に、自分たちが信じるべきものを見た。



「「「はっ!!」」」



数名ではあったが、力強い返事が、司令室に響き渡った。




ーーセラフィナは、彼らを率いて、重い扉を開け放つ。


「往くぞっ!我らの大義を成せっ!!」


廊下には、封鎖線へと向かう、重装備の騎士たちの、無機質な行軍が続いていた。



セラフィナとその部下たちは、その流れに逆らうように、反対方向へと駆け出した。



王都を守るために「後退」していく騎士たちの流れの中を、たった数名の部隊が、民を救うために「前進」していく。



その姿は、あまりにも小さく、あまりにも無謀だった。



彼らが向かう先、セリア地区の方角からは、既に黒い瘴気が立ち上り、断続的な悲鳴と、異形の咆哮が、風に乗って微かに聞こえてきていた。



地獄の釜の蓋は、既に開かれていた。



お読みいただきありがとうございます。

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