第四章-1:英雄の帰還と、父の沈黙
王都アストリアは、まるで祭りの日のような、浮かれた熱気に満ちていた。
北の国境を脅かした未曾有の危機を終結させた英雄たちの凱旋。
民衆は、その栄光を一目見ようと、大通りを埋め尽くしていた。
先頭を行くのは、辺境伯ダリウス。
その隣には、騎士セラフィナ・フォン・ルミナス。
そして、彼女が連れ帰ったという、謎多き少年――『灰色の賢者』フィンが、窮屈そうに馬上に揺られていた。
「英雄セラフィナ様!」
「賢者様、ありがとう!」
歓声が、石畳を揺らす。
色とりどりの花びらが、まるで祝福の雪のように降り注ぐ。
ーーだが、その光の中心で、フィンは溺れかけていた。
喉元まで込み上げてくる、酸っぱい後悔の塊。
数日経っても消えない、あの炭化した肉の臭いが、幻のように鼻腔を刺す。
歓声が鼓膜を突き破り、胃の中を直接かき混ぜるような、暴力的な不快感。
兵士たちの屈託のない笑顔が、エリアスの最後の叫び、血の海に沈んだセラの、虚ろな瞳と重なって見えた。
花びらの赤が、飛び散った鮮血の色に見えた。
(僕じゃない…僕が、英雄なんかじゃない…)
彼は、馬上で俯き、その吐き気を、ただ唇を強く噛みしめて耐えていた。鎧の下の指先が、冷たく震えている。
その隣で、セラフィナは、背筋を伸ばし、民衆の声援に微笑みで応えていた。
だが、その微笑みは、まるで薄い氷のように、今にも砕け散りそうな儚さを宿していた。
彼女の手綱を握る指先が、白くなるほど強く握りしめられていることに、気づく者はいなかった。
一方、彼らと共に王都へ戻ったガルムは、その熱狂から意図的に距離を置き、隊列の後方で、ただ黙って石畳を踏みしめていた。
彼は、英雄として称えられる少年の、あまりにも小さな背中を、ただ見つめることしかできなかった。
その唇が、何度もフィンの名を呼びかけようとして、その度に、喉に詰まった石のような罪悪感に、言葉を飲み込んでいた。
◇
王宮の一室。謁見を終えたダリウスは、騎士団長ヴァレリウスと二人きりで対峙していた。
「…貴殿のやり方は、好かんな」
ダリウスが、開口一番、低い声で吐き捨てた。
「現場を知らぬ者が立てた策は、常に無駄な血を流す。あの程度の脅威に、なぜあれほどの犠牲が必要だった? まるで、最初から『鉄の爪』を使い潰す算段だったとしか思えん動きだ。王命を笠に着て、自らの『実験』でもしていたのではないか?」
ヴァレリウスは、優雅な笑みを崩さなかった。
「結果こそが全てですよ、伯爵。犠牲なくして、勝利は得られません。それに…あの少年。『灰色の賢者』とやらの力がなければ、被害はさらに拡大していたでしょう。彼の力を測るためには、必要な『試練』だったのかもしれませんね」
「ふん。試練、だと? 兵の命を、貴殿の好奇心のために弄ぶか。あれが本当に賢者か、ただの小僧かは知らん。だが、貴殿のような、人の命を数字としか見ぬ男よりは、よほど信用できる」
ダリウスは、ヴァレリウスを
「腹に何かを抱えた、冷血な男」
だと断じていた。
その言葉に、ヴァレリウスの笑みが、ほんの一瞬だけ、温度を失ったように見えた。
◇
その日の夕刻。フィンは、王宮の一室で、一人膝を抱えていた。
英雄に与えられた豪華な部屋も、彼にとっては、罪悪感を閉じ込める檻でしかなかった。
(次は、必ず…みんな…)
彼が、あの地獄の中で立てた、あまりにも無力で、傲慢な決意。
(エリアスのように、セラのように、死なせたくない。守りたい)
彼は、震える手で、テーブルの上に置かれた水の入ったピッチャーを掴もうとした。
だが、指が滑り、ガシャン、と鈍い音を立てて床に落ちた。
豪華な絨毯に、こぼれた水が、じわりと広がっていく。
それが、まるで、あの日の血溜まりのように見えた。
彼は、それを拾い上げることもできず、ただ、震える自分の手を見つめることしかできなかった。
コンコン、と扉がノックされた。
そこに立っていたのは、ガルムだった。
彼は、戸口でしばらく逡巡していた。
ドアの前で何度も立ち止まり
何か言いかけては口をつぐみ
まるで自分の足が鉛でできているかのように
重々しく部屋に入ってきた。
その顔は、まるで道に迷った子供と
罪を犯した大人が同居しているかのような、奇妙な歪みを見せていた。
「…お、おう。その…なんだ」
言葉が、続かない。彼はフィンから目を逸らし、部屋の中を見回し、そして、諦めたように、重いため息をついた。
「…………腹、減ってねえか?」
あまりにも唐突で、あまりにもぎこちない、その一言。
フィンは、ただ困惑して、目の前の大男を見上げるしかなかった。
だが、ガルムはそれ以上何も言えず、ただ、何も言わずに、フィンの傍らに腰を下ろした。
その大きな背中が、部屋の入り口を塞ぐように見えた。
彼は、フィンに背を向けたまま、壁の模様を、まるでそこに何か重要なものが描かれているかのように、じっと見つめている。
その時、音もなく、部屋の扉が静かに閉められた。セラフィナが、そっと気を利かせたのだろう。
部屋には、二人だけの、不器用な沈黙が流れる。
(この人は、なぜ僕を忘れたはずなのに、ここにいるんだろう?)
(なぜ、こんなに、苦しそうな背中をしているんだろう?)
(……なぜ、僕は、この人の背中を見ていると、少しだけ、痛みが和らぐんだろう?)
その問いに、答えはなかった。
静かな幕が上がっただけだった。
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