第三章-5:偽装された回廊
パーティーの空気は、歪んだ形で静まり返っていた。
先頭を歩くのは、依然として斥候のセラだった。
しかし、その足取りには以前のような自信はなく、数歩進むごとに振り返り最後尾にいるフィンの顔色を窺うという、斥候としてあるまじき行為を繰り返していた。
彼女の研ぎ澄まされた五感よりも、怯える少年の眉間の皺一つの方が、このパーティーでは優先される。
その事実が、彼女のプロとしてのプライドを静かに、しかし確実に蝕んでいた。
リーダーであるガルムは、苦虫を噛み潰したような顔で、その異常な光景を黙認していた。
いや、彼自身が、その奇妙なルールの最大の信奉者となっていた。
「止まれ」
ガルムの低い声に、パーティーが即座に停止する。
その視線の先にあるのは、罠でも魔物でもない。
ただ、フィンが天井から滴り落ちる一滴の水に驚き、びくりと肩を震わせた。
ただ、それだけだった。
「…賢者が、何かを感じたようだ。エリアス、魔力探知を。セラ、周辺を警戒しろ」
その命令は、プロの冒険者パーティーのリーダーとして、屈辱以外の何物でもなかった。
だが、ガルムの脳裏には、あの崩落の光景が焼き付いている。自分たちの経験則が、この少年が起こす「結果」の前では、あまりにも無力だった。
魂の疼きが、理屈ではない、と叫んでいる。彼は、理解できないものを、ただ受け入れるしかなかった。
当のフィンは、そんなことなど知る由もなかった。
(また止まった…僕がビビるたびに止まる…僕のせいで全然進まない…このままずっとここにいたら…かえれないじゃないか…!)
彼は、ただ怖いだけなのに、自分のせいで一行が全く進まないという事実に、別の角度からの恐怖を感じ始めていた。
恐怖から逃れたいのに、恐怖が原因で、この恐怖の空間に縛り付けられるという、最悪の悪循環に陥っていた。
だが、勘違いの連鎖は止まらない。
フィンが水滴に怯えて立ち止まった場所。エリアスが「この地点の湿度と魔力濃度に、微弱ながら相関性の乱れがある!」などと大真面目に分析を始める。
その言葉を受け、セラが渋々と、しかし徹底的に周囲を調査した結果、水滴が落ちる先の床下に、巧妙に隠された水圧式の罠を偶然にも発見してしまった。
「…信じられない。こんなもの、普通なら絶対に気づけない…」
セラの呟きは、畏怖と嫉妬が混じり合った、複雑な響きを持っていた。
その度に、フィンの神格化は、本人の意志とは無関係に、ますます強固なものになっていくのだった。
そんな、滑稽で歪んだ行軍がどれほど続いただろうか。
一行は、ダンジョンの最奥で、明らかに異質な区画へとたどり着いた。
それまで続いていた、自然の岩肌を削り出しただけの回廊が、ぷつりと途絶える。
その先は、まるで巨大な刃物でくり抜かれたかのように、床も壁も天井も、滑らかな黒い石材で造られた、人工的な通路が続いていたのだ。
空気の温度が、わずかに下がった。自分たちの足音が、不気味なほどに反響する。壁には、血のように赤い光を、心臓の鼓動のようにゆっくりと明滅させる、見慣れない魔術的な回路が刻まれていた。
「…なんだ、ここは」
ガルムが警戒を露わに呟く。
その時、セラフィナが息をのんだ。彼女は壁に近づき、その回路にそっと触れる。
「この文様…! 王宮の禁書庫で、ごく一部だけが残された禁断の魔術体系…古代に失われたはずの、『転移魔法陣』の回路です! ここは、ただのダンジョンではない…誰かが、その存在自体を隠蔽するために、ダンジョンに偽装しているのです!」
その言葉が、このダンジョンの異常性の正体を告げた、まさにその瞬間だった。
通路の奥の暗がりから、ぬるり、と影が滲み出した。
それは、ダンジョンに生息するはずの、涎を垂らした魔物ではなかった。
統一された黒い装束。統率の取れた動き。無駄口一つ叩かず、ただ冷徹な殺意だけを放ちながら距離を詰めてくる、数名の兵士たち。その中には、明らかに人間ではない、角を持つ魔族の姿も混じっていた。
ゼノが率いる『改竄者』の精鋭部隊、『システムの綻び(ザ・フレイ)』。
彼らは、フィンたちを一瞥すると、一切の警告も、交渉もなく、ただ無言で武器を構えた。
その機械のような無機質な動きは、野生の魔物とは比較にならない、知性的な脅威を放っていた。
「てめえら、何者だ!」
ガルムが、折れた剣の代わりとなる大剣を構えながら叫ぶ。
返事は、ない。
ただ、静かに、そして確実に、包囲の陣形が狭まってくる。彼らの瞳には、感情の色がなかった。
ただ、目的を遂行するためだけの、道具としての光が宿っているだけだった。
絶望的な実力差と、不気味な沈黙が、その場を支配する。
フィンと、彼を利用しようとする者、彼を信じる者、そして、彼を排除しようとする者。
全ての歯車が、この偽装された回廊で、今、噛み合おうとしていた。




