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幸運で不運な灰色賢者  作者: いちた
第三章 北の国境と、賢者の初陣

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第三章-1:たった一人の証人

ちょっとパッと見何話かわからないときがあったのでナンバリングも記載します!

(ぽんこつじゃないよ。。?)



王都からの帰路、馬車の揺れは、まるでゆりかごのようだった。



しかし、フィンが感じているのは、安らぎではなく、現実から乖離していくような、奇妙な浮遊感だった。



(…本当に、僕がやったのか…?)



彼の脳裏には、あの爆発の光景が焼き付いている。自分が投げた、ただの石ころ。それが引き起こした、ありえない奇跡。そして、その結果として得られた、あまりに大きすぎる「手柄」。



実感など、欠片もなかった。

「フィン」



不意に、隣に座っていたセラフィナが、静かに彼の名前を呼んだ。




フィンは、びくりと肩を震わせる。彼女は、あの事件以来、彼を「賢者殿」ではなく、ただ名前で呼ぶようになっていた。




その響きは、フィンにとって少しだけ心地よく、そして、それ以上に恐ろしかった。




夜の闇が、馬車の窓を濃紺に染めている。御者のいななきと、車輪の軋む音だけが響く、静かな空間。




セラフィナは、意を決したように、真っ直ぐにフィンを見つめた。




「…あなたのことについて、聞かせてもらえませんか」




「僕のこと…?」



「ええ。あなたの周りで起こる、あの奇妙な…記憶の喪失について。侍従長も、ギルドの受付嬢も、そして評議会の貴族たちも。彼らは、あなたの功績を覚えていない。まるで、最初からあなたがそこにいなかったかのように」



フィンの心臓が、冷たく凍り付いた。

(気づいている…。この人は、僕の呪いに、気づいている…)




彼の全身を、拒絶の衝動が駆け巡る。言えるはずがない。言えば、きっと彼女も、あの時の孤児院の友人のように、あるいは過去の仲間たちのように、自分を「疫病神」だと呼び、気味悪がって離れていくに違いない。



彼は、固く口を閉ざし、ただ俯いた。





「…私は、忘れません」




セラフィナの、凛とした声が、沈黙を破った。


「あのダンジョンで、あなたが何をしたのか。あの評議会で、あなたがどれほどの功績を立てたのか。たとえ、世界中の人間があなたを忘れても、私だけは、決して忘れません」



彼女は、フィンの冷たくなった手を、自らの両手でそっと包み込んだ。

「だから、教えてください。あなたが一人で背負っている、その痛みを」



生まれて初めてだった。



自分の「呪い」を、真正面から受け止めようとしてくれる人間が、目の前にいる。



「忘れない」




その言葉が、フィンの世界から、音を奪った。


それは、彼が聞くことを諦めていた言葉。彼に向けられるはずがないと、固く信じていた言葉。


「忘れられたい」と願いながら、心の奥底で、本当は誰かに見つけてほしかった。誰かに、覚えていてほしかった。


その、彼自身でさえ気づかぬふりをしていた、あまりにもささやかで、あまりにも絶望的な本当の願い。




目の前の少女は、それをいとも簡単に、掬い上げてくれた。

それは、彼が望みうる、最上級の幸福の形だった。


喜び、というにはあまりに激しく、安堵、というにはあまりに温かい、未知の感情の奔流が、彼の心を根こそぎ洗い流していく。




フィンの瞳から、堪えていた涙が、一筋、零れ落ちた。




彼は、ぽつり、ぽつりと、自分の過去を語り始めた。



「…僕には、家族がいません。昔、魔物と…人間の襲撃で、死んでしまいました」



彼は、感情を殺すように、淡々と告げる。



「僕は、その生き残りで…。その後、孤児院に入りました」

そこで、彼は一度言葉を切り、震える声で続けた。




「…一人だけ、いました。友達が。僕が心を許せる、たった一人の…」




フィンは、あの日の記憶を語った。



孤児院を襲った火事。炎に飲まれそうになった友人を、彼の「幸運」が奇跡的に救ったこと。



そして、翌日。



火傷一つなく助かった友人が、彼を見て、不思議そうに首を傾げたこと。



「『君は誰?』って…。彼は、そう言いました」




フィンの声は、もはや嗚咽に近かった。



「僕が助けたのに。僕が、隣にいたのに。彼は、僕のことだけを、綺麗に忘れてしまっていたんです」



それが、彼の心の傷の、最も深い場所にある原体験。



セラフィナは、ただ黙って、彼の言葉を聞いていた。彼女は、彼の話から、内心で戦慄すべき仮説を組み立てていた。



(彼の故郷を襲ったという『魔物と人間』…それは、私たちが対峙した『偽りのダンジョン』の構図と同じ。彼は、その惨劇の唯一の生き残り…。もし彼の力が、その全てを失った日に、生き延びるためだけに生まれてしまったものだとしたら…?)



彼女は、フィンの悲劇の根源が、彼自身が認識しているよりも、さらに深く、暗い場所にあることを直感した。



そして、その瞬間、彼女の頭を、キィン、と鋭い痛みが貫いた。

(…っ! また、だ…)

世界が、彼の存在を否定しようとしている。



その歪みを、彼女の魂が感じ取っている。



彼女は、痛みに顔をしかめながらも、フィンの手を、さらに強く握りしめた。



「…フィン」



彼女の声には、絶対的な決意が宿っていた。




「私は、忘れません。何があっても。あなたの証人は、私がなります。だから…」




「…だから、もう一人で泣かないでください」

二人の間に、共犯者のような、しかしそれ以上に温かい、特別な絆が生まれた、静かな夜だった。




しかし、フィンはまだ知らない。



この、彼が初めて掴んだ温かい絆こそが、彼を次なる、さらに過酷な運-命へと導く、引き金になるということを。



そして、彼の背後、馬車の遥か後方の上空で、一羽のからすが、その紅い瞳で、じっと彼らの姿を監視していることにも、まだ気づいていなかった。



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