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幸運で不運な灰色賢者  作者: いちた
第三章 北の国境と、賢者の初陣

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第三章 プロローグ:盤上の残骸

3章に突入です。。!


アストリア王都の地下深く。


観測者のシステムがもたらした陽光の恩恵も届かない、冷たい石で築かれた広間に、一体の黒ローブが転がり込んできた。男は、床に自らの血だまりを広げながら、ぜえぜえと喘いでいる。


その顔には、『灰色の賢者』を名乗る正体不明の存在によって、長年の悲願であった儀式を妨害された、敗北の屈辱と、理解を超えた現象への畏怖が色濃く刻まれていた。



「…賢者…灰色の…化け物が…」



血を吐きながら、教団員がうわ言のように呟き、そして動かなくなった。


広間の最奥。崩れかけた女神像を背にして作られた簡素な玉座に、一人の男が座っていた。


その男の見た目は、まるで人間のように若く、美しい青年の姿をしていた。黒髪が蒼白い肌にかかり、ただ、その紅い瞳だけが、何千年もの時を生きてきたかのような、深い絶望の色をたたえている。



彼こそが、観測者によって歴史からその存在を「忘れられた」魔族の、最後の王。魔王アゼロスだった。



「…謎の妨害、か」


アゼロスは、静かに目を開くと、玉座からゆっくりと立ち上がった。彼は、絶命した部下の亡骸に何の躊躇もなく歩み寄り、その冷たくなった手から宝玉の破片をそっと抜き取った。部下の死体には一瞥もくれず、まるで道端の石ころを拾うかのように。



アゼロスがその破片に触れた瞬間、彼の脳裏に、ある美しい光景が広がった。


それは、ただ見るだけで自然と胸が高鳴り、魂の故郷に触れたかのような、深い帰属感を覚える光景。


彼が、そして全ての魔族が失った、かつての世界の姿だった。空には二つの月が浮かび、大地は生命の魔力に満ち溢れ、人々は自然せかいと対話するように魔法を紡いでいた時代。



しかし、次の瞬間。その神秘的で幻想的な光景は、まるで画用紙の上から黒い絵の具を雑に塗りつぶすかのように、醜悪なイメージによって上書きされていく。


彼は、それが「観測者」のシステムによる侵食であることを、瞬時に、そして憎しみと共に理解した。


彼の周りの空間が、静かな怒りに共鳴するように、わずかに歪んだ。


彼は、部下の最後の報告を思い返す。灰色の賢者の力。


「世界の法則そのものを、指先で書き換えるかのように…」


(世界の理を書き換える力。…そして、灰色の髪。…あの内乱の末、我ら魔族と共に観測者に反旗を翻し、そして敗れ去ったはずの一族。その亡霊が、今になって現れたとでも言うのか…)



「…面白い」

アゼロスの口から、初めて、感情らしきものが漏れた。



「我らが何世紀もかけて見つけようとしてきた、システムの『綻び』。あるいは、それを破壊するための『鍵』。…そのどちらかが、今、我々の目の前に現れたというわけか」



アゼロスは、自嘲気味に口の端を上げた。

「至高の種族たる我らの悲願の鍵を、人間が握っているやもしれんとはな。…皮肉なものだ」


しかし、彼は知っていた。


人間という種は、短命で脆弱だが、時に、我ら魔族さえも凌駕するほどの狡猾さと、底なしの執念を見せるものがいることを。



その代表格と言える男の顔が、アゼロスの脳裏に浮かび上がる。



「ヴァレリウスからの連絡は?」

「はっ。『灰色の賢者』は、セラフィナ・ルミナスと共に、北の国境、グレイロック砦へ向かった、とのことです」




アゼロスは、数少ない協力者である、人間の男の顔を思い浮かべ、その評価に少しだけ侮蔑の色を加えた。

(…面白い男よ。永い時の中で、人間を面白いと思ったのは、初めてかもしれんな。所詮は、我らの掌で踊る、短命の駒に過ぎんがな)



アゼロスは、広間に控える、最も練度の高い暗殺者部隊に命じた。



広間の床に描かれた古代の魔法陣から、影のように滲み出してきた、異様な気配をまとう者たち。


彼らは、観測者のシステムの外側にある「原初の魔法」の断片を操る、魔族の中でも異端の存在。彼らの身体は、その力の代償か、不気味な文様で覆われ、その気配は、まるでこの世のものではなかった。



組織の誰もが、その名を畏怖を込めて呼ぶ。


『システムの綻び(ザ・フレイ)』。



「『綻び』の者たちに伝えよ」

アゼロスの声は、静かだったが、その場の全ての者の魂を縛るような、絶対的な圧があった。



「北へ向かえ。そして、『灰色の賢者』を見つけ出せ」



「…彼の力が、我々の『悲願』にとって、駒となるか、あるいは脅威となるか。その真価、見極めてこい」



彼はそこで一度言葉を切ると、膝をつく部下たちを見渡し、自らの組織の名を、静かに、しかし力強く宣言した。



「我々は、観測者が作ったこの偽りの世界を、真の姿へと正す者。我らこそが、『世界の改竄者』だ。歴史の亡霊ごときに、我々の歩みを止めさせるな」



「はっ!」


部下たちの声が、地下神殿に力強く響いた。


アゼロスは、その紅い瞳を、遥か北の空へと向けていた。そして、それまでの静かな口調とは一転、絶対零度の、有無を言わせぬ覇気を込めて、最後の命令を下した。



「そして、もし脅威だと判断したならば――」




「――その場で、排除せよ」

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