仕組まれた神託
王宮の医務室。
ようやく意識がはっきりとしてきたフィンは、柔らかいベッドの上で、ただ天井の染みを数えていた。
侍従長の証言が消えた、あの混乱した評議会の後、彼は精神的な疲労から再び医務室に運び込まれていたのだ。
(もう、疲れた…。わけのわからない事件も、期待に満ちたセラフィナさんの目も、全部…。かえりたーい…)
彼は、本気で王宮からの逃亡計画を練り直していた。今度こそ、誰にも見つからないように、完璧に。
その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「賢者殿! お目覚めでしたか!」
入ってきたのは、疲れた様子も見せず、むしろ瞳を爛々と輝かせたセラフィナだった。
その手には、ヴァレリウスから渡された、あの古代の紋章が描かれた羊皮紙が握られている。
フィンの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「体調はいかがですか? リアンによれば、極度の精神集中による魔力欠乏だろうと。さすがです」
「あ、う、うん…」
(ただの気絶なんだけどな…)
口答えする気力もなかった。フィンは、今こそ言うべき時だと、か細い声で切り出した。
「あの、セラフィナさん。もう、僕を解放してもらえませんか…? 僕は、本当に何もできないんです。あなたたちの役には立てない…」
しかし、セラフィナはフィンの言葉を、まるで聞いていないかのように、羊皮紙を彼の目の前に広げた。
「賢者殿。あなたの神託と、騎士団長閣下からの助言により、捜査は新たな局面を迎えました」
(僕のこと、見えてる!? 聞こえてる!? ていうか、まだ僕のこと認識できてる!?)
フィンの内心の絶叫は、もちろん彼女には届かない。
普通、これだけ濃密に関われば、彼の存在は相手の記憶から抜け落ち始めるはずだった。
エリーゼのように。
ガルムたちのように。
しかし、目の前のこの女騎士は、まるでその世界の理が通用しないかのように、真っ直ぐに自分を見つめ、当然のように「賢者」としての役割を求めてくる。
(この人の頭の中、どうなってるんだ!?)
フィンの混乱をよそに、セラフィナは結論を言った。
「ですが、この古代の紋章が何を示すのか、私にはまだ解読できません。どうか、もう一度だけお力をお貸しください。この紋章から、何が視えますか?」
その真っ直ぐな、一点の曇りもない信頼に満ちた瞳。
それが、フィンを奈落の底へと突き落とした。
(だめだ。この人は、僕が『賢者』だと信じて疑っていない。僕がいくら否定しても、無駄なんだ)
(どうすれば、どうすればこの状況から逃げられる…?)
プレッシャーで、呼吸が浅くなる。頭が、じりじりと焼けるように痛い。
彼の脳裏に、またしても、意味のないイメージの断片が明滅し始めた。
――埃っぽい、古い木の匂い。壁一面に並んだ、膨大な書物の背表紙。そして、その書庫の薄暗がりに、まるで罠のように張り巡らされた、銀色に光る蜘蛛の糸――
「あ…」
もはや、それは彼の意思ではなかった。極度のストレスに耐えきれなくなった脳が、悲鳴を上げるように、勝手に言葉を紡ぎ出す。
「…ふるい、きの…におい…」
「古い、木の匂い…?」
「…くも、の…いと…」
それだけを口にすると、フィンは激しい頭痛に襲われ、ベッドの上でうずくまった。
しかし、セラフィナは、新たな「神託」を得たことで、歓喜に打ち震えていた。
(古い木の匂い…王宮書庫! 蜘蛛の糸…張り巡らされた陰謀の比喩!)
彼女は、フィンの体調を気遣う言葉も忘れ、興奮したまま部屋を飛び出していく。
「ありがとうございます、賢者殿! すぐに書庫を調べさせます!」
一人残された部屋で、フィンはただ呻くことしかできなかった。
彼の必死の抵抗は、またしても、セラフィナの完璧な勘違いによって、物語をさらに深みへと進めるための、最高の燃料となってしまったのだった。
(・・・今日の晩御飯なにかなー。)




