第3話:七将、吼える──政の均衡、崩れゆく
慶長四年、春。
前田利家がその生涯を閉じた夜、 政局は大きく揺れ始めた。
──それは、長き沈黙を破る「武功派」の咆哮であった。
加藤清正、黒田長政、藤堂高虎、福島正則、蜂須賀家政、細川忠興、浅野幸長。
秀吉の代から数々の戦功をあげた「七将」と呼ばれる彼らは、
豊臣政権下において石田三成の存在を長らく快く思ってはいなかった。
その火種は、朝鮮出兵の折に生じていた。
石田三成は、軍目付の長として、前線に赴いた彼ら武功派諸将の行動を厳しく監視し、
少しの違反や遅滞も逐一、秀吉へ報告。
その結果、多くの大名が叱責、または減封処分を受けた。
「三成……あやつのせいで、我らの名誉は地に落ちた」
「今こそ、その咎を正す時よ……」
利家という“緩衝材”が失われたことで、 七将たちは声を揃えて三成の糾弾を始めた。
EDO『武功派連携強化:共同戦線形成中。反・文治派アライメント確認。』
家康は、利家の死後、すぐにこの動きを察知した。
EDO『提案:衝突回避のための調停戦略起動。対象:石田三成・七将連合。』
その数日後、駿府からの密使が、京の二条城に届けられた。
「徳川殿が動いたか……」
福島正則は唇を噛みながらも、家康の“中立性”と影響力に望みを託した。
やがて、訴訟は公式な評定にまで持ち込まれた。
「石田三成、そなたの行い、政の公正を超えて私怨と化してはおらぬか」
「否、それがしの務めは、天下の秩序を守ること。私欲ではござらぬ」
三成の声は揺れていなかったが、 武功派の憤怒の渦と、
家康の冷静な“和解”の呼びかけの前に、 その正義は孤立していった。
EDO『三成、政治的退陣回避不能。提案:名誉ある蟄居。』
家康は評定の終盤、静かに口を開いた。
「このまま騒乱を続ければ、秀頼様の御世を揺るがすことになろう」
「三成殿、そなたの才は惜しいが、しばし、政から身を引いては如何か」
「……承知いたしました」
石田三成は、無言のまま席を立ち、 佐和山城へと退く決断を下した。
政権の中枢から、最も理知に長けた男が消えた瞬間──
それは、豊臣政権が“豊臣の時代”でなくなる兆しでもあった。
家康は、政局の裏でEDOの声に静かに頷いた。
EDO『政敵排除、完了。次段階:組織再編・勢力掌握へ移行推奨。』
こうして、嵐はひとまず鎮まった。 だが、それは真の嵐の“前触れ”に過ぎなかった。