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第21話:戦の果て──裁きと恩賞の帳尻

関ヶ原の合戦は終わった。


が、真の戦はここからであった。

家康にとって、勝利よりも重要なのは「秩序の回復」と「恩賞の配分」、

すなわち、「天下を統べる正当性」をいかに形作るかであった。


家康は、敵方の諸大名のうち


「改易(かいえき/領地没収)」

「減封(領地削減)」

「赦免」


を慎重に振り分けていった。


たとえば──

● 毛利輝元は本来なら改易に相当する立場だったが、

 吉川広家の内通と交渉努力が考慮され、周防・長門の二か国のみを残され減封。


● 上杉景勝は謝罪と家康への臣従を誓ったことで、米沢三十万石へ減転封。


● 島津義弘には、戦場での働きと血筋を重んじ、薩摩一国を安堵。


【恩賞の采配】


恩賞として、家康は配下の東軍諸将に対し大規模な加増を行った。


● 福島正則:安芸広島五十万石に加増転封。

● 加藤清正:肥後一国・五十二万石。

● 黒田長政:筑前・五十二万石。

● 細川忠興:豊前・三十九万石。

● 池田輝政:播磨姫路・五十二万石。


中でも功績の大きい者には、豊臣恩顧でありながらも大封を与えることで、

徳川政権への忠誠を取り付けた。


また、家康に直接仕える譜代衆にも所領を与え、新たな幕藩体制の骨格を築き始めた。


EDO『恩賞:兵農分離加速/東海道沿線配置調整/信濃・甲斐・遠江など戦略要地支配権強化中。』


処罰の裏に慈悲を織り交ぜ、家康は従属と忠誠を引き出した。

これが“徳川式支配”の始まりだった。


【家康の戦略】


表向きは、豊臣政権の下での“戦後整理”であったが、

家康の心中では「徳川による天下掌握の布石」が着々と打たれていた。


「天下を収めるには、力よりも“筋”が要る」


家康はそう語ったという。

その“筋”を形にするために、彼はなおも動き続ける。


戦後処理という“整理”の中で、家康は秩序を再構築し、次なる時代──

徳川の世の礎を、誰にも悟られぬうちに築いていた。

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