第14話:清須の息吹──家康、戦局を制す
慶長5年(1600年)8月末──
逆賊と見做された徳川家康。 だが、その不安は杞憂に終わった。
東軍先鋒部隊は怒涛の勢いで西へ進軍し、
西軍方の重要拠点・岐阜城をわずか一日で陥落させたのである。
「……早すぎるぞ。これでは徳川抜きで決着がついてしまう」
思わぬ展開に、家康は驚きを隠せなかった。
このままでは、自らの存在意義が薄れてしまう。
焦った家康は、先鋒の諸将に向けて命じる。
「我が到着までは、軍監・井伊直政の指揮に従え。勝手な動きは慎むように」
戦況の主導権を維持すべく、家康は慎重な行動を取りつつ、9月1日に江戸を出立。
総勢約3万2千の軍勢を率い、東海道を急行。
9日には岡崎城、11日には清須城へと入城した。
だが、ここで突如として進軍が停止される──
家康は「風邪」を理由に休息を取ったが、真の理由は別にあった。
そう、徳川本隊の主力を担う息子・徳川秀忠軍が、予定より大幅に遅れていたのだ。
秀忠率いる軍勢は、徳川家の譜代重臣や精鋭を揃えた本格的な戦力だった。
彼らは東山道(中山道)を進み、信濃の上田城を制圧してから、家康軍と合流するはずだった。
しかし、計算違いが生じた。
一つは、上田城に立てこもる真田昌幸の抵抗。
もう一つは、豪雨による洪水や地形の悪化で、家康からの急報が秀忠に届くのが遅れたことである。
「このままでは、秀忠は間に合わぬか……」
家康の胸に焦りが募る。
加えて、清須にとどまり続ければ、すでに進撃中の先鋒隊が、
大垣城に布陣する西軍主力へと勝手に突撃してしまう懸念もあった。
そのため、家康は決断を下す。
14日、岐阜城に入り戦況を見極めたのち、大垣城近くの赤坂に本陣を設営。
先鋒部隊とついに合流を果たした。
EDO『東軍:主力未到着、状況逼迫。推奨:陣形統制、敵前面威圧。秀忠本軍到達見込み:未確定。』
家康のもとに伝令が走る。
「これよりが、我らの真の戦となる。秀忠が来るまで、踏みとどまれ──」
東軍の気運は、赤坂にて、今まさにひとつに結集しつつあった。




